12-1
その日、神祇庁は祈るのをやめた。
午前十時。中央区の会見場に記者と端末が並んでいた。壇上には青と桃と緑の認証光が一定の間隔で切り替わっている。壁も、机も、床も生活の痕跡を丁寧に拭き取った白さだった。
登壇したのは神祇庁系法人、帳務院の広報担当ではない。制度設計の責任者として紹介された女が一人で出てきた。
糊のきいた白いコート。白い手袋。片手に薄い端末。
彼女は祝詞を上げなかった。神前に供えるものも、清めの所作もなかった。神祇庁系の法人が公的な発表をするとき、形だけでも入れる手順がある。それを全部飛ばした。
かわりに彼女は資料の一枚目を開いた。
『本日より、帳務院は都市登録の全面的な再整備に着手します』
声は落ち着いていた。急いでいない。怒っていない。よく通る、聞き取りやすい声だった。
『対象は未登録の怪異市民、未登録の亜人、人工怪異、および登録に不整合のある方々です。目的は保護と、再登録です』
記者席から質問が飛んだ。強制ですか、と。
『いいえ。保護です』
彼女は資料から目を上げずに答えた。
『登録のない方は今、この街で何も守られていません。医療も、保険も事故の記録も。その状態を放置しているほうがよほど強制的だと、私たちは考えています』
そして計画の名称が画面に出た。
白帳整理。
*
俺はそれを事務所の古いモニターで見ていた。
画面の中で白い手袋の指が資料の端をそろえている。丁寧な手つきだった。紙を粗末に扱わない人間の手つきだ。
いつだったか、白い廊下で一度だけ、その手を近くで見た。あのときも髪は一本も乱れていなかった。
「出てきたな」
俺が言うと、ソファのサエが薄目を開けた。
「顔、覚えてる」
「俺もだ」
「……あの女がテレビに出る日が来るとは思わなかった」
サエはそう言ってまた目を閉じた。だが呼吸は浅くなっていた。この女は、あの声を身体で覚えている。旧名を呼ばれた夜の声だ。
俺は灰桜をくわえた。火はつけない。フィルターを噛むと、先端の認証チップが青く点いた。
白帳。
いつだったか、空箱の底で四文字だけを見た語だ。その後、調整室の承認欄で名称照合の書式として見た。そして先日、俺自身の死亡記録のいちばん大元の承認欄で見た。
配布される白い札の親。死んだ者と抹消された者を帳簿の内側に束ねておく裏の台帳。
それが今、表に出てきた。都市全域の計画の名前として。
*
会見は続いていた。
記者の一人が踏み込んだ質問をした。再登録に応じない者はどうなるのか、と。
『応じない、という選択はもちろんあります』
白瀬透子はそこで初めて顔を上げた。
『ただ、その場合、私たちはその方を守れません。守れない存在を都市の中に置き続けることはその方にとっても、周囲にとっても危険です。危険なものは整理の対象になります』
整理。その言葉を彼女は一度も言い換えなかった。
『誤解のないように申し上げます。私たちは誰かを憎んでいるわけではありません。怪異も亜人もこの街の住民です。ただ、帳に載っていなければ、私たちは手を伸ばせない。名簿にない人を救急車は探せません。それだけの話です』
別の記者が訊いた。祈りはと。神祇庁系の法人でありながら、宗教的な手続きを一切取らないのはなぜか、と。
彼女は少し間を置いた。
『祈りでは存在を保護できません』
会見場が静かになった。
『祈りは尊いものです。私も否定しません。ただ、祈って守られた人の数と、正しく登録されていて守られた人の数を並べて比べたことはありますか。……私はあります。仕事ですから』
白い手袋の指が資料をめくった。
『必要なのは正しい登録です。帳に載らないものは誰にも守れません』
会見場から拍手が起きた。
まばらではなかった。記者席の後方、企業の関係者が座るあたりから始まって、それが前へ広がった。
誰かが泣いているわけでもない。怒っているわけでもない。正しいことを正しく言った人間に対して、正しい量の拍手が起きた。
白瀬透子は頭を下げなかった。資料の端をそろえて次の頁を開いただけだった。
*
会見はそれで終わらなかった。
三人目の記者がいちばん鋭いところを突いた。整理の対象になった者はどこへ行くのか。再登録できない者は、最終的にどう処理されるのか。
『どこへも行きません』
白瀬透子は言った。
『整理というのは移動ではありません。帳簿の不整合を解消する作業です。……不整合が解消された結果、その方の記録がどうなるかは個別の事情によります』
その答えは何も答えていなかった。だが、嘘も言っていなかった。
『一つ、事実を申し上げます』
彼女は資料を一枚めくった。
『昨年度、この街で未登録の人工怪異による事故が十一件ありました。うち三件で住民に死者が出ています。製造元は不明。管理者も不明。誰も責任を取っていません。取れないんです。帳に載っていないので』
会見場から、物音が消えた。
『未登録であることはその方の罪ではありません。ですが、未登録のまま放置することは周囲の方にとって現実のリスクです。……私はその両方を数えています。どちらか片方だけを見て正義を語ることは、私の仕事ではありません』
俺はそれを聞きながら、口の中の灰桜を噛んだ。
反論できなかった。企業が地下の培養槽で失敗作を作り続けていた件を俺は知っている。下水本管へ流された子たちのことも。あれが外へ出ていたら、住民が死んだ。それは本当だ。
この女の言っていることは半分、正しい。
半分だけ、正しい。
そして残りの半分にコマリがいる。倉の声がいる。名前のない子がいる。この街で誰も殺していない、ただ帳に載っていないだけの連中がまとめて同じ欄に入れられている。
危険な未登録と、無害な未登録を彼女は分けない。分けないのが効率的だからだ。
それが、この計画のいちばん冷たいところだった。




