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送信元を辿るのに俺は狐を頼った。
旧市街の地下喫茶《尻尾》は昼でも夜のようだった。地下へ降りるほど、匂いの層が増える。焦げた豆、こぼれた酒、湿ったコンクリート、霊煙の甘さ。狐は頼んでもいない濃い茶を俺の前に置いた。金の指輪がポットを傾けるたび、ちゃらりと鳴る。
俺は依頼の切れ端を机に滑らせた。狐は金色の縦瞳を細めてそれを長いあいだ見ていた。核心に触れるとき、この男は手が止まる。今、止まった。
「久我くん。これはね、辿れる種類の話じゃないよ」
「辿れない、じゃなくて辿らないほうがいい、か」
「察しがいいね。……送信元は死んだ回線だ。旧い保守回線。今はもう使われてない系統さ。だけど、死んでるくせに電気だけは通ってる。誰かが通してる」
「第九処理室か」
狐は答えなかった。答えないことが答えだった。金の指輪を鳴らさない。
「一つだけ、正確に言っておく」
狐はめずらしく、声を落とした。
「この依頼は、あんたを騙してどこかへ誘い込むための偽の依頼じゃない。……送り主は本当にあんただ。あんたの死んだ半分だよ。死んだ半分が生きてる半分に来い、って言ってる。それが、いちばん、質が悪い」
俺は灰桜を指で挟んだ。
いつだったか、別の依頼人が似た言葉を使った。片づけたのはあなたの半分です、と。あのときは、意味を半分しか受け取らなかった。受け取りたくなかった、というほうが、正しい。
あのときの依頼人は広告塔にされた女だった。自分の偽物に声も表情も吸い取られてそれでも最後に自分でプラグを抜いて逃げた。片づけたのは、あなたの半分です——あの一行はあの女にではなく、俺に宛てた圧だった。今なら、わかる。あれはこの夜への長い前置きだったのだ。
「金は」
「今日は取れない」
狐は金色の目で笑わなかった。
「等価交換にならない。……あんたが失うものと、釣り合う情報を僕は持ってない。だからね、久我くん。これは貸しでも借りでもなく、ただの忠告だ。行くなら、覚悟していけ。死んだ場所に生きて戻るのは行くより、ずっと、難しい」
「一つ、訊いていいか」
「どうぞ」
「あんた、俺みたいな死人をほかにも知ってるか」
狐は金の指輪を一つ鳴らした。それから鳴らすのをやめた。
「いたよ。何人か。……みんな、辿るのをやめた口だ。死んだ名前で稼働してた連中でね。ある日、依頼が来る。自分の名前で自分宛に。……戻ってきた奴はいない。生き返ったのか、消えたのか、それもわからない。ただ、次の日から街の帳簿が一行、静かになる。それだけさ」
俺は灰桜を口の端で噛んだ。戻ってきた奴はいない。つまり俺は、前例のない道を歩こうとしていた。
隣でサエが茶に口をつけなかった。ただ、店の出入り口を一定の間隔で確かめていた。飼い慣らされなかった獣の休み方だった。
俺たちはいつもこうだ。俺の過去には触れない。彼女の過去にも触れない。訊かないことでかろうじて隣に座っていられる。だが、今朝の依頼はその約束の外から来た。俺の過去のほうが、先に俺を訪ねてきた。
「行くの」
店を出てサエが訊いた。
「行かないと、たぶん、向こうから来る」
「一人で行く、って言うなら」
「言わない」
俺は灰桜をくわえ直した。いつだったか、この女は、自分を作った部屋へ一人で行こうとした。俺は止める理由をいくつも並べて結局、並べきれなかった。並べるほど、本当は、一人で行かせたくないだけだと、わかったからだ。
今度は逆の立場だった。
「足手まといになるぞ」
俺が言うと、サエは俺の手元の震える指を見た。
「震える手で何ができる、って?」
「……ああ」
「知ってる。それでもあんたの背中は見ていられる」
俺がいつだったか、彼女に言った言葉だった。そっくり、返された。俺は何も言えなかった。ただ、青白い煙を細く吐いた。




