↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
帳の外 ―まだ、ここにいる―  作者: 佐和井 泥
第九話 倉ぼっこは空箱に眠る

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
69/70

9-8

 ミサキは、倉庫の外の、封鎖線の手前に立っていた。


 中には、入れなかった。企業の警備と、認証ゲートが、彼女を通さない。彼女はただ、暗い倉庫を見上げて待っていた。弟の声のする、空箱の墓場を。


「ミサキさん。一つ、頼みがある」


 端末越しに、俺は言った。


『……はい』


「あの子の名前を、呼んでやってくれ。大きい声で」


『名前を』


「声が、散らばってる。切れ切れで、このままじゃ、掬い上げるには足りない。……覚えてる人間に呼ばれると、散らばったものが、少しだけ揃うらしい。理屈は知らん。この稼業をやってると、そういうものに、何度か出くわす」


 ミサキが、息を吸う音がした。


 それから、封鎖線の外で、彼女は、暗い倉庫に向かって叫んだ。


「トウマ!」


 俺の指の先で、子どもの光が、跳ねた。


 切れ切れだった断片が、その一声のほうへ寄っていく。ばらばらに明滅していた光が、ひとつの塊に集まっていく。名前を呼ばれた側が、名前のほうへ、集まっていく。


 行政の帳簿から、この子の名前は消えている。生まれた記録も、姉の弟だった記録も。残っていたのは、姉の口の中だけだ。──それでも、呼べば、届いた。


 俺はその、いちばん揃った一瞬を掬い上げて、端末越しに姉のほうへ通した。


『……ねえちゃん』


 ミサキの端末から、その声が流れた。


 彼女の手が、口を押さえた。


『ねえちゃん、まだ、いる?』


「……いる」


 ミサキの声が、掠れた。


「いるよ。ずっと、いる。トウマのこと、忘れてない。ずっと、覚えてる」


『よかった』


 子どもの声が言った。


『ぼく、消えるとき、ねえちゃんが忘れちゃったら、どうしよう、って。……でも、覚えてて、くれた』


「忘れない。絶対に」


『ぼくも、覚えてる。ねえちゃんの、手の、あったかいの』


 その一往復で、終わりだった。


 トウマの声が、また途切れがちの切れ端に戻っていく。言葉になりきらない、残りかすに。俺はその断片を、古い通信線から古椿(ふるつばき)の消えない棚へ、そっと流し込んだ。


 子どもの光が、俺の指先から離れていく。消えたのでは、ない。もっと深い、もっと古い、誰も上書きできない場所へ、移っていく。そこで、この子は"いた"まま眠る。取りに来る者は、いない。それでも、いなかったことにはならない。


 封鎖線の外で、ミサキが、端末を両手で握りしめていた。声は、もう、しない。だが、彼女はその端末を、まるで弟の手を握るように、しばらく放さなかった。


 連れては、帰れなかった。話し続けることも、できなかった。


 だが、彼女の弟は、もう、いなかったことにはならない。


 全部は、救えない。ひとつの声を、今夜だけ、消えないところへ逃がす。帳外屋(ちょうがいや)にできるのは、いつも、それくらいだった。


     *


 上書き処理は、止まらなかった。


 空箱の光は、ほとんどが消えた。(くら)ぼっこが、長いあいだ抱えてきた声の、大半が失われた。ルカの人格モデルの断片も、サエに似た記録の切れ端も、俺の死んだ半分の控えも、白帳整理の四文字も、上書きの波に呑まれて消えた。


 だが、(くら)ぼっこ自身は、消えなかった。


 倉は、残った。上書きされたのは、中身だ。器は、残る。古い倉庫は、また空になった。取りに来る者のいない時間だけが、そこに戻ってきた。


『……久しぶりに、空になった』


 (くら)ぼっこが言った。無数だった声が、今は、ずいぶん少ない。


『長く、いっぱいだった。……預かったものが、多すぎて。ひとつも捨てられなくて。──今夜、ほとんど持っていかれた。ひとつだけ、逃がしてくれたが』


「悪かった」


『いや』


 倉が、かすかに軋んだ。


『空になった倉は、また預かれる。……次に、捨てられた声が来たときに。……倉は、それが性分だ』


 そのとき、倉庫の、いちばん古い保守回線が、かすかに明滅した。


 俺の端末に、それが拾われた。旧防災系統からの、細い信号。古い設備コードだ。赤、緑、緑。


 俺は、その明滅を、しばらく見ていた。


 以前、ビルに宿った、あの小さな座敷童(ざしきわらし)の合図だった。赤緑緑。──また来てください。あの子は、ビルから出られない。出ないまま、旧防災系統と保守回線を通じて、この港の古い倉まで細い信号を届けていた。


 ビルの座敷童(ざしきわらし)から、港の(くら)ぼっこへ。忘れない器どうしが、都市の忘れられた回線で、繋がっていた。


『……知らない子から、合図が来た』


 (くら)ぼっこが言った。少し、戸惑ったような声だった。


「知り合いだ。ビルから出られない、座敷童(ざしきわらし)だ。……あんたのことを、心配してる」


『そうか』


 倉が、また軋んだ。今度は、少し、笑ったように聞こえた。


『……忘れない者は、案外、多いな。数える者ばかりの、この街にも』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。