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俺は、コンテナの列を、奥へ進んだ。
空箱のひとつひとつに、弱い光が灯っている。その前を通るたびに、声が、切れ切れに漏れてくる。
『……三丁目の、角の、店の……』
『……ちがう、そっちは、まだ、閉めるな……』
『……あの子は、元気に、してるかな……』
どれも、途切れている。文になりきらない。誰に向けたのか、もうわからない言葉の切れ端だけが、箱の中で繰り返されている。廃棄される前の、最後の思考の、残りかす。倉ぼっこは、それを捨てずに抱えていた。
どの声も、助けを求めてはいなかった。誰も、出してくれ、とは言わない。ただ、途中の用事を、途中のまま、繰り返している。店を閉める段取り。会っていない誰かの心配。言いそびれた、なんでもない一言。──助けてくれ、と言われたほうが、まだ、ましだった。
いなかったことにされた者たちの声が、空箱に眠っている。狐の言葉が、そのままの形で、目の前にあった。
その列の、ある一角で、俺は足を止めた。
ひとつの空箱の光が、ほかと少し違った。
その箱の中で、いくつもの光が、絡み合っていた。断片が、寄り集まって、弱く明滅している。俺は灰桜の霧を、その箱へ細く吐いた。
断片が、応じるように揺れた。
最初に浮かんだのは、笑っている女の顔だった。若い。長い睫毛。透けるような肌。街じゅうの広告で、疲れも知らずに笑っていた、あのエルフの顔。──いや、エルフではない。あれは、作られた顔だ。広告の人格モデル。以前、俺が一枚だけ本物の声を通してやった、あの女の、偽物のほうだった。
その隣で、別の断片が光った。
処理番号。身体改造の形式。風を刃に変える骨格の設計。命令名への反応を示す、古い波形。──サエの旧い登録に、よく似た断片だった。だが、サエのものではない。もっと古い。あるいは、もっと、たくさんの。同じ形式で作られた、いくつもの個体の、記録の切れ端。
そして、その奥に。
俺自身の名前があった。
久我ミナト。登録状態、死亡。稼働、継続中。
地下で見たのと、同じ一行だった。都市が使役している、俺の死んだ半分。その控えが、この空箱の底にも沈んでいた。
喉の奥が、嫌な鳴り方をした。
俺は、その断片から目を逸らした。逸らした先に、もうひとつ見慣れない語が、断片の底で一瞬だけ光った。
白帳整理。
IXの札とは、書式が違った。あの、余白の多い白い札。あれは、配布された整理コードだ。だが、この語は、それとは違う。もっと上の、親署名のような書式で、たった四文字だけが、断片の底で白く光っていた。
白帳整理。
意味は、わからない。だが、その四文字を見た瞬間、俺の指先が勝手に震えた。灰桜のケースの角を、指で確かめる。震えが、少しだけ引いた。
この語の意味を知ったとき、たぶん、ろくなことにならない。──その予感だけが、あった。
「ミナト」
サエの声が、後ろでした。彼女は俺より数歩手前で、足を止めていた。積み上がった空箱の壁を、見上げている。
「私の、匂いがする」
「見たか」
「見てない。……匂いだけ。私と、同じ工場の匂い」
彼女はそれ以上、近づかなかった。彼女の左手が、右の手首を押さえていた。今は何もない手首を、昔そこに何かが嵌まっていた人間の、癖で。
彼女は、その箱の光を、見なかった。見れば、たぶん、思い出す。自分と同じ形式で作られ、自分と同じように命令用の名前で呼ばれ、使い終わってここへ捨てられた、いくつもの個体のことを。サエは、自分の記録を切って捨ててきた。だが、切って捨てたはずのものが、こうして空箱の中に、まだいる。
「あれも」
サエが低く言った。箱のほうは、見ないままで。
「消されるの」
「たぶんな」
「そう」
彼女は、それだけ言った。消えたほうがいい、とも、消さないでくれ、とも言わなかった。ただ、右の手首を押さえた左手に、ほんの少し、力が入った。忘れたいものと、消したくないものが、同じ箱の中に入っていた。
俺は、四つの断片から目を上げた。ルカの人格。サエに似た記録。俺の死んだ半分。白帳整理の、四文字。
この空箱は、都市の裏側で別々に起きてきたことの控えを、いくつも沈めていた。倉ぼっこは、それを匿っていた。
だが、俺が探しに来たのは、これらではなかった。
「倉ぼっこ」
俺は天井へ、というより倉庫全体へ、声をかけた。
「トウマって子の、声を、預かってるか」
倉庫が、しばらく黙った。
積み上がったコンテナの、いちばん奥のほうで、ひとつの光が灯った。ほかより弱い。ほかより小さい。子どもの光だった。
『預かってる』
倉ぼっこが答えた。
『失敗作、と判を押された子だ。……記録ごと消された。だから、この子は、いちばん深いところにいる。消されたものほど、深く沈む』




