↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
帳の外 ―まだ、ここにいる―  作者: 佐和井 泥
第九話 倉ぼっこは空箱に眠る

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
63/65

9-2

 港湾(こうわん)の空箱のことを、俺は狐に訊いた。


 旧市街の地下喫茶《尻尾》は、昼でも夜のようだった。地下へ降りるほど、匂いの層が増える。焦げた豆、こぼれた酒、湿ったコンクリート、霊煙(れいえん)の甘さ。狐は、頼んでもいない濃い茶を、俺の前に置いた。金の指輪が、ポットを傾けるたび、ちゃらりと鳴る。


「第六蔵置区の、声の棚ね」


 狐は、金色の縦瞳を細めた。


「あそこはね。古い倉庫だ。港がまだ人の手で回ってた頃からある。今は、企業が空箱の集積所に使ってる。……で、その空箱から、人格反応が出る。中身は、ない。なのに、反応だけがある」


「何が宿ってる」


(くら)ぼっこ、って呼ぶ連中がいる」


 狐は茶を啜った。核心に触れると、この男は一瞬、手が止まる。今、止まった。


付喪神(つくもがみ)の一種だよ。古い倉に、長く物を出し入れしてると、宿ることがある。……ただ、あそこの(くら)ぼっこは、少し変わってる。物じゃなくて、人を匿ってるんだ」


「人を」


「正確には、人だったものを。企業に廃棄された連中の、バックアップ人格さ。廃棄処分にされた怪異(かいい)市民。失敗した人工怪異(かいい)。使い終わった広告人格。壊れた戦闘個体。実験で使い潰された被験者。……そういう、"もう要らない"と判を押された声を、(くら)ぼっこは、空箱の中にしまってる」


 俺は、ミサキの弟のことを思った。失敗作として記録ごと消された、トウマという子。


「なぜ、匿う」


「さあね」


 狐は、金色の目で笑った。


付喪神(つくもがみ)に理由を訊くのは、野暮ってもんだ。……ただ、あの古い倉庫は、長いあいだ、いろんなものを預かってきた。荷を。人を。忘れ物を。預かったものを、勝手に捨てない。それが、倉の性分なんだろう」


「企業は、それを知ってるのか」


「知ってる。で、"不具合"だと思ってる」


 狐は、金の指を一本、立てた。


「考えてもみな。企業は、手間と金をかけて、あの連中を"廃棄"した。廃棄ってのは、ただ捨てるんじゃない。記録ごと消して、最初からいなかったことにする。そこまでやって、やっと帳簿の上で、片がつく」


 狐は、茶を啜った。


「ところが、その"いなかったはずの声"が、空箱の底で、まだ残ってる。帳簿の上じゃ、とっくに存在しないものが、現場にだけ、在る。……システムにとっちゃ、それは、罪でも祟りでもない。ただの、整合性のエラーだ。消したはずの数が、合わない。だから、合わせに来る」


「合わせる、ってのは」


「上書きする。もう一度、今度こそ完全に、いなかったことにする。……帳簿を、きれいにするためだけに、な。空箱の中で誰かがまだ喋ってようが──システムは、そんな欄は見ちゃいない。"保管人格整理"って書式は、そういうものだよ」


 俺は、茶の湯気の向こうで、目を細めた。


「札の頭は」


「IX。──労働のときと、同じ書式だよ。今度は、保管人格だ。IX-ST」


 IX。またあれだ。


 住居。記録。道路。労働。人格。地下。橋。片づける対象が違うだけで、白さはいつも同じだった。そして今度は、廃棄された者たちの、最後の声だった。


「いつ、消す」


「三日のうちには、と聞いた。空箱の中身を、まとめて上書きする。……上書きされたら、(くら)ぼっこが匿ってた声は、全部、消える。今度こそ、本当に、いなかったことになる」


 三日。刻限が、また机の上に置かれた。


「情報料は」


 俺が訊くと、狐は金の指輪を鳴らした。


「今日はいらない。……そのかわり、一つだけ、教えてくれ。あんたが、あの倉庫で、何を見たか。全部でいい」


 狐の目が、めずらしく、笑っていなかった。


「あそこはね、僕みたいな商売の人間でも、あんまり近づかない。……古い倉には、預けたきり取りに戻らなかったものが多すぎる。何が眠ってるか、わからない。だから、先物買いだよ。あんたが見てきたら、教えてくれ」


 狐は、そこで、めずらしく声を落とした。


「一つ、忠告だ。……あの倉は、底が深い。企業が消したがってるのは、空箱の声だ。だが、その声のもっと下に何があるかは、僕も知らない。誰も知らない。──だからね、久我(くが)くん。拾うものだけ拾って、さっさと出るんだ。底を覗くな。覗いたら、覗き返される」


 軽薄な男が笑わずに言う忠告は、たいてい当たる。俺は、それを覚えておくことにした。……結局その夜、俺は、その忠告を守れなかったのだが。


 中身の見えない借用書に、また一枚、判を押した。だが、狐がその値をつけたことのほうが、俺には引っかかった。この軽薄な情報屋が、値切らずに、ただ「見てきてくれ」と言う。そういう夜は、たいてい、高くつく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。