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新しい規格は、橋の上だけの話では済まなかった。
交通は都市の血管だ。一本を締めると、その先の全部が、少しずつ、色を失う。
橋を渡れなくなったのは、ヨナの送迎車だけではなかった。港湾へ荷を運ぶオークの大型車。工業島へ通うトロールの作業員。骨格補強義体をつけた元・重量労働者の老人たち。大きい者、重い者、体を機械で補った者。その全部が、西の街区への、いちばん短い橋を失った。
迂回路はある。だが遠い。認証も厳しい。何より、そのいちばん短い橋の通行記録が消えると、彼らの「その街区で働いている」という記録が、少しずつ薄くなっていく。通わなくなった者は、やがて、通う理由のない者になる。通う理由のない者は、その街区に、いなくてもいい者になる。
通れん者を街区の外へ押し出し、押し出された者を登録から外し、外れた者を片づける。古椿の言葉どおりだった。その三つは、別々の役所が、別々の書式でやる。誰も全部はやっていない。だから、誰も責任を取らない。手はバラバラで、ただ順番だけが、いつも同じ方を向いている。
橋は、その、いちばん最初の一手だった。派手な取り締まりではない。誰も、逮捕されない。ただ、橋のゲートの数字が、ひとつ変わっただけだ。それだけで、大きな者たちが、静かに、都市の縁へ、押し出されていく。
押し出される、というのは、こういうことだ。
送迎の子の一人に、オークの兄妹がいた。母親は港湾で働いている。朝、子どもを西の施設へ送ってから、そのまま港へ向かう。それが、迂回路では間に合わなくなった。
母親は、施設を変えることを考えた。東の街区にも施設はある。だが、そこは待機の列が長い。空くまで半年はかかる。それまでは、誰かが子どもを見ていなければならない。母親は、夜勤に移ることを上司に頼んだ。夜勤なら昼、子どもといられる。だが、夜勤は体を削る。
橋のゲートの数字が、ひとつ変わった。それだけで、一人の母親のこれからの何年かが、少しずつ削られていく。誰も、彼女に手を出していない。ただ、渡れる場所が、なくなっただけだ。
ヨナには翌日、正式な通知が届いた。
送迎ドライバーとしての、車両運行資格の一時停止。理由は、担当路線の橋梁通行不可による、運行実態の喪失。渡れない橋の担当を続けることは、できない。渡れる迂回路の担当は、若い、小柄なドライバーに割り当てられた。
ヨナの登録そのものは、消えなかった。彼女はまだ、この街の住人だった。ただ、仕事を失い、いちばん通いたい街区への橋を失い、送迎車の黄色い回転灯を回す理由を、失った。
街区の内側に、閉じ込められたわけではない。閉じ込める柵はどこにもない。ただ、渡れる場所が、少しずつ、なくなっていく。柵のない檻だった。
俺は資格停止の通知を、ヨナと一緒に見た。彼女は長いあいだ、それを黙って見ていた。怒りも、涙もなかった。ただ慣れた顔で、通知を二度、読んだ。
「こういうの、初めてじゃないので」
ヨナは静かに言った。
「大きいと、こういうのが時々来ます。あそこは危ない、ここは通るな、この仕事は無理だ。そのたびに、行ける場所が、少しずつ減る。今回のは、橋、というだけです」
彼女は送迎車の鍵を、机の上に置いた。もう回す理由のなくなった、黄色い回転灯の鍵を。
「あの子たちを送れないのが、いちばんこたえます」
「殴って壊せないやつって、こういうのね」
サエが、事務所の窓から遠くの第九橋を見て、言った。
「ああ」
「橋、壊す? 私なら、ゲートくらい切れる」
「ヨナがそれを嫌がってる」
「知ってる。だから、訊いただけ」
サエはめずらしく、少し不機嫌そうだった。彼女は、風で断ち切れる相手が好きだ。断ち切れない相手は、彼女をいらだたせる。書式には、刃が立たない。
「あの子、いたね。後ろの席の、大きいの」
「剛か」
「私を、こわがらなかった」
サエは窓の外を見たまま言った。ヨナが一度、事務所に子どもたちを連れてきたことがあった。他の子は、サエの気配に少し身を引いた。作り変えられた側の匂いを、子どもは、なんとなく嗅ぐ。だが、剛だけは、サエの隣に平気で座った。大きい者同士、通じるものが、あったのかもしれない。
「あの子も、いつか、あの橋を渡れなくなる」
サエが言った。
「五歳で、もう、大人みたいに大きい。あと何年かしたら、あの子の体が、規格を超える。今のヨナと、同じになる」
俺は答えなかった。
その通りだったからだ。今、橋を閉じているのは、ヨナのためではない。剛のような子が大きくなったときに、渡れなくしておくためだ。制度は、気が長い。今日の子どもが明日の邪魔者になることを、ちゃんと計算に入れている。
俺は灰桜を消した。
書式では、負けた。監査も、報道も、明日の朝には間に合わない。俺の得意なやり方は、全部、机の上で終わる。
だが橋は、机の上にはない。
「サエ。明日の朝、第九橋に行く」
「何しに」
「書式は、間に合わない。なら、明日の朝の一回分だけ、力ずくで間に合わせる」
サエがこちらを見た。
「勝てないって、言ってたのに」
「勝てない。だが、負け方は選べる」
俺は言った。
「机の上で、きれいに負けるか。橋の上で、みっともなく、何人か渡してから負けるか。……どうせ負けるなら、後のほうがいい」
サエはしばらく俺を見て、それから、小さく笑った。
「それ、勝てないやつの、いちばんいい顔ね」
「知ってる」
「御堂は」
「呼ぶ。橋のことは、あいつがいちばん詳しい」




