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俺は、震える手で、二つのことを同時に決めた。
一つは、地下の連中を、生かすこと。もう一つは、この死んだ半分を、一度だけ、逆に握ること。
二つ目は、決めるのに、一つ目より時間がかかった。地下を守るのは、いつもの仕事だ。だが、自分の死体を道具として使うのは、初めてだった。使えば俺は、俺を殺した仕組みと、同じ手を使うことになる。それでも、と俺は思った。敵が俺の死体で開けた穴なら、その穴の使い方をいちばんよく知っているのは、たぶん、俺だ。
まず、守る方だ。
「三ツ目。親方の帳面を、AIに食わせる」
「できるんですか」
「お前が言ったんだろう。読ませたいって」
三ツ目の目が変わった。彼はガンテツを見た。ガンテツは、泥水の中で、何も言わなかった。ただ、保守帳を差し出した。
「汚すな」
「もう泥だらけです」
「それ以上だ」
三ツ目は両手で受け取った。資格を止められた若い技師の手だった。だが、その手はまだ、仕事をしていた。
三ツ目が保守帳を読み上げ、俺が企業の読める言葉に直す。
「A―17、雨量四十ミリ以上、先に開けるな。南西歩廊へ逆流」
「理由は」
「三十七年前、二名死亡」
ガンテツの顔は動かない。だが、髭から落ちる水滴の間隔だけが変わった。
俺は入力した。手動バルブA―17。旧式設備ではない。災害時排水圧調整弁。南西歩廊への逆流防止に必要。
「地下歩廊F―2、管理外通路。顔認証なし。地上を通れん連中が使っとる」
「そのまま書くと弾かれる」
「わかっとる」
俺は言い換えた。人員退避補助導線。認証障害時の代替移動経路。嘘ではない。企業が読める形に直しただけだ。
三ツ目が、次の行を読む。
「地下歩廊F―2の枝道。図面じゃ行き止まりだ。だが抜けられる」
「なぜ図面が間違ってる」
「掘った奴が、台帳に書かなかった。書くと埋め戻せと言われるからだ」
地下には、そういう道がいくつもあった。書けば消される。だから書かない。書かないから、地図に載らない。載らないから、地下の連中だけがそれを使える。皮肉な守り方だった。
人が生きる道、と書けば、企業は承認しない。だが、冗長系、迂回資産、災害時例外経路と書けば、承認することがある。意味は同じでも、帳簿が読める言葉にしなければ、帳簿は動かない。
榎戸の地図を重ねる。赤い線は過去水位上昇経路。青い線は換気圧差および風道。黄色い線は停電時誘導灯残存区画。サエが繋いだ旧誘導灯の通電ログを添付する。小型の怪異が示した弁の位置を、生体反応誘導による異常流路推定として載せる。
「気持ち悪い言葉だな」
ガンテツが言った。
「企業は気持ち悪い言葉が好きなんです」
「だが、間違っとらん」
「ええ」
俺は、地下の生活を、企業が読める一つの災害時例外パッケージに押し込んだ。属人化された保守は、リスクだと水城は言った。なら、リスクではなく、渡せる技術に変える。人間の身体にしかなかったものを奪わせるのではなく、こちらから渡す形にする。
AIは、二度、拒否した。三度目に、三ツ目のAI補助端末が現場ログを災害時例外として学習し、俺が整えた書式が、ようやく通った。
『住民作成退避経路図を、災害時通行実績として一時採用』
『旧誘導灯通電ログを確認』
『災害時例外経路を承認』
『地下保守区画、手動迂回を許可』
その瞬間、閉じていた古い誘導灯が、地下のあちこちで、鈍い黄色に灯り直した。
守る方は、これでいい。地下の連中は、避難路を確保した。
だが、俺は、端末の前を離れなかった。
まだ、もう一つ、やることがあった。




