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旧式制御盤は、区画の奥の端末室にあった。
ガンテツの言う、地下全体の手動迂回を束ねる古い盤だ。清潔な管理棟とは違う。ここは古い。だが、端末の前だけが、不自然に新しかった。白いパネル。滑らかな認証面。青い光。企業が、古い地下に一点だけ差し込んだ、新しい歯だった。
指が震える。
俺は旧企業手順で裏口を開けにかかった。身体が覚えている。嫌になるほど、簡単に。認証を迂回。保守権限を偽装。例外処理へ入る。
だが、弾かれた。
『死亡済み権限を検出。操作を拒否します』
一瞬、息が止まった。
死亡済み。古椿の声が、頭の奥で笑った気がした。お前さんも昔、一度死んだことになっておる――旧行政サーバの付喪神はそう言った。
端末の青い光が、待機室の光に見えた。白い壁。消毒液の匂い。灰色のファイル。回収対象。停止許可。俺の手。俺ではない誰かの手。
俺は灰桜を噛んだ。青い光を見る。今はここだ。地下保守区画。俺はもう、あの部屋にはいない。震えを抑え、俺は弾かれたログを、もう一度見た。
弾かれて、終わりではなかった。
拒否の表示の奥で、権限一覧が一瞬だけ開いていた。〈IX-UG〉の保守権限を持つ者の名簿だった。地下を整理するために、システムに登録された保守員たち。そのほとんどは、自動処理番号だった。だが、一つだけ、人間の名前があった。
久我ミナト。
登録状態、死亡。稼働、継続中。
俺は、その一行を、しばらく見ていた。
息が止まった。胃の奥が、冷たく落ちる。
手が、震えた。
俺の名前が、死んだことになったまま、まだ働いている。この地下を片づける、保守員の一人として。何をさせているのかは、表示されなかった。ただ、稼働、とだけあった。だが、わかる気がした。回収し、停止し、片づける――あの側の仕事の匂いが、この登録には、こびりついていた。
止めようとしても、震えは止まらない。端末の白い光が、待機室の白い壁に溶ける。消毒液の匂い。感情を消した声が、番号を読み上げる。回収対象、何番。停止許可、発令済み。――その声を、俺は昔、自分の喉で出していた。
俺の死んだ半分は、あの声を、まだ出し続けているのかもしれなかった。
拾う俺と、片づける俺が、同じ名前を、分け合っていた。
「ミナト」
通信に、サエの声が割り込んだ。少し息が乱れている。
「止まるな」
「……わかってる」
「わかってない声」
「うるさい」
「追加料金」
軽口が、俺を今に戻した。
俺は灰桜を強く噛んだ。青い光。口の中の霧を、肺ではなく神経へ流し込むように深く吐く。霊素安定剤が白く濁った視界の縁を、じりじりと現実の色へ戻していく。数字が、一つに重なった。
久我ミナト。登録状態、死亡。稼働、継続中。
文字は、消えなかった。俺が現実に戻っても、そこにあった。これは、フラッシュバックではない。俺の頭が作った幻でもない。都市が、事実として、そう記録していた。
俺は、生きている。だが都市の帳簿の中では、俺はとうに死に、その死体が、今夜この地下を片づける側で働いている。
いつ、俺は死んだことになったのか。誰が、そう決めたのか。それを確かめようとすると、いつものように、頭の奥が白く濁った。待機室の光。番号を読み上げる声。そこから先が、白い壁に塗り込められている。俺は、確かめるのを、やめた。今夜は、その時ではない。確かめれば、たぶん、ろくなことにならない。それだけは、身体が先に知っていた。
いくつもの夜を越えて、差出人不明の一行が、ようやく像を結んだ。片づけたのは、あなたの半分です――あの一行が言っていた"半分"はこれだった。都市はもう、俺の半分を片づけ終えて、使い始めていた。
*
端末室の入口に、白いブーツが見えた。
水城だった。地上の管理画面からでは飽き足らず降りてきたらしい。清潔な防水スーツは、まだ泥ひとつついていない。だが、その顔から、さっきまでの穏やかさが、少しだけ抜けていた。
彼は、俺の後ろから端末を覗き込んだ。そして、同じ一行を見た。
久我ミナト。登録状態、死亡。稼働、継続中。
水城の指が、止まった。
「……これは、あなたの、アカウントですか」
「そう書いてある」
「死んでいることに、なっている」
「あんたのシステムが、俺の死体を雇ってる」
水城は、すぐには言い返さなかった。彼は、その一行を、長く見ていた。損失も事故率も数えられる男が、初めて、数え方のわからないものを見た顔だった。
「私は、こんな運用を、承認していません」
声が、わずかに掠れた。
「だが、承認欄には、あんたの名前があるはずだ」
俺が言うと、水城は端末を操作した。承認欄が開く。死亡済み権限の再稼働。処理区分、整理上の標準手順。承認、水城玲司。
彼は、それを見た。自分が承認したことすら、知らなかった顔だった。標準手順に従って、欄を埋めた。中身が何かは、考えなかった。考えないほうが、続けられる。……俺も、昔、同じ学校を出ていた。片方はまだ気づいておらず、もう片方は、とうに気づいて、それでも通っていた。
「私は、標準に従っただけです」
水城は、そう言った。だが、その声には、いつもの確かさがなかった。
彼は、白いブーツを、一歩、泥から引いた。無意識の動きだった。自分の足元が、実は自分の管理下ではなかったと気づいた者の足の引き方だった。
死んだ人間を、システムが雇って働かせている。そこまで来た仕組みは、いつか、生きている人間も同じように使う。整理する側の彼も、いつか整理される側に回る。今日は俺の死んだ半分が働かされているが、明日は、彼の生きた半分が、同じ欄に載るかもしれない。
俺は、その一歩を見た。見て、少しだけ、この男が気の毒になった。だが、同情している時間はなかった。
水位は、まだ上がっていた。




