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帳の外 ―まだ、ここにいる―  作者: 佐和井 泥
第七話 ドワーフは地下を捨てない

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48/63

7-3

 八洲基盤管理(やしまきばんかんり)の管理棟は、地下を扱う会社とは思えないほど清潔だった。


 床に泥がない。壁に配管の汗がない。空気に錆の匂いがない。受付ドローンの外装は白く、角は丸く、声は柔らかい。案内表示は青から桃へ、桃から緑へと、安っぽく色を変える。


 地下と接しているはずの場所なのに、地下の匂いが一切しない。


 その清潔さが、俺の首の裏を撫でた。


 待機室。


 頭の奥で、古い単語が勝手に開いた。企業にいた頃、現場から戻ると、いつも清潔な部屋へ通された。白い壁。物のない机。感情を消した声。次の回収対象。停止許可。報告書。灰色のファイル。青い認証光。


 指が震えた。


 俺は灰桜(はいざくら)をくわえたまま、火をつけなかった。ここは禁煙だ。だが、くわえているだけで少しだけ手が落ち着く。青い認証光を、指先で確かめる。今はここだ。地下保守会社の管理棟。あの待機室じゃない。


 隣でサエが、こちらを見た。


「震えてる」


「空調が悪い」


「嘘が下手」


「今に始まったことじゃない」


 サエはそれ以上訊かなかった。


 会議室で俺たちを迎えたのは、水城玲司(みずきれいじ)という男だった。


 清潔な防水スーツ。汚れない白いブーツ。磨かれた爪。細い眼鏡。襟元の社章は、身じろぎするたびに青、桃、緑へと色を変えた。損失や事故率は数えられても、泥水の中で誰が足を取られるかまでは、数えたことがない顔だった。


 だが、悪人には見えなかった。それが、いつも厄介だった。


「地下保守網の更新について、ご心配をおかけしているようですね」


 水城は穏やかに言った。


「心配ではない。怒っとる」


 ガンテツが言う。


 水城は眉ひとつ動かさなかった。


樫森(かしもり)さん、あなた方の貢献は理解しています。ですが、地下作業は危険です。ここ十年で、保守員の負傷件数は増加しています。とくに手動作業中の事故が多い」


 壁のディスプレイにグラフが映った。事故件数、重傷率、復旧遅延、保険負担額。数字は整っていた。整いすぎていた。


「新型AI保守網は、地下に人間が降りる必要を減らします。排水異常は自動検知。電源障害は自動迂回。通信断は自動復旧。危険区画は即時閉鎖。作業ドローンは二十四時間稼働できます」


 水城が指を動かすと、ディスプレイに地下の模式図が出た。検知。遮断。迂回。復旧。記録。矢印は美しかった。無駄がなく、滞りもない。作った人間が、これを描いて気持ちよくなっただろうとわかる図だった。


 だが、図面はきれいすぎた。地下の図なのに、泥がなかった。水音がなかった。そこを通る者の足跡がなかった。


「人間が降りない地下を作る。それが、これからの安全です」


 水城はそう言った。


 正しい。数字の上では、正しい。現場に人が行かなければ、現場で人は死なない。老朽設備を整理し、標準化し、自動化する。何も間違っていない。だから、たちが悪い。


 ガンテツはグラフを見上げていた。否定しなかった。


「その数字は正しい」


 低く言った。


 水城が少しだけ安堵した顔をした。


「では」


「だがな」


 ガンテツは、水城の白いブーツを見た。


「人間が降りん地下で、人間が死ぬんだ」


 会議室が、少し静かになった。


「どういう意味でしょう」


「図面にない人間は、お前さんのAIには見えん」


「地下に、居住者はいません」


「登録上はな」


「登録されていない存在を、保守計画に含めることはできません」


「なら死んでも数字に入らんか」


 水城は、初めて言葉を止めた。すぐに持ち直した。こういう男は、自分の言葉が一瞬止まったことすら、後で議事録から消せる顔をしている。


「誤解しないでください。私は、誰かを死なせたいわけではありません」


「それはわかる」


 俺が言った。


 水城は俺を見た。


「あんたは、登録されていない誰かを、死なせたことにもできない。数えていないものは、殺しても記録に残らない。あんたのシステムは、そういうふうに、きれいにできてる」


 水城の指が、机の上でわずかに止まった。


 俺はディスプレイの更新対象一覧を見た。旧式手動バルブ群。旧通信幹線。非常導線。手動排水迂回路。未登録保守口。管理外歩廊。旧式誘導灯。冗長排水管。


 その下に、小さな備考欄があった。


 管理外生活反応、複数。整理後、所在確認不要。


「この生活反応は」


 俺が訊いた。


「誤検知の可能性があります」


「可能性」


「地下には、小型怪異(かいい)反応、漏電、湿度ノイズ、旧式センサーの残留値が多い。すべてを人間として扱うと、保守計画が成立しません」


「人間として扱わなければ、成立する」


 水城は答えなかった。


 ディスプレイの端に、白い札があった。地下系整理/IX-UG。管理外導線。旧式保守経路。未認証生活反応。整理後、所在確認不要。


 俺は、それをしばらく見ていた。住居。記録。道路。労働。人格。片づける対象が違うだけで、白さはいつも同じだった。そして今度は、地下だった。


 ガンテツの拳が、机の上でわずかに握られた。指の関節に残る古い傷が白くなる。


 管理外生活反応、複数。整理後、所在確認不要。


 地下に、人がいる。

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