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旧市街の地下喫茶《尻尾》は、昼でも夜のようだった。
狐は、頼んでもいない濃い茶を、俺の前に置いた。金の指輪が、ポットを傾けるたび、ちゃらりと鳴る。男とも女ともつかない顔に、金色の縦に細い瞳。
「室井ね」
狐は、俺のメモを覗き込んで、金色の目を細めた。
「〈環状ロジ〉の、下請けの。……ああ、あいつは、美味しいよ」
「美味しい?」
「叩けば、埃どころか、金が落ちる」
狐は、自分の茶を、ひとくち啜った。核心に触れると、この男は一瞬、手が止まる。今、止まった。
「室井はね、独立の運び屋を潰すのに夢中で、自分の足元が留守になってる。……大手から預かった荷を、こっそり抜いてるんだ。高いやつをね。抜いた分は、事故か、盗難か、未登録運送屋のせいにして、帳簿を合わせてる。上前をはねてるのさ」
「証拠は」
「あるよ。あいつの集配拠点に、裏の帳簿がある。抜いた荷の、行き先リスト。……なきゃ、あいつだって、自分がいくら盗んだか、わからなくなるからね。泥棒ってのは、几帳面なんだ」
「なぜ、あんたが、そこまで知ってる」
「僕の商売は、情報だ。金の匂いのするところにゃ、鼻が利く。……室井はね、稼いだ金を、あちこちで使ってる。使えば、跡が残る。跡を集めりゃ、絵になる。あいつは、他人を蹴落とすのに気を取られて、自分の跡を消すのを忘れてた。欲の深い男の、いつもの間違いさ」
狐は、金色の目を細めて笑った。笑っているときほど、信用してはいけない目だった。だが、今日の狐は機嫌がよかった。室井のような、わかりやすい悪党の話は、この男の好物らしい。
「情報料は」
「今日は、面白そうだからいらない。……そのかわり、あんたが室井をどう料理するか、あとで全部話してくれ。ネタになる」
中身の見えない借用書に、また一枚、判を押した。だが、悪くない取引だった。狐は、室井の集配拠点の場所を、紙の切れ端に書いて寄越した。湾岸の外れ。大手の看板を掲げた、大きな倉庫だった。
*
運び屋の一家は、旧市街の、古い銭湯の二階にいた。
もう湯は沸いていない。だが、猫又たちは、その広い板の間を、ねぐらにしていた。若い走り手が、五、六人。荷を仕分ける者、屋根の地図を描き直す者、傷の手当てをする者。みな、身が軽く、目が夜に光る。
部屋の隅に、一人、膝を抱えて座っている子がいた。
まだ尾が一本の、若い猫又だ。手の甲に、剥がしたばかりの粘着弾の跡が、赤く残っている。昨夜、荷ごと貼りつかれた子だ。
「ナズナ」
銀次が呼ぶと、その子は、びくりと顔を上げた。
「帳外屋さんだ。婆さんの薬を、なんとかしてくれる」
ナズナは、俺を見た。それから、また、目を伏せた。
「……あたしのせいだ」
小さな声だった。
「あたしが、落とさなかったから。荷を、抱えたまま、貼りつかれた。すぐ捨てて逃げてれば、こんな……当局に突き出される口実に、ならなかったのに」
俺は、その子の前に、しゃがんだ。
「荷を捨ててたら、薬は、どうなってた」
「……どうせ、企業に押さえられた」
「捨てても押さえられた。抱えても押さえられた。どっちでも、同じだ。……あんたのせいじゃない。突き出したのは、あんたじゃない。室井だ」
ナズナは、俺を見た。琥珀色の目に、涙が滲んでいる。だが、こぼれはしなかった。
「あんた、速いんだろう」
俺が訊くと、ナズナは少しだけ、顎を上げた。
「……この街で、いちばん」
「じゃあ、覚えておけ。この一件、最後に運ぶのは、たぶん、あんただ」
ナズナは俺をまじまじと見た。それから、少しだけ、迷った顔をした。
「……あたしが、また、しくじったら」
「そのときは、俺が請求書を書く口実ができる」
横で、サエが、ふん、と鼻を鳴らした。
「それ、私の口癖」
「借りた」
ナズナがその二人のやり取りを見て、少しだけ笑った。強張っていた肩が、ほんの少し緩む。
板の間の向こうで若い猫又たちが、屋根の地図を広げて、明日の道を描き直していた。塞がれた道に×をつけ、まだ通れる道を、赤い線でなぞる。誰かが道を奪えば、また別の道を探す。潰されても、また繋ぐ。この一家は、そうやって生きてきたらしかった。




