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猫又の運び屋は、荷を落とさない。
落とすくらいなら、屋根から落ちる。そう教わって育つ。だから彼らは、表の道を通らない。地上の道は、荷より人を数える。顔を読み、番号を照らし、誰が何を運んでいるかをいちいち帳簿に書き込む。運び屋にとって、それは荷を裸にされるのと同じだった。
だから彼らは、屋根の上を走る。
午前二時、ナズナは走っていた。
ビルとビルのあいだ、看板の裏、室外機の上、非常階段の手すり。東京湾岸区の屋根には、地図にない道がある。何百年ぶんの猫と運び屋が踏み固めた、細い、途切れがちの道。表からは見えない。だが、猫又の目には、はっきり光って見える。
その道から見下ろす街は、表の顔とは、まるで違った。
地上では、企業の広告が、青や桃や緑に光っている。清潔で、隙がなく、誰もが番号を持って、決められた道を歩いている。だが屋根の上から見ると、その光の裏側に、無数の暗がりがあった。灯りの届かない路地。看板の影。誰にも数えられない、細い隙間。運び屋は、その隙間を繋いで走る。表がまばゆいほど、裏の道は暗く、そして自由だった。
ナズナは若い猫又だった。まだ尾が一本。二尾の古株から見れば、駆け出しもいいところだ。それでも足だけは速かった。この街の誰より速い、と自分では思っている。
背中の小さな箱を、革帯で胸の前に回して固定している。中身は知らない。運び屋は、荷の中身を訊かない。ただ、届け先だけは頭に入っている。旧市街の外れ、水路沿いの古いアパート。届け先は待っている。
問題は、後ろから追ってくる連中だった。
配送ドローンが三機。企業の白い機体だ。ローターの音が屋根の谷間で反響する。ナズナが看板の影に飛び込むと、一機がその上を掠めた。風が尾の毛を逆立てる。
「しつこい」
ナズナは舌打ちした。
最近のドローンは、賢くなった。昔は直線で追ってくるだけで、屋根の角で撒けた。だが今のは、三機で組んで動く。一機が追い、一機が先回りし、一機が逃げ道を塞ぐ。運び屋の道を、少しずつ学習している。
ナズナは、わざと行き止まりの屋根へ跳んだ。追ってきた一機が勢いよく突っ込む。その鼻先で、ナズナは身をひねり、非常階段の裏へ滑り込んだ。ドローンは壁に阻まれて、急停止する。その一瞬の隙に、ナズナはもう、二軒先の屋根にいた。
速さでは、負けない。この街の誰にも。
最近、こういうことが増えた。猫又の運び屋の縄張りに、企業の下請けが手を伸ばしてきている。屋根の道を、ドローンで塞ぐ。運び屋を「未登録運送」と呼んで、当局へ突き出す。捕まれば、二度と屋根は走れない。
ナズナは跳んだ。
三メートルの谷間を、身をひねって越える。着地。走る。次のビルの縁を蹴って、また跳ぶ。ドローンは直線でしか追えない。だが屋根の道は、まっすぐ進まない。曲がり、折れ、時々、下へ落ちる。それが運び屋の武器だった。
走るのは、嫌いじゃなかった。むしろ、好きだった。
表の道を歩くと、どこへ行っても、目がついてくる。顔認証のカメラ。企業の警備の視線。番号を持たない者を値踏みする目。だが屋根の上には、その目が届かない。ここではナズナは、ただの速い誰かだった。番号でも、荷でもない。風を追い越していく一匹の若い猫又だった。
だから、屋根の道を塞がれるのは、道を奪われるより、たちが悪い。息のできる場所を、一つずつ潰されていくのと、同じだった。
水路が見えてきた。届け先のアパートは、もうすぐだ。
だが、最後の一本、いちばん長い谷間の手前で、ナズナの足が止まった。
向こうの屋根に、大きな封鎖ドローンが一機、居座っていた。新型だ。羽根が太く、下に粘着弾の発射口が並んでいる。屋根の道を、まるごと塞ぐために置かれている。
迂回すれば、間に合わない。突っ切れば、撃たれる。
ナズナは、胸の前の箱をぎゅっと押さえた。落とせない。落とすくらいなら――そう教わった。だが、落ちたら、荷ごと落ちる。
迷ったのは一瞬だった。
その一瞬で封鎖ドローンが、粘着弾を撃った。




