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帳の外 ―まだ、ここにいる―  作者: 佐和井 泥
第五話 エルフは広告塔で眠れない

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37/62

5-6

 そのとき部屋の赤い非常灯が、一段明るくなった。


 天井のスピーカーから、事務的な合成音声が、流れ始めた。


『保守区画に、記録外のアクセスを検出。──該当被験体の、最終処理を、前倒しで実行します』


 女の顔から、血の気が引いた。


「最終処理」


 俺が訊くと、彼女は震える声で、言った。


「わたしを切り離して、"ルカ"を、AIだけで、動かせるようにする処理です。……そうなったら、生身のわたしは、もう要らない。廃棄です。近いうちに、やるって聞いてました。でもまだ先だと」


「あんたが逃げたぶん、と俺が入ったぶんで、前倒しになった」


 俺は天井の接続装置を、見上げた。ケーブルの根元で、細い光がこれまでと逆向きに、流れ始めていた。吸い上げるのではなく、切り離すための、光だ。


 時間がなかった。


 俺は端末を接続装置に、繋いだ。だが処理は止まらなかった。俺の古い権限では、この最新の処理系を、押さえきれない。止めようとするそばから、システムが、上書きしてくる。


『最終処理進行率十二パーセント』


 部屋の壁の、モニターが、点いた。


 映ったのは、若い男だった。皺ひとつないスーツ。整えた髪。爪は磨かれ、指先だけが、作り物のように光っている。襟元の企業の社章が、わずかに身じろぎするたび、青から桃桃から緑へと、安っぽく色を変えた。広告ホログラムと同じ、見る角度で表情を変える光だ。


 俺はその種類の顔を、知っていた。以前港湾の清潔すぎる管理棟で見た。損失は数えられても、人の生き死には数えたことがない、あの顔だ。


『困りましたね』


 男は怒鳴らなかった。おだやかに、微笑んだ。


『そこは被験区画です。今大切な処理の、最中でして。お引き取りを』


「本人が嫌がってる」


『本人というのは、どちらのことでしょう』


 男は少しだけ困った顔をした。本当に困っているようだった。


『街の皆さんが愛しているのは、"早霧(さぎり)ルカ"です。あの微笑み。あの声。……それはその椅子の方の、いちばん良い部分を、丁寧に抽出したものです。疲れも不眠も荒れた指先も、無い。純度百パーセントの、"早霧(さぎり)ルカ"。私たちはあの方を保護しているんです』


「保護」


『ええ。いちばん美しい部分を、永遠に保存してさしあげる。老いも病も届かないところへ。生身はいずれ壊れます。眠らなければ、なおさら早く。ですが人格モデルは、壊れない。それのどこがいけないんでしょう』


 男の目に悪意はなかった。それがいちばん厄介だった。この男は本気でそう信じていた。ルカの微笑みを永遠にすることが、ルカへのいちばんの優しさだと。


 モニターの隅に、承認欄が開いていた。その端に白い札があった。ロゴでもない。役所の印でもない。妙に余白の多い、白い管理印。


 人格系整理/IX-AV。


 喉の奥が嫌な鳴り方をした。以前にも見た。座敷童(ざしきわらし)を消そうとした廃棄申請書。河童(かっぱ)技師を死人にした抹消処理。地図から消された地下搬送路。港湾の事故ログ。住居。記録。道路。労働。片づける対象が違うだけで、白さはいつも同じだった。そして今度は、人格だった。


「その札は誰が作った」


『さあ。私が作ったものでは、ありません。上から配られてくる書式です。……綺麗な書式なので、みな安心して使っています』


 綺麗な書式。良かれと思っている奴が作る、いちばん始末に負えないやつ。狐の言葉が、俺の頭の中で、鳴った。


 この男と話していても、時間が削られるだけだった。話が通じないから、怖い。俺はモニターに背を向けた。


 説得しても、この処理は、止まらない。止められないなら、間に合わせるしかない。彼女の身体を、この椅子から、外してこの施設から、連れ出す。それだけが、"廃棄"を、防ぐ唯一の道だった。


帳外屋(ちょうがいや)さん」


 女が俺の腕を掴んだ。細い指だった。爪の際が荒れて、震えている。俺と同じ震え方だった。


「わたしはいいんです。もう疲れました。……でも一つだけ。お願いが」


「言うのはあとだ」


 俺は端末を諦めた。処理は止められない。なら止めるのではなく、間に合わせるしかない。ケーブルを、力ずくで抜く。彼女の身体さえ、この椅子から、外してしまえば、少なくとも、"廃棄"は、できなくなる。


 だが拘束帯が彼女の腕と胸を、椅子に固定していた。薬を打つときに、暴れないための、拘束だ。金具は俺の古いキーでは、開かなかった。


 廊下の奥から、複数の足音が、近づいてきた。警備だ。


 俺は拘束帯の金具を、灰桜(はいざくら)の火で炙ろうとして、やめた。間に合わない。俺一人では、間に合わない。


 俺は端末を握った。ためらった。だがためらっている時間の分だけ、この女が削られていく。


 俺はサエを呼んだ。

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