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証拠は揃っていた。
ガントの二十年の手書き。班員たちの証言。バルガの証言。企業ログの割り当て変更履歴。両者の食い違い。そして物流AIの自動調整記録と、あの夜クレーンが人間へ向けて起動した外部ログ。突き合わせれば、改竄は証明できる。
だがこの街で証拠が"正しく機能する"とは限らない。俺はそれも知っていた。
最後にもう一度、間宮に会った。証拠を突きつけるためではない。この件が、どこまで"制度"なのかを、確かめるためだった。
間宮は証拠のコピーを、静かに見た。動揺はあった。だがそれは罪を暴かれた人間の動揺ではなかった。もっと手続き上の困惑に近かった。
「これは……AIの調整記録ですね」
「あなたが承認しています」
間宮の指が、承認欄で止まった。
「私が書き換えたわけではありません」
彼の声が、初めてわずかに揺れた。
「私は……承認しただけです」
「承認欄に、あなたの名前がある」
「ええ。ですが」
間宮は俺を見た。保身の目だった。だがその保身の奥に、彼自身も気づいていない、別のものが覗いていた。
「その承認欄のコードが何なのかは、私も知らされていないんです」
彼の指が、あの白い札に触れた。IX-LB。
「上に訊いても、"整理上の標準手順"としか。私は標準手順に従って、承認欄を埋めているだけで」
その瞬間、俺は理解した。
間宮は黒幕ではない。この男もまた、もっと大きな帳簿の、一つの承認欄にすぎない。彼が数字で人を割り振り、その数字をさらに上の誰かが"整理"している。IX-LB。労働の整理。その札を貼っているのは、間宮ではない。
彼は扉を開けていることにすら、気づいていなかった。自分が何の一部なのかも、知らないまま。それはある意味で、トウゴやバルガより、寒々しい立場だった。彼らは少なくとも、自分が何に壊されたかを知っている。間宮は自分が何に使われているかを、知らない。
「一つ訊いていいですか」
俺は言った。
「あなたは、この仕事を、誇りに思っていますか」
間宮は少し驚いたようだった。その問いを、たぶん誰にもされたことがなかった。
「……私は都市を効率的に回しています。それは必要な仕事です」
「答えになってない」
間宮は答えなかった。
彼は証拠を前にして、最後に一度だけ、顔を上げた。俺を諭すのでも、言い訳するのでもない。ただ自分に言い聞かせるように、彼は言った。
「一人ずつの顔を見ていたら、都市は回りません」
彼の目が、壁のグラフへ戻る。穏やかな右肩下がり。数字の上では、安全な港。
「私たちは、顔ではなく、欄を見るんです」
俺はその部屋を出た。清潔な消毒された部屋を。出るとき、もう手は震えていなかった。あの部屋は、待機室に似ていた。だが待機室ではなかった。俺はもうあそこにはいない。それだけは、確かだった。
*
証拠を揃えても、それが"効く"とは限らない。この街では、正しいことを証明するより、正しいことを認めさせるほうが、ずっと難しい。
証拠を公にする前に、物流会社の法務が、俺に接触してきた。管理棟ではなく、事務所へ、向こうから来た。間宮ではない。もっと話の早そうな男だった。
「久我さん。あなたの持っている記録には、いくつか、法的に微妙な取得経路のものが含まれています」
男は灰桜の煙が漂う俺の事務所で、顔をしかめもせず言った。外部監査ログの複製のことだ。狐の中継を使った、あれ。取得経路を突けば、証拠能力を潰せる。企業がいつも使う手だった。
「示談を提案します。荒瀬さんの班への、見舞金。トウゴさんへの、上乗せ補償。相応の額を、用意します。その代わり──」
「記録は伏せろと」
「公にしても、誰も幸せになりません。会社は否認し、裁判は長引き、その間トウゴさんの補償は宙に浮く。現実的に考えて、示談のほうが、皆さんのためです」
筋は通っていた。この手の男の言うことは、いつも半分は正しい。だからこそ、厄介だ。
俺は灰桜をくわえたまま、しばらく考えた。金だけなら、ガントは、それでいいと言うかもしれない。だがガントが欲しいのは、金じゃない。名前の隣の、一文字だ。それは示談では、消えない。
「一つ確認したい」
俺は言った。
「その示談書に、"事故はオーク側の不注意ではなかった"と、明記されますか」
男の顔が、わずかに固まった。
「……それは会社の過失を認めることになります。示談は過失の所在を、曖昧にしたまま──」
「なら断る」
俺は煙を吐いた。
「あんたらが欲しいのは、記録を伏せることだ。俺が欲しいのは、記録を直すことだ。噛み合わない」
「久我さん。取得経路の件、忘れないでください。あの外部ログは、証拠として、使えない」
「使えなくていい」
俺は言った。ここが勝負どころだった。
「あれは裁判のための証拠じゃない。あんたらが、今ここに来た理由だ。会社はもうあのログが外に出てることを知ってる。だから示談で揉み消しに来た。──つまり、あのログは、もう十分、仕事をした」
男は黙った。
「裁判じゃ使えない記録でも、"会社が揉み消そうとした"って事実は、残る。俺はそれを労働監督と、亜人権利団体と、あと三つ四つのしつこい報道に、同時に流す。会社が示談で口を塞ごうとした、ってな。そっちのほうが、あんたらには、よほど痛いだろ」
男は長いこと、俺を見ていた。それから、小さく息を吐いた。
「……本題に入りましょう」
結局会社は"事故はシステム起因であり、作業員側の不注意ではない"と、正式に認めた。示談ではなく、訂正として。俺が外部ログという"使えない切り札"を、脅しの札として使い切ったからだった。
証拠が正しいだけでは、足りない。正しさを、相手が"認めざるを得ない形"に変えて、初めて記録は動く。帳外屋の仕事は、たいてい、そういう地味な駆け引きでできている。




