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帳の外 ―まだ、ここにいる―  作者: 佐和井 泥
第四話 オークは夜勤を降りない

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4-6

 証拠は揃っていた。


 ガントの二十年の手書き。班員たちの証言。バルガの証言。企業ログの割り当て変更履歴。両者の食い違い。そして物流AIの自動調整記録と、あの夜クレーンが人間へ向けて起動した外部ログ。突き合わせれば、改竄(かいざん)は証明できる。


 だがこの街で証拠が"正しく機能する"とは限らない。俺はそれも知っていた。


 最後にもう一度、間宮(まみや)に会った。証拠を突きつけるためではない。この件が、どこまで"制度"なのかを、確かめるためだった。


 間宮(まみや)は証拠のコピーを、静かに見た。動揺はあった。だがそれは罪を暴かれた人間の動揺ではなかった。もっと手続き上の困惑に近かった。


「これは……AIの調整記録ですね」


「あなたが承認しています」


 間宮(まみや)の指が、承認欄(しょうにんらん)で止まった。


「私が書き換えたわけではありません」


 彼の声が、初めてわずかに揺れた。


「私は……承認しただけです」


承認欄(しょうにんらん)に、あなたの名前がある」


「ええ。ですが」


 間宮(まみや)は俺を見た。保身の目だった。だがその保身の奥に、彼自身も気づいていない、別のものが覗いていた。


「その承認欄(しょうにんらん)のコードが何なのかは、私も知らされていないんです」


 彼の指が、あの白い札に触れた。IX-LB。


「上に訊いても、"整理上の標準手順"としか。私は標準手順に従って、承認欄(しょうにんらん)を埋めているだけで」


 その瞬間、俺は理解した。


 間宮(まみや)は黒幕ではない。この男もまた、もっと大きな帳簿の、一つの承認欄(しょうにんらん)にすぎない。彼が数字で人を割り振り、その数字をさらに上の誰かが"整理"している。IX-LB。労働の整理。その札を貼っているのは、間宮(まみや)ではない。


 彼は扉を開けていることにすら、気づいていなかった。自分が何の一部なのかも、知らないまま。それはある意味で、トウゴやバルガより、寒々しい立場だった。彼らは少なくとも、自分が何に壊されたかを知っている。間宮(まみや)は自分が何に使われているかを、知らない。


「一つ訊いていいですか」


 俺は言った。


「あなたは、この仕事を、誇りに思っていますか」


 間宮(まみや)は少し驚いたようだった。その問いを、たぶん誰にもされたことがなかった。


「……私は都市を効率的に回しています。それは必要な仕事です」


「答えになってない」


 間宮(まみや)は答えなかった。


 彼は証拠を前にして、最後に一度だけ、顔を上げた。俺を(さと)すのでも、言い訳するのでもない。ただ自分に言い聞かせるように、彼は言った。


「一人ずつの顔を見ていたら、都市は回りません」


 彼の目が、壁のグラフへ戻る。穏やかな右肩下がり。数字の上では、安全な港。


「私たちは、顔ではなく、欄を見るんです」


 俺はその部屋を出た。清潔な消毒された部屋を。出るとき、もう手は震えていなかった。あの部屋は、待機室に似ていた。だが待機室ではなかった。俺はもうあそこにはいない。それだけは、確かだった。


     *


証拠を揃えても、それが"効く"とは限らない。この街では、正しいことを証明するより、正しいことを認めさせるほうが、ずっと難しい。


 証拠を公にする前に、物流会社の法務が、俺に接触してきた。管理棟ではなく、事務所へ、向こうから来た。間宮(まみや)ではない。もっと話の早そうな男だった。


久我(くが)さん。あなたの持っている記録には、いくつか、法的に微妙な取得経路のものが含まれています」


 男は灰桜(はいざくら)の煙が漂う俺の事務所で、顔をしかめもせず言った。外部監査ログの複製のことだ。狐の中継を使った、あれ。取得経路を突けば、証拠能力を潰せる。企業がいつも使う手だった。


「示談を提案します。荒瀬(あらせ)さんの班への、見舞金。トウゴさんへの、上乗せ補償。相応の額を、用意します。その代わり──」


「記録は伏せろと」


「公にしても、誰も幸せになりません。会社は否認し、裁判は長引き、その間トウゴさんの補償は宙に浮く。現実的に考えて、示談のほうが、皆さんのためです」


 筋は通っていた。この手の男の言うことは、いつも半分は正しい。だからこそ、厄介だ。


 俺は灰桜(はいざくら)をくわえたまま、しばらく考えた。金だけなら、ガントは、それでいいと言うかもしれない。だがガントが欲しいのは、金じゃない。名前の隣の、一文字だ。それは示談では、消えない。


「一つ確認したい」


 俺は言った。


「その示談書に、"事故はオーク側の不注意ではなかった"と、明記されますか」


 男の顔が、わずかに固まった。


「……それは会社の過失を認めることになります。示談は過失の所在を、曖昧にしたまま──」


「なら断る」


 俺は煙を吐いた。


「あんたらが欲しいのは、記録を伏せることだ。俺が欲しいのは、記録を直すことだ。噛み合わない」


久我(くが)さん。取得経路の件、忘れないでください。あの外部ログは、証拠として、使えない」


「使えなくていい」


 俺は言った。ここが勝負どころだった。


「あれは裁判のための証拠じゃない。あんたらが、今ここに来た理由だ。会社はもうあのログが外に出てることを知ってる。だから示談で揉み消しに来た。──つまり、あのログは、もう十分、仕事をした」


 男は黙った。


「裁判じゃ使えない記録でも、"会社が揉み消そうとした"って事実は、残る。俺はそれを労働監督と、亜人権利団体と、あと三つ四つのしつこい報道に、同時に流す。会社が示談で口を塞ごうとした、ってな。そっちのほうが、あんたらには、よほど痛いだろ」


 男は長いこと、俺を見ていた。それから、小さく息を吐いた。


「……本題に入りましょう」


 結局会社は"事故はシステム起因であり、作業員側の不注意ではない"と、正式に認めた。示談ではなく、訂正として。俺が外部ログという"使えない切り札"を、脅しの札として使い切ったからだった。


 証拠が正しいだけでは、足りない。正しさを、相手が"認めざるを得ない形"に変えて、初めて記録は動く。帳外屋(ちょうがいや)の仕事は、たいてい、そういう地味な駆け引きでできている。

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