表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
帳の外 ―まだ、ここにいる―  作者: 佐和井 泥
第三話 道路は嘘をつかない

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
22/37

3-6

 地下搬送路の奥には、古い物流結節点(けつせつてん)があった。


 そこは、都市の下にもう一つの都市が沈んでいるような場所だった。


 天井は高く、五号の灯りが届かない闇が、上のほうでわだかまっている。どこかで水の滴る音がして、それが円い広場に反響し、無数の足音のように聞こえた。かつてここを、何台の車が、何人の人が通ったのか。今は、その残響だけが、コンクリートの底に溜まっている。


 複数の搬送路が円形の広場へ集まり、中央には壊れた信号機が斜めにぶら下がっている。壁には旧自治体の管理番号、企業行政初期の警告表示、軍用搬送路の標識が重なり、どれも半分ほど剥がれていた。


 消えた六台のコンテナは、そこに並んでいた。中身は抜かれている。だが、盗品置き場ではなかった。


 高出力冷却材は、過熱した配電盤と換気機械の横に積まれていた。ドローン用電源セルは、非常誘導灯と排水ポンプにつながれ、死んだはずの地下道に細い電気の脈を戻している。旧式道路センサーは、搬送路の入口に埋め込まれていた。顔認証でも企業IDでもなく、重さと速度と車輪の数だけを見る、古い道路の目だ。


 この目は、誰が通るかを問わない。番号を持たない者も、顔の薄れた者も、義肢(ぎし)の老人も、痩せた子どもも、同じように「通った」と数える。地上のゲートが弾く者を、この古いセンサーは、ただ、通行する重さとして受け入れる。企業が捨てた古い道具が、企業に弾かれた者たちを、通していた。


 港湾(こうわん)補修資材は、崩れかけた天井と側壁を支えていた。霊素(れいそ)遮断シートは、奥の事故区画に貼られている。そこだけ空気が青く濁っていた。昔、何かが燃え、何かが死に、誰も片付けなかった場所なのだろう。青い濁りの奥から、霊素(れいそ)の甘い臭いが、薄く漏れていた。遮断シートは、その臭いを、地下道の他の場所へ広げないための、最後の膜だった。換気フィルタは避難区画の入口に取り付けられ、濁った空気を少しずつ外へ逃がしていた。


 売られたのではない。使われていた。この道を生かすために。


 冷却材の霜が、過熱した配電盤の熱をじりじりと吸っている。電源セルにつながれた非常誘導灯が、地下道の壁に、途切れがちの緑の矢印を投げていた。その矢印は、誰かを地上へ出すためのものではない。地下の闇の中で、どちらへ行けば息のできる空気があるかだけを、示している。


 これは、盗品の隠し場所ではない。地図から消された道が、盗んだ部品で自分を延命している、その現場だった。企業が「効率化」で切り捨てた設備を、切り捨てられた者たちが拾い集めて、もう一度、道に心臓をつけ直している。


 御堂(みどう)はそれを一つずつ見て、短く息を吐いた。


「応急処置だな」


 御堂(みどう)は、崩れかけた側壁を支える補修材に手を当て、次に、青く濁った事故区画の霊素(れいそ)遮断シートの継ぎ目を指でなぞった。素人の仕事ではない。だが、道具も、時間も、人手も足りていない。足りないものを、気合いと工夫で埋めた跡が、そこら中にあった。


「直せますか」


「直す気があるなら」


 輪入道(わにゅうどう)が中央で止まった。炎の顔が、御堂(みどう)を見る。


『道は死にかけておった』


 車輪の声が、地下空間に低く転がる。


『電気を切られた。空気を止められた。水を抜かれた。地図から消された。だが、まだ通る者がいる。この者たちは、地上の道を通れぬ』


 避難区画の影から、あのオークの子どもがこちらを見ていた。胸には、まだ小さな標識を抱えている。


 その子の足元には、電源セルにつながれた古い誘導灯があった。緑の矢印が、途切れながらも、確かに灯っている。子どもは、標識を抱えたまま、その灯りの方へ、ほんの少しだけ身を寄せた。標識の青い矢印と、誘導灯の緑の矢印。かすれたものと、点滅するもの。二つの矢印が、同じ方を指していた。


 ――第三避難路。


 御堂(みどう)は標識を見た。それから、結節点(けつせつてん)の壁に貼られた古い管理図を見た。


「第三避難路は、昔ここから南側へ抜けていた」


 御堂(みどう)は、壁の管理図の一点を指でなぞった。今はもう、そこに線はない。だが、彼の指は、消えた線の道筋を、迷わず辿っていた。図から消えても、彼の手は、その道を覚えている。


 輪入道(わにゅうどう)の炎が揺れる。


『覚えておるか』


「消したからな」


『何人が残った』


 御堂(みどう)は答えなかった。答えないことが、答えだった。


 俺は結節点(けつせつてん)の壁際に、古い管理端末が残っていることに気づいた。画面は割れ、表示はほとんど死んでいる。だが、五号の灯りが当たると、奥で眠っていた文字が、(ほこり)の下から浮かび上がった。


 搬送履歴。


 その四文字だけで、胸の奥が嫌な鳴り方をした。


 搬送履歴。荷を運んだ記録だ。この地下道が、かつて何を運んでいたのか。それを見れば、俺の体が反応する理由が、わかるかもしれない。わかりたくない、とも思った。


 端末は、壊れた喉で咳をするように、断片だけを吐き出していく。


 企業怪異(かいい)対策部門。


 死亡扱い個体移送。


 灰桜(はいざくら)――


 待機――


 俺は息を止めた。次の行が出る前に、端末の奥で火花が散った。画面は白く焼け、すぐに黒く潰れる。


 だが、遅かった。四文字が、目の裏に焼きついていた。


 地下の湿った空気に、消毒液の匂いが混じった気がした。ありもしない匂いだ。地下搬送路に、そんなものはない。それでも、鼻の奥がそれを嗅いだ。霊素(れいそ)の甘い臭いと、消毒液。その二つが揃うと、俺の体は勝手に、別のどこかへ運ばれる。白い天井。動かない手足。誰かが番号を読み上げる声。回収対象。停止許可。


 右手が、震え始めた。俺は反射的に灰桜(はいざくら)のケースを握った。まだ火はつけない。冷たいケースの角を、指の腹で確かめる。それだけで、震えの縁がわずかに引いた。


 死亡扱い個体移送。運ばれたのは、荷か。人か。それとも、死んだことにされた誰かか。俺は、それを運ぶ道の名を、まだ知らない。だが、体のほうは、この道を通ったことがある、と言っている。


「どうした」


 御堂(みどう)が訊いた。


「いえ」


 俺は消えた画面を見ていた。もう何も映っていない。だが、目は覚えていた。


 死亡扱い個体移送。灰桜(はいざくら)。待機。ろくでもない単語ほど、妙にはっきり残る。


「昔の記録です」


「道路は古いものを吐く」


「覚えておきます」


「忘れた方が楽なこともある」


「最近、それをよく言われます」


 御堂(みどう)はそれ以上聞かなかった。たぶん、道路屋は他人の脇道に無理に入らない。


 輪入道(わにゅうどう)の声が、再び広場に響いた。


『登録がない。顔がない。番号がない。ならば、地下の道を通すしかない』


「だから車列を飲んだ」


『通行料だ』


「その呼び方はやめろ」


 御堂(みどう)は言った。


『では何と呼ぶ』


「道を通すための修繕だ」


『同じことではないか』


「違う。通行料は、通る奴から取る。修繕は、壊した奴が払う」


 輪入道(わにゅうどう)の炎が揺れた。


「奪うな」


 御堂(みどう)は一歩前へ出た。


「通すために使え」


『道を塞いだ者から取る』


「そうだ」


『通る者からは取らぬ』


「そうだ」


『人を運ぶ荷は取らぬ』


「取るな」


『薬は』


「取るな」


『食べ物は』


「取るな」


『では、何を取る』


「道を塞いだ企業が、地図に載せずに使っている区間を探せ。保守台帳に載せず、通行料も払わず、事故だけ隠している道だ。そういう道は必ずある」


「消した道を、消したまま使ってる区間か」


「そうだ」


 御堂(みどう)は頷いた。


「そこを走る車列は、伝票に載らない荷を運んでる。載らない荷が消えても、企業は表沙汰にできん。盗まれたと言った瞬間、地図にない道を使っていたと認めることになる」


 うまい。輪入道(わにゅうどう)が奪っても、企業は騒げない。騒げば、自分の嘘がばれる。奪われる側が、奪われたと言えない仕組みだった。


『なぜわかる』


「俺が消した」


 御堂(みどう)は淡々と言った。


「その区間を通る企業車列からだけ、必要な補修資材を抜け。食品、人、医療品は取るな。通行人からは取るな。地下の住人を運ぶ道は塞ぐな」


『お前が探すのか』


「仕組みを作る」


 御堂(みどう)は二号のアンテナを開いた。


「古い道路センサーを使って、地図から消された区間を拾え。企業IDを見るな。車輪の数、重さ、速度、荷の種類を見る。道が覚えている情報だけでいい」


『足りぬときは』


「声で出せ。二号が拾う」


『字は嫌いだ』


「声でいい」


『資材は』


「古い伝手を使う」


「企業物流時代の?」


 俺が訊くと、御堂(みどう)は視線を動かさずに答えた。


「まだ使える首輪もある」


 それは、俺にも覚えのある言葉だった。企業を辞めても、完全に抜けられるわけではない。向こうはいつでもこちらを捨てるが、首輪の鍵だけはなかなか捨てない。御堂(みどう)はそれを、恨み言ではなく工具の一つのように言った。


 輪入道(わにゅうどう)御堂(みどう)を見た。


『お前は道か』


「違う」


『車か』


「違う」


『では何だ』


「道路屋」


『道を消した男がか』


「ああ」


 御堂(みどう)は、初めて少しだけ表情を変えた。笑ったのではない。だが、逃げもしなかった。


「だからだ」


 道を消した男が、道を直す。

 記録を消してきた俺が、記録を拾い直しているのと、少し似ていた。似ていると思うのが嫌で、俺は灰桜(はいざくら)のケースを握り直した。


 輪入道(わにゅうどう)はしばらく黙っていた。やがて、中央で燃える車輪がゆっくりと回った。


『なら通れ』


 燃える車輪が回るたびに、床のアスファルトが低く鳴る。輪入道(わにゅうどう)は、しばらく御堂(みどう)を見つめ、それから、炎の中の(しわ)を、笑うように緩めた。


 結節点(けつせつてん)の奥で、閉じていたシャッターがゆっくりと上がった。錆びた金属が悲鳴を上げ、長く動かされていなかった歯車が、粉のような錆を落としながら回る。その向こうに、地上へ向かう上り坂が現れた。かすかに、外の空気の匂いが流れ込んでくる。潮と、排気と、夜明け前の冷えた風。地図にはない出口。だが、道路は確かにそこにあった。


 出口が開いたとき、輪郭の薄い女は、暗いままの端末を胸に抱え直した。画面は点かなかった。それでも彼女は、道の方だけは見失わなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ