3-6
地下搬送路の奥には、古い物流結節点があった。
そこは、都市の下にもう一つの都市が沈んでいるような場所だった。
天井は高く、五号の灯りが届かない闇が、上のほうでわだかまっている。どこかで水の滴る音がして、それが円い広場に反響し、無数の足音のように聞こえた。かつてここを、何台の車が、何人の人が通ったのか。今は、その残響だけが、コンクリートの底に溜まっている。
複数の搬送路が円形の広場へ集まり、中央には壊れた信号機が斜めにぶら下がっている。壁には旧自治体の管理番号、企業行政初期の警告表示、軍用搬送路の標識が重なり、どれも半分ほど剥がれていた。
消えた六台のコンテナは、そこに並んでいた。中身は抜かれている。だが、盗品置き場ではなかった。
高出力冷却材は、過熱した配電盤と換気機械の横に積まれていた。ドローン用電源セルは、非常誘導灯と排水ポンプにつながれ、死んだはずの地下道に細い電気の脈を戻している。旧式道路センサーは、搬送路の入口に埋め込まれていた。顔認証でも企業IDでもなく、重さと速度と車輪の数だけを見る、古い道路の目だ。
この目は、誰が通るかを問わない。番号を持たない者も、顔の薄れた者も、義肢の老人も、痩せた子どもも、同じように「通った」と数える。地上のゲートが弾く者を、この古いセンサーは、ただ、通行する重さとして受け入れる。企業が捨てた古い道具が、企業に弾かれた者たちを、通していた。
港湾補修資材は、崩れかけた天井と側壁を支えていた。霊素遮断シートは、奥の事故区画に貼られている。そこだけ空気が青く濁っていた。昔、何かが燃え、何かが死に、誰も片付けなかった場所なのだろう。青い濁りの奥から、霊素の甘い臭いが、薄く漏れていた。遮断シートは、その臭いを、地下道の他の場所へ広げないための、最後の膜だった。換気フィルタは避難区画の入口に取り付けられ、濁った空気を少しずつ外へ逃がしていた。
売られたのではない。使われていた。この道を生かすために。
冷却材の霜が、過熱した配電盤の熱をじりじりと吸っている。電源セルにつながれた非常誘導灯が、地下道の壁に、途切れがちの緑の矢印を投げていた。その矢印は、誰かを地上へ出すためのものではない。地下の闇の中で、どちらへ行けば息のできる空気があるかだけを、示している。
これは、盗品の隠し場所ではない。地図から消された道が、盗んだ部品で自分を延命している、その現場だった。企業が「効率化」で切り捨てた設備を、切り捨てられた者たちが拾い集めて、もう一度、道に心臓をつけ直している。
御堂はそれを一つずつ見て、短く息を吐いた。
「応急処置だな」
御堂は、崩れかけた側壁を支える補修材に手を当て、次に、青く濁った事故区画の霊素遮断シートの継ぎ目を指でなぞった。素人の仕事ではない。だが、道具も、時間も、人手も足りていない。足りないものを、気合いと工夫で埋めた跡が、そこら中にあった。
「直せますか」
「直す気があるなら」
輪入道が中央で止まった。炎の顔が、御堂を見る。
『道は死にかけておった』
車輪の声が、地下空間に低く転がる。
『電気を切られた。空気を止められた。水を抜かれた。地図から消された。だが、まだ通る者がいる。この者たちは、地上の道を通れぬ』
避難区画の影から、あのオークの子どもがこちらを見ていた。胸には、まだ小さな標識を抱えている。
その子の足元には、電源セルにつながれた古い誘導灯があった。緑の矢印が、途切れながらも、確かに灯っている。子どもは、標識を抱えたまま、その灯りの方へ、ほんの少しだけ身を寄せた。標識の青い矢印と、誘導灯の緑の矢印。かすれたものと、点滅するもの。二つの矢印が、同じ方を指していた。
――第三避難路。
御堂は標識を見た。それから、結節点の壁に貼られた古い管理図を見た。
「第三避難路は、昔ここから南側へ抜けていた」
御堂は、壁の管理図の一点を指でなぞった。今はもう、そこに線はない。だが、彼の指は、消えた線の道筋を、迷わず辿っていた。図から消えても、彼の手は、その道を覚えている。
輪入道の炎が揺れる。
『覚えておるか』
「消したからな」
『何人が残った』
御堂は答えなかった。答えないことが、答えだった。
俺は結節点の壁際に、古い管理端末が残っていることに気づいた。画面は割れ、表示はほとんど死んでいる。だが、五号の灯りが当たると、奥で眠っていた文字が、埃の下から浮かび上がった。
搬送履歴。
その四文字だけで、胸の奥が嫌な鳴り方をした。
搬送履歴。荷を運んだ記録だ。この地下道が、かつて何を運んでいたのか。それを見れば、俺の体が反応する理由が、わかるかもしれない。わかりたくない、とも思った。
端末は、壊れた喉で咳をするように、断片だけを吐き出していく。
企業怪異対策部門。
死亡扱い個体移送。
灰桜――
待機――
俺は息を止めた。次の行が出る前に、端末の奥で火花が散った。画面は白く焼け、すぐに黒く潰れる。
だが、遅かった。四文字が、目の裏に焼きついていた。
地下の湿った空気に、消毒液の匂いが混じった気がした。ありもしない匂いだ。地下搬送路に、そんなものはない。それでも、鼻の奥がそれを嗅いだ。霊素の甘い臭いと、消毒液。その二つが揃うと、俺の体は勝手に、別のどこかへ運ばれる。白い天井。動かない手足。誰かが番号を読み上げる声。回収対象。停止許可。
右手が、震え始めた。俺は反射的に灰桜のケースを握った。まだ火はつけない。冷たいケースの角を、指の腹で確かめる。それだけで、震えの縁がわずかに引いた。
死亡扱い個体移送。運ばれたのは、荷か。人か。それとも、死んだことにされた誰かか。俺は、それを運ぶ道の名を、まだ知らない。だが、体のほうは、この道を通ったことがある、と言っている。
「どうした」
御堂が訊いた。
「いえ」
俺は消えた画面を見ていた。もう何も映っていない。だが、目は覚えていた。
死亡扱い個体移送。灰桜。待機。ろくでもない単語ほど、妙にはっきり残る。
「昔の記録です」
「道路は古いものを吐く」
「覚えておきます」
「忘れた方が楽なこともある」
「最近、それをよく言われます」
御堂はそれ以上聞かなかった。たぶん、道路屋は他人の脇道に無理に入らない。
輪入道の声が、再び広場に響いた。
『登録がない。顔がない。番号がない。ならば、地下の道を通すしかない』
「だから車列を飲んだ」
『通行料だ』
「その呼び方はやめろ」
御堂は言った。
『では何と呼ぶ』
「道を通すための修繕だ」
『同じことではないか』
「違う。通行料は、通る奴から取る。修繕は、壊した奴が払う」
輪入道の炎が揺れた。
「奪うな」
御堂は一歩前へ出た。
「通すために使え」
『道を塞いだ者から取る』
「そうだ」
『通る者からは取らぬ』
「そうだ」
『人を運ぶ荷は取らぬ』
「取るな」
『薬は』
「取るな」
『食べ物は』
「取るな」
『では、何を取る』
「道を塞いだ企業が、地図に載せずに使っている区間を探せ。保守台帳に載せず、通行料も払わず、事故だけ隠している道だ。そういう道は必ずある」
「消した道を、消したまま使ってる区間か」
「そうだ」
御堂は頷いた。
「そこを走る車列は、伝票に載らない荷を運んでる。載らない荷が消えても、企業は表沙汰にできん。盗まれたと言った瞬間、地図にない道を使っていたと認めることになる」
うまい。輪入道が奪っても、企業は騒げない。騒げば、自分の嘘がばれる。奪われる側が、奪われたと言えない仕組みだった。
『なぜわかる』
「俺が消した」
御堂は淡々と言った。
「その区間を通る企業車列からだけ、必要な補修資材を抜け。食品、人、医療品は取るな。通行人からは取るな。地下の住人を運ぶ道は塞ぐな」
『お前が探すのか』
「仕組みを作る」
御堂は二号のアンテナを開いた。
「古い道路センサーを使って、地図から消された区間を拾え。企業IDを見るな。車輪の数、重さ、速度、荷の種類を見る。道が覚えている情報だけでいい」
『足りぬときは』
「声で出せ。二号が拾う」
『字は嫌いだ』
「声でいい」
『資材は』
「古い伝手を使う」
「企業物流時代の?」
俺が訊くと、御堂は視線を動かさずに答えた。
「まだ使える首輪もある」
それは、俺にも覚えのある言葉だった。企業を辞めても、完全に抜けられるわけではない。向こうはいつでもこちらを捨てるが、首輪の鍵だけはなかなか捨てない。御堂はそれを、恨み言ではなく工具の一つのように言った。
輪入道が御堂を見た。
『お前は道か』
「違う」
『車か』
「違う」
『では何だ』
「道路屋」
『道を消した男がか』
「ああ」
御堂は、初めて少しだけ表情を変えた。笑ったのではない。だが、逃げもしなかった。
「だからだ」
道を消した男が、道を直す。
記録を消してきた俺が、記録を拾い直しているのと、少し似ていた。似ていると思うのが嫌で、俺は灰桜のケースを握り直した。
輪入道はしばらく黙っていた。やがて、中央で燃える車輪がゆっくりと回った。
『なら通れ』
燃える車輪が回るたびに、床のアスファルトが低く鳴る。輪入道は、しばらく御堂を見つめ、それから、炎の中の皺を、笑うように緩めた。
結節点の奥で、閉じていたシャッターがゆっくりと上がった。錆びた金属が悲鳴を上げ、長く動かされていなかった歯車が、粉のような錆を落としながら回る。その向こうに、地上へ向かう上り坂が現れた。かすかに、外の空気の匂いが流れ込んでくる。潮と、排気と、夜明け前の冷えた風。地図にはない出口。だが、道路は確かにそこにあった。
出口が開いたとき、輪郭の薄い女は、暗いままの端末を胸に抱え直した。画面は点かなかった。それでも彼女は、道の方だけは見失わなかった。




