2-6
サーバ室に戻ると、古椿は茶を淹れた。
どこから湯が出てきたのかはわからない。サーバ室に茶道具があること自体、何かがおかしい。だが、古い怪異において、そういう疑問はだいたい無駄だった。
俺たちはちゃぶ台の前に座った。サエだけは座らず、壁際に立っていた。腕を組み、目を閉じている。疲れているのは明らかだが、それを認める気はないらしい。
古椿は湯呑を俺の前に置いた。
「記録は嘘をつかん」
彼は言った。
「嘘をつくのは、いつも記録する側じゃ」
「記録される側は」
俺が訊くと、古椿は少しだけ黙った。
「たいてい、自分がどう書かれたかを、知らんまま消える。沼田ゲンは、運がよかった。書かれたことに、気づいた者がおった。診療所の女がおって、お前さんがおって、儂の古い棚に、まだ残りかすがあった。運が三つ、重なった」
「運がなければ」
「なかったことになる。運の悪い者から順に、静かに、な」
「いい言葉だな」
「古いだけじゃ」
「沼田は助かった」
「まだじゃ。命は戻ったが、声は細い。企業は次に、その声を疑わせる」
「どうすればいい」
「別の証拠を集める。人の証言だけに頼るな。物の記録を集めよ。建物、配管、古いセンサー、忘れられた端末。人は嘘をつくが、古い機械は嘘をつく前に壊れる」
俺は頷いた。
サエが目を開けた。
「じいさん」
「何じゃ、鎌鼬」
「さっきの、忘れて」
古椿は彼女を見た。
「忘れるのは苦手じゃ」
サエの目が冷たくなる。
「なら消して」
「消すのは、もっと苦手じゃ」
「使えないサーバ」
「そうじゃな」
古椿は穏やかに笑った。
「だが、見せびらかす趣味もない」
サエはしばらく彼を見ていた。やがて、ふいと視線を逸らす。
「ならいい」
それは、彼女にしてはかなり大きな譲歩に見えた。
俺は茶を飲んだ。意外にうまい。古い機械の熱で沸かした湯のはずなのに、どこか、井戸水のような冷たい甘さがあった。付喪神の淹れる茶とは、こういうものらしい。
古椿が俺を見た。
「久我ミナト」
「何だ」
「お前さんも昔、一度死んだことになっておる」
湯呑を持つ手が止まった。
止まった、というより、止めた。指先が、震え始めていたからだ。
一度死んだ。その言葉が、体のどこか奥の、鍵のかかった部屋を軽く叩いた。開かない。開かないのに、向こう側で何かが動く気配だけがする。白い天井。消毒液の匂い。腕に刺さる冷たいもの。誰かが、俺の社員番号を読み上げる声。回収対象。停止許可。処理済み――。
俺は、それらが待機室の記憶なのか、それとも、もっと別の場所の記憶なのか、自分でも区別がつかなかった。区別しようとすると、頭の奥が白く濁る。
右手が、湯呑の縁で細かく鳴った。俺は反射的に、内ポケットの灰桜のケースに指を触れた。吸わない。ただ、触れる。冷たいケースの角を指で確かめると、震えが少しだけ引いた。
古椿は、その一部始終を、丸眼鏡の奥から静かに見ていた。
サエも、壁際でこちらを見た。
「さっき画面が乱れたやつか」
「見えたか」
「見せただろ」
「古い機械が勝手に映した」
「便利な言い訳だな」
古椿は茶をすすった。
「記録上の話じゃ」
「いつ」
「企業怪異対策部門に入る前後。古い社員番号に、妙な空白がある」
「俺は死んでない」
「今はのう」
古椿は穏やかに言った。
「死んでいたことにされた者が、生きて戻ることはある。戻ったあと、同じ名前で生きているとは限らんが」
「何を知ってる」
「古いことなら、少し」
「教えろ」
声が、少し大きくなった。手の震えを、灰桜のケースの角で抑えながら、俺は続けた。
「俺が誰に殺されたことになってるのか、それだけでいい」
「まだ早い」
俺は湯呑を置いた。音が少し強くなった。古椿はまったく動じない。
「なぜだ」
「今のお前さんは、聞いた話を信じる」
「信じるかどうかは俺が決める」
「そう言う者ほど、都合の悪い記録を疑う」
サエが小さく笑った。
「言われてる」
「黙ってろ」
「嫌」
古椿は俺を見たまま続ける。
「もう少し痛い目を見れば、自分で思い出す」
俺は、内ポケットの灰桜のケースを、また指で確かめた。震えは、まだ完全には引いていない。古椿は、その手元を見た。
「その手の震えもな。いつか、思い出せば、意味がわかる。今はまだ、震えだけが先に来とる。体が、頭より先に、思い出しかけとるんじゃ」
「便利な体だな」
「不便な頭とは、そういうものじゃ」
「悪趣味だな」
「古いサーバは、たいてい悪趣味じゃ」
俺は灰桜を出そうとして、ここがサーバ室だと思い出した。禁煙とは書かれていない。だが、さすがに古い機械の前で霊素入りの煙を吐くのは気が引けた。
古椿がそれを見て笑う。
「吸ってもよいぞ」
「体に悪いと言っただろ」
「体に悪いものほど、人は大事そうに持っとる」
「古い記録みたいにか」
「うまいことを言う」
俺は吸わなかった。ケースを閉じる。
サエがその動きを見て、少しだけ眉を上げた。何も言わなかった。




