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帳の外 ―まだ、ここにいる―  作者: 佐和井 泥
第二話 記録は忘れない

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11/16

2-3

 狐の情報屋は、旧市街の地下喫茶にいた。


 店名は《尻尾》。ひどい名前だ。


 地下へ降りる階段の途中から、匂いが混ざり始める。焦げた豆、こぼれた酒、湿ったコンクリート、誰かが吸っている霊煙(れいえん)の甘い匂い。表通りの監視カメラは、この階段の下までは届かない。だからここには、届かないでいたい連中が、匂いの底に沈むように集まる。


 入口には、ヒューマン、亜人類(あじんるい)怪異(かいい)市民、未登録存在、いずれも歓迎、と書かれた手書きの札が下がっている。その横には、神祇庁(じんぎちょう)の認可証が貼られていたが、有効期限は十年前に切れていた。


 店内は狭い。古い木のカウンター。安い酒。焦げたコーヒー。客席には、狸の運び屋、片角の鬼、顔の輪郭が少し薄い女、若いエルフの詐欺師がいた。誰もこちらを長く見ない。見たことが記録になると、面倒が増えるからだ。


 カウンターの奥で、狐がコーヒーを淹れていた。


 男とも女ともつかない顔立ち。長い金茶の髪。細い指には金の指輪がいくつも光っている。尻尾(しっぽ)も耳も出していないが、目だけは化けきれていない。金色の、縦に細い瞳。笑っているときほど信用してはいけない目だ。


久我(くが)くん。朝から女連れとは景気がいいね」


「仕事だ」


「サエちゃんも久しぶり」


 サエは返事をしなかった。カウンター席に座ると、メニューも見ずに言う。


「一番苦いやつ」


「舌が若いねえ」


「甘いのが嫌いなだけ」


 狐は笑い、黒い液体をカップに注いだ。コーヒーというより、何かの呪詛(じゅそ)を煮詰めたような色だった。


古椿(ふるつばき)を探してる」


 俺が言うと、狐の手が止まった。ほんの一瞬だ。だが、止まった。


「誰から聞いたの」


「死んだ河童(かっぱ)から」


「生きてるのに?」


「都市行政網では死んでる」


「それはまた、嫌な殺し方だ」


 狐は頼んでもいない濃い茶を俺の前に置いた。


「僕は、ただでは教えない。人助けでも、命がかかってても、同じ。等価交換。これは主義じゃなくて、体質でね」


「金なら払う」


「金だけとは言ってない」


 狐は笑った。


「いつか、僕が困ったとき、久我(くが)くんに一つ頼む。内容は、そのとき決める。断らない。それが今日の茶と情報の値段」


 嫌な条件だった。中身の見えない借用書に、先に判を押すようなものだ。だが、沼田(ぬまた)ゲンの身体は、今も少しずつ薄れている。


「わかった」


「即答だ。困ってる顔してる」


「困ってる」


 狐は満足そうに頷き、古い紙の地図を滑らせた。紙。今どき、紙の地図。逆に信用できる。


古椿(ふるつばき)は、旧都庁第二庁舎の地下。廃止済み行政バックボーンの保守区画にいる。表向きは閉鎖済み。実際には、電源だけ落とされずに残ってる」


「なぜ残ってる」


「落とすと、何が一緒に消えるかわからないから」


 狐は地図の一点を爪で叩いた。


古椿(ふるつばき)は、腕のいいハッカーじゃない。念で電子を操る類でもない。最新の量子鍵はたぶん苦手だ。でも、誰も読めない古い規格を茶飲み話みたいに語れる。消されたログを覚えてる。聞いてないことまで知ってる」


「それは助かるのか、面倒なのか」


「両方」


 狐の目が細くなった。


久我(くが)くん。古いサーバは、古い犬の首輪も覚えてるよ」


 俺は返事をしなかった。


 サエがカップを置いた。


「じいさんは、サエのことも知ってる?」


「知ってるかもね」


「なら会うのやめようかな」


「会わないと、河童(かっぱ)くんは死人のままだ」


「嫌な言い方」


「正確な言い方」


 サエは立ち上がった。椅子が床を引っ掻く音がした。店の客たちが一瞬だけ視線を向け、すぐに逸らす。


「行くよ」


「コーヒー代」


「ミナトが払う」


「俺か」


「七割ある」


「もう消えかけてる」


 狐が地図の隅に料金を書いた。情報料と、茶代と、場代と、将来の相談料が含まれているらしい。


 帳外屋(ちょうがいや)の仕事は、報酬より先に支払いが増える。

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