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帳の外 ―まだ、ここにいる―  作者: 佐和井 泥
第一三話 帳の外で生きている

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13-7

 いつだったか、古椿(ふるつばき)が言った。


 消すなよ。お前さんの死亡記録は、お前さんを縛る鎖じゃ。じゃが同時にそれは内側への鍵でもある。


 あのとき俺は、鍵として使うのは自分だと思っていた。鍵は回すものだと思っていた。


 違った。


 今夜やるのは鍵を回すことではない。


 扉の隙間に自分を挟むことだ。


 俺は端末に指を置いた。


 震えている。灰桜(はいざくら)を噛んだ。青い光。わずかに収まった。


 この煙草が効くのも今夜が最後かもしれない、と、なぜかそのとき思った。


     *


 俺は自分の死亡記録を処理の流れの中へ差し込んだ。


 差し込む、というのは正確ではない。押し込んだ。


 死んだ名前が生きている処理の列に割り込む。書式としては通る。俺は帳簿の内側にいるからだ。だが処理としては通らない。死亡登録は、処理の対象にも処理の実行者にもなれる。だが、処理の順番の中に置くことはできない。


 順番に並べない者が、順番の真ん中に立った。


 流れが、止まった。


 止まる瞬間、音がした。


 実際には何も鳴っていない。機械室は静かなままだ。だが、俺の頭の中で金属が噛み合って止まる音がした。歯車の隙間に石を落としたときのあの短い音だ。


 それから引かれる感じがきた。


 流れが止まっているのに俺だけが、まだ流れの中にいる。止まった列の真ん中に立って、両側から押されている。前からも後ろからも。処理の順番が俺を通そうとして通せずに、押し続けている。


 押されるたびに輪郭が少し削れた。


 画面の上から下へ落ちていた行が、途中で固まった。次の一件が来ない。来ないまま、待機の表示が出た。


 照合中。


 その二文字が画面いっぱいに増えていった。


 システムは、俺を処理しようとして処理できずにいる。死んでいて稼働していて、順番に並べない。どの欄にも収まらない。だから収める欄を探し続けている。


 探している間は次へ進めない。


 止まった。


     *


 それから身体の中で何かが抜けた。


 痛みではなかった。血が出たわけでもない。ただ、内側の温度が一段下がったような感じがした。


 膝が落ちた。


 俺は壁に手をついてなんとか立った。


 視界の端が少し暗い。


 端末の照合中の表示が街のあちこちへ広がっていくのが頭の中でわかった。橋のゲートの処理が止まる。港の処分の順番が止まる。倉庫の上書きが止まる。地下の封鎖の更新が止まる。


 一晩だ。


 朝までに誰かが気づいて、俺を欄から引き剥がす。それまでの一晩。


 俺は灰桜(はいざくら)をくわえた。フィルターを噛む。


 青い光が点いた。


 だが、震えは収まらなかった。


 もう一度噛んだ。強く。


 青い火は、いつもどおり点いている。先端の認証チップもちゃんと反応している。壊れてはいない。


 収まらなかった。


 俺はしばらくその煙草を見ていた。


 道具が壊れたのではない。


 受け取る側が壊れたのだ。


     *


 足音が階段を降りてきた。


 急いではいない。一定の速度で段を一つずつ。


 俺は顔を上げた。


 白いコートが機械室の入口に立っていた。


 傘も持っていない。濡れてもいない。片手に薄い端末。もう片方は白い手袋のまま、下げている。


「白瀬(しらせ)透子(とうこ)さん」


 俺が言うと、彼女は少しだけ首を傾けた。


「名字だけで結構ですよ」


「そうか」


「ここが空いていることをご存じでしたか」


 彼女は部屋を見回した。値踏みではない。記録のための視線だ。


「私は知りませんでした。……廃止された駅の下です。点検の対象から外れている。書式としては存在していない部屋です」


「あんたの帳簿にも穴があるんだな」


「ありますよ。いくらでも」


 彼女はあっさり認めた。


「帳簿というのはそういうものです。……だから埋め続ける必要がある」


     *


 彼女は端末を開いた。画面に照合中の二文字が並んでいるのがこちらからも見えた。


「止めましたね」


「ああ」


「どうやって」


「自分を挟んだ」


 白瀬(しらせ)はしばらく画面を見ていた。


 それから初めて顔を上げた。


「……ああ」


 短い声だった。理解した、という音だった。


「死亡登録のまま、稼働している記録。処理の対象にも実行者にもなれて順番には並べない。……なるほど。よく思いつきましたね」


「褒めてるのか」


「感心しています。それと、少し困っています」


 彼女は端末を操作した。指が三つか四つ動いただけだった。


「外せますか」


「外せます。ただ、今夜中には無理です」


 白瀬(しらせ)は言った。


「あなたの記録は、白帳の内側にあります。内側のものを動かすには内側の手続きが要る。……手続きは時間がかかるように作ってあります。壊れないようにするためです」


「自分の丁寧さで自分が止まったわけだ」


「そうなりますね」


 彼女は少しだけ笑ったように見えた。笑ったのかもしれないし、そう見えただけかもしれない。


「一晩です。明日の朝には動き出します」


「知ってる」


「ご存じでやったんですか」


「一晩あれば足りる」


 俺は言った。


「今夜、この街のあちこちで連中が逃げてる。橋も、港も、地下も、屋根も全部動いてる。……一晩止まれば、通り抜ける」

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