第百九十九話
「勿論、一度の会話で説得しようとは思っていません」
俺からしてみれば、淵田翼は横柄な人物であるが、彼女も傑物だ。
明星というクランにおいて、副クランマスター、ナンバー2にまで昇りつめ、日本では名前を聞いたことがない者など、ほとんどいないほどである。
篠森葵は教科書に載るような人物であり、そこまでではないものの、知名度という部分では、かなりのレベルに達していた。
それこそ、下手をすれば、人一人の人生を台無しにできるほどの力を持っている。
ここで強引に力で制してこないのは、彼女が傑物たる所以であるように思える。
(俺だったら、無理やりにでも辞めさせてそうだな)
やろうと思えば、彼女はそれができる。
淵田翼が本気で辞めさせようとすれば、トップである篠森葵も無視できない。
俺が淵田翼の立場であれば、明星から無理やり遠ざける程度のことはしてそうである。
そう考えると、むしろ、こうやって話し合いで解決しようとしている分、まだ理性的かもしれなかった。
「俺も、いつかは出ていくことにはなると思うぞ」
東京に居づらくなったというのが背景であり、いつまでも、明星というクランに甘え続けることはない。
現状、明星と協力関係を構築するのが、俺にとってベストであっただけであり、それがベストでなくなる時は必ず来る。
俺は、明星というクランにとっては、異物なのだ。
「私はできるだけ、早い方が望ましいのですが」
(それはそうだ)
彼女の懸念は、俺がもたらす明星への被害であり、それが起きる前に辞めて欲しいのだから、当然のことである。
だが、まだ世話になるほどに、ここでは過ごしていない。
それに、俺も協力関係にある以上、仕事と呼べるものを請け負っている。
仕事はまだ不完全な状態にあり、少なくとも、それを終えるまでは、この関係性を解消するつもりはなかった。
「そうなれば、いいな」
少しとげのある物言いになったが、これがぐらいはいいだろう。
俺が淵田翼の目を見ても、彼女の目の奥に変化はなかった。
真っ直ぐな否定が、俺に向かって突き刺さるばかりである。
「では、今日はこの辺りで………必ず、説得させますので」
淵田翼が立ち上がり、俺の横を通り過ぎていく。
去り際の言葉は、彼女の強い信念というより、感情を表しているように思えた。
(疲れた)
俺という存在を客観視すれば、彼女の気持ちもわかる分、その疲労感はより強まる。
言いようのない気持ち悪さを誤魔化すように、残ったホットコーヒーを一気に飲み干していく。
冷めたホットコーヒーは、特段美味しくもなく、不味くもない味であった。
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