二人で 或いは伏線しかない話
俺が思わず声を出すのと、自転車の荷台の部分に座っている霧生が振り向くのは、ほぼ同時だった。
器用にバランスを取ってそこに座りつつ、足をブラブラと揺らす彼女は、まるでそこにいることが当たり前のような顔をして、口を開く。
「やあ、待ってたよ」
「いや、待ってたよって、お前……」
あまりにも普通に話しかけて来るため、俺は混乱しながらも思わず突っ込んでしまう。
何をしているのだろうか、彼女は。
「……鍵を掛けておく、とか言ってなかったか?」
「ん?ああ、それはもう終わったよ。その後こっちに回り込んだんだ。認証シールに名前が書いてあるから、君の自転車がどれかは分かったしね」
ひらひらと手を振りながら、さらりと霧生は凄いことを言う。
──部室の鍵を掛けて……それからダッシュでここに来たのか?
普段、部室の鍵の管理は、小鳥遊文庫の出自の都合上、霧生が行っている。
必然的に、俺たちの間で最後に部室を去るのは、霧生となる。
彼女しか、鍵を掛けられないのだから。
今日も、俺と早見は各々で帰りつつ、霧生はほぼ同タイミングで鍵を閉め、帰宅したはずなのだ。
その霧生が、俺よりも先に駐輪場に居る、ということは、彼女にはかなりの速度で移動してここに来た、ということだ。
確かに俺はぼんやりと、ゆっくり歩いていたため、先回りは不可能ではないだろう。
だが、それでもすぐに鍵を掛け、その後俺の自転車を探してここに座るというのは、かなり急がないとできない。
まあ、この時間帯になると残っている自転車の数自体が少ないため、俺の自転車を見つけること自体はすぐできるだろうが……。
──というか、よく見たら結構汗をかいてるな……。
チラリ、と霧生の服を見て、そう思う。
今は七月だ。そんなに早く動けば、汗もかく。
汗のせいで夏服が霧生の肌に張り付いている様を確認し、俺は一応視線をずらす。
「あー、何しに来たんだ?」
霧生の隣の空間を見つめつつ、目的を聞く。
わざわざこうやって会いに来たのだ。
何か、理由がない限り、霧生はこんな行動はとらないだろう。
「……そうだね。まあ、推理の続き、ということになるのかな」
ポツン、と霧生はそんなことを言う。
いつの間にか、霧生も俺の方を見ず、視線を下げて地面を見つめていた。
「続き、か?」
「ああ、そうだ……先ほどの推理は、不完全版だからね。少し、追加の答え合わせがしたかったんだ」
──答え合わせ、か……。
自分でも、意外なことなのだが────。
そう告げられた瞬間、俺の混乱はぴたり、と収まった。
寧ろ、ここに霧生が居ることが、当然のことのように思えてくる。
いつもの勘で、無意識に察していたのだろうか。
────故に。
俺は、それ以上霧生に目的は聞かなかった。
告げたのは、ただ一言。
「じゃあ……帰りながら、話すか」
「そうだね、うん、そうしよう」
何気に、一緒に帰るのは初めてだね。
そんなことを、霧生は無表情で告げた。
カラカラ、カラカラ。
車輪がそう音を立てる自転車を押して歩きながら、俺は霧生と帰路を歩いていく。
二人乗りでもいいよ、と霧生は言ったのだが、それだと彼女の推理を聞きにくくなる。
そもそも、法律違反だ。
結局、かなり幅を取る形になるが、俺たちは並んで歩いて帰っていた。
方向は、霧生の要望で、俺の家がある方角である。
「……それで、推理の続きって言うのは、何だ?」
歩き始めてしばらく経ってから、俺はそう言って話に水を向ける。
周囲の音と言えば、カナカナカナ、と鳴くひぐらしのそれ程度で、話の邪魔にはならない。
ここらあたり良いだろう、と踏んだのだ。
俺の言葉に合わせて、霧生はくすり、と笑う。
その雰囲気は、普段のそれとも、謎を解いている時のそれとも違っていた。
何だか、そのどちらとも異なる、年齢相応の、少しだけ幼い雰囲気を纏っているような気がした。
まあ、ただの勘だが。
「君から改まって話を向けられるのも、何というか、変な感じがするね」
「……どうしてだ?」
「だって、君……」
────本当は朝顔の件なんかじゃなくて、こちらの真相を、解いてほしかったのだろう?
霧生が、その言葉を言った瞬間。
俺の周囲の音が、一瞬で消滅したかのように感じられた。
よくある比喩ではなく、本気で。
車道の車のエンジン音も、静かに鳴くひぐらしの声も消え失せて。
俺には、霧生の声しか聞こえなくなったように思えたのだ。
その、俺の耳が唯一捉えられる霧生の声が、鼓膜を震わせる。
「先に謝っておくよ、相川君」
「……何を、だ?」
辛うじて反応すると、霧生は苦笑いで返した。
「今から、僕が君の心の中に土足で立ち入ることを、だ」
霧生はそこで、はあ、と大きくため息をついた。
ただ口を開いただけなのに、何故かかなり疲れているようにも見える。
「……以前も言ったが、これは、どうしようもない程悪趣味なことだからね。本当に、すまないとは、思っているんだ。これでもね」
──謎を解くということは、誰かの心に入り込む、ということだからね。
その、「以前言ったこと」が、俺の脳裏に再びよぎった。
今まで、何度この言葉を思い返したことだろうか、というある種の感慨と共に。
思い返せば、早見の「素」に迫った時も。
霧生の、俺の知らない一面を知りそうになった時も。
この言葉が、俺の中に湧いて出ていた。
そのくらい、印象的な言葉だった。
恐らく、発言者である霧生自身は、もっとこの言葉を思い返しているのではないだろうか。
それこそ、事あるごとに。
彼女にとって、これは一種のポリシーになっているようにも見受けられる。
だが────今この瞬間。
霧生が、このポリシーを破ろうとしているように、俺には思えた。
だからこそ、先に謝罪したのだと。
まあ。ただの勘なのだが。
しかし事実として、霧生はそこで、いつもの言葉を述べた。
推理を始める際の、定型文を。
「さて────」
「……今回の件はね、実を言うと、今までの謎よりも遥かに気楽に解いていたんだ。話を聞くときも、それは変わらなかった」
最初に、霧生は話を聞くときのスタンスから話を始めた。
かなり遠いところから話が進んでいるようにも思えるが、必要なことなのだろうか。
そう思って、俺はとりあえず頷いておく。
「この理由は、簡単だった。今回の件は、今まで君たちが持ち込んだ件と違って、最初から正解が用意されたから、というのが理由だ。
「正解?」
「そうだよ。情けなく聞こえるかもしれないが、それは僕にとっては大きな救いでね……何せ、仮に推理が間違っていても、君が実際のところどうだったか教えてくれるんだから」
──まあ、確かに。
信号を待ちながら、俺は納得する。
言われてみれば、今回の一件は、今までの例と違って、「俺自身の、解決済みの昔話である」という一点で特殊だった。
今までは、当事者以外は誰もわからない──そして大抵、当事者には聞きにくいため、推理するしかない──真相を解いていた。
しかし、今回の場合、出題者である俺は真相を知っている。
よく考えれば、推理をする側とすれば、これほど楽な話もない。
俺が過去の話として語っている以上、何らかの形で謎が解かれていることは確定している。
つまり、謎が解けなくて困る、ということはあり得ない。
解けなければ、俺が説明するだけだ。
そして、謎が解けた時も、これまた楽だ。
例えば霧生は、よく「これはただの妄想だ」と推理の中で防御線を引くが、あれも必要ないのだ。
俺が間違っているところを訂正し、答え合わせをすればいいだけの話である。
こう考えると、今回の「日常の謎」は、推理する側からすると、初心者向けになるだろう。
普段、推理を嫌がったり恥ずかしがったりする霧生が、意外にすんなりと話に興味を持った理由が、ここに来て分かった。
「……今まで以上に、解けても解けなくてもどちらでもなんとかなるから、楽だった、ということか?」
確認も込めて、俺は一応尋ねておく。
すると、霧生は一度頷き、それからふるふると首を横に振った。
まだある、ということらしい。
「それだけじゃないよ。今回に限っては、解決済みの話を改めて話す分、君が無駄な話をしないだろうな、と分かっていたから、というのもある」
「無駄な話を、しない?」
「ああ。だって、君は真相を予め知ったうえで、改めて話を頭の中でまとめて、それから僕たちに話しただろう?要するに、今までの話と違って、編集済みの話だ」
編集済み。
そう言われて、ようやく話が頭の中で繋がる。
「あー、要するに、真相から逆走して話を作るのだから、話し手の俺は、あまりにも関係のない話は省くだろう、ということか?」
「その通り。勿論、ミスリードの部分のように、必要なひっかけなら敢えて話しただろうけどね。それでも、基本的に君の話は、推理に必要な要素だけで構成されることに、変わりは無い。その点でも、こちらは聞きやすかったんだ」
なるほど、と俺はまた頷く。
これもまた、今までの「日常の謎」とは異なる部分だ。
今まで、俺が「日常の謎」の内容について霧生に話すときは、基本的に俺が聞いた内容は全て話してきた。
推理に必要かどうかも分からない、細かい部分まで全て、だ。
これは、当然の話だ。
俺は、今までの件で、謎に立ち会った当事者、という訳では無く、あくまで後から聞いて疑問を覚えただけの立場だった。
当然、真相に察しがつくこともなく、話のどこが重要そうで、どこが関係ないのかもわからない。
このために、霧生に推理を頼むには、聞いたまま全てを話すしかなかったのだ。
当然、その話には、大して関係のない話や、推理の邪魔になるような情報も含まれている。
今までの霧生は、まずその話の中で重要な部分と重要でない部分をより分けて、それから推理をしていたのだろう。
だが今回の件では、当然ながら俺は自分の思い出の内、推理に必要のある部分がどこで、必要のない部分がどこか分かっている。
実際、俺はそこを意識して話をした。
推理に必要な材料は全て口にして、逆に残りは端折るようにして。
霧生の言う通り、これは編集された話なのだ。
話を聞く側からすると、これほど楽な話はない。
語ってもらった部分は、基本全て伏線で、語らずに終わった部分は、別に気にしなくてもいいのだから。
「……だから、僕は君の話を聞きながら、どれだけ関係なさそうな話でも、わざわざ触れられている部分は、全て謎解きに必要なものだ、と思って聞いていた。仮に必要なかったとしても、それはミスリードだったり攪乱要素だったりして、何らかの意図があって話した部分なのだろう、と」
「まあ、そうなるな」
事実であるので、俺は肯定する。
すると、霧生が不意に、こちらの横顔を凝視した。
「……だからこそ、謎を解き終わった瞬間、あれ、と思ったんだ」
「何をだ?」
「君の、お父さんに関する部分だよ」
ザクリ、と。
一足飛びに、霧生は俺の心の中に入ってきた。




