知名度補正 或いは発破
あっ、と声を出してしまいそうになった。
それほどまでに、早見の疑問は妥当なもので────同時に、俺には思いつけていなかったものだった。
──確かにそうだ。利き腕の差くらいなら、気がついてもよさそうなのに……。
先程の電話で、日向は思い出の人物は多分、右利きだろう、と言っていた。
あやふやな話ではあるが、そのくらいの認識は持っていた、ということでもある。
ならば、愛崎姉妹をしばらく見ていれば、気が付いたはずだ。
日誌にせよ、置いてあったホワイトボードを使った説明にせよ──それこそ里奈先輩は、俺の目の前でペンを持って説明してくれた──気づく機会は多い。
これが入部してすぐの四月ならともかく、もう六月なのだから、猶更だ。
「……早見は、その理由が分かるのか?」
「分かる、と断言できるほど大したものじゃないわ。もしかしたら、霧生さんならもっと推理を詰められるのかもしれないけれど」
ちら、と横目で早見が霧生を見る。
そこの霧生は、未だに頭を抱えていた。
俺たちの話も、聞こえているのやらいないのやら。
「……まあだから、ここから先は、私の邪推、くらいに思ってほしいの。女子って、恋愛の話が好きだから。その視点から見ると、こうも思える、くらいの話」
そう断ってから、早見は流麗に話を勧めた。
「さっきも言ったように、双子の聞き手が違うことに、日向君が気が付いていなかった、と言うのは少し変よ。ただのマネージャーならともかく、自分の初恋の人かもしれない、と思って観察している相手なら、猶更。普通、私たちに相談する前に気づくと思う」
「そうだな。まあ、よほど観察力が無かったなら話は別だが……」
「それもそうだけど……そうじゃなかったら、どうなるかしら?」
──そうじゃなかったら、か。
ポン、と頭にある可能性が浮かぶ。
それを、思いつくままに言葉にしてみた。
「……何らかの理由で、利き腕の差に気が付いているにも関わらず、俺にそれを話していない、ということか?」
「私は、それだと思う。勿論、証拠はないのだけれど」
微かに早見が悔しそうな顔をしたが、これは致し方ないことだ。
今までもそうだったが、「日常の謎」は明確な証拠がないことが多い。
ただ俺たちから見て、妥当かどうかだけで話を進めるのだ。
「ただ、分からないな。そうだとすれば、話さなかった理由はなんだ?いや、と言うか、そもそも何で依頼なんてしてきたんだ?」
一つ、自然に疑問が湧いた。
今言った仮説が正しいのなら、そもそも今回の一件が始まらなくなることに気が付いたのだ。
というのも、自力で双子の見分け方に気が付いたのであれば、そのまま告白に行けばいい。
わざわざ頼りにならない噂話に縋って、日常探偵研究会に来る理由がない。
もしかすると、自分の見つけた見分け方に自信が無かったのかもしれないが、その場合は、俺に話した時点で、利き腕について言うだろう。
どう考えても、それを知って上で例の作戦をやる方が、効率が良いのだから。
先入観を与えたくなかったのかもしれないが、その場合、先程の電話で言及があっても良かった気がする。
そうやって頭を悩ませていると、ポツン、と早見が口を開いた。
「……私は、一つ思いつくわ。彼がわざわざ私たちのところに来た理由」
「本当か?」
「ええ。単純と言えば、単純な話なのだけれど」
そこで一度、早見は水を飲んでのどを潤した。
そして、今一度自分の考えを反芻するような間を置いてから、新たな推理を口にする。
「依頼に来る理由が無い、というのなら、それがそのまま、正しいのだと思う。彼は、私たちに謎を解いてもらう気はなかった。全く別の目的のために、部室に来たのよ」
「……全く、別の目的?」
「ええ……純粋な、恋愛相談を、ね。あと一つ、臆病な自分の後押しをするために」
証拠もない、彼女自身の言うところの「邪推」を。
早見は、どうしようもなく生々しく伝えた。
「えーと、どういうことだ?」
話が飛んだことに慌て、俺は追いすがる。
ここを理解しておかなければ、話が進まない。
その一念で声を発すると、早見は分かりやすく、目を瞑って困った顔をした。
その様子は、早見にも分からないから説明に困っている、という訳ではなく。
あまりにも分かり切っていることのために、逆に説明に困る、という様子に見えた。
まあ、ただの勘なのだが。
「……この考えのもとになっているのは、私の経験が大きいのだけれど」
そう言いながら、早見はコンコンと机を叩く。
やがて、説明のとっかかりを見つけたらしく、彼女は一番最初のことから説明を始めた。
「実を言うと、一番最初から……私たちに依頼なんてものをしに来た、という時点で、不思議に思っていたの」
「そこからか?」
「ええ、だって……私たちが依頼されて推理をしている、と認識していたのは勘違いだから仕方ないにしても、私たちに恋愛がらみの相談をする、というのは、普通に考えれば悪手だもの」
「それはまた、どうして?」
ここまで推論を交えながらも、非常に論理的だった早見の話に、他の要素が混ざった気がして、俺は口を挟む。
途端に、早見は何故か顔を赤らめた。
「……まあ、その、この部活にいるとあまり気にならないけれど、私は」
ゴホン、と咳払いが入る。
「……私は、ちょっと顔が広すぎるから、警戒されて、恋愛相談はされにくいの。それなのに依頼してきたから、怪しいな、と」
絞り出すように放たれた、早見の言葉。
それを受けて、俺は一気に話を理解した。
こうやって話しているとつい忘れてしまうのだが、早見は本来──というのも変な言い方だが──うちの学年でも、トップクラスに人気の女子生徒である。
歩くだけで周囲に注目され、取り巻きが居ないことはまずあり得ない。
仮にスクールカーストが明文化されたのであれば、ピラミッドの頂点の方にいる生徒だ。
それ故に、彼女は友人知人の類が多い。
それこそ、早見妹がやっていたように、知り合いの知り合いの、と人間関係を辿っていけば、明杏高校の殆どの生徒にアクセスできるだろう。
何なら、学校どころか、この地域の殆どの人間とつながれるかもしれない。
要するに、少なくともうちの学年では、知らない人はいない、と言えるレベルの生徒、ということだ。
つまり、俺たちと同じ学年である日向も、早見のことは、恐らく前々から知っているであろう、ということになる。
普通に考えて。
自分の恋愛事の相談と言うのを────それも、ある女の子を数年にわたって思い続けてきた、という中々重い話を。
それほどまでに顔が広い女子生徒の前で、しようとするだろうか?
「……確かに、俺ならしないかもな。早見のことを良く知らなければ、もしかすると、周囲に言いふらされるんじゃないかって気持ちになるかもしれない」
勿論、俺は早見がそう言うタイプの人間ではないことを知っている。
寧ろ、その恋愛相談から人間関係の不和が発生しないよう、異様なまでに気を遣うタイプだろう。
ただ、日向の視点からは、そんなことは分からない、という話だ。
「第一、日向自身も、あの相談のことは誰にでもするような話ではない、とか言っていたしな」
「そうなの?」
「ああ、俺だから信頼して話したとか、何とか」
今思えば、非常に大きな矛盾を含んだ言い分だ。
何しろ、その「誰にでも話せるわけでは無い話」を、日向は「見ず知らずの三人組」に話そうとしていたのだから。
実際には俺がたまたま昔の知り合いだったが、それだって偶然に過ぎない。
日向の方も、俺が日常探偵研究会にいることに気が付いたのは、今日が初めてだったのだから。
「……つまり、こういうことか?日向が双子の見分け方に気が付いていたとしても、気が付いていなかったとしても、その依頼を赤の他人のやってる部活にしてくる時点で、話がおかしい、と?」
「そういうこと。普通、本当に恋愛事で悩んでいて、誰にも話せない状態の人だったのなら……私がいることに気がついた時点で、引き返すもの」
──まあ、それは自虐が過ぎるだろうが。
心の中で突っ込みをする。
話を聞く限り早見の体験談のようだが、全員が全員そんな対応をするわけでも無いだろう。
ただ、同時に見過ごせない話でもあった。
日向の行動に、明確な異常があったのだから。
……静かに、俺は推測を重ねる。
要するに、普通に考えて周囲にあまり知られたくないはずの、恋愛がらみの依頼を、何の権威も保証もない学内の一サークルにしている時点で、おかしいのだ。
このおかしさを解消するには、どこかしら条件を変化させなければならない。
「……だから、実際は依頼なんてする気はなかった、別の目的があった、と推理したのか?」
「そうね。その方が、話が通るもの」
「そして、その目的とやらが、純粋な相談……つまり」
ふっ、と。
結んだ紐がほどけるように、思考が明確になった。
「……日向は、誰でもいいから、『ごちゃごちゃ悩まずに直接問いただして、告白しに行け!』と発破をかけてほしかったのか?」
早見は、コクン、と頷いた。




