推理 或いはこじつけ
「まず、君が今回の件で不思議に感じたこと、すなわち今回の件の謎は、二つある。一つ目が『何故彼女が君に声をかけたのか』。そして二つ目が、『何故バスケ部であれば帰ってもよく、君が帰るのは不思議なのか』だ」
そう言いながら、霧生は指を二つ立てる。
「とりあえず、まずは二つ目の謎から解こうと思う。それを解けば、自然と一つ目の謎も解けるからね。勿論、君が言うように証拠なんてないから、ただのこじつけだけど、それでも考えてみよう。何故、君が帰るのは不思議なのか?」
そうだ。そこがまず分からない。
あの時の彼女の様子を考えれば、あれはわざわざ呼び止めるほどにまで、俺があそこにいたこと自体が不思議だった、ということになる。
しかし、何故そうなるのか、と問われたらさっぱりだ。
「君が言っていたように、可能性だけなら何とでも考えられる。何となくそう言う気分だったから、なんて理由かもしれないからね。だけど、ここで一つ注目できることがあると思うんだ」
「何をだ?」
そこで、霧生は目を閉じた。
自分の記憶を確認するかのように。
そしてこんなことを言い出した。
「それを説明する前に、話を分かりやすくするために、ここで少し話の方向をずらしたい」
「……どういうことだ?」
「うん。少し遠回りになるんだけど、その早見唯と言う生徒がどういう方法で家に帰ったのか。そこを考えたい」
一気に話が飛んだ。
本人が遠回りというように、話はあのコンビニから大きく外れた位置に行っているように思える。
そんな不満が顔に出たのだろう。
俺の顔を見た霧生は、少しだけ苦笑いを浮かべた。
「生憎だけど、君が不思議に思ったコンビニでの出来事だけを見ても、きっと説明はつかない。だけど、君が盗み見たという彼女たちの廊下での様子のことも含めると、話は見えてくるんだ」
「……分かった。大丈夫だから、話を続けてくれ」
元々、俺は教えを乞うているような立場である。
不満など言えるはずもない。
「ありがとう。じゃあ、考えてみよう。彼女は、というか彼女たちは、どういう手段で雨の中家に帰ったのか?」
「どうって……折り畳み傘じゃないのか」
昨日の雨は、天気予報でも言われていないような突発的な雨だった。
俺の様に、勘で天気を当てる生徒がそう何人もいる、というのも考えにくい。
そして確か、彼女たちは雨が降ることは予測していなかったはずだ。
廊下での会話でも、「雨が降るなんて思っていなかった」という節のことを語っていた。
ならば、念のため常に持参していた折り畳み傘で難を逃れた、というのが一番しっくりくる。
雨を予測していなかったのなら、折り畳みではない、普通の傘は持ってきていなかっただろう。
「あるいは、誰かの家族が迎えに来たとか。入学式の後だから、時間の余裕のある親なら、車に乗ったまま待っていたかも…………」
ふと声を出したが、それは無いか、と考え直す。
そちらは、少々考えにくい。
「その場合、君が見たように、友人たちの間で生徒が一人だけ取り残されている、というのが少々奇妙だね」
「だな。一緒に乗せて行ってください、とか言う話になるよな」
勿論、何らかの理由で同乗を断られた可能性はある。
だが、わざわざ娘の帰りを待つくらい時間に余裕がある親なら、その友人を一緒に乗せてやるくらいは、断らないのではなかろうか、という気もした。
これはまあ、推理でも勘でもない、独断と偏見だが。
「普通に考えればそうなるだろう。折り畳み傘か、車か、濡れるのを覚悟で走って帰るか……。傘を持ってこないまま登校した以上、取れる手段はこの三つだ。だけど……」
「だけど?」
「ここで、こう考えられはしないだろうか。すなわち、彼女たちは普通の傘────折り畳みではない大きな傘を持っていた、と」
また、霧生が不思議なことを言い出した。
「普通の傘?……だけど」
「ああそうだ。君が聞いたように、彼女たちは雨は予期していなかった。だから、普通に考えれば、彼女たちは傘は持ってきていなかっただろう。だが、ここに一つだけ、『雨を知らなかったにも関わらず、傘を持参できる可能性』というものがある」
そこで、霧生はもう一度指を立てた。
「ここまで考えたところで、一つだけ仮定をしたい」
「仮定?」
「ああ、暴論だけど……君が見た早見唯と、その友人たちは、全員バスケ部に入部する予定である、という仮定をしたい」
……気を抜いているうちに、話はさらに飛んだ。
だが、正直なところこの話は納得できた。
というのも────。
「その仮定は、あれか?俺が見た早見唯の取り巻きの一人が、バスケットボールのストラップを付けていたからか?」
「まあそうなるね。根拠としては弱いけど、そう考えると、話に筋が通るんだ」
下校直前、傘立ての隣で雨が止むのを待っていた女子生徒は、確かスマートフォンにそんなものを付けていた。
ただの趣味だとか、彼氏がバスケ部だとか、色々と理由は考えられるが、勿論自分がバスケ部──正式な入部はまだなので、中学時代からやっていたということになる──という理由も考えられる。
それに、バスケ部という単語は、早見唯自身が口にしたことではある。
確かに証拠はないが、違和感は少なかった。
同時に、俺の頭にあることが思いつく。
担任教師が、長話の中で言っていたことを偶然思い出したのだ。
「そう言えば、バスケ部は入学式の前日、体験入部をしていたな……」
「そこだ。そこが核だよ」
さらりとした口調で、しかし心なしか力強く、霧生は指摘する。
その様子からは、自分の推理への自信が滲み出ているようだった。
「君の話からすると、バスケ部の顧問はよほど勧誘に熱心なんだろう?だったら、彼女たちもまた、入学式の前日に行われた体験入部に参加した、というのは十分に考えられると思うんだ」
「まあ、それはあり得ると思うが……」
担任も確か、結構な数が集まった、とか何とか言っていた気がする。
バスケ部の入部希望者なら、来て当然の話だったのかもしれない。
「そして、ここで一つ事実を確認しておきたいんだが……」
「何だ?」
「僕の記憶が正しければ、入学式の前日、つまりバスケ部の体験入部が行われた日も、少しだが雨が降ったよね?」
その言葉で、思い出されることがあった。
入学式の朝、家を出ようとしていた時のことだ。
確かあの時、地面がまだ濡れていたから、それに注意した記憶がある。
そうだ、前日の天気など忘れていたが────確か、入学式の前の日は、雨が降った。
午前中だけの、少量の雨だが。
要は、入学式の前日と当日とで、二日連続雨は降ったのだ。
だとすると────。
「……分かったぞ。つまり霧生は、こう言いたいんだな。彼女たちは皆、バスケ部の体験入部に参加して、そして傘を持参して学校に向かった、と」
「そうだ。その日の雨は、午前中からだったからね。体験入部が行われたのは昼だったのだろう?だったら、持って行ってもおかしくはないだろう」
体験入部が昼に実行されたのであれば、彼女たちの家の立地にもよるが、出発時は午前中だった可能性はある。
ならば、雨はまだ降っていたはずだ。
仮に彼女たちの家がそれなりに高校から近かったのであれば──要するに歩いて向かう距離だったのなら──傘を持参した可能性は高い。
実際、あの早見唯という少女の家は、かなり学校から近かったのだろう。
彼女と俺はコンビニで出会ったが、あのコンビニは自転車で帰宅し始めてから十分くらいの位置にあった。
雨で自転車の速度を遅くしていたことも考えれば、かなり高校に近い位置にあるコンビニである。
そのコンビニに、雨が上がったことを確認してから徒歩で現れたということは、彼女の家もまた、あの近辺ということだ。
つまり、高校にも歩いていける程度の距離だった。
「そして、あの日の雨は午前中で止んだ。体験入部がどれくらい続いたかは分からないけど、春休みにわざわざ呼んでおいて、五分や十分で終わらせた、という訳でもないだろう」
「……つまり、終わった頃には午後になっていて、雨は止んでいたかもしれないってことか」
「そうそう、その通り」
言いたいことが伝わったことが嬉しかったのか、霧生が柔らかく微笑む。
整った顔でそういうことをされると、本気で動揺するので止めてほしい。
「そして、ここからは想像なんだが……彼女たちは、あるミスをしたんじゃないかと思う」
「ミス?」
「そうだ。傘を持ってきた人がしばしばするミスで、特に帰りに雨が止んでいた時は頻発するミス、だよ」
ここまで誘導されれば、俺にも次の言葉は分かった。
同時に、最初の方で言われていた、「雨を知らなかったにも関わらず、傘を持参できる可能性」というものについても、おおよそ掴めた。
「傘を持って帰ることを忘れたんだな、彼女たちは。学校の傘立てに、傘を置いてきてしまったんだ」
霧生はそこで、もう一度話を整理した。
「時系列順に振り返ると、こうなる。彼女たちは、まずバスケ部の体験入部に向かうため、雨が降っている午前中に家を出た。その時は当然、傘を持っていた。そうでなければ、濡れてしまうからね。しかし、彼女たちがそれに参加している間に、雨は止んでしまい、傘は要らなくなった」
「そして、傘を置き忘れた、か」
「ああ。しかも、彼女たちからすれば、これからチームメイトになるかもしれない同級生たちと初めて出会ったわけだからね。思わず話が盛り上がって、傘のことを忘れてしまう、なんてのはいかにもありそうじゃないか」
「……だけど、多分彼女たちも気が付いたはずだよな。傘が無いって。彼女たちは、取りに帰らなかったのか?」
「そうだろうね。何しろ、その次の日は入学式なのだから」
入学式。
要するに、絶対に行かなくてはならない日だ。
どうせ明日も行かなくてはならないのであれば、わざわざ取りに帰るよりも、そのまま一晩放置しておき、次の日の帰りに持ち帰った方が効率的────。
「仮に入学式の日の雨が、天気予報で予報されていたのであれば、彼女たちも傘を取りに帰ったかもしれない。絶対に必要になるのだから。だけど、昨日の雨は違った」
「……あの雨は突発的なものだった。俺は勘で当てたけど、他の生徒は晴れだと思っていた。だったら、すぐに傘が必要になることはないのだから、一晩くらい放置してもいいや、という話になるのか」
「そうだ。そして、この判断は彼女たちに幸運を運んだ」
幸運については、言うまでもない。
入学式の日に、突発的に雨が降ったことだ。
折り畳み傘すら持ってきていない多くの生徒は、顔を青くしたことだろう。
止むまで待つか、濡れることを覚悟して帰るしかないのだから。
しかし、彼女たちは違った。
新入生の中で、バスケ部に入部希望だった彼女たちだけは、「置き傘」があったのだから。
実際のところ忘れて帰っただけだが、思わぬ有効性を発揮したことになる。
仮に掃除でもされて一斉処分をされていたらアウトだっただろうが、彼女たちが帰れていたということは、そんなことはなかったのだろう。
傘は、ちゃんと放置されたままであり、彼女たちはそれを使えたのだ。
「ああ、そうか……だから、バスケ部なら帰ることが出来て、それ以外は帰ることが出来ないのか」
ここへきてようやく、あの時の早見唯の発言──霧生の口調を借りれば、二つ目の謎──が理解できた。
入学式前にわざわざ新入生を集めるようなイベントなど、そうそうない。
恐らく、合格発表直後に行われた説明会と、件のバスケ部体験入部くらいだろう。
そして、記憶が正しければ、説明会の日は晴れだった。
要するに、新入生の中で、バスケ部の体験入部に参加した者だけが「置き傘」が出来るのだ。
ならば、あの発言も理解できる。
彼女からすれば、体験入部にもいなかった男子生徒────つまりバスケ部でもない男子生徒である俺が、全く濡れずに制服のままコンビニにいる、というのはとても不思議だったのだろう。
自分たちは「置き傘」があるが、他の生徒はそれが無いはず。
ならば、バスケ部でもないのに、どうして濡れずに帰ることが出来たのか────。
そういった意図を含んだ質問だったのだろうか。
これで、あの言葉の意味は理解できた。
勿論、仮説に仮説を重ねた根拠のない推測に過ぎないのだが、少なくとも俺にはこれ以上納得できる推理は無かった。
しかし────そこで俺は疑問を抱いた。
「あれ……?」
「どうしたんだい?」
「いや、二つほど疑問が湧いて」
無言で霧生が頷きを帰す。
言ってみたまえ、ということだろう。
「まず一つなんだが、バスケ部の彼女たちが置き傘のおかげで濡れずに帰ることが出来たのなら、俺が靴箱の近くで目撃したあの生徒はどうしたんだ?その推理では、彼女もバスケ部だよな?何故帰ることが出来ていない?」
「まあ、普通に考えて、彼女は忘れずに傘を持って帰った生徒なんだろうね。だから、その日は傘を持っていなかった」
「それにしても、他の生徒の傘に入れてもらって帰る、というのが出来なかったのか?彼女以外のメンバーは傘を持っていたんだろう?」
「まだそこまで仲良くなかったから遠慮したか、家の方向が違いすぎたとか、そういった理由じゃないかな?」
こればっかりは本人に聞かないと分からないね。
そんなことを、軽く霧生は言った。
尤も、本人に話を聞けたなら、最初からここまで悩んではいないが。
「それで、二つ目の疑問は?」
「……彼女のバスケ部云々の言葉の意味は分かったんだが、その前の何で帰れているのかって言う言葉は、やっぱりおかしいぞ。何故彼女は、俺が折り畳み傘を持っている可能性を除外しているんだ?」
考えてみれば、そこがおかしい。
昨日、全員が全員、あの雨の中立ち往生したわけでは無い。
彼女だって、折り畳み傘で帰る生徒の姿くらい見ただろう。
だというのに、何故彼女は俺が折り畳み傘を使って帰宅している、という可能性を考えなかったのか。
彼女の視点から見て、バスケ部でない俺が濡れずに帰っていたのは、確かに不思議に思えただろうが、「折り畳み傘で帰ったのだろう」と考えれば済む話だ。
何故、彼女はそういったことが思いつけなかったのだろうか。
「そりゃあ、君の自転車を見たからだろう」
「自転車?」
「ああ、自転車で通学する生徒は、車体にシールを貼るだろう?」
あっ、と声を出しそうになった。
確かに、自転車のカバーには校章の印刷されたシールが貼ってある。
入学式の朝、確認した記憶もある。
恐らく、彼女はコンビニに入る際、俺の自転車を見たのだろう。
それで、店内に同級生がいることを知った。
その同級生が、制服姿のまま濡れずにいたため、初めて驚いたのである。
「折り畳み傘を差したまま自転車を運転する、なんてやり方で帰宅したなら、けっこう濡れるだろう?特に、肩のあたりは傘で覆えていないから、悲惨なことになるはずだ。君は男性で、肩幅も大きいしね。仮に自転車に乗らず、手押しで帰宅したとしても、そうそう状況は変わらないだろう」
「だけど、俺はそうじゃなかったから────」
そう言えば、あの時の彼女は何故か俺の肩のあたりを見ていたな、と思い出す。
俺はあの日、レインコートを学校の靴箱の前で着込んだ。
そして、雨が止んでから、コンビニで脱いでいる。
要するに、俺の体で濡れている場所は皆無だったわけだ。
強いて言うなら、自転車に乗った時、顔面は多少濡れていたかもしれない。
それによって、彼女からすれば「制服が一切濡れていないのに、顔だけ雨に打たれている男」に見えた、ということになる。
確かに、折り畳み傘ではできない芸当だろう。
どちらかと言えば、傘を使えば顔だけは守られるのだが、あの時の俺はその逆だったのだから。
こういった思考の流れの元、彼女は俺は折り畳み傘など使っていない、と判断した。
だからこそ、彼女の視点ではより不思議になる。
自転車で帰ってきているにも関わらず、制服がほとんど濡れていないのだから。
そのせいで、彼女は思わず声をかけてきた────。
これで、全ては説明できた。
この、本人に問いただせばそれだけで解決できる、小さな小さな「日常の謎」は。
第二図書室の中で、ひっそりと解き明かされた。




