解決 或いは真の推理(Case 1 終)
「これで、どう……かな?」
不意に、霧生の声が響いた。
それも、多少不安そうな声である。
つられて前を見れば、何故かつい先ほどまでとは打って変わって、怯えたような顔をしている霧生がいた。
どうやら、こちらが何も言わずに考え込んでいたため、不安になったらしい。
「いや……凄いな。ありがとう。何か、スッキリした」
「そうか……」
良かった、と霧生が小さく呟く。
それから、まるで言い訳をするようにして早口でまくし立てた。
「ごめん、昔から僕はこうで……その、思いついたことがあると、所かまわず推理を言ってしまう癖があって、その……ええと」
改めて霧生の姿を見つめると、いつの間にか、霧生が身に纏っていた雰囲気は大きく変化していた。
ほんの少し前まで彼女を包んでいた、探偵の雰囲気。
自信、と言ってもいい。
それが、いつの間にか消え失せている。
霧生の話から推測するに、どうやら先ほどまでの雰囲気は、スイッチが入った時しか見られないもののようだ。
推理が終わったことで、霧生のスイッチも切れてしまったのだろう。
そして、急に恥ずかしくなったらしい。
「いや、解き明かしてくれて助かったよ。推理力がすごいんだな、霧生は」
「……まあ、喜んでもらえたら、その、何よりだ」
「ああ、こちらこそ」
実際のところ、あの日早見唯が話しかけてきた理由が分かったところで、大きな変化があるわけでは無い。
ただ、俺がもやもやしなくなっただけ。
少しだけ満足しただけだ。
もっと言ってしまえば、霧生が推理の中で言っていた通り、この推理には特に証拠はない。
こう考えたら、納得できる、という空想の産物だ。
もしかすると、真相は全然違っているかもしれない。
だが、日常の謎というのは、元からそういうものだろう。
「まあいいや」で放っておいてしまえば、それで済む、小さな謎たち。
それを解き明かそうというのは、極端な話、探偵の自己満足にしかならないのだから。
だが、今俺が感じているように、分からないことが、仮説とはいえ分かりやすくなると、スッキリする。
それだけで、この時間には価値があったような気がした。
その思いを、俺は形にする。
「いや、本当に推理力がすごいと思う。話を聞くだけでも、楽しかったよ」
そう言うと、霧生は少しだけ照れたような顔をした。
なまじ中性的な美形でそれをやられるため、見栄えが恐ろしく良い。
どことなく眩しいものを見たような気がして、俺は目を細める。
だが、霧生は突然、その顔をかき消した。
「……ただ、本質的には趣味のいいことではないよ、これは。今度、僕がこんなことを言い出したら、止めてくれ」
その言葉には、やけに真剣みがあった。
不必要なほどの緊張感。
疑問を感じた俺は、すぐさま質問をする。
「……何でそんなことを言うんだ?純粋に凄いと思うんだが……」
「言いもするさ。……謎を解くということは、誰かの心に入り込む、ということだからね」
最後の一文。
それには、異様なほどの圧が込められていた。
まるで、言い聞かせるようなしっかりとした口調。
その言葉に押され、俺は思わず口を閉じる。
そうやって、第二図書室内が妙な空気に包まれていると。
突然、頭上に設置されている学内用のスピーカーから、音割れした音声が零れ始めた。
<……現在、午後六時五分前です。下校完了時刻が迫っています。生徒の皆さんは、帰る準備をして、速やかな下校を……>
「ああ、もうそんな時間か」
放送に引きずられるようにして時計を見れば、確かにもう下校時間だった。
そう言えば、推理を聞く前────今を手に持つ推理小説を読み終わった時点で、既に夕方だったな、と思い出す。
霧生の推理を聞いているうちに、時間はさらに進んだようだ。
そう思った瞬間、目の前で未だにもごもごと言っていた霧生が顔色を変えた。
「あっ、不味い!」
「……どうした?」
突然バタバタと慌てだした霧生に、俺は問いかける。
すると、多少気まずそうな顔で霧生はその手を挙げた。
見てみれば、そこには一冊の本がある。
「君が読んでいた小説、この本に続編が載っているんだ。まあ、続きと言っても、短編だけどね。君が読み終わった時、ついでに勧めようと思ってたんだけど……」
ああ、とその言葉で俺は一人得心する。
俺が本を読み終わった時、突然話しかけてきたのはそういった理由もあるらしい。
何かと気が利く人である。
「でも、ここの本は借りられないから……」
「ああそうか、明日また来るしかないのか」
家に持ち帰られない以上、そうせざるを得ない。
それを申し訳なく思ったのか、また霧生は頭を下げた。
「ごめん、時間を使わせた」
「いや、いいよ。……またこの部屋に来るから。そうしたら、読めるんだろう?」
手を振ってそう言うと、霧生の顔が少し微笑む。
「ぜひそうしてくれ。お茶くらいは用意しておくよ。僕も、普段はずっとここにいるから」
彼女のそんな言葉を背に、俺は第二図書室を退去した。
そして、俺が帰宅している最中のことである。
前日と違って晴れた夕暮れの空の元、自転車を走らせていると、ふとあるコンビニが目に入った。
昨日も入店した、件のコンビニである。
早見唯に声をかけられた場所だ。
その光景に引きずられるようにして、俺は先ほどまでのこと────霧生の推理を思い出す。
──いやあ、しかし見事だったなあ……。
そんなことを、呆けた顔で思った。
霧生が頭がいいことは知っていたが──何しろ入試成績一位だ──まさか推理面も優れているとは思っていなかった。
あのコンビニでの出来事について話したことについても、せいぜい面白い推測でも聞かせてくれるかな、という悪戯心でしかなかったのだが、見事に霧生は解き明かした。
──しかし、あの推理からすると、早見唯は俺を見た時、かなり驚いただろうな……。
こんなことも、同時に考える。
何しろ、彼女の視点では、雨の中、自転車で突っ切って来たように見える生徒の服が、ほとんど濡れていないのだ。
あるはずの物──この場合濡れた跡──が無い、というのは、それだけで不思議だっただろう────。
こう、考えた時。
突然、俺の頭に思いつくことがあった。
──あるはずのものが、無い……?
瞬間、俺は自転車のブレーキを入れる。
キイ、と音を立てて、自転車は停止した。
さらに、歩道が端の方に、俺は車体を持っていく。
そして、俺は目を閉じて考え込んだ。
足を止めたのは、思い出すことがあったからである。
今の思考の中で、俺の脳が、何かの違和感を感じ取っていた。
──さっき、俺は「日常の謎」を一つ、霧生に解いてもらった。
それは、間違いない。
だが、もう一つ。
俺は、「日常の謎」について知らなかっただろうか。
何か、忘れてはいないだろうか。
幸い、「それ」を目撃してから、たいして時間は経っていない。
故に、俺は辛うじて日常に埋もれたそれを掘り当てた。
──そう言えば、入学式の挨拶……。
あの時、霧生がやっていた、つまらない挨拶。
いかにも模範的な、普通の挨拶。
そして、それを聞きながら、何故かざわめいていた教員たち。
俺が初めて体験した、日常の謎────。
今まで経験したことが、このタイミングで、繋がろうとしていた。
少なくとも内容面では大きな瑕疵はない、霧生の挨拶文。
そしてその霧生が、第二図書室に収められている、小鳥遊文庫の寄贈者と親戚という事実。
司書の話では、霧生ならあの小鳥遊文庫も、一部なら持ち帰ることが出来るようだ。
そのくらい、あの本の寄贈者である小鳥遊吾郎と、霧生は親しかったのか。
或いは、寄贈者から霧生にはそういった対応をするよう、指示でもあったのか。
そして、その小鳥遊吾郎が本を寄贈したのは、彼が明杏高校の出身だったから。
わざわざ彼の寄贈本に第二図書室という部屋を用意していることから考えて、学校としても彼の存在を軽く扱っているわけではないのだろう。
例の司書の様子からも、それは推し量れる。
入学式の翌日でありながら、彼女は第二図書室に霧生がいることを知っていた。
恐らく、そのくらい霧生は職員の間で有名人なのだろう。
ならば、あの時の挨拶文のおかしさが見えてくる。
小鳥遊吾郎の親戚である霧生が入学し、かつ入学式の挨拶までするというのであれば。
あの挨拶には、あるはずのものが、欠けている。
いや、あるはずとまでは言えないが、いかにもありそうなものが、無いのだ。
「何で、霧生は……」
思わず、路上で俺は声を出した。
「霧生は、挨拶文の中で、小鳥遊吾郎について触れなかったんだ……?」
霧生の挨拶は、少なくとも俺の目からすれば、特におかしなところは無かった。
内容面では、まあこんなものだろう、といって良いレベルだ。
だというのに、教員たちはいかにも不思議そうにしていた。
霧生の態度にも、行動にも瑕疵はない。
服装だって、整えられていた。
にもかかわらず教員たちが不思議がっていたということは、それ以外の点でおかしな点があった、ということだ。
────そのおかしな点こそ、「挨拶文の内容が変更されていた」という点である、と断言しては、理論の飛躍が過ぎるだろうか。
本来ならあの挨拶文は、当たり前だが、前々から用意されてあったもののはずだ。
入学式の最中でも、俺自身が推測した。
教員たちと何度も話し合って、練り上げられたものなのだろう、と。
ならば、その挨拶の内容に、含まれてもよさそうなものがある。
それが、小鳥遊吾郎の存在だ。
「かつてこの明杏高校に在籍していた小鳥遊吾郎氏のように~」、だとか、「小鳥遊吾郎という先達の功績に続いて~」だとか言う一文が、あの挨拶には無かった。
霧生が彼の親戚であることも考えれば、あってもよさそうなものだが。
そんな言葉が、あの挨拶には存在しなかった。
もしそんな言葉があったら、さすがに俺も覚えている。
小鳥遊文庫について聞いた時、思い出していただろう。
ああ、入学式で言っていたあれか、と。
全部とは言えないまでも、俺はそれなりに真面目にあの挨拶を聞いた。
それは単に、霧生に興味があったからだが、その分、聞き飛ばした、という可能性は低い気もする。
俺の脳が、次々とこれらの事実を繋いでいく。
ここからは、完全な妄想だ。
霧生の言葉を使えば、「暴論」。
しかし、霧生のそれと同じく、何故かこの妄想は、非常にもっともらしく思えた。
もしかするとだが────本来、あの挨拶文には、小鳥遊吾郎に関する言葉も入っていたのではないだろうか。
かつて、大量の蔵書を寄贈できる程度の人物になった卒業生の親戚が、入学してきたのである。
学校の実績をアピールすることも含めて、学校側から原稿に含めることを提案してもおかしくはない。
霧生もまた、最初はそれを受け入れ、挨拶文を作り上げたのではないだろうか。
そして同時に、入学式のリハーサル、というものも、霧生と教員は行ったのではないだろうか。
根拠はないが、実行していてもおかしくはない。
さすがに新入生代表にぶっつけ本番でスピーチをやらせるわけにもいかないだろう。
このせいで、教員たちは──あの司書ですら──霧生の存在と、彼女が小鳥遊吾郎の親戚で、小鳥遊文庫を持ち帰ることのできる立場である、と知ったのだ。
勿論、挨拶の内容も。
そして、恐らく。
本番の入学式で、霧生はその原稿通りに読まなかったのではないだろうか。
彼女は勝手に、アドリブで文章を作り、小鳥遊吾郎の存在を挨拶から消した。
だからこそ、彼女の読んだ文章は、つまらないものになり────。
同時に、教員たちはざわめいたのではないだろうか。
予定されていた原稿ではない、と気が付いたがために。
しかし、まさか入学式の最中に無理やり演説を止めるわけにも行かない。
外聞が悪すぎる。
そのために、教員たちは不思議に思いつつも、強制的に霧生を壇上から下ろすようなことはせず、少しざわめくだけに留まったのではないだろうか。
……勿論、これらには根拠がない。
ただの憶測だ。
しかし、一つだけ、傍証がある。
少なくとも、霧生が入学式のリハーサルに参加したことについては、状況証拠があった。
先程の推理。
早見唯が俺に話しかけてきた理由を、霧生は「置き傘」を軸として鮮やかに解き明かして見せた。
そして俺は、あの推理は霧生の優れた頭脳が生み出したものだと思った。
だが、それにしては、鮮やかすぎた気もする。
霧生と俺は、殆ど初対面だ。
普通、初対面の相手に話しかけることには、多少の勇気がいる。
にもかかわらず、何故霧生はあんなにも自信をもって、推理を語ることが出来たのか。
彼女たちが置き傘をしていたに違いない、と断言できたのか。
それは、霧生自身が「置き傘」を見ていたからではないだろうか。
普通、リハーサルというのは、本番の直前に行う。
入学式の前日──つまりバスケ部の体験入部の日──霧生は入学式のリハーサルのために、学校を訪れていたのではないか。
そしてそこで、傘置き場に置かれている傘たちを見た。
早見唯たちが置いていった傘だ。
何なら、バスケ部の体験入部の様子だって見たのかもしれない。
だからこそ、自信をもって推理を述べることが出来た。
もう一つ、妄想を述べることもできる。
入学式の日、雨が降り出した時のことだ。
あの時、予測できない雨に多くの生徒が悲鳴のような声をあげた。
その中で、霧生の声を聴いた記憶もある。
霧生は確か、こういっていた。
──あー、雨か、と。
今思えば、突然の雨に遭遇した割には、冷静すぎる感想の気もする。
あれも実は、理由があるのではないだろうか。
予測できない雨があっても、困らずに帰ることが出来るのなら、それは当然だが、雨の中で帰る手段を持っていたから、ということになる。
それこそ、バスケ部の部員たちのように。
つまり、あの時の霧生がああも冷静だったのは、霧生が濡れずに帰る手段を持っていたから、とも言える。
霧生自身、推理の中で雨の中帰る手段について言及していた。
折り畳み傘。
迎えの車。
レインコート。
そして────置き傘
実は、霧生も「置き傘」をしていた一人だったのではないだろうか。
霧生の推理では、体験入部で入学式の前日に学校に来ていたバスケ部志望の生徒だけが、傘を置いていくことが出来た、と言っていた。
だが、それともう一人、入学式のリハーサルのために学校に来ていた霧生もまた、傘を忘れていった一人ではないのだろうか。
そして、早見唯たちとほとんど同じ状況だったからこそ、霧生は俺の話だけで、謎を解くことが出来た。
何せ、霧生にとっては謎ではなんでもなかったのだから。
──しかし、理由が分からないな。何故、隠す?
俺は、そう一人ごちる。
もしこの推理が合っていたとしたら、霧生は挨拶の場で教員を欺いてまで小鳥遊吾郎の存在を抹消し、かつそれにまつわる行動を、俺に話すことを避けた、ということになる。
何故、そこまでしたのだろうか。
──実は、小鳥遊吾郎みたいな親戚と、滅茶苦茶仲が悪かったりするのかな……。話にも挙げたくないくらい。
あまり考えたくはないが、嫌な想像が頭の中に浮かんでくる。
家庭の事情か、何かもっと複雑なことでもあるのか。
そう考えたところで、ふと霧生の言葉が頭の中に蘇った。
「謎を解くということは、誰かの心に入り込む、ということだからね」
──なるほど、至言だな。
ぼんやりと、俺はそう思う。
現に今、俺は霧生の行動にまつわる謎を解くことで、霧生の家庭の状況にまで想像を働かせようとしている。
向こうからすれば、余計なお世話以外の何物でもないだろう。
なるほど確かに、これは────趣味が悪い。
──なんで霧生が、推理をし終わった時に恥ずかしそうだったのか、分かる気がするな……。
そこで、俺は思考を打ち切った。
明日も本を読むため、俺は第二図書室に向かう。
ならば、そこで会うだろう霧生について、これ以上無責任な妄想をするわけにもいかないだろう。
何となく、気まずくなる。
そう考え、俺はサドルに座りなおし、自転車をもう一度進ませた。




