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二章 ノルディア王国の奇跡

 僕の涙はとうに枯れた。悲しみが怒りに変わりどうすれば噴かしの竜を殺せるか頭を動かしている。歩き続け気づいたときには三つ目の貿易市場のテントにたどり着く。何人かはそこで倒れたり、泣き崩れたり。茶色いフードの男が空いている僕の左手を強く握る。その人は臭くない。

「ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」

「いえ。僕は何も」

 力強い握手の反面、僕は手に力が入らなかった。握手を終え貿易市場のテントを見る。初めてまともに見る貿易市場のテントだ。食料や食器やら武器が売っている。その中で場違いなテントを見つける。あれは画か? 僕は歩いていく。木の柵に少し汚い紙、そこに画が書かれている。全部人だ、どれもすごい上手く書けている。その中の一枚だった。僕はその絵を見て頭が真っ白になる。三人が笑顔で顔を寄せ合って並んでいる画だ。

「おい、冷やかしなら帰りな。聞いてるのか! おい!」

「うるせえ爺だなあ! いま見てんだろ!」

「なんだこのクソガキ!」

 僕はベンと店主らしき、白い髭をこれでもかと生やした店主に画を指さして尋ねる。

「この画っていくらします?」

「お、買ってくのか? 一万ゾレムだ」

 僕は荷物持ちに預けた金貨袋……誰もいない場所を眺めて現実を思い出す。荷物持ちはもういない。

「すみません、お金が無いんで」

「やっぱり冷やしじゃねえか! なんならその槍と交換でもいいぞ!」

 店主は寄越せとばかりに右手を差し出す。僕は竜殺しの槍を握りなおす。

「これは駄目です。いま確実に殺したい奴がいるので」

 僕は噴かしの竜の赤い眼光を嫌でも思い出す。僕は改めて三人の画を眺める。お金が無いなら諦めるか。

「お邪魔しました」

 僕は店から離れようとした。王都はこの道を真っすぐ行けば着くのだろう。

「おい! ちょっと待て!」

 店主が叫んでいるが僕は無視する。

「戻って来いクソガキ共!」

 その言い草に僕は足を止めゆっくりと振り返る。荷物持ちに呼ばれた気がした。店主は必死に手で僕たちを招いている。僕とベンは店主の下まで戻る。

「なんですか?」

「誰か死んだな、見れば分かる」

「荷物持ちがひとり」

「荷物持ちがひとりやふたり死ぬなんて珍しいことじゃねえ。どんな奴が死んだ?」

 僕は荷物持ちを思い出す。

「臭くて酒飲みで名前が無くて……色々教わり、助けられました」

「名前がねえ? そんな荷物持ち聞いたことねえな」

「名乗ったら稼げるのかと」

 店主は舌打ちをする。

「野郎か」

 ベンが一歩前に出る。

「知ってんのか?」

「クソみてえな人生送っているとか言ってる奴だろ。なんでえ、あいつ死んだのか? どんな死に様だったよ?」

「大木に押し潰されて」

 店主は笑い声をあげる。

「らしい死に方じゃねえか」

 ベンが「てめえ」と店主を殴りそうだったので槍を前に出してベンを制す。ベンも店主も驚いていた。

「僕たちもう行きますね」

 荷物持ちはもういないんだ、話したってしょうがない。

「そいつの名前はガイだよ」

 荷物持ちと過ごした記憶が一気に蘇る。

「ガイ」

 それが荷物持ち、ガイというのか。つい僕は笑う。

「何が可笑しいんだ?」

「そうなるとあんたは、大ホラ吹きで詐欺師でクソ野郎だ」

 店主は吹き出し僕と店主はふたりして笑い声を上げる。ベンは何がなんだか分からず僕と店主の顔を交互に見て困っている。店主は笑いすぎて涙を拭う。

「あーあ、このご時世久々に笑わせて貰ったよ! その画が欲しいんだろ? 持って行きな!」

「でもお金は」

 店主は手を振る。

「いらねえよ、ただ俺は馬鹿に自分の画は売りたくねえ。この画のどこが気に入った?」

 僕は三人肩を並べて笑顔を見せている画を眺める。とても懐かしく、一番愛おしい人。

「僕の父さんと母さんです。真ん中がゴズウェルさん」

 ベンが画を覗き込む。

「これが」

 店主は画を取って僕に無言で渡す。

「三人とも元気か?」

「皆死にました」

 僕の言葉に誰も何も言わない。僕は久々に見る父さんと母さんの顔に少し気が和らいだ。

「画、ありがとうございます」

 僕は画を見ながら店を後にする。

「王都に行くんだろ?」

 僕は足を止め振り返る。

「ええ」

「なら荷馬車に乗って行け、その槍持ってればタダで乗れる」

「ありがとうございます」

 僕たちは遠くに荷車と馬を見つけ近づいていく。見慣れない甲冑を着た男ふたりが立って周囲を眺めている。僕に、というより竜殺しの槍に気づいたひとりが、もうひとりの男を肘で突く。

「その竜殺しの槍はどうした?」

「ゴズウェルさんの槍です。あの人は死にました」

「あんたまだ子供だよな? 流石に竜殺しの槍は使えこなせないだろう。竜に殺されるのがオチだぞ。預かろうか?」

「別に殺されるのは構いません。殺されようが焼かれようが確実に殺したい奴がいる。なのでまだ持っています」

 男たちは顔を見合わせる。

「そ、そうか。竜殺しなら金はいらん。乗ってくれ」

 僕は刀身に気をつけながら荷車に乗る。槍を横に足元に置く。棚のような椅子に座る。初めての荷車だ。驚きも何もない。僕の顔を見ながらベンも荷車に乗る。

「なあその……喋っていいか?」

「いいに決まってるでしょ。なに?」

「その……ごめん、何でもないよ」

 ベンは顔を下げる。僕はベンが何を言おうとしたのかまったく気にならなかった。

「王都に行って竜の殺し方を調べて、あいつの胸に突き刺してやるんだ」

 僕はそれを無意識に呟いていた。

「おい」

 髭面の店主が荷車に来た。僕は返事をせず顔だけ向ける。

「ガイの野郎はクソ野郎だ。ただしどれだけ体裁を整えている野郎よりも遥かに真っすぐな男だ。どこでそんなことになったかまでは聞かねえ。そのクソ野郎がお前らをここまで届けたんだ。堂々と生きろ」

 僕は店主がたぶんそうだなと思った。彼は親しい友人なのだろう。

「もうひとつ面白い話しましょうか?」

「なんだよ?」

「僕らが来た道の先へ行くと森が完全に崩壊した場所に着きます。どれが道かもう分からない状態ですが、墓がいくつかあってそのうちのひとつに白い✕印。それがガイの墓です」

「白い✕印。そうか。お前らふたりまず軍へ行け」

「軍?」

「そこへ行けば何か分かる。じゃあな」

「あー」

 帰ろうとする店主に声をかけ足を止める。

「荷物持ち、ガイの画って書けますか? 金は幾らでも用意します」

 店主は頷く。

「あとで取りに来い」

「ありがとうございます」

 そうして髭面の店主は帰って行った。代わりに大きな鞄を手にした男が息を切らしながら荷車を覗き込む。

「同乗しても?」

 僕とベンは顔を見合わせる。

「もちろんどうぞ」

「ありがとう! 助かるよ!」

 そんな人が次から次にやってくる。どうも竜殺しの僕が乗っているというだけで、それに付いて行こうと皆考えているらしい。僕は槍を持っているだけで竜殺しじゃない。それがまた腹立たしく僕自身を苛立たせる。それが同情した人に伝わっているのか分からないけど誰もひと言も喋らない。そして荷車がゆっくりと動き出す。




 ノルディア王国の入り口で出迎えたのは高い城壁。そして大きすぎる門に門番の兵士。兵士が荷車の中を覗いて全員降りろと言う。僕は竜殺しの槍があるので同乗していた人へ向け腕を外へ向ける。

「僕は槍があるので、皆さん先にどうぞ」

 それを聞いて皆が立ち上がりひとりひとり降りていく。皆が僕に「ありがとう」と言って降りていく。感謝されているのに何故か腹が立ってしまう。きっとそれが僕じゃなくて竜殺しの槍に向けられているのだろうと思ったからだ。兵士がひとり荷車を覗き込んで槍に驚く。

「あんた竜殺しか?」

「噴かしの竜を殺しに」

 自然と抵抗なく言葉が出た。それが今の目的だ間違いない。竜殺しの槍を持ち上げようとして兵士が手を上げる。

「このまま乗り続けてくれても構わない、軍へ行くならこの荷馬車は軍の駐屯地に向かう」

 僕はまた座りなおす。ベンが何か言いたげに僕の顔を見ている。

「なに?」

「とりあえずどっかで休もうぜ。飯も食わねえと」

「でも僕たちお金ないよ?」

「なくても食わなきゃ! シンザ飲んでもねえし食ってすらねえじゃねえか!」

「僕はいいよ。お腹空いてない」

 ベンはこれでもかと首を横に振る。

「奴隷だった俺が言うんだから間違いない。お前は限界だ。どっかで休むぞ、いいな?」

 分かったよ。そう言わず僕は頷く。

「少しだけ、ほんの少しだけ眠る。着いたら教えて」

「分かった」

 僕は目を閉じる。

「着いたぞ」

 一瞬の出来事に僕は驚く。もう着いたのか。荷馬車から降り竜殺しの槍をそっと降ろす。軍の駐屯地で合っているのだろうか。甲冑を着た兵士や、綺麗な刺繍の入った服を着た人たちが全員僕を、僕が持っている竜殺しの槍を見ている。

「あれが竜殺し」

「まだ子供じゃないか」

 真上に昇る太陽が異常に眩しく感じる。僕は目を細めてしまう。

「さてと、俺たちはどこへ行けばいいんだ?」

 僕の代わりにベンが行き先を探してくれている。

「こっちだ竜殺し」

 ひとりの兵士が僕たちを呼ぶ。

「あっちだってよ」

 僕はベンに着いて行く。そして階段があることに気づかず転んでしまう。

「おい大丈夫か!」

 ベンが僕に手を伸ばす。

「ごめん。ボーっとしてた」

 しっかりしないと。瞬きを数回して、僕はいま階段を登ろうとしていたことに気づく。木の建物に木の階段だ。

「ここは?」

「軍の駐屯地だよ。ほら」

 ベンが僕の手を握って引っ張ってくれる。竜殺しの槍を落とさないようにそれだけは力強く握る。階段を上がって、扉が開いて、部屋に入って。

「将軍のオスウェルだ。遠路はるばる良く来てくれた」

誰かが話している。僕はまた数回瞬きをしてしっかりと立ちなおす。甲冑の上に蒼い布が掛かっている。整った髭を生やしたこの人が将軍か。

「早速なんだが」

「そ、その前に! よろしい、ですか」

 ベンが大声をあげ声を下げる。

「なんだ?」

「ちょうどその……その……黒い竜に襲われて仲間が死んだん、です。先にこいつ……シンザを休ませたい。です」

 オスウェル将軍は立ち上がる。

「これは失礼した! 先に休んでくれ! おい!」

「は」

「いや違う! 待って! 待ってくれ!」

 僕は誰に向かってか当てずっぽうに手を振る。

「なんだね?」

 僕は竜殺しの槍を片手であげ将軍に見せる。

「これの使い方をご存知ですか?」

「知らないのか? 教わらなかったと?」

「はい。これを持っていたゴズウェルさんは死にました。僕は竜殺しでもなんでもありません。ただ、今はどうしても殺したい奴がいる」

「それは非常にまずい」

 オスウェル将軍は椅子に座る。

「その槍の使い方は門外不出だ。そうしないと悪人に利用されかねないと。この国で竜殺しはいない。弱ったな」

「どうしても噴かしの竜を殺したい」

「あの竜と出会って生き延びたのか!」

「えっと……は、はい!」

 ベンが代わりに返事をしてくれた。

「使い方を知らないとわいえ、その槍を片手で上げ噴かしの竜から逃げ切った。それだけでも十分だ。申し訳ないがここは軍の駐屯地、部外者を寝泊りさせる訳にはいかない。街の宿屋に案内してやれ」

「は」

「待ってくれ! 俺たち金が無いんだ!」

「竜に襲われたなら無理はない、ただ部外者に資金援助は禁じられている」

「そんな」

「ただそうだな。名前は?」

「ベン。です。」

「ベン、君の財布はどっかに落ちているだろうな。見つけたら届けさせるよ」

「は?」

「案内してやれ」

「こちらですどうぞ」

 僕はベンに手を引っ張られ半ば無意識に歩いている。今どこを歩いているかも分かっていない。

「ここが宿だ、飯も食える。それとお前の財布が落ちていた」

「それ俺の財布じゃ」

「何訳の分からないことを言ってるんだ。これはお前の財布だ」

「あーうん。そうか俺の財布か」

「まずはゆっくり休んでくれ。こちらでも竜殺しの槍について調べておこう」

 いつの間にか机の上に食事が並び、僕は椅子に座っている。黄色いスープが目に入った。僕はいつの間に。

「どこここ?」

「街の宿屋さ。とりあえず食えよ。ほら」

「あーうん」

 僕はスプーンを取ってスープを飲む。味がしない。それに荷物持ちがいないことに気づく。

「荷物持ちは?」

「は?」

「荷物持ちがいないけどどこ行ったの?」

「お前……大丈夫か?」

「え?」

 ベンに言われてスプーンの手が止まる。そうだ荷物持ちは死んだんだ。そうだガイは死んだんだ。

「そうだね。彼は死んだんだ、死んだんだ」

 僕はベンに顔を見られないように肘を立て顔を手で覆う。つい可笑しくて笑ってしまう。僕は一体何を言っているんだ。ベンが強引に僕を引っ張る。

「駄目だ、休もう」

 気づくと僕は知らないベッドで眠っていた。いつの間に、そしてここはどこだ。窓を見ると夜なのが分かる。そして黒い竜、噴かしの竜の赤い眼光が窓の外から僕を覗いた。




 僕は慌てて目を覚ます。ベッドで眠っていたことに気づかず。盛大に転げ落ちる。同時に床に落ちていた竜殺しの槍を両手に持って震えながら窓を確認する。

「おい」

「うわあ!」

 声に驚いて体を引き部屋の壁にぶつかってしまう。ベンだと気づいて腰が抜け座り込む。

「驚かさないでよ!」

「わ、わりい。けど、どうしたんだよ?」

「窓に竜がいた。あの黒い竜だ」

「落ち着け、竜はいない」

「いたんだ! 砂漠で見た! 森で見た! あいつがここにいたんだ!」

 扉が強くノックされ僕の体が少し跳ねる。扉が開いて太った男の人が姿を見せる。

「おい、あんまりうるせえと出てって」

 男は僕を見て何も言わない。僕は息を切らして槍を両手でしっかり握る。

「おい大丈夫か?」

「いや駄目だ」

 ベンはゆっくりと首を横に振り続ける。

「いや駄目だ助けてくれよ。竜にガイが殺されたショックだと思っていたけど明らかにおかしい」

「街医者、いや! 竜殺し……こいつは軍医だな。お前はその小僧から目を絶対に離すな。呼んで来てやる」

「ありがとう」

 僕は竜殺しの槍を見る。竜はここにいないのか? 不意に槍に伸びた手に驚いて僕は立ち上がろうとする。ベンや兵士たちが僕を一斉に押さえつける。

「落ち着け医者だ! 医者だって! 竜はいねえ! いないんだ!」

 僕はベンの顔を真っすぐに見る。

「竜が」

「竜はいない。落ち着け。いないんだ」

 僕はそう言って両手の力を緩み兵士がそっと竜殺しの槍を持っていく。僕は訳も分からずその場に座り頭を抱える。

「彼はどこからおかしかった?」

 知らない男の人の声がする。

「えっと。王都に来る直前は画の店主と普通に話してた。王都に……そうだ王都だ。王都に来た瞬間から一気に疲れたような。ガイが、俺たちの仲間が殺されてから飲まず食わずだった。それで疲れてるから休ませようとして。けど明らかに様子がおかしい。馬鹿な俺でも分かる」

「シンザ、シンザ」

 知らない男の人が僕を呼ぶ。

「いま窓に竜はいるかい?」

 僕はそっと窓を見る。赤い眼光が窓の外から僕を覗いている。

「いる。いま確実に僕を見ている」

「将軍をここへ」

「こんな夜更けに」

「叩き起こして構わない。緊急だすぐに呼んでくれ」

 誰かの足音が部屋を出ていく。僕は窓の外にいる黒い竜、その赤い眼光からずっと目が離せないでいる。

「シンザ。そのままでいい聞いてくれ。恐らく、知らない人が急に部屋に現れる。いいかい、その人は君の味方だ。安心してくれ」

 僕は顔を上げる。出会ったことのない人が僕を見下ろしている。綺麗な服を着ている。整った髭を生やしている。

「つまりあの噴かしの竜に眼をつけられたということか?」

「はい。同じ症状です。極度の疲労、幻覚、そして覗き込む眼。全て一致します」

 綺麗な服の人が大きく息を吐く。

「よりによってか」

「な、なあ。俺にも分かりやすく説明してくれないか? 心配なんだ」

 綺麗な服の人がベンに体を向ける。

「噴かしの竜、口から炎を吐かずに噴かす癖の特徴からそう呼ばれている黒い竜。竜そのものは脅威だが奴だけは別格だ。何人もの竜殺しを葬り、国をいくつも滅ぼし、そして人を惑わす得体の知れない幻術を用いる。そうやって何人もの竜殺しを疲弊させて楽しみ時期を見て殺しに来る」

「じゃあシンザは」

「いま噴かしの竜に狙われている」

「何か出来ることはねえのかよ?」

「今は薬で眠らせることしかできない」

「薬? そんなんで」

「無理だ。これは疲弊させないための応急措置だ。安心してくれ眠り薬は浅いものだ。毒じゃない」

 知らない男が何か僕に渡してくる。

「シンザ、これを飲むんだ」

 知らない男の手には黒い小さな玉が三つ。それにコップに入った水。

「僕はいいよ、お腹すいてない。王都に行って竜の殺し方を調べて、あいつの胸に突き刺してやるんだ」

「そうだな、だがまずこれを飲むんだ」

「なあ、俺に……俺にその薬貸してくれないか?」

 知らない男が振り返りベンに黒い小さな玉とコップを渡す。今度はベンがそれを差し出して来る。

「いらないって言ったでしょ」

「ガイ……荷物持ちがこれを飲めって。元気が出るってさ」

 荷物持ちが飲めと言うなら飲もう。僕は小さな玉とコップを受け取り、口に入れて水を飲む。瞼が自然と下がっていく。そして怖いぐらい体が重くなっていく。




 目を覚ませば闇に染まった森の中、焚火の灯だけが周囲を照らす。イビキのうるさいベン、焚火をじっと眺めている荷物持ち。僕はゆっくりと起き上がる。

「寝ろ」

「変な夢を見た」

「夢? どんな夢だ?」

「知らない国に行ったんだ。よく思い出せないけど、窓から黒い竜が僕を覗いているんだ」

「そらこええな。王都までもう少しだ。俺とお前はそこでお別れだ」

「僕がまた雇いなおすよ」

「ほう、そりゃあどうしてだ」

「皆で一緒に王都で暮らそうよ! そうすれば僕はひとりじゃないし寂しくない! 荷物持ちもベンもいる! 雇う金が足らないなら一生懸命に働くよ!」

 荷物持ちは笑う。

「俺にクソガキ共の面倒を見ろってか?」

 僕は首を横に振る。

「僕とベンは自分でしっかり働くさ! 家を買って! 三人で暮らすんだ! 毎日毎日笑い合って! ずっと一緒に暮らそうよ! それに」

 僕は口を閉ざす。

「それに? なんだ言えよ」

「どこを探しても父さんと母さんが見つからないんだ。お願いだから一緒に探してよ」

 父さんと母さんは死んだ。そう言われて僕は無意識にその墓を探そうとあてもなく旅に出た。たぶん地図の線上のどこかにいるんだと思って。でも父さんと母さんはどこにもいないんだ。一体どこに隠れているの?

「なら話は決まった。まず俺たち三人で家を買おう。その後にお前は俺を雇いなおせ、そうすればまた三人で旅に出て墓探しだ」

「うん!」

 僕は嬉しくて焚火を見る。もうひとりじゃないんだ。

「お前の父さんと母さんはどんな奴だった?」

「僕の父さんは優しいんだ! でもすぐ物を壊すからお母さんにいつも怒られてるんだ! でもお母さんは父さんが嫌いじゃないんだよ!」


 あれ?


「それで皆でご飯を食べるんだ。お母さんの料理は変な味がするけど、いつも笑いながら食事をして」


 僕はいま。


「ある日、皆で薪を拾いに行ったんだ! 父さんが坂の上で薪を全部落として薪が坂道を転がって行って」


 なんで家族の話をしているんだ?


「それで……それでさ」

 僕は口を閉ざす。荷物持ちは焚火を眺めながら僕の話を聞いてくれいてる。僕は父さんと母さんの話をするのは嬉しいし、もっと話したい! けどなんだ? 得体の知れない違和感が僕を強烈に襲う。僕は焚火を見て口を閉ざす。ベンのイビキがうるさく聞こえる。そのベンに向かって僕は指を刺す。

「あそこにベンがいて、僕がいて。荷物持ちがいる。荷物持ちは僕たちのことどう思ってるの? 教えてよ」

「もちろん大事な家族だよ」


 そう言って欲しかった。けれど違う。


「それに名前を教えてよ! これから一緒に住むんだ! もういいじゃないか!」

「それもそうだな、俺の名前はガイだ」


 そう名乗って欲しかった。けれど違う。


「へえ、良い名前だね」

「だろ?」


 そう言いたかった。けれど「違う」


 僕はそう口にした。出会って間もないのに家族同然のように慕った荷物持ち。確かにいま僕の目の前にいるがまったくの別人だ。

「何が違うってんだ?」

「所詮は竜だな」

 確証もなく根拠もなくそう言い、焚火の枝が折れる「パキ」

「ほーう」

 絶対荷物持ちが見せないであろう不気味な笑みを、目の前の荷物持ちが僕に見せる。その目は赤く鋭い眼光。間違いない、こいつは噴かしの竜だ。

「よく聞けクソ野郎。お前が真似ているクソは客の話は聞かねえ、自分から名乗らねえ、僕たちを大事な家族なんかと思っちゃいねえ。僕たちはクソガキだ」

 まるで手本を見せるかのように僕は自然とそう言った。僕はゆっくりと立ち上がり荷物持ち……噴かしの竜から目を離さずに睨み続ける。

「よくも僕の心を踏みにじったな! 父さんを殺し! 母さんを殺し! ゴズウェルさんを殺し! 水をくれた人を殺し! 名も姿も知らぬ人々を殺し! そして僕の大事な荷物持ちを殺してそのクソに化けて出てきた! 僕は絶対にお前を殺す! たとえ巨体に押し潰されて殺されようと! 熱い業火に焼き殺されようと! 必ず竜殺しの槍をお前の心臓に突き立ててやる! 必ずだ!」

 眼前にいる噴かしの竜、自分でも気づかないほど湧き上がってくる憎しみと怒りの感情。全てに恐怖して僕は涙を流す。それでも絶対に噴かしの竜から目を逸らさない。噴かしの竜は赤い眼光でしっかり僕を捉えている。無意識に僕が獲物だということを自覚される。

「我が願いは成就した。真に強き竜殺し、私は確実にお前を殺す。死から這い上がってみせろ」

 いきなりのことだった。水だ、僕は水に沈んでいる。それは底なしで薄暗い。見上げると光が水へ差し込んでいる。これは竜が見せている幻、溺れることはない。僕はゆっくりと光を頼りに上へ泳ぐ。確かに進んでいる、けれど水面がどこなのか分からない。そして徐々に息苦しさを感じている。これは幻、水中で息を吸ってみると。水が僕の口目掛けて押し寄せてくる。それが喉を通って肺へ入る。すぐに息が出来なくなる。でもこれは幻、そう幻のはずなんだ。肺を水が占めてたから息苦しいのか? 水中だから当然息が吐けないのか? 違う、この息苦しさは本物だ。僕は必死に上へ泳ぐ。どうしてか逆に沈んでいく。どれだけ両腕を動かそうと、両足を動かそうと僕は上へ行かずに沈んでいく。息苦しさと息を吸えない恐怖。このままだと死んでしまうという恐怖が幻である水を現実へ昇華した。確実に溺れてしまう。しかし、水をもがいても何も手に着かない。正真正銘ここには水しかない。僕は動くのをやめた。もう諦めることにした。何をしても沈んでいく。それに身を任せているほうが楽なんだ。見上げた光は近く遠い、それが逆にちょうどいい明るさなのだろうと妥協する。ゆっくりと目を閉じて眠りにつく。ここなら静かに眠れるんだ。


 …………。


 誰かに呼ばれた気がした。誰か分からないので僕は水面へ向かって泳ぐことにした。ここが竜の幻であり、底なしの薄暗い水中であり、すでに息を吸っていないことすら忘れて。僕は気軽に呼ばれた方向へ足を動かし泳いでいく。さっきまでと違って。体は沈まず水面へと上がっていく。水中から出る直前に誰かが手を差し伸べてくれる。僕はその手を握り水中から顔を出す。そこには知っている顔がいた。

「なんで?」

「足を止めるなよ」




 目を開けた瞬間に自分がどれだけ息を吸っていないのかを体が教えてくれた。体が勝手に大量の息を吸い込み。そして大量に吐く。僕の体は捻じれるがそれをベンや他の人が支えてくれた。

「シンザ! シンザ!」

 ベンが泣きながら僕を揺する。ベンの名を口にしようとしたが、言葉が出ない。僕の体は息を吸うので必死だ。僕は息を徐々に整えていく。いま見たのは夢? もはや現実そのものだった。あれがどこかで微かに聞こえた竜の幻術? もはや僕みたいな子供に理解できる状況じゃない。ベンの服を掴んで起き上がろうとするが、僕の力が強すぎたのかベンがベッドに倒れてしまう。

「どうした? 起きるのか?」

 僕を皆が……ベン以外殆ど知らないけど起こしてくれた。皆白い服を着ている。窓を見ると外から赤い眼光が僕を覗き込んでいる。恐怖心は無かった。ベッドから立ち上がろうとして足に力が入らず転ぶ。ベンが急いで近づいてくる。

「まだ動くなよ!」

「窓」

「窓?」

「噴かしの竜が覗き込んでいる」

「シンザ、竜はいないんだよ」

「分かっている」

「え?」

「窓まで連れて行ってくれ。大丈夫だから」

 ベンが僕を支えて立ち上がらせてくれた。僕は震える両足でかろうじて立ち、ベンに甘えて体重をほぼ預ける。窓に近づくと噴かしの竜の赤い眼光が僕を睨み続けている。もうそれに恐怖心はなく見られていないことにも気づく。これは偽りの眼、負の感情を逆撫でる眼だ。それとは逆に焚火の前で見た一瞬の赤い眼光。見てるいるだけで湧いてくる恐怖心、不安、劣等感。そんなものはこの偽りの眼にはない。窓に手をかけて下からゆっくり上に上げる。見えるのは青空と見知らぬ街。人々の笑い声や鳥のさえずり、暖かな日の光が僕を包む。

「竜はいない」




 僕はベッドで横になる。ベンがずっと泣き続けている。白い服の人たちは何故か混乱している。

「生き返ったのか?」

「ありえないぞこんなこと」

「竜の幻術に勝ったというのか」

 皆たぶん僕のために何かしていたんだと思う。それでも僕はベンとふたりきりで話がしたかった。二人きりにして欲しいと頼み。皆部屋を出ていく。ベンは本当にずっと泣き続けている。

「もう大丈夫だから」

 笑顔でそう言ってるのに両目から涙が静かに零れる。止める気もない。

「何が大丈夫だよ! お前……お前三日前に死んだんだぞ! それが……それがいきなり息を吹きかえしたら……俺が! 俺がどれだけ泣いたと思っているんだ! あと少しで棺桶だったんだぞ!」

 そうか僕は死んで棺桶に入るところだったのか。


 死から這い上がってみせろ。


 お望み通り死から這い上がって見せたぞ。噴かしの竜、いまお前はどこいる。

「お前が生き返っただけでも奇跡だよ! もう駄目だ! 逃げようぜ!」

 僕は首を横に振る。

「もう僕は逃げられないんだ」

「なんでだよ!」

「あいつは僕を確実に殺すと言った。だから僕はどこへ行っても殺されるんだ」

「そんな」

 僕は上体を起こしてベッドから立とうと足を横に動かす。床に両足をつけて立ち上がろうとして立てずベッドに座ってしまう。僕はつい笑ってしまう。

「もう大丈夫だよって言いながら立とうとしたのに」

「どこが大丈夫なんだよ! 泣きながら大丈夫なんて言う奴がどこにいるんだよ!」

「本当に大丈夫なんだ」

 僕は両肘を両膝の上に置き両手を交差してそこにおでこを乗せ俯く。

「本当に」

「俺に何か出来ることはあるか? なんでもするぜ」

「ベンに出来ることは何もないよ」

 他意なくそんな言葉が出た。そしてその言い方が悪いことも理解した。

「ごめん、別にベンが嫌いとか気に入らないとかじゃなくて」

 ベンは僕の肩にそっと手を置き掴む。

「分かってるよ」

「ごめん。言い方が」

 ベンは僕の肩を揺する。

「分かってるよ」

 ベンが僕の肩から手を離し涙を拭う。

「俺、なんか食い物もらってくるよ! この宿飯が美味いんだぜ!」

 ベンが駆け足で部屋を出て行こうとする。

「待って」

「なんだ?」

「悪いんだけど、戻って来てまた僕の肩を掴んでくれる?」

「え?」

「それだけでいいんだ」

「分かったよ」

 ベンは戻ってきて僕の肩をしっかり掴んでくれる。

「あいつが荷物持ちに化けていた」

「は?」

「噴かしの竜が荷物持ちに化けて僕を惑わそうとした。けど、あのクソな言い回しまで真似出来ていなかったよ」

 僕とベンは笑う。

「そのあと僕は水中にいたんだ。泳いでも泳いでも上がらなくて僕は諦めたんだよ。でも誰かが読んでくれたお陰で僕はまた泳いだ。そこに荷物持ちがいた。噴かしの竜がじゃない僕らが知ってる荷物持ちさ。荷物持ちは僕の手を取って引き上げてくれたよ。足を止めるなよ」

 ベンが鼻をすする。

「俺は何度もお前に言ってやるよ。荷物持ちが死んだのはお前のせいじゃない! 俺が馬鹿みたい逃げ遅れたせいだ。荷物持ちとシンザはちゃんと逃げれていたんだ。荷物持ちが死んだのは俺のせいだ! シンザ! お前が気にすることじゃねえ!」

「そうだね。そうかもしれない。けど……けどもしあそこでベンが死んでいたら僕と荷物持ちは生き残っていたかもしれない。そしてたぶん、たぶんなんだけど。僕と荷物持ちは別れていただろう。そうしたら僕は死んでいたと思う」

「どうしてだよ?」

「僕はいつここに来たのか覚えていない。どうしてここのベッドにいるのかも知らない。微かに分かっていたのはベンが僕の手を引っ張ってくれたと言うことさ。ベンが引っ張ってくれたから僕は足を止めずに歩き続けた。ベンの手が助けてくれて、荷物持ちの手が助けてくれたんだ。どうかその手を離さないでくれ、僕を見捨てないでくれ、僕をひとりにしないでくれ」

 僕は全身を震わす。僕の何かが崩壊した。

「もうひとりは嫌なんだ! 怖いんだ! もう僕には君しかいない! 皆死んじゃった……死んじゃったんだよ! お願いだ僕を見捨てないでくれ! どうかひとりにしないでくれ!」

 延々と同じことを繰り返していた気がする。ベンは黙って僕の肩をずっと掴んでくれていた。そして僕は声を零す。

「荷物持ちに会いたいよ……もっと……もっと話したかった」

 僕はまったく大丈夫じゃない。ひとりじゃ生きていけない弱い人間の子供。荷物持ちから言わせればクソガキだ。そんな弱い僕を噴かしの竜の赤い眼光が瞼の裏に見え飛び起きる。起きた瞬間に引っ張られる。ベッドに座ったベンが僕の服を力強く掴んでいると理解する。ベンはベッドに座って僕を一切見ない。

「寝ろ」

 ベンの姿に荷物持ちの姿を見る。

「うん」

 そう言って僕は深い安らぎの眠りにつく。




 数日経って僕は「本当に大丈夫」とベンに告げる。元々は死んでいた身。回復するのに時間が掛かった。ずっと部屋で転がっていた竜殺しの槍、ベンがずっと見ていてくれた。僕も槍を持てるまでになった。まずは腹ごなしとずっと泊めてくれていた宿屋でご飯を頂く。パンに肉、魚にスープに野菜。どれも美味しくて僕は静かに食べていく。

「お前大丈夫か?」

「ふえ?」

 僕はパンを口に銜えながらベンの顔を見る。

「いや! 大丈夫ならいいんだ! 食え! もっと食え!」

 僕は机に空いた食器を見る。ちょっと食べ過ぎているかもしれない。口に銜えたパンを食べながら恥ずかしくなってきた。それにお金の問題もある。

「そうだお金」

 いきなり机に袋を落とされる。音からして金貨の類が入っているだろう。知らない男の人が両腕を組んでいる。両腕の筋肉が本当にすごくて太い。

「俺の国は噴かしの竜に滅ぼされた。これはあいつを殺そうと思って貯めた金だ。けど俺じゃ情けねえかな奴は殺せねえ。奴を殺してくれなんて無責任なこと言わねえ。どうか無事に生き抜いてくれ」

 男が話終わり去ろうとするので「受け取れませんよ」と僕は告げる。男が驚いた表情で振り返り机に戻ってくる。

「頼む! 受け取ってくれ! 俺の家族は皆殺しになったんだ!」

「あなたの気持ちには感謝しかありません。お話から分かると思いますが金額で勝てる相手じゃありません。でも全て返すのも失礼です。食事代は頂いても?」

「もちろんだ! 受け取ってくれ!」

「ベン、計算してくれる」

「おう」

「残りはお返しします。その代わり家族の名前を教えてください」

「妻のオルガに息子のエスロだ」

「その名前、槍に乗せ噴かしの竜に突き立てます」

 僕は男の人と握手する。食事代を抜いた袋をベンが男に返す。男の背は満足そうであり悲しげだった。

「それで噴かしの竜はどこにいるんだ?」

「間違いなく僕を見ている」

「分かるのか?」

「なんとなくさ。僕とシンザが初めて噴かしの竜、砂漠で見た黒い竜を覚えている?」

「忘れる訳がねえ」

「あいつと一瞬、本当に一瞬話した。奴は僕を確実に殺すことを使命や義務じゃなくて楽しみ。荷物持ちの言った娯楽のための狩りの目標にした。だから奴は落とした竜殺しの槍を僕に押し付け僕が強くなるのを待っていた。砂漠で僕を品定めして、森で僕を品定めして。でも僕は噴かしの竜に殺されていない。そして奴は死から這い上がって見せろと言った。あいつは僕を殺すのをどこかで楽しく待っているのさ」


 真に強き竜殺し。


 噴かしの竜はそう言った。けれども僕は大声で叫んでもいい。僕は弱い人間だ、ひとりで生きていけない人間だ。どこを取っても「真に強き」が当てはまらない。気持ち悪い直感になるが、奴は僕がそれを理解するまでにどこかに潜んで待っている。足を止めている暇はない。

「行こう」

 僕は竜殺しの槍を持って立ちあがる。ベンがカウンターで支払いをしている間に僕は宿屋の外へ出る。竜殺しの決意はすぐに消え僕は本当に普通の子供に戻る。

「すごい。建物全部がすごいでかい」

 右を見ても左を見ても家の上に家がある。それに道にはびっしり石が並んでいる。僕は槍を地面に置いてしゃがんでしまう。そして地面の岩を両手で撫でる。すごい、これ全部人が敷いていったのか?

 ベンが慌てて駆けてくる。

「どうした! 気分が悪いのか?」

 僕はベンに顔を向ける。

「ベン」

「どうした?」

「この石全部人が並べたの?」

「は? 石?」

 ベンは道の石畳の地面を見る。すると頭をがくりと下げ舌打ちをする。そして右こぶしを掲げ、僕の頭に振り落とす。

「いた」

 僕は頭を撫でる。

「何するんだ!」

「おどかすんじゃねえよ! でも、そうかそうだよな」

 ベンは優しく微笑んでくれる。

「王都に来るの初めてだもんな。ちょっと見て回ろうぜ! 実は俺もまだなんだ!」

 ベンは僕の手を差し出す。僕は槍を拾いベンの手を握る。ノルディア王国は本当に大きな街だった。二階建ての建物に壁の合間に見える柱、二階の窓から見える花壇、中央広場の屋台街。僕らは目的を忘れノルディア王国を楽しんでしまう。そして人気のない通りに入る。歩いていると物陰から現れた五人に囲まれてしまう。

「なんだてめえら!」

 ベンが怒鳴り声をあげる。

「いい槍持ってんじゃん、お兄さんたちに寄越しな」

 五人は皆ナイフを持っている。ベンが僕の前に出る。

「こいつが竜殺しのシンザって知ってんのか?」

「竜殺しだあ?」

 五人の男たちは大声で笑い始める。

「こんなガキに竜なんか殺せねえよ!」

 僕は馬鹿にされていると思いつつ、男の言うことが正しいとつい思ってしまう。竜殺しの槍。僕はベンをそっとどかす。

「あの」

「おい」

「両腕を広げて竜の真似してくれませんか?」

 男たちは笑い続けている。僕の前にいる男が両腕を広げてくれる。

「これでいいか! ガオー! ガオー!」

 それでいい。僕は男じゃなく噴かしの竜の姿を見る。奴の首下前両足上の心臓は男の頭上だ。僕は竜殺しの槍を片手で回し両手に持ち変える。噴かしの竜の心臓目がげ槍を真っすぐに放つ。もちろん男の人を怪我させちゃ駄目だ。僕は男の髪を一本だけ切ると同時に噴かしの竜の心臓に届いていないと理解する。

「やっぱりそうだ」

 僕はそっと竜殺しの槍を引く。竜の真似をしてくれた男は両足が震え立てなくなったのか尻もちをついて倒れる。

「な、なんだよこいつ?」

「こいつ本物じゃねえのか?」

 僕の周りで男たちが何か話している。気持ち悪いことに男たちがもう襲ってこないと悟る。その感覚が気持ち悪かった。無心で皆を見ると皆下がる。それよりも僕だ、僕は竜殺しの槍どころか、槍の使い方すら分かっていない。柄の先端を持って片手で空高くあげるこれだけ長く持っても届いていない。ひとりの男が槍を見て「すげえ」と声を漏らした。

「ベン」

「え? あ、な、なんだよ?」

 何故かベンの様子が変だ。

「僕」

「てめえら! そこで何してんだ!」

 誰かの声が聞こえ顔を向ける。確か宿屋で僕にお金をくれた人だ。その人が尻もち着いた男の胸倉掴んで顔がぶつかりそうな距離まで近づける。

「まさか竜殺しに喧嘩売ってねえだろうなあ!」

「え? 本物?」

 お金をくれた人が尻もち着いた男を殴り飛ばす。

「竜殺しに喧嘩を売るとはいい度胸だ! 俺が相手してやるよ!」

 知らない家の窓が勢いよく開かれる。

「竜殺しに喧嘩吹っ掛けた奴はどいつだ! ただじゃおかねえ!」

 大人がまたひとりまたひとりと現れる。ナイフを持っていた男たちはすぐにナイフを捨てたが、知らない大人たちがどんどん増えてきて。囲って殴る蹴るを……止めないと。僕は竜殺しの槍を壁に立てかける。

「と、止めよう」

「放っておけば」

「いや、止めよう」

 ベンは両肩を落としてため息を吐く。僕とベンは暴力を振るい続ける大人たちを必死に止めに入った。本当にただ大人の喧嘩を止めに入る子供だ。ふと、何か大きな音が響くのを聞いた。喧嘩の仲裁で皆の怒鳴り声を聞きながら確かに深く響くような音。辺りを見ると竜殺しの槍が倒れていた。響いた音の正体は竜殺しの槍? 僕はその音をどこかで聞いた。

「許してくれよ!」

 男の泣き叫ぶ声に僕はまた喧嘩の仲裁に入る。皆が落ち着きを取り戻したときには、ナイフを持ち僕たちを囲っていた五人は地面に正座させられ顔中あざだらけになっていた。そして怒りに満ちた周りの大人たち。皆竜殺しの僕のため? に来てくれたと思うのだけど、子供の僕はひとつ分かったことがある。大人って怖い。

「おら謝れよ」

「す、すみませんでした」

 五人の男たちが土下座する。それを見て僕はどうしたらいいのか分からずベンを見て助けを求める。

「えーっと……気をつけけ貰えればそれで」

 ベンは僕を見て必死に首を横に振る。ベンも困っていた。

「そうだ! 皆に聞けばいいんだ!」

 僕は言いことを思いついた。これだけ大勢大人がいるんだ! 誰か分かると思う。

「ど、どうした?」

 ベンが驚いた顔を見せる。

「噴かしの竜と戦う前に竜殺しの……ただ基本的な槍の動作を学びたいのですけど。どこへ行けば学べます?」

 大人たちが一斉に話し合いを始める。

「まず間違いなく軍だな」

「けど軍は殆ど剣じゃなかったか?」

「ここの軍はいるだけで約に立たねえからなあ」

「英雄カシムの軍だ」

 英雄カシム、その言葉に皆が静かになる。

「英雄カシムの軍だ、あいつらは槍使いだ」

「そうだカシムだ」

「あの軍は確かに槍だ」

「けどなあ」

 大人たちが一斉に落ち込む。ベンが大人たちを見ていく。

「なんだよ、もったいぶらねえで教えてくれよ」

「もうその軍はねえんだよ、皆いなくなっちまった」

 僕が髪を一本切り尻もちついた男がおそるおそる手を上げ、男のひとりに蹴られて体制を整える。

「この道の先にずっと酒を飲んでいる男がいる。そいつ確か」

 男は仲間の男に顔を向ける。

「そうだ! あの男ずっと国王の文句垂れてたな」

 僕は髪を一本切った男の前でしゃがむ。そして真っすぐに目を見る。

「案内してください。お願いします」

 男はなんども首を縦に振る。




 外から見ても分かるボロボロの家。二階建てがちょっと傾き柱にヒビ、壁は剥げ落ちている。

「この家だ。ただ……ちょっと難しいんだ、気をつけてくれ」

「こいつらを許してくれ竜殺し。てめえらはこっちこい、説教くれてやる」

 大人たちが男たちを連れ去っていく。つい無事を願ってしまう。

 僕は扉を勝手に開け家の中に入ろうとする。扉は途中で崩れ床に落ちる。ボロボロの服を着た男が何もない汚い部屋で地べたに座って酒を飲んでいる。男は何も言わずそして振り返りもしない。

「あの。槍について教わりたいのですが」

 男は微動だにしない。

「お願いします、お話を」

 男はまったく動く気配がない。ベンが僕の前に出る。

「おい、こいつは竜殺しのシンザだ。噴かしの竜を倒すために、あんたから槍を学びたいんだ」

 男は顔を見せず小さく静かに笑い声を上げる。

「俺の槍は対人の槍だ。竜殺しに槍の使い方なんかいらない。勝手に前に突き出してりゃいいんだよ」

「それじゃあ心臓に届かないんです。どうやったら竜殺しの槍が届くのかどうか教えてください」

「竜に乗って前に突き出してりゃ届くだろ」

 男は酒をコップに入れ飲む。

 僕、たぶんベンもそうだろう。男の言っている意味が全く理解できなかった。ベンがそっと僕の耳に口を近づける。

「もう諦めようぜ。こいつ酔ってるし様子がちょっと」

「う、うん」

 僕とベンは家から出ようとする。人が竜に乗れる訳がない。だってそうだ、竜が人を襲うから人は竜と戦っているんだ。人が竜に乗れたら……僕は自分の家で見たことを思い出した。そして槍を支えにして膝を折る。

「ゴズウェルさんの隣で死んでいた白い竜」

「流浪のゴズウェルが敗れたのか!」

 今まで動く気配の無かった男が僕の前に歩いてくる。

「その竜殺しの槍は?」

「ゴズウェルさんの槍です」

「そうか。使い方は?」

 僕は首を横に振る。男は舌打ちをする。

「竜殺しは竜に乗る。問題は竜の呼び方、乗り方だ。これは絶対に受け継いだ物しか教えられん。人から人に受け継がれし竜殺しの槍。その槍を使える者は人であれ。認められた者にしか教えられていない」

 僕はずっとゴズウェルさんが白い竜を倒した、相打ちになっと勘違いしていた。あの白い竜はゴズウェルさんと共に戦ってくれたのか! なんて僕は馬鹿なんだ! 本当に僕は世間知らずのクソガキだ!

「竜殺しの槍が届かないと言ったな? 当然だ。竜殺しの槍は竜がいて初めて竜と対等に戦える。地表に降りて槍だけ構えたところで炎に焼かれておしまいさ、ちきしょう!」

 男は急に両手で自分の頭を叩きはじめる。

「あいつらの叫び声がずっと消えねえ! 竜殺しがいない軍勢で竜と戦える訳がねえんだ! 俺の知っている連中が目の前で次々に焼かれていく! あの国王は大馬鹿やろうさ!」

 男は奥の隅まで行ってしゃがみ込み、延々両手で頭を叩いている。もしかすると荷物持ちが話していたパラムンデへの侵攻軍。確か噂だと竜殺しが竜に殺されたと。

「竜殺しが竜に殺され」

「違う! 英雄カシムは国家反逆罪で死刑を宣告されたんだ! だからこのクソったれ王国を逃げ出した! 人は馬鹿みたいに英雄なんて文字をつけねえよ! 英雄カシムが俺たちを守ってくれたからこその英雄だ! その英雄カシムを追い出して誰が俺たちを守ってくれるんだ! 誰でもいいから助けてくれ! 俺の仲間が次々に焼き殺されていく! あいつらの泣き叫ぶ声が消えないんだ!」

 男は両手で頭を抱え、体を揺らしながら泣き始める。僕はそっと手を伸ばそうとする。その手をベンが掴んで首を横に振る。

「でも」

「俺たちじゃもう」

「命令なんか知ったこっちゃねえ! 皆逃げるんだ! 俺たちが竜に適う訳がねえ! 走れ! どこでもいいから走るんだあ!」

 僕はこの人から竜殺しが竜に乗るという大事なことを教わった。竜殺しの槍が人から人へ受け継がれることも。僕が話しを聞きに来たからこの人は崩壊した。それを放っておくなんて無理だよ。だけどベンの言うことも分かるのが悔しい。僕たちはこの人に何もしてあげられない。




 僕たちは逃げるように中央広場の屋台街に戻ってくる。話を聞いて良かった。話を聞かなきゃ良かった。あの人の泣き叫ぶ姿が強烈に頭に残る。英雄カシムがいなくなり竜から軍勢を守る竜殺しがいなくなった。僕は荷物持ちを噴かしの竜に殺された。とても悲しくて辛く、今でも思い出すだけで泣きそうになる。恐らくさっきの男の人はもっと多くの仲間を失ったのだろう。それほどまでに人は、僕らは竜に対して無力なんだ。僕の決意が揺らいでいく。僕は本当に噴かしの竜を倒せるのだろうか?

「僕は」

「休もう」

 ベンが僕の声を遮った。僕は深呼吸をする。

「そうだね」

 僕たちは宿屋に戻ってふたりしてぐったりしている。現実はなぜこうも理不尽に出来ているのか。そんな考えすぐに捨てた。僕は哲学者じゃない。僕に分かる訳がないんだ。でもどうしても放っておけない。僕如きに何が出来るのか? いや、出来るだけ出来ることをするんだ。あとで後悔するなら後悔しないほうを選ぶんだ。

「僕が幻術で弱っていたとき、知らない人がいた気がするけど」

「えっと、兵士と軍医とオスウェル将軍だな」

「会いに行こう」

「将軍はシンザが完全に治ったら訪ねて欲しいと言っていた。行こうか」

 酒場を出て道を右へ、揺るかやな坂道を曲がりに曲がりながら登っていく。次第に見えてくる巨大な城に僕は言葉を失う。こんな巨大な建造物を人の手で作れるのか。そして城壁の上にあるデカい木の何かが理解できない。木が組まれているのは分かる。

「ベン、あの城壁の上にある。木で出来ているのなに?」

 ベンは顔向け「知らん」といい歩き続ける。僕は気になりつつもベンを追う。城の門に辿り着くと勝手に門が開いていく。門の上で甲冑を着た兵士が何人も僕を見て何か話している。ベンは何も言わずに奥へ入っていく。

「入っていいの?」

「お前は覚えてないだろうが一度ここに来た。将軍はこの先だ」

 皆が僕を見てる、指をさしている。けど僕は駐屯地の建造物と城の大きさに驚いている。前に見える階段は木造だ。宿屋にも木の階段はあったけど、どうしてこんな薄い木で折れずに階段として歩けるんだ? ベンに続いて階段を上り、途中で足を止める。そして何度も跳ねてみる。階段は軋むけど木は折れない。ベンに上から見られているのに気づき跳ねるのをやめる。

「何してんだ?」

 僕は自分のしていたことに恥ずかしくなってしまう。

「ごめん、なんでもない」

 部屋に案内され奥へ進むと机がひとつ。椅子に座り整った髭をしている甲冑を着た人。甲冑の上に蒼い布が掛かっている。その隣にもうひとり甲冑を着た兵士が隣に立っている。

 蒼い布が掛かっている人が立ち上がる。

「おー! 無事だったか!」

 はい、ありがとうございます。と言えばいいのに僕は固まってしまう。僕はこの人が誰だか分かっていない。

「えっと」

 僕はベンに助けを求めてしまう。

「あーそうか。将軍、こちらが竜殺しのシンザです。あの人がオスウェル将軍だ。申し訳ありません以前に来たときはその……幻術に」

 説明してくれたベンに僕は驚く。言葉遣いがすごい綺麗だ! あとで聞こう。オスウェル将軍は両手を前で振り首を横に振る。

「いや謝るのは私のほうだ、支援が遅れた愚かな私を許してくれ」

 オスウェル将軍は落ち込む顔を見せゆっくり椅子に座り込む。

「よくぞ、よくぞ戻ってきてくれた」

「皆が支えてくれたから戻ってこれました」

 オスウェル将軍は首を縦に振る。

「早速で悪いがまず本題に入らせてくれ、竜殺しの槍の使い方を調べたが、どれだけ探しても竜の呼び方が分からない」

「街で英雄カシムの」

「待て」

 オスウェル将軍が顎を動かし部下を外へ送る。

「申し訳ない竜殺し、ふたりとも私の机の前まで来てくれ。そのほうが外に話が漏れない」

 僕とベンはただ言われるがまま机の前まで移動する。

「王国で英雄カシムの話は口にしてはいけない」

「国家反逆罪」

 僕が小声で言うとオスウェル将軍が首を縦に振る。

「英雄カシムは国家反逆罪で国を逃げ出した。この駐屯地は言わば英雄カシムを追放した国王がいる城。そしていま我々がいる駐屯地はその城内に位置する。どこで国王の耳に入るか分からない。申し訳ないが、その名を口にするのだけは気をつけてくれ」

 ベンは頷くけど僕は頷けなかった。

「皆を守った竜殺しをどうして」

 ベンは僕に顔を向け、将軍は下を俯く。

「この話はとても長くなる。本題に入ることを許して欲しい」

「分かりました。でも、でもカシムの軍にいた男の人と話しました。その人から竜殺しの槍について教わりました。竜殺しは竜に乗る。問題は竜の呼び方、乗り方だ。これは絶対に受け継いだ物しか教えられない。人から人に受け継がれし竜殺しの槍。その槍を使える者は人であれと」

 僕は竜殺しの槍を受け継いでいない。ゴズウェルさんの槍が盗まれるのが嫌で持って行くことにしたんだ。つまり僕はただ槍を持っているだけだ。そして。

「僕を助けたように、その男の人も救って欲しいのです。僕たちじゃ、何も」

 それがどれだけ自分が情けないかという表明に僕は少し怒りの感情を覚える。

「分かった、場所を教えてくれれば軍医を送ろう。ただし英雄カシムの名は口にするな。私はもっと話したい口だがね」

 オスウェル将軍が笑みを見せる。何故か僕はこの人は大丈夫だと思った。この人は信頼できる。

「そして本題だ。噴かしの竜を倒す前に、一頭白い竜を殺してもらいたい」

「白い竜」

 僕はゴスウェルさんの隣で死んでいた白い竜を思い出す。

「実は君たちが来る前に一頭の白い竜が飛来し炎を城目掛けて放った。城壁に降りた隙をついてバリスタで竜の矢を放ち見事に首に命中。貫くことは出来なかったが致命傷なのは間違いない。奴はこの王国の北にある山中に逃げ出した。斥候の話でわそこで眠っている。我々の武器でわ殺せない。どうかその竜殺しの槍で殺してほしい」

 北に逃げた白い竜を一頭。僕は竜殺しの槍を力強く握りしめると同時に外を見る。

「その……バリスタと竜の矢と言うのわ」

 オスウェル将軍は自分の頬を叩く。

「私が馬鹿なことを笑ってくれ、申し訳ない。こちらへ」

 オスウェル将軍が窓に僕たちを案内してくれる。そして指さす先にあるのは、さっき僕が道中でベンに尋ねた物だ。城壁の上に木が組まれた大きな建物、中央に大きく白い尖った棒がここからでも見える。

「死んだ竜の骨を削った骨の矢。バリスタという装置でその尖った竜の骨を放つ。投石器とバリスタの基本構造を元に改良に改良をした発射装置。そう思ってもらいたい」

 ベンが「すげえ」と言う。

「命中率はまあ聞かないでくれ、この前は竜が止まっていたから運が良かった。当たれば良い程度の代物さ」

 人はすごい装置を作り出す。僕はバリスタを眺め続ける。

「ところで竜殺し」

 オスウェル将軍が元の場所へ腕を伸ばし案内してくれる。

「例の噴かしの竜がどこへ消えたかのか、こちらで発見ができない。それに竜殺しが王国を出たあとにすれ違ってしまったら」

「あいつはまだ襲って来ません」

「分かるのか?」

「ええ、説明は難しいのですが。ずっと視線は感じています。あいつは必ず僕を殺しに来ます。それは確かです」

 噴かしの竜は何を待つ? 僕は考え始めすぐやめた。竜の考えが分かるはずがない。

「そうか。でわ竜殺し」

「シンザ」

「ん?」

「どうかシンザと。竜殺しでわなく」

 そう呼ばれたかった。そしてこの人には名前で呼んで欲しかった。オスウェル将軍は笑みを見せる。

「承知したシンザ。でわ白い竜討伐、承諾してくれるか?」

「分かりました」

「白い竜を確実に倒せとわ言わん。無事に帰ってきてくれ。兵士を何人か同行させる」

「いえ結構です。僕ら」

 僕は白い竜を倒すことを承諾した。でもベンは? ここにに残ってもいいんだ。僕がベンに顔を向けるとベンが足で小突いてくる。

「僕らふたりのほうが気づかれにくい」

 オスウェル将軍は承諾してくれた。




 僕らは城門の外に出る。白い竜がいる北の山中まではそこまで距離が遠くない。一日で往復できる距離らしい。食料と水、そして竜殺しの服まで頂いた。胸元に薄い鉄板がありそれを革のベルトで固定する。上下蒼い服に、両膝にもプレート。靴も足の甲に鉄板が入っている。これの何がすごいって、全部僕のサイズにピッタリ当てはまっている。履きなれない靴で大丈夫かなと思ったけど。違和感がまったくない。僕は竜殺しの槍を肩にかける。まずは白い竜、そいつを倒すのが先か。

「お前カッコいいな」

 ベンが僕の新しい服装を見てそう言う。

「この服カッコいいよね、ほら見て胸に鉄板があるんだよ!」

 僕は鉄板をこんこんと叩く。

「違うお前自身がさ」

「え?」

「まあいいや。ところでお前! なんだよさっきの! 俺をここに置いて行こうとしただろ!」

 ベンに僕の考えを読まれてしまった。でもそのほうが安全だし、ベンがついてくる必要はないんだ。

「やっぱりベンはここの残って」

「お前が倒れたら誰が運ぶんだよ! 俺はお前の荷物持ち! 二代目荷物持ちさ!」

 これは説得なんで出来ないや。僕は笑みをこぼしながら「分かったよ」と言う。書いてもらった地図は服のポケットにあると言われ、地図を取り出し確認する。地図通りなら本当にそこまで遠くない。そして僕は気になることがひとつ。

「言葉遣いがすごい綺麗だった」

「言葉?」

「いや、ベンなのに言葉遣いが綺麗だったなって」

「俺だって言葉遣いのひとつやひとつ覚えられるさ! 知らないから知らないなりに調べただけさ!」

 僕はその言葉に笑みを見せる。ベンも笑ってくれる。

「そうだね」

 僕は気を引き締めて地図をしまう。

「さて」

「わりい、一ヶ所だけ寄らせてくれ」

 ベンの用事を済ますため、城から宿屋までの道を戻っていく。宿屋にたどり着く直前でベンが「ここで待っていてくれ」と言って僕は道の角で待たされる。道中歩いているときもそうだったけど、皆が僕に顔を向ける。

「竜殺しだ」

「大きい槍」

 僕はベンを待っているだけです。そんなこといちいち説明する必要もないんだけど、竜殺しの槍を持ってこの新品の服装で人目があるところで待ち続けていたくない。そうだ、借りている宿部屋で待たせてもらおう。僕は曲がり角を曲がってすぐ元の角に隠れる。そしてゆっくりと顔を覗かせる。ベンが僕らと同じぐらいの年の女の子と話している。僕はその女の子を知らない。ベンの顔を見るととても楽しそうだ。

「竜殺しだよなあれ?」

「何を見てるんだ?」

 僕は人目を気にせずベンが何をしているか見続ける。そしてベンが女の子に手を振って戻ってくる気配があったので顔を引っ込める。道を行く数人が僕を見ていたのか、顔を上げると足早に去っていく。僕は我に返って恥ずかしくなった。ベンが角から「待たせたな」と戻ってくる。僕は無言でベンの顔を眺める。

「どうした?」

「用事はもういいの?」

「あー大丈夫だ。手間とらせて悪かったな」

 ベンは何も言わず歩きはじめる。僕はそれに続かない。

「とりあえず北へ向かう出口だな、いちど正門から。あれ?」

 ベンは僕が近くにいないことに気づいて戻ってくる。

「なんだよ?」

「あの女の子だれ?」

 誰が見ても分かるだろう。ベンは完全に固まった。

「えっと」

「用事ってあの女の子でしょ? 僕がいま行こうと言ったら何も言わないで北へ向かったよね?」

 ベンが知らない友達と仲良くするのはとても良いことだ。でも、ベンは女の子のことを故意に隠した。隠し事をされていることにちょっと寂しさを感じた。

「別にその……隠していた訳じゃないんだ」

「へえ」

「わかった! 言うよ! 言うよから!」

 ベンは肩をあげ静かに息を吸って、肩を下げながら静かに吐く。

「その……シンザが死んで三日経ったと言ったよな。それでその……俺は本当にずっと泣き続けていたんだ。そのとき泣き続けている俺をそっと慰めてくれたのが彼女、ジェシカって言うんだ。宿屋の主人の娘で店先には出ていないんだ。それでほら、いつも通りの俺なら。こいつが竜殺しのシンザ! て紹介するし俺はしたかったよ! でもさその」

 ベンは両眼をギュッと瞑る。言わなくても分かるよ。僕はあのとき崩れていた。崩れていた僕をベンは必死に支えてくれていたんだ。僕があの状態で友達を紹介できる訳ないもんね。それはベンが僕にしてくれた配慮だ。

「ありがとう」

 僕がそう言ってベンは目を開ける。

「本当にありがとう」

「だから俺は」

「分かってるよ。本当にありがとう」

 ベンがまた両目を力強く瞑る。たぶん、ベンは全部終わってから「こいつが竜殺しのシンザ!」と紹介しようとしてくれていたんだ。

「ねえ、全部終わったらさ。ベンの彼女を紹介してよ」

 ベンはゆっくりと目を開く。

「あー、全部終わったら三人で。ジェシカは俺の彼女じゃねえよ!」

「ベンは彼女のこと好きなんでしょ?」

 傍から見てれば誰だって分かるだろう。あれだけ楽しそうに話していたら。

「俺は別に。次その話をしたらぶっ飛ばすからな」

「へー、ベンに彼女かあ」

「てめ」

 僕とベンは走り出す。僕は笑いながら、ベンは怒りながら。




 正門を抜けて城壁沿いに北へ回る。ノルディア王国の北は山岳地帯であり未開の地、なのでこちら側に門は設けていなかった。開けた緩い坂道で切り株がいくつも見える。途中から覆い茂った森になり地図はこの先を記している。ベンが周囲を警戒しながら前を行く。

「よし、竜が潜んでるかもしれないから」

「待って」

 僕は左手でベンの服をしっかり掴む。

「どうした?」

「ごめん、ちょっと待って」

 ベンが振り返ろうとするのが分かる。

「動かないで!」

 ベンは無言で制止してくれた。なんだこれ? 感覚が異常に研ぎ澄まされている。風がどこから吹いてどこを通って流れるのか。風に揺れた葉先が音を鳴らしその微かな音の反射ですら地形を把握できてしまう。草、石、岩、切り株。小さな昆虫が一匹一匹どこにいるのかさえ分かる。怖くなった僕は竜殺しの槍を手放し地面に転がす。情けなくベンの服を両手で掴む。

「おい本当に大丈夫か?」

「感覚が」

「感覚?」

「すごいんだ。なんて言えばいいのかな? いまいる場所を……僕が作った? みたいな感覚」

「それはどういう」

「何がどこにあるか全て分かる。風、音、草、木、岩、小さな虫がどこで動いているかさえ全部分かる」

 これは明らかに僕、人としての感覚を越えていた。

「なあ、とりあえず振り返っていいか?」

「あーごめん。ゆっくりでお願い」

 僕はベンの服から両手を離す。

「いや俺は別に、お前なんだその鼻血の量!」

「へ?」

 僕が下を向くと鼻血が勢い良く流れる。コップを持ち上げ、入っている水を何気なく下に零したような鼻血が地面を真っ赤に染め、新しい靴も汚す。

「座れ! ゆっくりでいい!」

 僕はベンに支えられながらゆっくり地面に腰を降ろす。

「ふんごいはなひ」

「黙ってろ馬鹿! 包帯……いやこんなんじゃ足らねえよ!」

 ベンが上着を脱いで僕の鼻に押し当てる。

「ふが」

「悪いな! お前の出血はそれぐらいの量だ!」

 ベンの上着が一瞬で真っ赤になる。僕は鼻血で死ぬんじゃないか? そんな量が流れている。

「なんだこの量! くそ! 駄目だシンザ戻ろう!」

 ベンが立ち上がって僕の服を強引に引っ張ろうとする。その手が僕が力強く抑える。

「おい!」

「ほれ」

 僕はベンの上着を引き離す。もちろん鼻血は止まるどころか大量に流れ続けている。

「何してんだよ!」

「ほれほふのひ?」

「なんつった?」

 鼻血が流れ続けているせいで喋りづらい。

「これは、はふん、僕の、血じゃ、はい」

 僕は流れる血を手で掴もうとする。もちろん血を掴める訳がない。流れる鼻血は手をすぐに真っ赤に染め、指をすり抜け地面に落ちる。これは確かに僕から出ている血だ。噴かしの竜の幻術か? いやこれは違う。


 一瞬、本当に一瞬だ。何かの姿が脳裏をよぎる。


「そこにいるのは誰だ?」

 僕が顔を上げると鼻血は完全に止まった。真っすぐに覆い茂った森の先を見る。徐々に僕の感覚が戻っていくのが、研ぎ澄まされた感覚が人の感覚へと戻っていく。全てを把握していた僕の感覚が視界や聴覚のみになる。ただし足元はもう血の池だ。腰を降ろしていたせいで服は血まみれ、槍にも血が付いている。

 ベンが心配そうで理解出来ていない顔をしている。それもそうだ。僕は袖で鼻血を拭う。

「これは僕の血じゃない。逆に僕の血だったら死んでるよね。これ」

 改めて見てもすごい量だ。

「これがあいつの幻術なのか?」

「いや違う」

 僕はそう断言した。道中に竜の気配はない、ただし先に何かがいる。僕は血だまりの中から竜殺しの槍を拾い、片手で振るい血を全て払う。

「行こう」

 僕は血だまりを抜け足を進める。

「俺が先に」

「いや。僕が先だ、僕が行く」

 進むべき道を僕は真っすぐに見据える。切り株を抜け覆い茂った森に入る。道なき森は一歩間違えれば遭難してしまう広さだった。地図に書かれているとはいえ正確さに限界はある。なのに僕は迷わず真っすぐに進む。行くべき場所を完全に理解している。長い森を抜け山の麓へたどり着く。そこに大きな洞窟が口を開いている。とても大きな、竜一匹なら通れる大きさだ。中へ進むに釣れ光がどんどん小さくなっていく。

「この先で」

 ベンが口を開こうとして僕はベンを睨んでしまう。黙れと。ベンは小刻みに首を縦に振る。洞窟の先で光が完全に消える。完全な暗闇を僕は迷いなく進んでいく。しかしベンは暗闇で迷いそうになっている。僕は彼の腕を掴んで強引に引っ張っていく。こっちだと。急に光が先に見える。それが太陽の光というのはすぐに分かる。僕はベンからそっと手を離し竜殺しの槍を両手に構える。そして白い竜をこの眼に捉えた。空高く開けた空間、上は穴が開いておりそこから太陽の光が降りている。白い竜の巣とでも言うのか。白い竜は大量の草木の上で眠っている。大きな翼をたたみ巨体を完全に地に降ろし、首を丸めて静かに眠っている。首には大きな傷がある。


 確実に殺せる。


 僕の意識がそれに染まる。白い竜に近づく前に僕は片手でベンをその場で待機させる。竜殺しの槍を両手にしっかり持ち。ゆっくりと足音なく本当にゆっくりと近づいていく。ここで白い竜を殺せればそれだけ多くの人が助かるんだ。しかも白い竜は首に致命傷を負い弱っているはず。確実に白い竜を仕留められる! 殺せるんだ! 竜の巣、草や木に足が引っかからないように巣の中へ足を踏み入れていく。竜殺しの槍を両手でしっかりと握り。心臓高鳴りながら歩み寄る。僕は初めて竜の心臓に届く距離に近づいた。白い竜が動く気配はない。しっかりと狙って突き刺すのみ。僕は両手に力を入れる。


 視線を感じて咄嗟に振り向く。小さな白い竜が二匹、僕を純粋な蒼い眼で見ていた。


 その眼は明らかに人を殺したことのない眼。同じ竜なのに噴かしの竜とはかけ離れた純粋な蒼い眼。近くに割れた卵のかけらが落ちている。生まれたばかりの竜なのだろう。僕は竜殺しの槍を持つ手を緩めてしまう。慌てて僕は両手に力を入れ構えなおす。すると小さな白い竜が動き出す。母親の上を這いずり、その刃先、守る様に子供の竜が二匹重なる。僕がこのまま竜殺しの槍を突きさせば一気に三匹始末できる!


 そしてそれが脳裏に映る。


 いま映ったことを僕にしろというのか! 二匹の白い竜の子供を貫き! そして白い竜の母親の心臓を貫けと! やるんだシンザ! お前なら出来る! 僕は竜殺しの槍を少し動かす。それでも二匹の白い竜の子供は動かない! お前がいま殺さねばまた人が死ぬぞ! 刺すだけでいいんだ! 刺せシンザ!

「くそう!」

 僕は竜殺しの槍を白い竜とは反対に投げてしまう。岩に当たった竜殺しの槍が音を響かせ、その音が洞窟に反響する。それが眠っていた白い竜を目覚めさせてしまう。僕はその背に白い竜の視線を感じていた。

「もういっそのこと殺してくれ」

 僕は弱った竜一匹殺すこともできないんだ。急に体が引っ張られ僕はベンに投げ飛ばされる。地面に仰向けになった僕にベンは握りこぶしを僕の顔面に迷いなく放つ。殴られて鼻血が出る。これは間違いなく僕の血だ。痛くて情けなくて僕は飽きもせず泣きはじめる。ベンが僕の顔面をまた殴ろうとして手を止める。

「眠っている白い竜は殺せねえ! 訳も分からず竜殺しの槍を捨てて! その後にお前なんて言った! もういっぺん言ってみろ!」

「もう……もういっそのこと殺してくれ」

「てめえそれ本気で言ってるのか!」

「僕は本当に弱いただの子供さ。寝ている竜も無抵抗の小さな竜も殺せない。こんなんで噴かしの竜なんか倒せる訳ないんだよ」

「そんなのは知ってんだよ馬鹿! てめえが泣き虫なのは知ってるし。弱いってのはもう聞き飽きたよ! 俺が気に入らねえのはいっそのこと殺してくれだと? ふざけんじゃねえよ!」

「噴かしの竜は僕を狙ってくる。ベン、君は僕を置いて逃げてくれ」

「お前それ本気で」

「もう僕のことなんか放っておいてくれ! このままじゃベンも死んじゃう! 僕はこのままあの竜に焼き殺されたか食いちぎられたって伝えてくれればいいさ! どうせベンには何も出来ないんだ! 僕と一緒にいても意味ないさ!」

「け!」

 ベンは僕の上から去っていく。

「馬鹿馬鹿しい! 付き合ってられるかよ! お前は本当に泣き虫で弱くてそしてヘタレだ! お前なんかに噴かしの竜は倒せねえよ! 焼かれるなり食われるなりして死んじまえばいいさ! 助けてくれたことだけ感謝してるぜ! じゃあな!」

 ついにベンまで僕のもとを去っていく。それでいいんだ、弱り眠っていた白い竜一匹、その小さな白い竜の子供一匹すら殺せない僕に噴かしの竜なんか倒せる訳がない! あいつは僕に言った! 真に強気竜殺しと! そうやっておちょくって僕をカラかっているんだ! 何が槍に名を乗せてだ! 託された思いを自ら砕き! 皆の期待にすら応えられない! こんな僕に生きている価値なんかないんだ! とうとうベンも去っていた! 僕は本当にひとりになった、もうこれでいいんだ。僕は何も出来ないんだ。誰でもいいから殺してくれよ! 溢れる涙を何度拭いても涙が止まらない。僕は上体を起こして延々と泣き続けた。

 白い竜が蒼い眼で僕を見て、何もせずまた眠りにつく。僕は本当にただずっと泣き続けていた。日は沈み、洞窟の中は月明りに照らされてなお僕の涙は枯れなかった。そして誰かが僕の背中に寄り掛かる。

「なんで……なんで戻って来たんだよ」

「俺がお前を見捨ててのうのうと生きてられると思うなよ」

「もう放っておいてくれよ」

 ベンは何も言わず、僕はただ泣き続ける。

「俺の知ってるシンザってクソガキは、泣き虫で弱くてヘタれは間違いねえ。でもちゃんと自分の言葉で説明できる奴なんだ。頼むから説明してくれよ。俺ちゃんと聞くからさ」

「白い竜の……白い竜の子供二匹が母親を守る様に……重なったんだ。僕の頭に……頭に白い竜の子どもを二匹貫く様子が見えた。そしてそのまま白い竜もろとも一気に三匹始末できるって! それを今から僕が出来る訳ないじゃないか! 生まれたばかりの無抵抗な竜を二匹殺して白い竜をも殺す! でも竜は竜なんだ! あの小さい竜が大きくなれば誰かを焼き殺す! 誰かの家を焼く! それは分かっているんだ! でも……駄目なんだ。僕は……僕には殺せない」

 結果として何も出来ていない。僕はまだ何もしていないし、これからも出来ないんだ。

「あいつは、噴かしの竜は僕を真に強き竜殺しと言ったんだ。そうじゃないことを分かっているから! 僕は荷物持ちやベンと王国で暮らしたかったし、父さんと母さんがどこで眠っているかも探さなくちゃいけない! 僕は……僕は父さんと母さんのお墓を見つけて死ぬつもりだった! そうしなくちゃ! だってそうしなくちゃ僕はずっとひとりなんだ! 僕がひとりで生き延びることはかろうじて出来るかもしれない! でも! もう僕には誰もいない! ひとりでいるのが怖いんだ! だから父さんと母さんを見つけて同じ場所に行きたかった! それをあいつは知っている! あいつは僕の心を踏みつけていったんだ! 僕がどれだけ弱いか理解している! だから僕はからかわれたんだ! そう思わせておいて僕を軽々と殺すために!」

 流れ出る涙が止まらない、もう僕の考えは考えにならなくなっていた。

「そうか。よし寝ろ!」

「なんで?」

「いやなんというか……俺はお前と違って馬鹿だし。お前にあれやこれや文句垂れてやろうと馬鹿なりにクソみてえなことを考えていたんだけど。お前、俺が外でどれだけ待っていたか分かってねえだろ?」

「知らないよそんなこと」

 ベンが笑いながら鼻をすする。

「そうだよな、だってお前ずっと泣き続けていたんだぜ。それだけ泣き続けたら疲れてるし、自棄になってここで寝ちまえよ」

「うん」

 僕は完全に横になる。殺すはずの竜を少し離れたところに見て。




 とても心地よい「音」が響いてくる。そしてそれが純粋な「人」であることを証明している。誰かが僕に助けを求めている。だから私は翼を広げて空を飛ぶ。そこに何があろうと不安はない。真実の槍を鳴らす者、その音を鳴らせる者は心優しき人である。弱さを見せる心優しき少年よ。恐れるものは何もない。汝の「心」は……。




 僕はゆっくりと目を覚ます。殺すはずだった白い竜から少し離れたところで寝ている癖に、夢のひとつやふたつも見ない。抱きしめるように僕は竜殺しの槍を……僕はいつの間に竜殺しの槍を? まあいいか。竜殺しの槍をそっと抱きしめ、心地よい気分をこれでもかと味わっている。あれだけ泣けば当然さ。僕はゆっくりと立ち上がり白い竜が日の光に照らされていることを知る。ここに来てから一日は経ってしまったか。とても長く、長く休んでいた気がする。巣から小さな白い竜二匹が僕を見ている。僕は左腕をそっと前に出して「おいで」と言う。小さな白い竜は二匹とも僕の左腕に乗る。とても軽い、まるで雲のようだ。

「ごめん、あんなことして。ごめん」

 僕が謝ると二匹はそっと僕に頬ずりしてくる。

「そうだね。ずっと泣いててうるさかったね。僕は君たちが逃げたと伝えておくよ」

 二匹は僕を見て首を傾げる。

「そうしたほうが君たちにとって良いんだ。いい子だからもう少し隠れていてね」

 二匹の白い竜は巣へと飛んで行く。僕はそれに手を振る。

「シンザ?」

 呼ばれて振り返ればベンが立っていた。ベンにはいっぱい謝らなくちゃいけないことがある。

「僕、ベンに謝りたいことがいっぱい」

 ベンが僕の両肩に手を伸ばす。

「お前……シンザ、だよな?」

 ベンが何を言っているのか分からず僕は瞬きをする。

「そ、そうだけど」

「誰だお前?」

 ベンはそう言って僕の両肩から手を離し、一生懸命に両手を振る。

「違う! お前がシンザなのは分かってんだ! ただ、なんだ?」

 僕に何か変なところがあるのだろうか。僕は自分が気になって自分を見る。

「お前はシンザだ、シンザだよ。ただ……ただ。なんて言えばいいんだ?」

「ねえ説明できないなら僕から言っていい?」

「あ、ああ。いいぞ」

「僕きのう。ベンにいっぱい酷いことを言ったんだ。それをちゃんと謝りたくて」

 ベンは僕の顔の前で手を振り始める。僕の目が見えているのか確認しているのか? 僕はいい加減に鬱陶しくてベンの手を払う。

「さっきからどうしたの?」

「なんかやっぱり、別人みたいだ」

 僕はまた自分を確認する。

「いや! 悪いのは俺だ! ちゃんと説明できないんだ!」

「さっきから同じこと言ってない?」

「なんか。お前が今まで以上に大きく見えるよ」

 僕は上を見上げる。身長が伸びた? 駄目だベンの説明が悪いんだ。先に僕の話をしよう。

「ベン、僕は本当に謝りたいことがありすぎて。どこから謝ればいいかな、ベンは本当に僕を支えてくれていたんだ。僕は王国に来てからベンに頼りっぱなしさ。なのに僕はベンにあれだけ酷いことを言った。僕の弱さが見せた過ちを許して欲しい」

 ベンは僕の肩を力強く掴む。

「お前は泣き虫で弱くてそしてヘタレでいいんだよ! それが俺の知っているシンザだ! 俺の自慢の友達だ! 俺の知っている竜殺しのシンザだ! ただ……もう二度と殺してくれなんて言わないでくれ。俺は……俺はその言葉に耐えられない!」

 ベンが大粒の涙を流し始める。

「ガイは逃げたあとちゃんとお前と合流したさ! 王都についてもクソみたいなこと言いながらお前の面倒をちゃんとみたさ! あのとき俺を助けに来なければお前はガイと一緒に歩いていたんだ! お前が死んだあと俺はずっとその言葉を言い続けたんだ! 頼むからそれだけは言わないでくれ!」

「ごめん。本当にごめん」

 僕も涙を流してしまう。

「俺が崩れたら、誰がお前を支えるんだ!」

 僕の前で僕のために泣いてくれるベン。ベンは、僕と同じぐらいの子供なんだ。

「今度は僕がベンを支えてあげるよ。安心してくれ、僕はもう崩れない」

 涙は枯れぬが何かが僕の中で形となっていく。それが意思なのか決意なのかは分からない。明らかに僕の中から不安や恐怖が消え去っている。憎しみや復讐心も消え、自分の弱さに対する絶望感も消えていく。

 僕はそっとベンを抱き寄せる。ベンの両膝が崩れていく。

「もう僕は大丈夫だ。親しき友よ、本当にありがとう」

「絶対、死なないでくれ。逃げてもいい生きていてくれ!」

「ああ、約束するよ」

 震え泣く友の背中をそっと撫でる。人が人を支えるのにどれほどの心をすり減らすのか。僕がすり減らしてしまったベンの心を僕が支えてあげなくちゃいけない。

「ありがとう、友よ本当にありがとう」

 僕はベンの背中を何度もさする。




 白い竜は逃げたことにする。オスウェル将軍に報告するため僕とベンは駐屯地へ向かう。血まみれのまま。駐屯地に向かうとそのまま謁見の間に向かう。天井高く、柱が天まで届いている。赤い敷物が王座のある台座まで皺なく真っすぐ伸びている。僕が王座の前に立ち、ベンが少し下がった横。オスウェル将軍が王座の傍らに立ち驚いた表情で僕を見ている。恐らくベンと同じ反応なのだろう。ノルディアの国王が右手奥から足早に現れ、ベンは跪くけど僕はそのまままっすぐ見据える。頭上に金の王冠を被り、豪華な服装は色鮮やか、王たる威厳のある顔つきに髭、そしてなんだこの違和感は? 王に王たる素質が無いとか、陰謀企みの邪悪な気配があるとかでわない。ノルディア国王がゆっくり王座に腰を降ろす。なんだこれ? 僕に対して王が僕に何かを抱いている? それは黒い雲とでも言うのかうっすらと暗雲が見える。

「なぜこの者は頭を下げない?」

 王の言葉が胸に突き刺さり、僕は急いでその場で跪き頭を下げる。

「私がノルディアの王、スティング・ラーデである。白い竜は殺してみせたか?」

「申し訳ありません国王陛下。すでに白い竜は洞窟におりませんでした」

「ほう」

 スティング国王がそっと髭を撫でる。

「それはおかしいな。もしやと思いお前が王国に近づくのを確認し斥候を送った。斥候が見つけた白い竜は別の竜か?」

 早速嘘がバレてしまった。

「国王陛下! この件は私に一任を」

 オスウェル将軍が僕を庇おうとしてくれている。

「それが余の間違いである! 私は竜殺しを信頼していない! カシムも敵に寝返ったではないか!」

 そうだ。この国王が英雄カシムを国家反逆罪で死刑を宣告した人か。あの人に言わせれば「くそったれの国王」になる訳か。それでも僕は頭を下げ続ける。それが作法であるのだから。




 僕の意識に何かが入ってくる。顔を上げる。

 王座にいる王が僕を見下ろす「何を見ている?」

 僕は竜殺しの槍をしっかり右手に握りゆっくりと立ち上がる。

「跪け竜殺し! 余はノルディア王国の王であるぞ!」

 ベンが僕を跪せようとして、僕を引っ張る。

 それが邪魔だったので僕はベンを押しのける。

 僕はいま皆と同じ場所にいつつ、違う場所を眺めている。

 暗雲の雲、遥か上を飛ぶ黒き竜。とても嬉しそうに僕に向かって飛んでいる。

 その赤き眼光、鋭くも真っすぐに竜殺しを見る。

 私の願いは成就した、真に強き竜殺し。私に悲願を見せてくれ。

 噴かしの竜は口を大きく開く。その叫び声、まだ届かず。




 僕は王に背を向け空、天井を見上げる。

「余に背を向けるとわ無礼な! 衛兵! こいつを捕らえよ!」

「来た」

 僕は感覚でそれを知る。噴かしの竜がついに僕を殺しにやってきた。

「何が来た」

 ノルディアの王が話し終わる前に、咆哮が王座の間を揺らす。

「なんだ?」

「地震か?」

 分からない人はそう思うだろう。そして僕はついに噴かしの竜が牙を剝き出しにしたことを直感で悟る。僕はベンに覆いかぶさるようにしてかばう。瞬間、強烈な衝撃音、吹き飛ばされる天井、外から吹き込んでくる風が僕の髪や服を引きちぎらんがばかりに流れる。ことが終われば全てが崩壊していた。天井には大穴が開き、散らばった破片が無数に散乱している。柱は倒れたりヒビが入っていたり。破片が直撃してしまったのか倒れて動かない兵士。赤い絨毯は奥で丸まり王座は完璧にもげていた。ノルディアの王は腰をぬかして震え続けている。髪は乱れ衣服は乱れ、とにかく無事で良かった。僕は天井に空いた穴から空を見上げる。これが噴かしの竜が姿を見せずに放った本当に軽い一撃である。僕はそんな強大な竜を相手にしようとしているのか。ついつい笑みが零れてしまう。せめて手加減ぐらいはしてくれたっていいじゃないか。

「王を守れ! 早く連れて行け! 何してる鐘を鳴らせ! バリスタを回せ急げ急げ!」

 オルウェン将軍が頭から血を流しながら指揮を執る。開いた壁の穴から見える遠い城壁の上、巨大な木造の装置のバリスタがゆっくりと回転している。それを噴かしの竜が見逃すはずがない。鐘の叩かれる音があちこちで聞こえてくる。

「将軍」

 僕の声に動いていた周囲の兵士が一斉に足を止める。

「あの装置から急いで皆を逃がしてください」

「なぜだ?」

「火はもう降りています」

 少しの間のあと将軍が「総員退避させろ! 焼き殺されるぞ!」

 兵士たちが慌ててまた動き出す。兵士たちがバリスタに一生懸命両腕を振る。

「来るぞ! 走れえ!」

 暗雲を貫き火の玉がいくつも落ちて来る。全ての火の玉が一斉にバリスタを全て一瞬で焼き尽くし灰となる。バリスタに配備された兵士たちはかろうじて逃げ切った。これで準備は整った、という感じなのかな。強烈な視線を外から感じる。憎悪、敵意、殺意が気持ちよいぐらいに真っすぐ僕に向けられている。

外に向かおうとしてベンが両手で僕の服を掴む。顔を見れば歯をガチガチと慣らし異常なまでに震えている。

「逃げよう。もう逃げようよ」

 僕はそっとベンの両手を握る。

「もう逃げることは許されない」

「だってこんなの! 死んじゃうよ」

「シンザ!」

 オスウェル将軍と兵士たちが僕の下へ集まってくる。

「私たちに何か出来ることはないか?」

 僕は静かに首を横に振る。

「ありません。ただし、絶対に人を国の外に出さないでください。奴は恐らく背を見せ逃げた者を容赦なく焼き殺します。あとかたもなく。もはやノルディア王国は噴かしの竜の手中にあります。奴がいまその手を閉じるか閉じないかという段階です。その手を閉じるのは僕を殺した後でしょう」

 ベンは僕の手を払って両手でまた服を引っ張る。

「もうお前だけでも逃げればいいじゃないか!」

「私も……」

 オスウェル将軍が言いかけ口を閉ざす。皆がその言葉を待つ。

「シンザだけでも逃げて欲しいと思う。悔しいが我々は誰も竜に適わない、この国を守ってくれ、愛する家族を守ってくれ。本来そう言うべきなんだ、しかしここに立つ者は全員理解しているだろう。相手がどれだけ強いかと」

 噴かしの竜は姿を見せずに王座の間を一瞬で破壊した。これが本気でないということを無意識に肌で感じ取ったのだろう。皆諦めの表情を見せていた。僕はベンと楽しく見て回った中央広場を思い出す。あそこを中心に戦えれば。

「皆を国の外側に。城壁内に逃がしてください。僕はできるだけ中央で戦いますから」

 さて、僕は空から何度も刺されている。いい加減に外に出よう。出ないと皆が死んでしまう。

「弱い我々を許してくれ!」

 オスウェル将軍がそう確かにそう言った。僕は驚いた顔を見せつい笑ってしまう。

「こんなときに笑わせないでくださいよ。この中で一番弱いのは明らかに僕です」

 外へと向き直し歩を進める。僕は死ぬ気なんてさらさらない。ベンや皆、この国の人々を守るために噴かしの竜を倒し生きて戻ってくると! それには命を賭して戦わねばならぬ相手というのが感覚で伝わってきている。弱さを捨てろ! 不安を捨てろ! 恐怖を捨てろ! 僕は竜殺しのシンザ! 僕はしっかり奴に告げた! 竜殺しの槍をお前の心臓に突き立ててやると! 崩れた壁を抜けると、空から容赦なく噴かしの竜が僕の前に四本足で着地する。大地が揺れ建物の至る所が崩れる。

「逃げろ! 逃げるんだ!」

 近くにいた兵士たちが背を見せ一斉に逃げ始める。噴かしの竜は口から二回連続で噴き出し兵士たちに顔を向ける。

「やめろ」

 僕がそう言うと噴かしの竜は赤く鋭い眼だけを僕に向け、のち僕に顔を向ける。


 竜殺しは竜に乗る。人から人に受け継がれし竜殺しの槍。その槍を使える者は人であれ。


 僕は竜殺しの槍を受け継いでいない。だから言ってしまえば竜殺しがなんなのか分かっていない。そして僕が見た竜殺しはただひとり。ゴズウェルさんだ。僕が見た竜殺しはただひとりゴズウェルさんだけだ。そしてゴズウェルさんは恐らく白い竜に乗って戦ってくれた。僕はそのときベッドの下に隠れていたんだ。だから僕は見ていない。けれども「何か」を聞いたはずだ! 僕は両眼を強く瞑り歯を剥き出しに考える。

 思い出せシンザ! 思い出すんだ! そのとき影から何を聞いた! それが答えだ!




 シンザ! 僕はあのとき何を聞いた!

 シンザ! お前はあのとき何をみた!




 僕は肺から全ての息を捨てるかの如く大きく息を吐き続ける。僕の声は知らない竜に届かない。僕の感情は知らない竜に届かない。僕の思いは知らない竜に届かない。ならば音だ! 槍から響くあの音は確かにベッドの下で耳にした! それは洞窟で響いた音と合っている。僕は両手に竜殺しの槍をしっかり力強く握る。それを地面の岩目掛けて振り下ろそうとした。誰かが「違う」と感覚で教えてくれる。


 真実の槍は心で鳴らすもの、人の心が音になる。そっと優しく振ればいい。


 僕の両手からゆっくりと力が抜ける。僕は槍を握っていないに等しい、もはや手で軽く持ち上げている程度。そっと刃先を地面に少しだけ落としてあげる。真実の槍は優しい音を響かせる。大きくも穏やかに。名もなき竜よ、どうか僕の音を聞いてくれ。鳴り響く音は心地よく、徐々に音が去っていく。遠くの山より竜の深く長い咆哮が鳴り響く。噴かしの竜はそちらに顔を向けながら大地を蹴り空へ静かに上がっていく。僕が洞窟で殺すはずだった白き竜。その白き竜が僕に向かって翼をしなやかに動かし飛んでくるのが分かる。僕は噴かしの竜から目を逸らしていることに気づき慌てて空を見上げる。奴の赤い眼はしっかり僕を捉えていた。なのに火を噴いてくることはない。白き竜の到着をただ静かに待っている。近づいてくるその竜に僕は感謝と申し訳なさを感じている。あなたは負傷し休んでいた身、僕から流れた血の量はあなの血だ。あなと僕の感覚がひとつになったんだ。

 そっと僕の前に降りて来た白き竜に手を差し伸べる。なのにあなたは僕を信頼し来てくれた。どうかその力を僕にお貸しください。

 噴かしの竜が口から炎を噴かす。熱と振動を同時に感じそれを一定の間隔で続けていく。その間隔が徐々に狭まっていく。戦前の業火の音色、戦いのときは来た。白き竜は首を降ろし僕を招いてくれた。風がそっと僕を浮かし優しくそっと白き竜の上に僕を降ろしてくれる。右手に竜殺しの槍を握り左手でそっと白き竜を撫でる。足が自然と見えない何かに優しく縛られる。

 風がどこにいるのかが分かる。誰がどこで何をしているのかが分かる。感覚が人の領域を超え研ぎ済ませれていく。だからこそ分かる噴かしの竜から浴びせられる憎しみと怒り、強烈な殺意。絶対的な意思を持って僕を確実に殺そうというその意思を心に感じる。白き竜は翼を広げ静かに空へと上がる。噴かしの竜は数回強烈に炎を噴かし静かに舞う。戦の開始を告げるが如く空たかく首をかかげ強烈な咆哮をあげる。耳を貫き僕の心を驚かし、体を貫き僕の心を震わせる。

 ノルディア王国の外は竜巻の群れ、見える地上は灰色の巨大な竜巻が無数に地上を破壊し始め、空を占める暗雲が強烈な雷を光らせる。一瞬の閃光と落雷の衝撃音が幾重にも重なる。噴かしの竜に雷が命中し流れるように地表へ落ちていく。強烈な豪雨が僕の真正面から壁となり僕らを一瞬で水びだしにする。凍てつく寒さが襲い付着した水が凍り着いていくようだ。噴かしの竜が炎を宙へ吐く。自らの炎に包まれ、姿を見せれば業火の鎧を身に纏う。頭、胸、四本の足、尻尾。業火の甲冑と言っても過言でわない。その熱は離れている僕らですら感じている。

 それは地獄と呼ぶに相応しい光景。


 風が支配され

 雷が支配され

 水が支配され

 炎が支配され


 強烈な暴風と豪雨の中で僕は噴かしの竜に疑問を抱く。あれは本当に竜なのか? 竜とは空を飛び火を噴く者。なのに噴かしの竜はそれ以上のものを持ち合わせている。僕はいま竜でわなくまさに「自然」そのものと戦うのでわないか。研ぎ澄まされている感覚がそう伝えて来る。噴かしの竜がゆっくりと翼を動かす。逆に白き竜は一気に高度を落とす。雷が僕らを突き刺そうと降り注ぐ。光と炸裂音に震えながら僕はただ白き竜の感覚に身を任せる。王国にならぶ家々の屋根すれすれを飛び、高速で飛来する雷が次々に家や地面に着弾し粉々にしていく。空を飛びながら僕はまだ逃げ遅れている人が多いことを感覚で掴む。数本の雷が白き竜に命中しその痛みが僕に伝わってくる。全身を痺れさせる激痛。僕は歯を食いしばり必死に耐える。姿見せない風が僕たちを鷲掴み、白き竜が体を乱暴に回転させながら空へ上げられる。姿勢を正したとき、眼前の噴かしの竜が口を開く。白き竜が咄嗟に翼を広げ下がりながら蒼い炎を吐くも噴かしの炎がそれに勝る。強烈な熱の感覚が僕の服の下で肌を焼いていることが痛みで分かる!

「うわ!」

 情けない声を出し左手で自分の胸を抑える。熱い! 我慢できる熱さじゃない! 休む暇も与えてもらえず右から雨の壁が風と共に僕を殴りつけて来る。僕は白い竜から引き剝がされ地面に落ちていく。たとえ何があろうと右手にある竜殺しの槍だけは絶対に離さない! 僕が地面に叩きつけらる直前に白き竜が飛来しそっと僕を背に戻してくれる。間髪入れず噴かしの竜が覆いかぶさり、噴かしの竜が身に纏いし業火の鎧で僕をじんわり焼いていく。

「くそう!」

 竜殺しの槍を自棄になって突き出すも、噴かしの胸にはしっかりと業火の鎧が纏われている。白き竜が蒼き炎を放ち噴かしの竜を下がらせる。白き竜は翼を広げ空へ上がろうとした。

「耐えてくれ!」

 僕の背後にまだ無数の人々が立っているのが感覚で分かる。足を震わせ腰ぬかす人、ただ呆然と眺めているもの。僕は右手で大きく竜殺しの槍を振る!

「早く逃げてくれ! 耐えられないんだ!」

「走れ! 早く走れ!」

「怖いよママ!」

「走って早く!」

 そうだ早く逃げてくれ! もう既に僕の身が焼かれ始めている! 噴かしの竜が真正面から業火を放つ。業火に撫でられた家屋に一瞬で火が点き、白き竜が蒼い炎で耐え凌ぐ。僕がいま死なずに意識を保ち続けられるのは僕の痛みを白き竜が抑えてくれているからだ! だからこそ白き竜がどれだけ傷ついていくのかが心で分かる! 感覚で分かる! 背後に人がいないことを確認して僕は「ありがとう」と囁く。白き竜が空へ飛んだ瞬間、僕の背後の地形が業火で抉れる。白き竜が真上一直線に飛んで行く。眼前に灰色の竜巻が蛇の如くうねり大口を開き僕たちを中へ閉じ込める。白き竜は竜巻の中を飛び続ける。いつの間に前に出たのか、竜巻の壁から僕たち目掛けて噴かしの竜が突進をしてくる。白き竜が竜巻の壁に触れるだけで僕の体が引き裂かれんばかりの激痛を感じる。痛みだけなら耐えればいい! それが激痛であろうと耐えられる! しかし炎は僕を容赦なく焼いていく! 焼かれ続ければ僕は確実に死ぬだろう。だから僕は一撃で奴の心臓に竜殺しの槍を突き立てなくてわいけない! どうやって! 竜巻の壁、噴かしの竜はそこへ飛び込む。その中ですら自在に飛び回る。白き竜の前に出て体を回転させながら火の玉を四つ宙へ置き去りにし、また壁に飛び込み回転しながら減速し白き竜の背後へ回る。噴かしの竜が業火を僕らの背に放ち続ける。前方に置きざれにされた火の弾が僕らの近くで爆発する。熱と衝撃破が僕の体を押し潰し口から噴き出す血は既に沸騰、僕は一瞬で口の中を焼かれてしまう。背後にいた噴かしの竜がまた壁に乗り、回転しながら中央へ業火を吐き続け、背後から業火が回転しながら迫ってくる。白い竜が蒼い炎を放っても赤い炎の回転速度が速く一瞬、本当に一瞬僕らは業火に包まれる。その一瞬が僕には致命傷になっている。僕は右目が見えなくなっていることに気づく。どうやら右目を焼かれたらしい。やっと竜巻から出れば豪雨と暴風がまた僕らを殴りつけ一気に地上へ落とされていく。暗雲に灯る雷を見て白き竜が身を翻すも、轟音と瞬時の光がいくつも命中してしまう。異常な激痛が僕の体を突き刺していく。ここで僕は弱さを見せてしまう。というより体がもちそうになかった。それを意図してか白き竜がいちど地上へ降り、僕に語りかけてくる。僕は言った、飛んでくれと。白き竜は再び空へと上がってくれる。噴かしの竜が首を大きく天にかかげ口を開き強烈な咆哮をあげる。暗雲が噴かしの竜を中心に一瞬で消え去っていく。強烈な衝撃波が空を揺らす、大地を揺らす。遥か高みにある太陽は黒く光を遮られている。無数の灰色の竜巻たちが炎を混ぜ始め業火となりて地表を焼く。

 空高く昇る太陽影に隠され灯は業火のみ、地表を業火の渦たちが焼き尽くす、燃やし吸い上げたものが炎の雨となり大地へ降り注がれていく。眼前に見える噴かしの竜、業火の鎧が何よりも不気味に光輝く。

 僕はかろうじて保っている意識の中で何を見せられているのかが理解できないでいる。僕は噴かしの竜を倒すと誓った。僕の大事な人たちを殺したから! 竜とは空を飛び炎を吐く者。そうそれが竜なんだ。なら僕の目の前で僕を確実に殺すと言ったこいつは何なんだ! 研ぎ澄まされている感覚が悲鳴をあげる。こいつはもう「竜」と言う言葉で片づけていい相手じゃない! 数多の竜殺しを葬り! いくつもの国を滅ぼし! 人々を思いのままに殺戮している黒き竜! 僕はこいつに勝つんだとか、命を賭してまで勝つんだとかそういう次元の話じゃない! 勝てる訳がない! こいつは一体誰なんだ! 誰でもいいから教えてくれ!

 逆に僕はいまどうなっている。右目は完全に焼かれ、服の下は恐らく火傷まみれ、口の中は感覚すらない。竜殺しの槍だけか焼かれずに僕の右手に握られている。


 これだ。竜殺しの槍だけでもあいつの心臓を貫けばいい。僕自身は必要ないんだ!


 白き竜が僕に怒りを向けて来る。僕は無言でそれをなだめる。仕方が無いんだ! そうでなくてわ奴は絶対に倒せない! 僕の身が焼き尽くされようと僕の心が燃え尽きようとも、竜殺しの槍であいつの心臓を貫ければそれでいいんだ! そして友よどうか許してくれ。僕はあなたに苦痛を強いる。白き竜は噴かしの竜に向かって真っすぐに飛んで行く。降り注ぐ火の雨が僕ら、いや僕の全てを燃やしていく。僕がすべきことは竜殺しの槍をしっかり握っていること。ただそれだけでいい! この槍さえあればいいんだ! 他の物は必要ない! 噴かしの竜が炎の弾を放ち続ける。白き竜はそれを回避するも近くを通っただけで炎の弾は次々に炸裂していく。ことあるごとに僕の何かが崩れどこかへと消えていく。僕の意識が未だあるのは全ての痛みを白き竜に託してしまっているからだ。無数の炎の弾をかいくぐり白き竜が蒼い炎を放つ。噴かしの竜はそこが王座であるかの如く絶対に逃げようとしない。業火を放ち蒼き炎が押し負ける。白き竜が業火に焼かれながらも僕を奴の胸元まで運んでくれる。


 ありがとう。


 僕はそっと白き竜から離れ風を捉えて自分を押す。噴かしの竜の心臓目掛け竜殺しの槍を両手でこれでもかと突き出す。奴の胸元には業火の鎧、槍だけ残し僕の全てが一瞬で燃え尽きる。


 竜殺しの槍、業火の衣を砕き心を突く。心を突かれし黒き竜、噴かしの竜は空高く悲鳴をあげ鳴き叫ぶ。世を焼き尽くさんばかりの業火たちが鎮まりかえる。業火が消え、竜巻が消え。天の光を遮る影がひび割れ静かに崩壊していく。その光に照らされし黒き竜、噴かしの竜は力なく地上へと堕ちていく。


 何故かは知らない、分からないんだ。僕の意識だけが竜殺しの槍に残っている。だから僕は噴かしの竜と共に落ちている。ついに僕は噴かしの竜を倒したと思ったよ。でも彼はまだ元気なんだ。すごいよね、心はしっかりと竜殺しの槍で貫いているのに、噴かしの竜から生に対する執着が大量に流れ込んでくるだ。こんな奴に僕が勝てる訳ないじゃないか。幾度となく足を止め、幾度となくその手を止め。誰も守ることが出来ずに誰かに支えられているだけの弱い僕。とてもじゃないが敵わないや。皆ごめん、なんて僕は言わないよ。だって無理だもん。全ての要素で全て勝る噴かしの竜、全ての要素で全て劣るこの僕が無理に決まっているんだ。噴かしの竜が地面に叩きつけられ、竜殺しの槍が血肉に押し戻され地面に落ちる。僕は奴を見上げた? 見上げているんだと思う。逆にしっかりとした足で地面に立ち、堂々たる巨体に赤き鋭い眼光が僕、竜殺しの槍を見下ろしている。ふと、奴の口から大量に血が噴き出し、僕の想像を超える量が流れていく。なんだ? 何があった? 噴かしの竜から生が流れ出していく。僕は、僕は奴を倒せたのか?

「ハウ……ハウ……」

 噴出かしの竜が口を開きとても低く太い声を漏らす。死ぬのだろうか? 僕の意識が消える前に死んでくれ。お前の死を見て僕は……焼き尽くされてなおその感情が負であることを竜の感覚が教えてくれる。そうだね、そんなこと思っちゃいけないんだ。

「フハ……フハハ……」

 何か言おうとしているのか? だったら早く言って欲しい。僕の体はもうないんだぞ。

「フハハハハハハハハ! アーハッハッハッハッハッハ!」

 巨大な笑い声、人の声を真似しながら噴かしの竜が僕を笑う。 その笑い声は全てを震わす。僕みたいなちっぽけな存在を確実に殺せたのがそんなに嬉しいのか?

「真に強き竜殺しシンザあ! シンザあああああああああああああああああ!」

 一体何を考えているのか。中央広場のど真ん中で自分の血を撒き散らしながら体をくねらせ踊っている。周囲を気にすることなく振り回す尻尾で届く範囲の物全てを破壊し尽くす。笑うことを辞めず、ひっくり返って背中をこすったり軽やかに跳び大地を揺らしたりと……大人がお腹を抱えて笑う……違う。無邪気な子供が純粋に喜び回っているんだ。僕を確実に殺せたから? 僕に竜殺しの槍で突き殺されるから? こんなちっぽけな僕を焼き殺せたことが嬉しいから? ちっぽけな僕に負けたのが悔しいから? たぶん全部違うと思う。だから僕は純粋に「彼」に尋ねたんだ。何がそんなにおかしいんだいって。彼は自らの足元に業火を放ち撒き散らした血にそれが引火する。彼は自らを燃やしていった。


「真に強き竜殺しシンザよ! この世でお前に勝るものなし!」

 僕はたぶん気楽に笑顔を見せていたと思う。

「所詮は竜だな、お前に僕の弱さは理解できないよ」


 あれだけの力を持ちながら噴かしの竜は自らの炎で全てを焼き尽くす。肉も骨も全て。

 彼が消えると同時に僕もその場から消えた。




 酷く長く眠っている気がした。ここは薄暗い水の中、僕が噴かしの竜に死から這い上がって見せろと言われた場だ。僕は頭を下にしてゆっくりと底なしの深淵に降りていく。隣を見ると噴かしの竜も同じような体制で巨体を動かさず深淵に降りていく。この先にあるものこそ本当の死である。なぜ竜の感覚が残っているかは分からない。けど感覚で分かる。じゃあこの先に父さんと母さんがいるんだ。ゴズウェルさんもいるし。荷物持ちだっているんだ。ベンはいないけど……ごめんねベン。また僕のために泣き続けてくれるんだろうなあ。でもこれ以上泣くことはないんだ。だって君は強いんだ、僕はもう泣くことが出来ないけど。逆にもう僕も悲しみの涙を流す必要がないんだ。僕は父さんと母さんと会っていっぱい話すんだ。君たちと出会ったこと、皆に助けられたこと。ゴズウェルさんとだってまだちゃんと話してないんだよ。だからいっぱい話すんだ。皆とまた会える。やっと会えるんだ。やっと……。

 噴かしの竜が鋭い眼光を開く。ぐるりと水中で回転し僕に仰向けになって口を開く。死ぬ前に僕を確実に殺すのかい? 流石にもうやめてくれよ。僕はゆっくりしたいんだ。

 噴かしの竜が業火を僕に放つ。水中だと言うのに熱が僕の肌を焼く。


 焼く瞬間、瞬間だった。


 業火の熱は僕を焼かずにそっと暖かく抱きしめてくれる。恐ろしい勢いがそのまま緩やかな光へと変わる。ふと母さんが抱きしめてくれたあの日のことを思い出す。僕はそっと光を抱き返す。一瞬で懐かしい感触だ。そしてそっと光が髪を撫でる。まるで父さんに撫でられたみたいだ。父さんと母さんが僕を噴かしの業火から守ってくれたのか。噴かしの竜が堕ち続けていくのに対して僕は光と共に微かに差し込む天の光に昇っていく。


 僕だったらそう考えた。けれど竜の感覚が違うことを告げる。


 僕はこの暖かさを父さんと母さんから何度も貰ったことがある。寝ているときにあやしてくれたり、泣いている僕の頭を撫でてくれたり。だから僕はこの光の感触が愛や優しだということが理解できる。僕は噴かしの竜を真っすぐに見下ろす。


 なぜこの愛ある優しさがお前の口から出てくるんだ?


 僕をそうやってまたからかっているのか? お前が殺した父さんと母さんの姿を見せてそれに浸る僕をあざ笑っているのか? お前は多くの人を殺した竜。お前に人の優しさなど分かるはずがない。そうじゃないとおかしいだろ! だってこれじゃ。お前は人の愛や優しさを知っているじゃないか。僕の心を踏みにじったときにそれを盗んだのか? 他の人の心をいじくり回したときに見たのか? お前は荷物持ちに化けて出た。僕は馬鹿みたいにお前と話したんだ。お前はクソ野郎の口真似が下手で僕に見破られた間抜けさ! けど……けど、お前は僕の心をあのとき踏みにじったのかい? あのとき僕は……楽しかった。焚火に照らされて、お前を荷物持ちだと勘違いしながらも楽しく話していた。そうだ、僕はお前が荷物持ちに化けていたことに口調で気づいた。


 だから僕は心を踏みにじられたと思うことが当然だろ?


 だってそうだろ? お前が荷物持ちを殺したんだ。お前が殺したんだ! お前は自分が殺した相手に化けて……お前はただ……ただ僕の話を聞いていてくれた。なんだ? 僕の何かが狂っていく。いや僕の考えは間違っていないんだ! 自分が殺した相手に化けて出てくることがもうおかしい狂っている! お前は僕を見て言った! 「真に強気竜殺し」と! そのあと僕に死から這い上がって見せろと言った! その場所がここだ! 僕はいちど諦めた! そのとき荷物持ちが呼んでくれて僕は……僕は。僕はそっと天から差し込む光に手を伸ばす。僕はこの場所がどこでどんな場所なのか理解なんかしたくない! けれども今なら分かる。底なしの深淵は死へと続く道、天から差し込む光は生への道。あのとき荷物持ちが僕を呼んでくれたんだ。だから僕は気楽に泳げた。だから僕は荷物持ちの手を取って。本当に、本当に今なら分かる。荷物持ちは死んだんだ。そう彼は既に死んでいるんだ。だから彼がいるべき場所は深淵のその先だ。まさしくお前が今から堕ちていくところだ。それでも彼の優しは僕の心の中にしっかりとある。そうなると僕を呼んで手を差し伸べてくれたのは荷物持ちじゃなくて……お前なのか? 


 お前はどうして父さんと母さんを殺した? 

 お前はどうしてゴスウェルさんを殺した? 

 お前はどうして砂漠で僕に槍を押し付けた? 

 お前はどうして僕たちを襲った竜を容赦なく殺し、僕をすぐ殺さなかった? 

 お前はどうして僕の話を聞いてくれた? 

 お前はどうして僕に手を伸ばした?


 僕を一度ここから抱き上げてくれた荷物持ち。僕は本物だと思っているよ。今でも思っているよ。だから僕は温かな手と言葉に励まされ。死から這い上がられたのはその手とその言葉があるからだ。でも、でもそこに立っているのは荷物持ちじゃないんだ! 僕が心の奥底で望んだ幻か? 


 幻……お前はどうしていま僕とおなじ場所にいる?


 だって。だってここはお前が僕に見せた幻だろ? そのはずなんだ、ここがお前の幻じゃないとしたら僕が天の下で見た荷物持ちは誰なんだ? お前な訳ないじゃないか! 絶対にありえないんだ! 死から這い上がらせて戦いに興じたかったのか? 泣き虫で弱い僕を見て優越感浸っていたのか! 違うお前はそんな奴じゃない! それが感覚で分かる! 僕は認めたくないんだ! お前が……。


 お前が心優しき黒き竜であるということを。


 こいつは僕の心を踏みにじっていない! なぜだ! 

 こいつは僕の心に寄り添ってきた! なぜだ! 

 そして死に行く僕に手を差し伸べた! なぜだ!


 お前は僕を見て確かに言った「我が願いは成就した、真に強気竜殺し」と! お前の願いとはなんだ! 戦う前に僕に直接伝えてきた「悲願を見せてくれ」とはなんだ! 


 心優しき黒き竜! お前はあのとき何を見た!


 お前なんか知ったこっちゃないんだ! とっとと深淵に堕ちてしまえばいいんだ! 竜の感覚がお前をどんどん紐解いていく! 人の温かな愛や優しさを知り、僕の大切なものを奪っていった黒き竜! 僕の心に寄り添い僕をなぜ死から這い上がらせる! お前の口から出た業火は愛ある優しさへと変化した! これは人から人に自然と受け継がれるものなんだ!


 お前は人から愛されたことがるのか!


 もう滅茶苦茶じゃないか! 人から愛され人の優しを知る竜がなぜ数多の竜殺しと戦い、国をいくつも滅ぼし誰かの大事な人を殺戮しまくる! 


 僕は白き竜の子供を思い出す。


 そんなことはありえないんだ! 絶対にありえないんだ! 竜の感覚が僕を地獄へ引きずりこむ! お前は誰かの父であり母なんだ! 愛する家族を守るため人と戦い! 仲間を失い! 家族を失い! そしてその復讐を誓った黒き竜!


 それでもお前は人から愛を受け継いだ心優しき黒い竜なんだ!


 僕は無我夢中で深淵、堕ちていく黒い竜に向かって泳いでいく。なのに僕は光と共に天へと上がっていく。

 心優しき黒き竜よ! お前は僕を死から這い上がらせた! お前は僕を確実に殺すと言った! どうした早く上がって来い! 弱い子供の僕に負けたのが悔しいのか! ほら! うまそうな体が目の前にあるぞ! 口を開けてくらいついてみろ!




 なぜ心を閉ざす!

 お前の心に何があった!

 お前の心はなぜそうなった!




 僕は必死に右手を伸ばす。

 僕の手をどうか掴んでくれ! 僕ちゃんと聞くから! 聞いてあげるから! 僕はお前に心の内を話したぞ! 僕はお前に勝ったんだ! その褒美としてお前も僕に心の内を話せ! 話すんだよ! 人の心を勝手に覗いて、勝手に支えて! 何が真に強きだ! 僕はあのとき何を見せた! あのとき僕はお前にちゃんと憎しみと怒りの感情を向けたぞ! 父さんと母さんを殺した! 皆を殺した! でも僕はその感情が怖かったから恐怖して涙を流した。それを見てお前は真に強き竜殺しと言った! 僕の涙を見たんじゃない! その憎しみと怒りの感情に恐怖した僕を見たんだ! だってそうじゃないか! 僕らに誰かを殺すなんてことが出来る訳ないじゃないか! 人の愛や優しさを知りながら誰かに牙を向けるなんてことが出来る訳ないじゃないか! お前は憎しみと怒りに支配されそこから抜け出せなくなったのか! 




 誰でもいいから助けてくれえええええええええええええええええ!




 この感覚を止めてくれ! あの心優しき黒き竜を助けてくれ! 僕は殺してはいけない「人」を殺してしまった! 貫いてはいけない「心」を貫いてしまった! あいつは心から愛されることを知り、心から愛すことを知りながら憎しみと怒りに支配されそこから抜け出せなくなった心優しき黒い竜! 生き残るため! 皆を守るため! 牙を磨けば磨くほど憎しみと怒りが「人の心」を支配していく! 原動力がそれとなれば人の心は確実に死ぬ! 奴はそれを知っているんだ! 知りえているのに生き残るため殺さねばならない!


 お前は僕に自分を見たんだ! 僕はいまお前に自分を見ている!


 僕がお前に僕と同じ「心」があると知っていたなら殺すだろうか? 僕は絶対に殺さない! でも僕にそんなこと分かる訳がないじゃないか! けどお前はそれを僕に見たんだ! 僕は君で君は僕なんだ! ならどうしてあのとき語ってくれなかった! 僕と話す機会があったじゃないか! 僕が頼りなかったから? 違う! お前は「心」の片隅で僕の父さんと母さんを殺した罪悪感を抱いていんだ! だから僕に話せなかった! 僕に語らなかった! そんな心優しい君がどうして心優しい父さんと母さんを殺さなくちゃいけないんだ! 君はもう滅茶苦茶じゃないか! どうして……。


 僕は伸ばした右手をそっと下げる。彼の心はもう天に昇らない。


 心が完全に壊れ何が悪しきか思い出せなくなったのかい? 最後に無邪気に笑っていたね。僕は君にいけない感情を抱いた。今の君なら分かるだろ? それが駄目なんだって。君はそれを皆に伝えて欲しいんだね。一体何があったんだい? 心優しき黒き竜よ教えてくれ。君は誰かに愛され純粋な愛を知っているじゃないか。君なら自分の力で蘇られるだろ? 僕分かるんだ。なのに、


 君はどうして温かな命を僕だけに与えてくれるんだい?


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