一章 強き光は影を見せ
父さんと母さんが家を出て行ってから何日経ったろう? 家に残ったパンや水も底をついた。家の外は竜巻で出られない。窓からそっと見る竜巻はすごい風音と共に周り続けている。父さんと母さんはあの竜巻に入ったのだろうか? 僕は何もできない。ふと竜巻の中に人影が見える。僕は額を窓につける。この竜巻の中を歩いて来たのか? 最初は空腹で見間違いだと思った。そしてその人影がすぐに父さんと母さんじゃないことも理解できた。とてつもなく大きい。肩に大きな槍を担いでいる。今はそれしか見えない。誰か分からないから僕は急いでベッドの下に隠れる。扉が軋みゆっくりと開いていく。大きな靴が目にとまる。歩くたびにガチャガチャと音を鳴らし足音も大きく床が軋む。
「誰もおらんのか? 遅かったか?」
低い声が耳に入る。その声を聴いて僕はそっとベッドの下から出る。
「おーいたいた」
見上げた男は本当に大きい。つばの広いボロボロの帽子を深くかぶり、髭はこれでもかと生えっぱなし。巨大な岩みたいな太った体は服の下からでも分かるでかいお腹。鞄をふたつ両脇に提げ、なにより肩に担いだ槍が大きい。そして異常に臭い。
「シンザ、お前の父さんと母さんは亡くなった」
男の言ったことが僕には衝撃だった。でもすぐに僕は落ちついた。
「聞いてくれシンザ。お前の心には父さんと母さんが寄り添っていると……大丈夫か?」
「うん。そうじゃないかと思って」
竜巻を見れば分かる。あそこを通って行こうなんて無理だ。父さんと母さんは助けを呼びに行った。そしたらこの人はその助けなのだろうか?
男は酒瓶を一気に飲み干し放り投げる。瓶がゴロゴロと転がる。男は何も言わずに外へ向かう。
「どこへ行くの?」
男が振り返って少し顔を上げる。姿に見合わず優しそうな目が笑みを見せる。
「世話になったな。ベッドの下で待っていろ。なあにすぐ戻る」
男はそう言って外へと向かった。一体何しに来たんだろう? 突然、轟音が鳴り響き家が揺れ始める。地震が来たのかと感じて急いでベッドの下に隠れる。そのあとに何か大きな音が響いてくる。何かの鳴き声が聞こえ、また轟音が鳴り響く。僕は得体の知れない音の下、ベッドの下にただ隠れ続ける。そして巨大な咆哮が轟いた。見えなくても分かる、巨大な何かが叫んでいる。家が崩れるかと思うぐらい揺れ続けた。
急に静かになった。驚くほどに静かだ。おそるおそるベッドの下から出る。窓にあり得ない物が映っていた。陽射しだ。外から陽射しが部屋の中へ斜めに差し込んでいる。ゆっくりと窓へ近づき外を覗く。久々に見た青空がそこには確かにあった。今までの竜巻はどこへやら、何事も無かったように元の景色に戻っていた。外へ出てもいいのだろうか? 喜びに混じって消えた咆哮がまだ耳に残っている。ゆっくりと扉に手をかけそっと押す。軋む音が大きく聞こえる。久しぶりのそよ風に青空。つい青空に見とれてしまう。我に返っておじさんを探す。おじさんはすぐ傍でうつ伏せになって倒れている。その隣に大きな白い竜も倒れていた。白い竜は口から血を流している。
「おじさん」
揺すっても起きない。足元を見ると血だまりが出来ている。これは竜の血じゃない。おじさんの血だ。おじさんは死んでいた。おじさんは右手にしっかりと大きな槍を握っている。刃鋭き刀身、竜の口が開いた彫刻、そして長い柄。僕は空腹からおじさんの服を漁ってしまう。ポッケから湿気たパンを見つけて無我夢中でほおばる。別のポッケから水筒を見つけて飲み干す。おじさんの物を勝手に使うのは良くないと思いつつ、空腹には勝てない。水筒の水を飲み干し胃が久々に満たされた満足感に座り込む。とにかくおじさんを埋めなくちゃいけない。白い竜はどうしようもない。大きすぎて僕じゃとても無理だ。この白い竜がおじさんを殺したのか。そしておじさんはこの白い竜を倒した。竜巻の正体はこの白い竜が原因だろう。父さんと母さんが世界には恐ろしい竜がいる。自分たちはそれを退治する旅に出ていたと話していた。
ゆっくりと立ち上がり家からスコップを取ってくる。家から少し離れたところに穴を掘り、埋める前に使えそうなおじさんの鞄をひとつ。そして大きな槍は埋めずに墓の横に置いておく。重くて運ぶのに精一杯だ。おじさんのあまりの巨体に穴まで動かすのに苦労した。やっと穴まで動かせたときにはへとへとになった。スコップで埋めようとしたとき、おじさんのポッケから何かの紙切れが見えた。それを取り出すと四つ折りの紙、開けば間違いなく地図だ。
地図は僕の家があるフラゲ高原から東へ線が伸びている。肌色の土地、線上に丸印。そこからすこし北東にずれると分かりやすい木の画。森だろうか? そこにも丸印がついている。その森を抜けると城の画。僕は東へ向かうことを決心した。狩りや雪解け水で少なからず凌げるが限界がある。おじさんの帽子を取りその胸に置く。そして上に両手を交差しておく。スコップを手に取り土を取る。土をかけようとして手が止まる。顔をしっかりと見ながらつい「お世話になりました」と感謝の念を伝え土を被せる。
おじさんを埋めた頃には太陽が沈みかかっている。久々に見る茜空に見とれつつ。旅立つ準備を始める。必要なものを鞄に詰める。水筒に地図、ナイフぐらいしかない。問題はあの大きな槍だ。あれはおじさんの槍だ、そして大きくてとてもじゃないが子供の僕には運べない。おじさんの墓に供えるべきだと思いつつ。僕でも分かる立派な槍だ。こんなところまで盗賊の類は来ないと思うけど、もし来たら確実に槍は盗まれるだろう。父さんはよく言っていた「あとで後悔するなら後悔しないほうを選ぶんだ」と。僕は無謀だと自分に言い聞かせながら槍を持っていくことにした。
地図の先に何があるのか? 僕は想像と不安を膨らませつつ眠りについた。
日が昇りかけの薄暗がり。僕は墓に供えた槍を手にする。とてもじゃないが重い! こんなのどうやって運んでいけというのか。両手で握り息を殺し力を入れても持ち上がらない。絶対に無理だ。やっぱり置いていくしかない。でも、ここに残しておけば確実に盗まれる。持って行こう。引きずってでも持って行こう。家にあった縄を柄に結び刀身を地面に擦りながら運んでいく。この槍は本当に重い。しかし動かせないことは無かった。少しずつだが槍は動いてくれている。さらに山を下りていくので緩やかな下り坂。間違えて槍に引きずられないよう注意しながら降りていく。
高原を降り切ると薪拾いに来ていた森にたどり着く。そこには小さな小川がある。疲れた僕は顔を沈めて水を飲む。顔あげて大きくため息を吐く。やっと水にありつけた。水筒を取り出して小川の水を汲んでいく。この森はすぐに抜けよう、確か熊がいるはずだ。辺りを警戒すると早速熊が視界に入った。僕は思考も体も全部止まる。熊は木陰に隠れ二本足で立っている。手を木にかけこちらをじっと睨んでいる。と言うよりも、僕のことをじっと眺めている。我に返って咄嗟に駆けようとしてそれが駄目なことに気づく。父さんと母さんにそれを教わっていたから。熊が去ってくれるか、僕がゆっくり動くかだ。槍に結んだ縄を握りゆっくり動く。槍が少し動いた瞬間に熊が急に飛び跳ね背中から地面に落ちる。地面を転げ回ったあと低い声をあげながら僕とは反対方向に走り去っていった。とりあえず熊は逃げてくれた。腰を抜かした僕はその場に座り込む。食べられるかと思った。急いで森を抜けよう。
ところがこの森が思った以上に厄介だった。道という道はない。木の根や岩、ちょっとした段差。自然の造形が重い槍を運ぶのを邪魔してくる。ちょっとした段差も一苦労だ。息を大量に吸い込み両手で槍を引き上げる。上げた頃にはくたくただ。まずい、このままじゃ森の中で野宿になる。食べられる小さな実を片っ端から掴みとりポッケに突っ込んでいく、遠くから狼の声が聞こえてくる。狼は襲ってこない。問題は方角を見失うことだ。空を見上げると木々の葉が視界を邪魔する。参ったな。やっぱ急いで森を抜けよう。重い槍を僕は必死に引きずっていく。
森の暗闇に捕まる前になんとか森の端までたどり着く。そして足元の草木が途中から減っていき砂になっている。眼前には砂しかない。ここが地図にあった肌色の土地。これが砂漠なのだろう。父さんから聞いたことがある。夜空を見上げると星空が思った以上に綺麗だ。僕の家ほどではないが。ここからは未開の土地。今日はここで野宿をしよう。食料はポッケに突っ込んだ木の実だ。それを口に突っ込んでいくと。甘さと酸味がごちゃ混ぜになりつつ夜の砂漠を眺める。この先への不安感よりも好奇心が勝っている。誰かも分からないおじさんが通った道。この先へ進もう。
照りつける太陽、上からも下からも襲ってくる熱気。歩きにくい砂の地面。砂漠へ入ってもう後悔した。暑すぎる。汗が止まらず湧き出てくる。水筒の水を飲み地図を取り出し確認する。不安がどんどん押し寄せてくる。僕の家、フラゲ高原から地図に沿って東へ進む。距離からするとそろそろ砂漠の丸印に着くころだと思っていたけど、どこを見ても何もない。方角を間違えた? そもそもこの丸印はなんだ? 一旦戻るか? そこで僕は振り返って再び後悔した。この時点で完全に方角を見失った。慌てて砂山の形状と足跡から目指すべき東へ向きなおす。とりあえず向かおう。僕は歩き続けた。
歩いて歩いて歩き続け。ついに水筒の水が底を尽きる。水筒を高らかに上げたところで水は落ちてこない。暑さが体力を蝕んでいく。もう何も考えられない。足を砂に絡み取られ前のめりに倒れてしまう。暑いはずの砂が心地よいベッドにいるみたいだ。僕はそのまま眠ってしまった。
ふと体が揺れていることに気づく。何か夢でも見ているのだろうか? そしてガチャガチャと鳴る音に目を覚まして飛び起きる。僕は知らない生物の上に乗っていた。なんだこれ? 馬は本で見たことあるけど、背中にコブがふたつある生物。隣を見ると肌が黒い人が僕を真っすぐに見ている。着ている服は布切れのように薄く感じるもちゃんと服だ。何かの生物が一列に進みその上に人が乗っている。そうだ槍! 辺りを見れば自分の乗っている生物に紐で結ばれた僕の槍が引きずられている。金属の擦れる音が聞こえて後ろを見る。上半身裸の子供がひとり鎖に繋がれて歩いている。僕と同じぐらいの子供だと思う。赤毛の髪に白い肌だ。僕は誰かに肩を叩かれ顔を向ける。隣の人が大きい茶色の袋を渡してくる、持った瞬間に液体が入っていることを理解し急いで蓋を開けて水を飲んでいく。水が喉を通って体の奥に沈んでいくのが分かる。口から零れた水を拭って隣の人に水筒を返す。隣の人は無言で受け取り同じように水を飲む。そして僕は思った、ここはどこだ? 砂漠なのは分かっている。僕は確か倒れて……拾われた? 恐らくそうだろう。気がかりなのは鎖に繋がれた子供だ。あの子だけ明らかに様子が違う。皆はコブのある生物に乗っているのに、鎖に繋がれた子供だけが歩かされている。この人たちについて行って良いのだろうか? 僕は何も分からないまま知らない生物の上に座っている。
「竜だ!」
誰かが空を指さして叫んだ。全員が一斉に指さされた空を見上げる。遠くを飛ぶ黒い竜が空を旋回をしており、遠くにいてなおその大きさに僕は鳥肌をたてる。
皆が一斉に騒ぎはじめ乗っている生物が一斉に駆け始める。
「奴を放て!」
誰かの声と同時に鎖に繋がれた少年が解放される。いや、置き去りにされたというのが正しい。少年は砂に倒れこんでいる。距離がどんどん離れていく。少年は起き上がって自分の手首を嚙み始める。遠くの黒い竜が咆哮をあげる。
「どうして彼を置いていくんだ!」
「奴は囮だ!」
肌の黒い人がそう答えた。黒い竜から逃げるための囮にされたのか。
「竜殺し!」
「え?」
「奴を倒せるか?」
彼らは僕をこの槍使いと思っているらしい。黒い竜を見上げると旋回をやめ背後の空から徐々にこちらに距離を詰めてくる。その口から炎が数回噴き出している。僕は目を見開いて危険を察知した。
「飛び降りて!」
「なに?」
僕は先に飛び降りて砂の上で転がり回る。大きな影が僕をかすめた。黒い竜が一団の上空でまさしく業火だ。業火を吐き一団を飲み込む。離れていても火傷しそうな熱さに腕で顔を庇う。そっと前を見たとき、もう誰もいなかった。いたはずの一団がいない。焼き殺されたとかそういう話じゃない、業火に飲まれてそのまま消えた。そして何故か槍だけがそのまま残っている。黒い竜はまた上空で旋回し始めた。そして旋回の中心にいるのが置き去りにされた少年だと分かる。こんな砂漠で逃げたところで竜から逃げられる訳がない。だからってあの重い槍をもって黒い竜を倒すことなんかできない。今の僕に一体何ができる? まったく何も出来ない。鎖に繋がれたままの少年がこっちに駆けてきている。しかしすぐに転んでしまう。僕は咄嗟に少年のもとへ駆けていく。少年は完全に弱っていた。嚙みちぎろうとした手首からは血が止まらずに流れ続けている。息も荒々しい。咆哮を上げた黒い竜がまた口から火を数回噴き出し、こちらに真っすぐ飛んでくる。もう逃げ場なんてない。僕は全てを諦めて黒い竜を見上げる。ところが黒い竜は火を噴かず上空を飛び去って行く。僕は何も考えず黒い竜を眺めることしかできない。突如、黒い竜が地上に降りる。そして自らの口で大きな槍を咥え再び空へ上がる。槍を取った? 答えが出ぬまま、黒い竜がこちらにまっすぐ飛んでくる。そして僕たちのまさに目の前だ。翼から発生する風で砂を巻き上げながら。目の前に着地する。そして大きな槍を僕に向けて放り投げたと思えば巨大な前足で槍ごと僕を地面に押し倒す。一瞬の出来事で殺されたと思った。黒い竜は槍ごと僕を圧し潰そうとしているのか、徐々に押される力が強くなる。僕は無駄な抵抗を必死にしたが意味がない。槍が痛いほど体にめり込んでくる。そこで黒い竜は止まった。巨大な顔、真っ赤な眼光が唸り声を上げながら僕を覗き込む。僕は体を震わせながら竜を見上げる。あまりにも大きい黒い竜。人ひとりの僕には何も出来ない。このまま食べられるのかと頭の片隅で思いながらそのときを待つ。ふと黒い竜は足をどけ僕は何故か解放された。そして押し付けられた槍を握る。黒い竜が大きな翼を広げ空を見上げ、咆哮を上げ始める。僕はあまりの音の大きさに両耳を手で塞ぐ。黒い竜はどういう訳か翼を動かし砂を巻き上げ空へ飛んで行く。そしてその姿は見えなくなった。
何がどうして助かったのか分からない。僕はただ重い槍を両手でしっかり握る。頭の中は空っぽだ。もう何も考えられない。
「いやっほう! 俺は竜から生き残ったぞお!」
鎖に繋がれた少年が静寂を払った。僕は重い槍をどかして少年に顔を向ける。少年は飛び去った黒い竜へ両腕を掲げていた。そして急に力なく倒れる。何が起きたか分からず、手首から血が流れ続けていることに気づく。僕は急いで自分の袖をちぎって少年の手首に巻き付ける。血はすぐに止まることもなくすぐに袖は真っ赤に染まっていく。このままじゃ死んじゃう。無我夢中で辺りを見渡す。そして建物が目に入って視線が行き過ぎ戻って見る。白い壁の四角い建物がいくつも見える。恐らくあれが砂漠の丸印、僕は急いで槍を手に持って少年を担ぐ。槍は重い上に少年を担いで足が動くはずがない。何より少年の鎖が思った以上に重い。槍を置いて先に少年を……瞬間、何故か黒い竜の眼光がハッキリと浮かぶ。槍も持って行こう。持っていけるのか? 息を吸って足を動かす。かなり重い。
やっと建物のある場所へたどり着く。歯を食いしばり息をこれでもかと吸っては吐き、黒い肌の人々は僕を遠巻きに眺めている。もう限界だ、ここまで来れば槍を置いてもいいだろう。槍を降ろし少年を降ろし僕は倒れて気を失う。
目を開けたのは鉄格子の中だった。高いところにある小さな穴から空が見える。壁は厚そうな石だ。槍はおろか服が無くなっており上半身に服はなく、下半身のズボンのみ。驚いたけどとても涼しかった。赤毛の少年も同じ場所にいて手首の血は止まっていた。
「俺たち死刑だってさ」
僕は赤毛の少年に顔を向ける。
「なんで?」
「あんたが竜殺しの槍を盗んだからって」
「盗んでないよ」
「俺も説明したよ。奴隷商は竜に焼き殺されたって。あいつら信じやしない。まあ俺が奴隷だからな。短い人生だった」
赤毛の少年は床に寝転がる。気づけば僕の手にも鎖が繋がれている。竜から生き延びたのに死刑か。大変だ。
「なあ! あんたなら奴隷の俺よりも話を聞いてくれると思うんだ! 頼むからあいつらにちゃんと説明してくれよ!」
「僕が?」
「他に誰がいるんだよ!」
「ご、ごめん」
と言われても誰に説明すればいいんだ? ちょうど檻の前に黒い肌の男が見知らぬ格好で現れた。頭に巻いた帽子、上半身は腹筋が見え、ズボンはゆったりしている。そうかこれがこの砂漠で正しい服装か。
「国王がお前に会う。ついて来い」
男は鍵で鉄格子を開ける。出ようとしたところで、赤毛の少年に腕を掴まれる。
「ちゃんと説明してくれよ! 俺の命がかかってるんだ!」
「わ、分かったよ」
僕は唾をのむ。いきなり人の命を預かってしまった。僕は男についていく。すぐ外に出て。見知らぬ木をいくつか見つける。枝が無く葉が上で広がっている。道行く人々が僕を見ている。皆同じような格好だ、家は白く石造りの四角。国王に会うと言うのに、僕は見知らぬ街を見入ってしまう。少し離れたところに湖が見える。そしてその近くに明らかに他の家とは違う、大きい建物に連れていかれる。高い石の塀で囲まれた大きい建物。その門には黒い仮面を被った黒い肌の男ふたりが下半身だけ隠し槍を持って立っている。何よりも筋肉がすごい。男ふたりを行き過ぎると金色の宝飾品が眩しく目に留まる。ただ立っているだけの柱に赤や水色に輝く宝石。組み込まれている金色の彫刻、明らかに外とは気配が全く違う。その柱が同じように六本左右均等に立ち並び、男が真ん中を歩いていくので僕も続く。ほんの少しの階段を上がり真っすぐ奥へ向かう。中はちょっと薄暗い、なのに奥の一点だけが日に照らされている。階段という土台の上にいる黒い肌の男。体中に宝飾品を付けているにも関わらず、どこか美しさを感じてしまう。本で見たことある芸術作品、彫刻のような、人が造形したような筋肉。あれがたぶん王様なのかな?
僕を連れてきた男はその男の下。階段下で立ち止まり、ゆっくりと跪く。
「お連れいたしました」
男はそう言うと下がって行った。僕は国王を見上げる。国王は椅子の肘掛けに体重をかけ手で顎を触っている。
「罪人に問う」
すごい低い声にちょっと緊張する。それでいて柔らかい声だ。
「竜殺しの槍をどこで手に入れた?」
僕は純粋に答えることにした。
「僕を助けにきたおじさんが死にました。槍は盗まれる可能性があったので引きずってきました」
「死んだ男はどうした?」
「埋めました」
「どの様に?」
どの様に? 僕は埋葬したときのことを思い出す。
「仰向けに寝かせ、帽子を胸に乗せ、その上に両手を置きました」
「奴隷を担いで来たな。私の家族はどうした?」
「家族?」
「我が民は全て我が家族、家族はどうした?」
「黒い竜に焼き殺されました」
「我が家族をどうした?」
僕は返答に困った。
「あ、跡形もなく黒い竜に……炎で」
「何故奴隷を助けた?」
僕は赤毛の少年を助けようとして助けた訳じゃない。砂漠に残したら死んじゃうから。
「置いていくと死んじゃうから」
国王がゆっくりと立ち上がる。そして一段一段ゆっくりと降りてくる。立ち姿すら綺麗で堂々としている。
「竜に襲われ、なぜ竜がお前を逃がした?」
近づいてくる国王は大きい。僕は徐々に見上げる。
「わ、わかりません」
僕が分かる訳がない。たぶん誰にも分からないだろう。
「罪人、お前はあの竜殺しの槍を売ろうとこの街へ来たのだろう?」
「違います」
「ならば何故この街へ来た?」
「槍を持っていたおじさんが地図を持っていました。地図にはここに丸が書かれさらにここから北東へ線が伸びていました」
「我が領地を越えて王都へ向かうか?」
「王都?」
ここから北東には王都があるのか。
「問う。なぜ歩き続ける?」
「なぜ」
僕は答えに困った。おじさんが来て父さんと母さんが死んだことを告げられた。たぶんそうだろうなと思っていたから、悲しかったけど仕方がなかった。フラゲ高原をひとりで生き抜くには限界がある。ましてや僕は子供だ。だから……。
「当てもなく地図の道しるべに沿って」
たぶん、これが僕の正しい答えだろう。僕にはもう誰もいない。
「進むことに後悔は?」
それは即答できる。
「ありません」
あとで後悔するなら後悔しないほうを選ぶ。僕の父の教えだ。国王はゆっくりと振り返り王座へ戻っていく。そしてゆっくりと王座へ腰を降ろす。
「名は?」
「シンザです」
「シンザ、お前は我に礼を尽くしてくれた。その礼に我はお前の罪を全て取り消し、さらに報奨も与えよう」
「ありがとう……ございます?」
僕は頭が真っ白になった。ちゃんと答えたから? 嬉しい状況と思うのだけど、何か漠然と納得できない。純粋に「なぜですか?」なんて尋ねるのは絶対に駄目だろう。影から僕をここまで連れてきた男が鍵で僕の鎖を外していく。そして綺麗な女性が両手に袋を持って僕に手渡して来る。受け取るときに重すぎて掴んだ手が下がる。音がじゃらじゃら鳴っている。国王がゆっくり右腕を振ると鎖を外した男が頭を下げ。僕を外へ導く。僕は訳も分からず男について行くが、牢にいる赤毛の少年を思い出した。踵を返して国王へ向かう。
「牢にいる赤毛の」
影から槍を持った男ふたりが現れ僕を瞬時に床へ抑え込む。国王が右手を軽く振るとふたりの男は僕を解放し頭を下げ影に消える。僕は床に倒れたまま起き上がっていいのかすら分からない。
「申せ」
国王に促され僕は慌てて立ち上がる。
「牢にいる赤毛の少年も助けてくれませんか?」
「あれは私の奴隷だ、私の物をなぜ助ける必要がある」
「彼は僕に命を託しました、成り行きですが託されたからには何か出来ないかなと」
国王は王座に深く座り肘掛けに持たれる。
「ならば竜殺しの槍と交換というのはどうだ?」
「かまいません」
重い槍一本で赤毛の少年が助かるなら良いだろう。僕は頭を下げ外へ出ようとする。
「私は家族を愛すが人は嫌いだ」
国王の声に驚きつつ振り返る。
「人は迷い争うもの、この地も幾度となく侵攻の危機に陥った。シンザ、お前はなぜそこまで迷いがない?」
迷いがない? 国王とのやり取りを思い出してもかなり迷っていたと思うけど。
「僕はかなり迷っていかと」
「それは問いに対する解の迷いだ。改めて問う。なぜ竜殺しの槍を奴隷ひとりと交換できる。あの竜殺しの槍は価値あるもの。売れば奴隷は幾らでも買えよう」
「でも、ここで交換しなければ赤毛の彼は死刑になってしまう」
「それだ、それこそ問いたい。なぜ迷いがない」
「父の言葉です。あとで後悔するなら後悔しないほうを選ぶんだ。と」
それを聞いて国王は少し驚いた表情とでも言うのか。多少目が大きく開いたように見えた。本当に少しだ。
「行けシンザよ」
僕は頭を下げて外へと導かれていく。よく分からない王様というのはたぶん失礼だ。不思議な王様だ。僕は宝石の柱の合間を抜けて外へ案内される。牢から案内してくれた男は僕に頭を下げ僕もつられて頭を下げる。そして男は去って行った。僕は知らない街でただひとり置いて行かれてしまった。とりあえず赤毛の少年に大丈夫だと伝えに行こう。確か牢はあっちだったな。僕は知らない街を重い袋、開ければ中身は金貨の山だ。あまりの多さに怖くなってすぐ閉じる。牢へ向かって歩いている途中、ボロボロの茶色いフードを被った男が背にすごい量の荷物を籠に入れ、それを背負いながら酒瓶を空へ向け飲んでいた。ちょっと雰囲気怖いなと思って足早にすれ違おうとした。すれ違うとき、異常なほどの臭さに顔が歪む。同時に足を止めて振り返る。同じ臭さだ、たぶんそうだ。
男は空の酒瓶を覗き込みながらふと僕に振り返る。そして酒瓶を僕の足元に投げつける。
「なんだてめえ、文句でもあるのか?」
フードの奥から強く睨まれる。髭は肌色に無造作に生えている。
「槍担いだすごい太った人って、知ってます?」
男の動きが止まった。ときが止まったように。この臭さは間違いない。僕を助けに来たおじさんと同じ臭さだ。
「ゴズウェルを知っているのか?」
「おじさんは死にました」
「死んだ? 誰にやられた!」
「竜と相打ちに」
男は舌打ちをする。
「これで稼ぎは無しか」
男はフードの上から頭を掻いて空を見上げる。
「おーい!」と、言う声に振り返ると赤毛の少年が手を振りながら駆けてくる。
「すげえよお前! 本当に助かったくっさ!」
赤毛の少年は両手で鼻をつまむ。
「そら臭えだろ、洗濯もしてねえし風呂にも入ってねえからな。ところでお前、竜殺しの槍はどうした? このままじゃ俺の稼ぎがねえ。ゴズウェルが死んだなら竜殺しの槍はいらねえだろどこやった?」
僕は赤毛の少年を指さす。
「彼と交換した」
「こいつと?」
「奴隷で死刑になりそうだったから」
「奴隷ひとりと竜殺しの槍ひとつと交換しただあ! 馬鹿かてめえ! 竜殺しの槍一本がどれだけの価値があると思ってんだよ! よりもよってこんな小せえガキ」
「誰が小せえガキだ! 舐めんじゃねえよ! 俺にはな、ちゃんとベンという名前があるんだよ!」
道端で知らない人同士が喧嘩を始めてしまった。どうしよう? ふと僕は金貨の袋を手にしていたことを思い出す。
「あの」
「なんだよ!」
「これで稼ぎになります?」
男は乱暴に金貨の入った袋を僕から奪う。
「銅貨銀貨の山でこの俺の稼ぎが賄えると思うなよ!」
男は袋を開く。そして閉じる。空を見上げてから何故か袋を僕に返す。
「返す」
「え? でも」
「一旦返す。ちょっと話そうか」
男は親指を背後に向け歩きはじめる。少し歩くとちょっと賑わっている建物につく。外にある机と椅子。男は背にある籠を地面に降ろし椅子に腰かける。
「おら座れよ」
僕とベンは椅子に座る。
「あーわりい、返したばっかであれだが金貨三枚よこせ」
僕は袋から金貨三枚取り出して男に手渡す。ベンが男を睨む。
「お前だけ美味いもんでも食うのかよ?」
「ちげえよ馬鹿。大人の流儀ってのがあるんだよ」
黒い肌の女性が顔を歪めながら近づいてくる。
「くせえのは分かってる。今から大事な商談をするんだ、店主にもよろしく伝えておいてくれ」
男は金貨三枚を机に置く。今まで顔を歪めていた女性は晴れやかな顔になり金貨三枚を手にすれば頭まで下げて帰っていく。
「よっしゃガキ。俺を雇えよ」
いきなり知らない人に雇えと言われても流石に困る。
「まあ知らねえくせえ男を雇う馬鹿なんかいねえよな。俺は荷物持ち」
僕は男がつい名乗るものだと思って待っている。
「あんた名前は?」
変わりにベンが尋ねてくれた。
「名前? 名前なんかねえよ。俺は荷物持ちだ」
「奴隷の俺ですら名前があるぞ」
「俺に名前はいらねえ、名乗っただけで幾らか稼げるのか?」
「そりゃ稼げねえよ」
「だろ」
さっき金貨三枚を受け取った女性が酒瓶ふたつとコップを三つ持ってくる。
「お、気が利くじゃねえか。話の続きだ」
男は酒瓶のコルクを開けそのまま口につける。
「俺がなんで名乗らず臭い荷物持ちで稼いでるかって話だ。竜殺しの槍をどうやって持ってきた?」
「引きずって」
男は笑う。
「だろうよ。あれは死んだ竜の骨を削って作られた一品だ。だから人が作った槍よりも遥かにおめえ。それにテントだ水だ食料だ。どう考えてもひとりで運べる量じゃねえ。旅するもんなら特にだ。そこでこの俺、荷物持ちの出番って訳だ」
男はまた酒を飲む。
「荷物持ちってのは一日運ぶ金とその運ぶ量の金、この合計で雇える。ゴズウェルが死んだとなれば俺の稼ぎはねえ。そこに金貨の山をもったガキが現れた。これぞ運命って話だよ」
男はまた酒を飲む。僕は気になったことを尋ねる。
「その荷物は誰の荷物なの?」
地面に置かれた荷物の山。男の荷物だと思うけど。誰かの荷物なのだろうか?
「これはゴズウェルの荷物だ。フラゲ高原に行くからここで待てと言われた。砂漠は暑くて荷物持ちには地獄だからな。ラクダなんか買う余裕もねえし、買ったところで餌代が馬鹿にならねえ」
「ラクダ?」
「あれだよ」
男は顎を動かす。見るとコブがふたつある生物。あれラクダというのか。
「ちなみに戻ってこなかったらこの荷物は俺のもんだと言ってたから。まあこれはもう俺の荷物だ」
僕は男に視線を戻す。地面に置いた荷物を見下ろし動きが止まっている。口にもって行こうとしたはずの酒瓶の手が宙に止まったまま。男はただじっと荷物を見下ろしている。動いたかと思えば酒瓶を空へ向け一気に飲み干す。
「分かりました雇います」
「お! 話が分かるじゃねえか!」
男……荷物持ちはもうひとつの酒瓶の口を開け「ん?」と言って嗅ぐ。
「こりゃジュースだな」
荷物持ちは僕とベンの前にコップを置くとジュースを注いでくれた。
「じゃあ雇われたから逆に聞くが、お前はなんで奴隷になったんだ?」
「知らん、生まれたときから奴隷だった」
ベンは舌なめずりして嬉しそうにジュースを飲む。
「うめえ! こんな美味い飲み物初めて飲んだよ!」
「それで俺の雇用主様はどこでゴズウェルを見た?」
「フラゲ高原でおじさんが助けてくれたんだ。家が竜巻に」
話しながら荷物持ちの顔を見る。無表情なのに真っすぐ僕を見据えている。
「そうかお前か」
ベンはジュースの瓶を取って自分のコップに注いでいる。荷物持ちは僕を見ながら指で机をとんとんとゆっくり叩いている。その音が何故かハッキリと耳に聞こえる。
「よし。この荷物はお前のもんだ」
荷物持ちは荷物に顎を動かす。
「え? どうして?」
「そのほうが俺が納得するからだよ、文句あんのか?」
どうもこの人は威圧的だ。
「いえ、ありません」
でも、悪い人じゃない。そんな気がした。
「ここでこの荷物は広げねえ、何かとあぶねえ街だからな」
「そうなんですか?」
「荷物広げた瞬間に盗賊団が襲いかかってくる可能性がある。だから荷物持ちってのは馬鹿じゃできねえ。それなりの強さが求められる。客の荷物も守れねえ奴に客は荷物を預けねえよ」
「くせえおっさん、なんカッコいいな」
「お、良い子じゃねえか。名前なんだっけ?」
「ベンだ! 覚えろよ!」
「悪いな! 人の名前を覚えるのは好きじゃないんだ!」
男は大声で笑う。ふと、急に顔が険しくなりどこかを見ている。僕が顔を向けると、黒い仮面をつけた三人の屈強な男たちがこちらに近づいて来ている。ひとりは竜殺しの槍を手にしている。他のふたりは自らの槍と折り畳まれた何かを手にしている。三人とも僕たちの机の前で跪き竜殺しの槍を僕に差し出す。他のふたりは自らの槍を降ろし、跪いて服を僕たちに差し出している。でも竜殺しの槍はベンと交換したはず。なんでそれを持って来たのか。
「そいつらは誇り高き王の戦士だ。荷物を渡すように言われて来たのだろう。お前が受け取るまで死ぬまでそこに居続ける。受け取ってやれ」
ベンが笑い声をあげる。
「そんな大げさな」
「大真面目さ」
ベンは唾を飲み込む。僕は竜殺しの槍を見おろす。なら国王が僕に渡すよう命じたのだろう。この竜殺しの槍は国王の槍だ。それを僕に返すのか。なんて不思議な国王だ。よく分からない国王だ。僕は竜殺しの槍を重いのでゆっくり降ろし、服を全て受け取り机に置く。三人の黒い仮面を付けた男たちは立ち上り一糸乱れず帰っていく。
「ちょっと待て。お前いま片方ずつとわいえ竜殺しの槍をあげたな?」
「上げましたけど」
「ん? 待てよ。まさかフラゲ高原から槍を引きずって来たなんてことないよな?」
「引きずってきました」
「嘘だろ! どれだけの距離があると思ってんだよ! ちょっと両手で持ち上げて見ろよ!」
「無理ですよ」
「危なくなったら俺が支える」
そんなこと言われてもこんな重い槍が上がる訳ないじゃないか。僕はゆっくりと竜殺しの槍を両手でもって持ち上げる。重いけど上がった。
「あがった」
「肩に担いで見ろよ」
僕は落とさないようにゆっくりと槍を肩に担ぐ。
「こうですか?」
「様になってるじゃねえか! お前荷物持ちの才能あるよ!」
ずっと竜殺しの槍を引きずっていたせいか。いつの間にか筋力がついたのか? でも重いことに変わりはない。僕は竜殺しの槍を地面に降ろす。
「今度は俺が持ってみるぜ」
ベンが両手を叩いて槍の柄を両手で持ち踏ん張る。槍は上がる気配がない。
「あ、これ駄目だ。上がる訳がねえ。やっぱすげえよあんた。砂漠で倒れていたときは砂漠に合わない服着てて、とんだ間抜けもいたもんだと思ったけど。黒い竜から逃げれたし、国王に会ってるしこんな重い物を上げられるし」
「ちょっと待った。黒い竜から逃げた?」
「俺を囮にした奴隷商の連中は黒い竜に焼き殺された! 俺と……名前なんだっけ?」
「シンザ」
「俺とシンザは黒い竜から逃げることができたんだ!」
荷物持ちは何か考えている。
「黒い竜? 別の奴か? おいシンザ。ゴズウェルは竜を殺したんだな?」
「それは間違いないよ。口から血を流して死んでいた」
僕は白い竜を思い浮かべる。間違いなく死んでいた。荷物持ちが舌打ちする。
「次を殺せば次が来るか。あとハズィバルデ国王に謁見したのか?」
あの国王の名前はハズィバルデというのか。
「うん。国王にこの竜殺しの槍とベンを交換して貰ったんだ。だけど何故か帰って来た。へんな国王」
「おいおいおい! 絶対二度とそんな口を叩くな! ハズィバルデ国王と謁見出来たというだけでお前はもう特権階級だ。あの王は試しの王、処刑人の王と呼ばれ。謁見できるのは死刑直前の罪人だけだ」
「人嫌いって言ってた」
「だろうな、じゃなきゃ死刑直前の罪人に会うなんて悪趣味だ。さあてぼちぼちこの国を出るぞ。雲行きが怪しくなってきた。てめえら今すぐに着替えろ。死ぬ気で着替えろ」
言われるままに返してもらった服を着る、ベンは貰った服を着る。僕が鞄を提げ、ほぼ同時に着替え終わった僕たちは空を見上げ、ベンが空を指さす。
「すげえ晴れてるけど」
「そっちの雲じゃねえよ馬鹿、人の雲だ」
荷物持ちが荷物を持った瞬間、建物の影から大きな剣を持った一団が姿を現す。五人、いや全部で十人だ。荷物持ちが舌打ちする。
「流石にガキふたりは無理だな。悪いなシンザ」
「あ、あんただけ逃げる気かよ!」
「ちげえよ、この国で誰が一番偉いかをこいつらに分からせるんだよ」
荷物持ちは息を吸う。
「ハズィバルデ国王の謁見者シンザだ! それでも襲うか!」
荷物持ちの言葉に武装した十人は明らかに動揺している。僕たちを襲って荷物を奪おうとしていたと思うが、我先に剣を捨てて全速力で逃げていく。残ったのは置いていかれた剣だけだった。
「す、すげえ。剣貰っていこうぜ」
ベンが落ちている剣を拾う。
「その剣は拾うな」
「なんでだよ? 売って金にしようぜ?」
「賊の剣は拾ったが最後、罪人と同罪になる」
ベンは急いで剣を捨てて両手を払う。
「あいつらは国を出るだろうな。この国で国王の謁見者、それはつまりハズィバルデ国王に認められたということだ。それとシンザ。俺は謝らなくちゃいけない」
「え? どうして?」
「お前はこれから忙しくなる」
街の住人たちがぞろぞろと僕に近づいてくる。その多さに驚き恐怖する。
「国王の謁見者だ」
「我らの王が認めた男だ」
数人は地面に座り僕に頭を下げ、数人は僕に握手を求め。また数人は僕の体に触れ、挙句に赤ん坊を連れて来る人までいた。
「撫でてやれ」
荷物持ちに言われて僕は赤ん坊の頭を撫でる。
「ねえ僕どうすれば」
「終わるまで頑張れ」
僕は延々と人々と交流? を続けた。
荷物持ちから聞いた。砂漠の国パラムンデというのが国の名前らしい。僕は色々な人と交流? をし続けたせいでもう疲れている。パラムンデを北東へ進むと砂漠を抜けて森にたどり着いた。この森は道が森の中へと続ている。荷物持ちが道を指さす。
「この道を進めば王都に着く。道中に中継地点として貿易市場がいくつかテントを張っている」
ベンが大きく背伸びをする。
「砂漠と違ってやっと楽な道歩きか」
「逆だ。砂漠のほうが遥かにマシだ」
「なんでだよ! 砂漠は道も暑さも酷いじゃねえか!」
「ここは竜が潜む。森に入る前に荷物を見せたい。今日はここで野宿だ」
「こんな朝早いのにか!」
「うるせえガキだなあ! 死にてえのか!」
「死にたくねえ!」
「おう俺も死にたくねえ! だからこの先の道について話さなくちゃいけねえ。特にお前」
荷物持ちが僕を指さす。
「僕?」
「砂漠の国がパラムンデという国名も知らず、その国が誇り高き戦士の国とも知らず、さらには国王ハズィバルデも知らずに砂漠に足を踏み入れた。違うか?」
確かに僕は何も知らずに砂漠へ入った。
「合ってます」
「いいか、知らないまま歩き続けるな。知らないなら知らないで知らないなりに出来るだけ調べろ。そうすることで死ぬ確率が下がる。ちょうどいいベン」
「なんだよ?」
「竜が出たらどこを見る?」
「そりゃあもちろん空だろ」
荷物持ちが僕を見てベンに親指を向ける。
「こいつは死んだ」
「なんでだよ!」
「それを今から話す。少し森に入った道沿いにテントを張る。覚えろ、出来るだけ空から見えず森の奥深くじゃないところだ」
僕たちは荷物持ちの指示通りにテントを張っていく。杭に紐を結び地面にハンマーで叩きつけていく。一部の紐は直接に木に縛り付ける。綺麗に白い幕が屋根になる。荷物持ちが背負っていた籠を降ろし、ひとつひとつ丁寧に取り出していく。
「フライパン、コップ、包丁、干し肉干し草、米、掛け布、水筒、水、油、塩、ナイフが三本、とぎ石、薪、ゴズウェルの着替えはサイズが違うから火にくべる。まあこんなもんだ」
僕は水の量に驚いた。水は壺に入って蓋がされている。それが四つも入っていた。相当重いはずだ。ベンが荷物を覗き込む。
「大したもんねえな」
「俺が軍の武器庫とでも思ったか? 武器は食えねえが干し肉には食える」
荷物持ちはベンに干し肉を差し出し、ベンは喜んで口にする。
「それ噛めるだけ噛めよ、今日はそれだけだ」
「冗談だろ!」
「本気さ。あるだけ食うなんて贅沢な癖はつけるな。それとベン、その大声を抑えろ」
「なんで……さ」
ベンが大声を出そうとして声を落とす。荷物持ちが僕に干し肉を渡して来る。口にするとグニュグニュしていて塩味が辛い。
「竜はそれなりに目と耳と鼻がいい。それに大声出す馬鹿な男は女にモテねえ」
「分かった、声を抑えるぜ」
僕はつい笑ってしまう。
「竜は何食うか知ってるか?」
思えば竜は何を食べているのだろう。家畜の類だろうか?
「家畜とか」
「違う。雲だ」
「雲?」「雲?」と、僕とベンは同時に口にする。
荷物持ちは薪を丁寧に組んでいく。
「竜は空高く昇って雲を吸い取っている。家畜や人を噛み殺している竜もいるがあの巨体だ。腹の足しになりゃしない。さらに竜は家畜や人を食う必要がないとも言われている」
「え? じゃあ俺たちが竜に襲われている理由がねえじゃん。あいつら何のために襲ってくるんだよ」
「狩りさ、娯楽のための狩り」
僕は言葉を飲み込んだ。娯楽のための狩り、僕の家が竜巻に閉じ込められたのは狩りを楽しむためなのか。
「僕の家が竜巻に閉じ込められたのも」
「狩りだろうな。ただゴズウェルは確実に殺したい竜がいると言っていた。あの優しいデブがだ。たぶんそれがゴズウェルと相打ちになった竜だ」
あの白い竜はそれだけ狂暴だったのだろう。竜巻を見た僕はその力を思い出し鳥肌を立たせる。
「竜の中には非常に狡猾な奴がいる。頭が良く、人を欺く竜がたまにいる。ベン、お前さっき死んだろ?」
「勝手に殺すな」
「竜は森にも潜む。空を飛ばず、翼を立たんでただひたすらに森に潜む。そして狩りを楽しむのさ」
「荷物持ちは」
僕は尋ねようとして口を閉ざす。
「俺か? あるよ罠にかかったこと。そのとき俺が取った行動はなんだと思う?」
ベンが頭を掻く。
「全速力で逃げたとか?」
荷物持ちが薪の一本をベンに向ける。
「大正解だ。全部投げ捨ててただひたらすに逃げることを覚えろ。荷物も雇用主も全部置き去りにして俺は逃げるときは逃げる。じゃないと死ぬ」
「なんだ結局逃げるんじゃねえか」
「お前、竜と戦って勝てるか?」
「無理だな」
「だろう」
荷物持ちは笑顔を見せ干し肉を噛む。
「俺たちは誰も無駄死になんかしたくねえ。それこそ竜如きの狩りになんぞにやられてたまるかってんだ。いま言った通り、駄目なとき俺は容赦なくお前を置いて逃げる。逆にお前らも俺を置いて逃げていい。俺の死体なんかそこら変に捨てて置いてくれ。もし丁寧に墓石なんか立てたらその石に✕でも書いとけ」
「バツ?」
「クソみてえな人生さ、ただし殺されるのは性に合わねえ」
荷物持ちは笑っているが、ことの重大さに僕は笑えない。ふと僕は森の奥から来ている人影に気づく。そしてすぐに様子がおかしいことも分かる。歩き方がおかしい。
「ねえ人が」
僕は人影を指さす。
「人?」
荷物持ちがいちど人影を見たあとに薪に視線を戻しもう一度素早く確認する。そして落ちているナイフを一本手に取る。
「てめえらこっち向くんじゃねえぞ」
「なんでだよ」
「なんでもだ! こっちを見るな!」
荷物持ちは言葉が荒い。でも今のは確実に怒っていた。僕たちは出来るだけ見ないようにした。
「なんなんだよ」
ベンが両腕を組んでよそ見する。僕はつい聞き耳を立ててしまう。
「竜にやられたか……そうか……いま楽にしてやる」
荷物持ちはたぶん……僕はベンの顔を見る。ベンは片手で顔を拭っていた。恐らくベンも理解しているだろう。荷物持ちはなに食わぬ顔で戻ってくる。座り込むと足を延ばし、その足が今まで丁寧に組んでいた薪を蹴り飛ばす。
「どう説明しよっかなあ」
荷物持ちはため息を吐く。僕はなんとなく想像がついている。
「竜に?」
荷物持ちは僕の顔を見て何も言わない。いつもならすぐ何か言ってくれるのに。荷物持ちは少し間を開けて舌打ちをする。そして大きなため息を吐く。
「竜に焼かれた男が歩いていた。逃げてきたか助けを求めに来たのだろうな。死体は後で俺が勝手に処理する。今は道の真ん中に放置してある」
「そんな」
「酷いと思うか? お前らはまだガキだ。現実を知らねえガキだ。焼かれた死体を道の真ん中に放置しておくことで、この先に竜がいますよって警告になる。大人なら誰でも理解出来ている。大人になる必要はねえ、ただ現実は学べ」
僕は放置されているであろう死体の方角をつい見てしまう。木陰に隠れて何も見えない。ベンを見ると足が震えている。
「おいベン」
荷物持ちに声を掛けられベンが慌てて振り返る。
「なんだよ」
「その恐怖心は大事に取っておけ。ただし、脚の震えだけは絶対に抑えろ。震えて動けなくなったら確実に死ぬぞ。俺たちは竜じゃねえ、ただの人さ。竜にかかればあいつみたいにすぐに死ぬ」
僕は地面に置いてある竜殺しの槍を見る。
「この槍で竜を本当に倒せる?」
「もちろん倒せる。竜は竜の骨でしか貫けない。だから竜殺しの槍は竜の骨で出来ている」
「な、なあ。この森しか通る道は無いのか?」
「ない。王都へ行くには山脈の合間にあるこの森を抜けるしかない。山に登れば竜に見つかってやられる。それを竜が理解しているから、砂漠のほうがマシなんだ。言わば竜の狩場だ」
荷物持ちの話を聞いて、なぜ砂漠のほうがマシなのか理解出来た。この森には竜が潜んでいる。森の奥へ続く道が楽な道から一転して最悪の道に見えた。
「いまいちど確認するが、王都へ向かうで合ってるな?」
僕は首を縦に振る。そして提げている鞄から地図を荷物持ちに渡す。
「なんだこれ?」
「おじさん。ゴズウェルさんの」
「あいつの地図か。ゴズウェルはお前の家族を救出して一緒に王都へ戻る予定だった。だから俺はパラムンデで準備していた。ちきしょう」
荷物持ちは地図を握り潰し、すぐ丁寧に手で撫でる。
「ベン。お前は来るのか?」
「俺は……」
ベンは答えられなかった。無理もない僕も不安だ。
「よく聞けガキ、不安なのは見れば分かる。問題はお前が来るのか来ないかだ。それによって俺のクソ頭で考えていることが変わる。どっちだハッキリしろ」
「行く。行くよ」
「よし」
そう言って荷物持ちは地図を真っすぐに見据える。なんて説明すればいいのかな。成り行きで僕が雇用している形になっているけど。この人で良かったと思う。本当に良かった。
「ガキ共この地図を見ろ」
僕とベンは地図を覗き込む。荷物持ちは地図を指さす。
「俺たちがいまいる場所がここ。そして貿易市場のテントがここと、ここと、ここの三つにある。さっきの……さっきの奴からするとこの一番近い貿易市場は壊滅と思っていい。そうなると、この先の二つ目、三つ目も怪しいと思え。明日になったら道なりに王都へ目指す。運よく軍隊に当たればいいが、その軍隊に他の竜殺しがいるかどうかが分からない」
「竜殺しの槍は他にも?」
「もちろんだ、ただ数えるほどしかいない。以前、この森には凄腕の竜殺しがいた。そいつがいなくなった途端森は竜の狩場と化した。元々この道はノルディア王国がパラムンデへ侵攻するための侵攻路だ。そのために凄腕の竜殺しはこの森で侵攻軍を守護していた。そいつがいきなり消えたんだ。噂じゃ竜に殺されたと聞いた。お陰で侵攻軍は壊滅さ。逆にパラムンデ側からすれば竜が最高の防衛術になっている。笑えるようで笑えない話さ」
それがハズィバルデ国王の言っていた侵攻の危機か。
「どうしてノルディアはパラムンデに侵攻を?」
「それはどうしてお前が食事を取るんだ? みたいな問いさ。領土拡大さ。そうただの領土拡大。それを説明すると話がそれる。今はこの森、竜に集中しろ」
荷物持ちは指で地図を叩く。
「なあ俺よく分からないんだけど、その凄腕が消えてやべえ森に、どうして貿易市場がテント張ってんだ?」
「あぶねえ場所だからだよ。人が寄り付かねえとなると物が高値で売れる。このクソみたいな場所で一攫千金を狙っている馬鹿共がごろごろいる。まあそのうちのひとりが俺。と言えば分かりやすいだろ」
「なるほどなあ」
「竜もこええが人もこええ場所だ。人の形をした奴は全員ただの人だと思え。そしてその人が全員お前らの味方だと絶対に思うな。お前らはただのガキ、竜だろうと人だろうと危なくなったら絶対に逃げろ」
僕とベンは頷く。
「ひとつ目の貿易市場は確実に壊滅だろうな。ここで足を止めて正解だった」
荷物持ちが大きくため息を吐く。
「今日一日はここで確実に休め。明日寝不足とか訳のわからねえことほざいたら俺が殴り飛ばす」
荷物持ちは早速地面で横になる。言っていることは酷く聞こえるが、今までの話を聞けば当然の話だ。寝ぼけ眼で通れる道じゃない。僕も地面で横になる。
黒い竜の赤い眼光がまさに目の前にある。
飛び起きた僕は冷や汗を掻いていた。慌てて傍にある竜殺しの槍を握るが、ベンのすごいイビキに落ち着きを取り戻す。いつの間にか眠っていた、そして嫌な夢を見た。僕は額の汗を拭う。怖かった。夢なのに怖かった。ゆっくりと槍から手を離す。近くに荷物持ちの姿はなく僕は慌てて探す。あと少しで夜になろうという暗さ。だから森は真っ暗だ。僕はかろうじて遠くにいる荷物持ちの姿を見つける。立ち上がりそっと近づいていく。そこは竜に焼かれた人が放置されている場所だった。荷物持ちが僕に気づいて振り返る。
「おい、こっちに来るな」
僕は足を止める。荷物持ちは焼かれた人を黙って見ている。
「俺言ったよな? とっとと眠れ」
「怖い夢を見た」
僕がそう言うと荷物持ちは何も答えない。しばらくして「そうか」と言った。
「どこか穴でも掘って来い。そうすれば楽になる」
「分かった。スコップは荷物に」
荷物持ちが振り返って僕を睨みつける。
「墓掘るために生きてんじゃねえよ! 俺の荷物にスコップなんかねえよ!」
すごい剣幕で怒られ僕は固まる。
「ご、ごめんなさい」
荷物持ちは舌打ちをして焼かれた人に顔を戻す。
「謝るな。いま確実に悪いのは俺だ」
「穴、掘って来るよ」
「頼む」
僕は何か掘れる道具を探した。転がっているナイフを一本手にとってテントから少し離れた場所に穴を掘り始める。ナイフで掘っているから時間がかかる。途中で荷物持ちが白い布で包んだ焼かれた人をそっと抱えながら運んでくる。
「掘れたか? あーあナイフで掘れる訳ねえだろ。こういうときはそれっぽい石で……ちょうどいいのがあるじゃねえか。これ使え」
荷物持ちが大きめの石を僕に渡す、平たい石に少し窪みがあり曲がっている。浅いがお皿みたいな石だ。穴を掘ってみるとナイフと違って掘りやすい。
「道具がねえからナイフ。それは構わねえ、問題はそれが他より使えるかどうかだ。覚えておけ」
「はい」
僕は一生懸命に穴を掘る。
「本来ならくだらねえ説教を延々と続けるところが、今回は出来るだけ早くしてえ。なので正解を持ってきてやる」
荷物持ちがそっと焼かれた男の人を降ろし、その場を離れフライパンを手にして戻ってくる。
「これよこれ」
確かにフライパンなら掘りやすそうだ。でもそれは料理器具じゃ。
「でもそれは」
荷物持ちがフライパンで僕の頭を軽く叩く。
「いて」
「馬鹿、利用できるものは利用しろ。大事なのは何が一番早くできる道具かだ。これも覚えろ」
荷物持ちはフライパンで穴を掘り始める。かなり手に力が入っていることが分かる。穴がすぐ大きくなっていく。ふと荷物持ちに睨まれる。
「さっさと掘れよ」
止まっていた手を叱られ僕は石で一生懸命に掘る。
殆どを荷物持ちが穴を掘った。人ひとり入る穴に白い布にで包んだ男の人をそっと穴に降ろしていく。荷物持ちは臭くて言葉は汚いけど手元は本当に丁寧だ。男の人なのに家で作業している母さんの手を思い出すぐらい。掘った土をふたりで被せ、荷物持ちが大きな石を墓に添える。そして荷物持ちは墓の前に座り込み動かなくなった。
「寝ろ」
「うん」
僕はベンのイビキへ歩いていくが足を止める。自分でも良く分からないが荷物持ちの下へ戻る。
「なんだ?」
荷物持ちは墓から目を逸らさない。
「僕、訳も分からず荷物持ちを雇用したけど。雇ったのがあなたで良かったと思ってる」
それを聞いた荷物持ちは笑い声を上げる。
「良いこと言うじゃねえか、ならそれを金で示してくれ。倍もらうぜ」
「いいよ」
僕は即答した。僕も墓を無言で見る。そして寝ようと首を動かした瞬間。
「俺は三人中ふたりは死ぬと思っている」
「え?」
僕は荷物持ちに顔を向ける。荷物持ちはずっと墓を眺めている。
「この森は竜の狩場。十人で入れば出られるのは一か零みたいな場所さ。その一は確実に俺だ」
僕は緊張してしまう。なら僕とベンは竜に殺されることになる。
「俺は名前はいらねえって言ったな?」
「うん」
「金にならねえものそうだがもうひとつ理由がある。」
荷物持ちはイビキ、ベンに向かって指をさす。
「あいつの名前は?」
「ベン、だけど」
次に荷物持ちが僕を指をさす。
「お前の名前は?」
「シンザ」
荷物持ちは親指で自分をさす。
「俺にもクソみたいな名前がある。いまお前に教えようと思えば、この口で俺の名前を言える」
そして荷物持ちはゆっくりと墓石に指をさす。
「じゃあこいつの名前は?」
荷物持ちは真っすぐに僕を見ている。その視線が何故か痛くて僕は墓石に視線を逃がす。
「……わからない」
「名前も知らない奴の墓が次々に出来る。その墓ですら竜は跡形もなく焼き尽くす。さっきは怒鳴って悪かったな、俺が荷物にスコップを入れない理由が分かるだろ?」
「うん」
荷物持ちの動きで分かった。この人は墓を掘り慣れている。そして名前も知らない墓の前に座り込んでから寝ようとせず一歩も動かないどころか。微動だにしない。僕みたいな子供が荷物持ちが何を考えているか分からない。けど、この人は自分を蔑んでいるだけで人として立派な人なんじゃないのだろうか? クソみたいな人生と言っていたけど、もう僕は色々なことを教わっている。言葉は本当に汚い、でも僕は彼に父さんの姿を重ねていいる。
「ねえ、僕が王都へ行かないでここに残ると言ったら?」
荷物持ちは驚いた顔で僕を見る。
「それもアリだ、大アリだ。なあ逆に聞くが、王都に行く理由はなんだ? 確かにゴズウェルはお前を王都へ連れて行く予定だった。王都に入れば絶対とは言わねえが安全だ。俺もそこまで行けるなら行くことをお勧めする。正直、ガキふたり連れていって生かして届ける自信はねえ」
王都へ行く理由。僕はただ地図の線を進んでいただけだ。それに。
「ねえ」
「なんだ?」
口を開きかけてゆっくり閉じる。
「なんでもない」
「そうか」
僕と荷物持ちは墓石に目を向ける。
「俺はクソみたいなことを言いたくねえ。クソの役にも立たねえからな。お前が行き当たりばったりで動いてるだけのクソガキというのも分かっている。ただ、ゴズウェルの死を思うなら絶対王都にたどり着け」
「わかった」
ゴズウェルさんは僕を助けに来た。そのゴズウェルさんを呼んだのは父さんか母さんだろう。そして父さんと母さんは死んだ、ゴズウェルさんも死んだ。僕ひとりなんかのために。その死は絶対に無駄にしちゃいけないんだ。
「王都に行く」
荷物持ちが笑い声をあげる。
「らしくなってきたじゃねえか。足を止めるのもいい迷うのもいい。雑に生きるのだけはやめろ」
荷物持ちは立ち上がってベンのほうへ向かう。
「ひとつだけ言いこと教えてやるよ。俺の名前を知っている奴がいたら、そいつは大ホラ吹きで詐欺師でクソ野郎だ。俺は誰にも名前を言ってねえから。さっさと寝ろ」
僕は荷物持ちの後に続いて寝ることにした。
「一瞬で目を覚ませ」
荷物持ちの声に僕とベンはすぐに起き上がる。テントはいつの間にか消え、荷物持ちは全ての荷物を既に籠に入れ背負っている。
「これだけは絶対に守れ、俺が止まれと言ったら止まれ、絶対に喋るなと言ったらひと言も喋るな。分かったか?」
僕とベンは頷く。竜殺しの槍を肩にかけ、僕は強く握りしめる。
道なり進めば普通の森だ。姿の見えない鳥が鳴き、風がたまに吹けば葉先が揺れる。僕とベンは明らかに周囲に目を凝らしながら道を進んでいく。荷物持ちはまっすぐ前を見て僕たちのように辺りを見ていない。ただたまに変なことをする。大きい平べったい石を見つけてわ、土を掴んでその上に落とす。これを道中なんども繰り返す。僕とベンも明らかに気になっている。でも聞いちゃいけない空気なのは子供の僕らでも分かっていた。森に入ってから荷物持ちはひと言も喋らない。それだけ警戒しているのだろう。僕は竜殺しの槍を握る手に冷や汗すら感じている。
道なりに進んで進んで、荷物持ちが大きな石に土をなんども被せる。それの繰り返し、そしてまた荷物持ちが大きな石を見つけて土を被せる。荷物持ちは何食わぬ顔でまた先へ進もうとするベンもだ。けど僕は変化を見つけた。皆について行こうとして足を止める。荷物持ちが大きな石の上に被せた土、その砂粒、粒子が一斉にかすかに動いている。一定の間隔で。
「ねえ土が」
久しぶりに僕が声を出すと荷物持ちとベンが足を止めて振り返る。考える暇もなく、荷物持ちが僕とベンを両脇に抱えて道から反れて森に入る。そして倒れている木の陰に僕たちを降ろす。
ベンが「なん」と言った瞬間に、荷物持ちがベンの口を片手で塞ぐ。
「竜がいる。喋るな」
僕は頷きベンは何度も頷く。なぜ荷物持ちは竜がいると分かったのか。あの石に被せた土だろう。けれど、竜の咆哮も空を飛んでいる気配もない。一体どこに? 荷物持ちが僕とベンの肩を静かに叩く。そして口に指をあて声を出すなと指示してくる。ゆっくりと本当にゆっくりと木陰の向こうへ指先を向けていく。僕たち三人はゆっくり、ゆっくりと木陰から顔を覗かせる。竜の姿なんてどこにもない。あるのは本当にただの森だ。すると、地面の一部が盛り上がる。静かに音もなく。聞こえるのは木々が倒れていく音。そして地中から出てきたのはまさかの竜だ。黒い竜が地面から這い出てきた。僕は目をまん丸くして驚く。竜が地中にいるなんて絶対に気づかない。これが森に潜んでいるということか。僕の考えは浅はかだった。そして黒い竜は地中から出てきたのに動かない。首を地面すれすれまで降ろし、翼を広げることも咆哮を上げることもない。なぜかそっと目を閉じた。そのまま完全に動かなくなった。いま僕は竜と分かって黒い竜を見ている。この状態じゃ遠くから見たら竜なんて気づかない! 木の影や岩と間違える! 僕はもう竜に殺されたような感覚。あのまま歩いていたら皆死んでいた。
「パキ」
その音が僕の耳にうるさいほど大きく聞こえた。咄嗟に振り向くとベンが地面に着いた手で小枝を折っていた。そして。
「あ、わりい」
「馬鹿!」
荷物持ちは僕たちを両脇に抱え一目散に走り出す。僕たちがいた木陰は一瞬で業火に飲み込まれた。僕たち、それに竜殺しの槍を一緒に持っているのに荷物持ちの足は速い。それでも後方から足音と木々がなぎ倒されていく音が近づいてくるのが分かる。荷物持ちが段差を飛び降りるとビチャっと鳴った。ぬかるんだ場所、そこに僕とベンを降ろし荷物持ちだけ逃げていく。異様な臭さが鼻に入り僕は瞬時に理解する。ベンが顔を上げた瞬間に僕は容赦なくベンの顔を泥に押し付ける。荷物持ちは僕たちを置いて逃げたんじゃない。自分が囮になったんだ。僕はベンの髪を掴んで顔を覗き込む。僕はこれでもかと目を見開いて指を口に当てる。それを理解したベンは激しく何度も首を縦に振る。僕たちは泥の中で待ち続けた。遠くから炎を噴射する音や木々の倒れる音が聞こえてくる。ただ震えることしかできない。僕は竜殺しの槍を震える手で握る。この槍なら竜を貫けるというが、竜の巨体とその速度。貫いた瞬間に僕は一瞬で死ぬ。家の隣で倒れていたゴズウェルさんと白い竜を思い出した。咆哮、いや竜の叫び声が全てを揺らす。ぬかるみの水は揺れ、立派な木々すら揺れる。そして音からして竜が飛んで行くような、翼で飛んで行く音が聞こえた。
僕らは荷物持ちがどうなったのかすら分からない。あの巨体に追われて逃げ切れるとわ思えない。僕の考えとは別に、遠くから足早に荷物持ち。被っていた茶色いフードのない荷物持ちが戻ってくる。髪は茶色く長くボサボサだ。僕とベンはゆっくり立ち上がって荷物持ちを見る。僕は顔を見て分かった。怒っている。
「わりい俺が」
ベンが謝る前に荷物持ちが顔面を拳で殴る。ベンはすぐ倒れるが、荷物持ちがベンの胸倉を両手で掴んで自分に引き寄せる。
「てめえひとりのせいで全員死にかけたぞ! どんな気分だ!」
ベンは鼻をすすりながら泣いている。
「悪かったよ、許してくれよ」
「ちょっとしたミス、一瞬のミスであの世行きだぞ! てめえが勝手に死ぬのはいいや! 俺とシンザを巻き込んでどんな気分だ!」
ベンは答えることができず泣き続けている。僕が止めるべきなのだろうけど、そんな気分じゃない。助かったことに安堵して泥の上に座り込む。荷物持ちはベンを突きとばす。ベンは泥の上に倒れる。
「おいクソガキ! 俺の足を見ろ! 俺の足を見ろよ!」
僕とベンは荷物持ちの足を見る。これでもかと震えていた。
「いま俺たちが顔を合わせて喋っていることがどれだけ奇跡か分かるか?」
荷物持ちから明らかに怒りが、と言うより荷物持ちも体の力が抜けかかっていた。腰が抜けたのか荷物持ちは倒れるように泥の上に座る。そして泥がべったりついた手で顔を拭う。顔は泥だらけだ。
「頼むよ、俺の言う通りに動いてくれ。頼むよ」
ベンは鼻をすすって涙を拭う。
「俺が悪かった、許してくれよ」
荷物持ちは大きなため息を吐いて少し笑みを見せる。
「悪いと思うなら実践してくれ、これじゃあ死んじまうよ」
僕は竜殺しの槍を強く握る。
「竜殺しの槍、もしかして刺した瞬間僕は」
「気づいたか? そうお前は確実に死ぬ。竜は首の下、前両足の真ん中やや上に心臓があるとされている。貫いたところで巨体がお前を押し潰す。もっと言えば外せば無駄死に、最悪炎に焼かれて死ぬ」
「凄腕の竜殺しは」
「それについては俺は素人だ、悪いが王都に言ってから尋ねてくれ。俺は荷物持ち、荷物を安全に目的地まで運ぶクソさ」
荷物持ちはゆっくりと立ち上がる。
「さてその肝心の荷物食料を投げ捨ててきた。取りに行くぞ。最悪そこで野宿をする」
「危ないんじゃ」
「逆だ、竜はいちど狩りをした場所には戻ってこない。楽しみがもう無いからな」
荷物持ちが歩こうとして木に寄り掛かる。僕は慌てて立ち上がる。
「どこか怪我を?」
「いや! 大丈夫だ! 気にしないでくれ!」
荷物持ちは笑い始める。
「覚えてるかベン。俺はお前に脚の震えだけは抑えろと言ったな。説教垂れた俺が脚が震えて動かねえ。これほど笑えるクソはそういねえよ」
僕はベンに顔を向ける。ベンは荷物持ちを真っすぐに見ながら涙を流している。
「俺あんたの言うこと絶対に聞く」
僕はつい微笑んでしまう。
「最初から聞け馬鹿! それとクソガキ共、今から言うことを覚えておけ。いちどしか言わねえ」
僕とベンは身構える。
「お前らが生きていて本当に嬉しいよ」
それだけ言って荷物持ちは歩きはじめる。僕とベンは黙って続く。荷物の先はなぎ倒された木々、焦げた草木……荷物持ちはこれを逃げ切ったのか。僕はこの人について行けば絶対に安全だと思いつつ、もう家族同然のような親しみすら感じている。
崩壊した森よりさらに道から外れた奥。そこで野宿することになった。白いテントも焚火もして。僕は大丈夫かと思い白いテントも焚火を見る。これじゃあ竜に見つけてくださいと言っているようなもんだ。狩りを終えた竜は同じ場所に戻って来ない。それを知っているから不安はあるけど安心もある。
「竜は娯楽のために人を狩ると言ったな。竜のクソが何考えてるか知らねえよ。ただし分かっていることがいくつかある。竜が荒した場所に竜は来ねえ、他の竜が暴れた終わったあとなのを竜が理解しているからだ」
ベンは水をひと口飲む。
「どうして竜にそんなに詳しいんだ?」
ベンに荷物持ちは返事をしない。僕とベンは顔を見合わせる。すると荷物持ちは頭を掻く。焚火に照らされフケが落ちていくのが分かる。
「森に入る前に、これを言おうか言わないかで悩んだ。クソガキ共に話したって理解できねえだろなって」
「話してよ」
僕は純粋に話を聞きたかった。
「竜に詳しいのは竜に襲われるからさ、特徴、共通点、習性みたいなものをあっちこっちで聞きまわるのさ。それぐらいはどんな馬鹿でも出来る。問題は」
そこで荷物持ちは口を閉ざす。ベンが「いいから言えよ」と言う。
「俺の考えを学んでいる竜がいる。そんな気配がしている」
「竜が?」
「竜の中には非常に狡猾な奴がいる。頭が良く、人を欺く竜がたまにいる。とまあ、前に話したことなんだが。ある日から竜の行動に違和感があった。まさに狩りだ。問題は竜の隠れ方が人そのものに見えてしょうがない。俺が逃げ切ったあの黒い竜ですらそうだ。何をどうしたら空が主戦場の竜が地中に隠れる意味がある? 人を狩るだけなら空から炎でバーッてだけで十分だろ? なのに地中に潜んでいた」
荷物持ちは地面を叩く。
「それに臭いだ。これもあえて説明しなかった。人の臭いを消す獣臭。簡単に言えば汚れた臭いさ。俺が逃げ切れたのは俺の直感が当たっていたからだ。俺はお前たちを泥に置いていった。奴は見向きもせず俺だ、俺に向かって突っ込んで来た。もう死んだと思ったよ、ただ死ぬ前にどうしても試したいことがあった。臭いだ。俺はくっせえフードを脱いで投げ捨てた。この時点で俺は……まあ臭いんだが。俺は人の臭いになっている。なのに奴は俺が投げ捨てたフードへ舵を切った! つまり奴は俺じゃなくて、わざと臭くしているフードを狙ったんだ」
話を聞いていて僕は疑問に思ったことがある。
「竜は耳と目と鼻がいいんじゃ?」
荷物持ちの話だと、竜が鼻しか使っていないことになる。目で荷物持ちを追えば臭いフードになんか行かないはず。荷物持ちは僕に指をさす。
「お前は頭がいい、まさにそれだ。それは俺も考えた。何度も言うが竜の考えなんか知らねえよ、ただ習性から導き出されるのは竜は物、人、国。対象はどれでもいい。竜は狩ろうと考えたら狩り尽くすまで狩りをやめない。つまり俺が必死に逃げている内に対象が姿の見えないベンの声から俺のフードになったんだ」
荷物持ちはベンの肩を叩く。
「生きてることに感謝しろクソガキ!」
「お、おう」
僕はひとつ思うところがある。僕の家だ。僕の家は竜巻に閉じ込められた。つまりそれは竜が僕の家を狙ったからだ。
「僕の家はどうして」
誰も答えてくれなかった。焚火の枝が折れる音がした。荷物持ちは舌打ちをする。
「クソ、こんなことになるならゴズウェルに聞いておくんだった。荷物持ちは客がどんな奴だろうが客の話はしねえ、聞かねえ。荷物運んで、金でさよならさ」
荷物持ちはその考えだろう、でも僕は寂しさを感じる。
「ねえ、王都についた後で僕が荷物持ちを雇いなおしたらどうなる?」
「そりゃあ、金が続く限り雇われる」
「一生なら?」
荷物は無表情で僕を見る。そして笑みをこぼして焚火に顔を向ける。
「どうだろうな」
「お、俺は一生あんたらに付いて行く。砂漠じゃシンザに助けられ、ここじゃ荷物持ちに助けられ。俺は馬鹿で使えねえけど一生ついて行くよ」
荷物持ちが手を振る。
「おめえはいいや」
「なんでだよ!」
僕たち荷物持ちはベンを見て笑う。つられてベンも笑ってしまう。
日が昇る直前に僕たちは目を覚ます。荷物持ちに起こされることなく、僕とベンは自ら目を覚ましテントや荷物を素早くしまう。そして道まで戻ってまた警戒しながら先へ進む。少し離れたところで何かの焼け跡が見える。近づくとテントに焼け焦げた死体がいくつか。荷物持ちはその横を目もくれず何も言わずただ無言で通りすぎる。これが荷物持ちの教えてくれたひとつめの貿易市場。その先も竜に出会うことなくただ無言で歩き続ける。荷物持ちはまた大きな石を見つけてはその上に土を被せる。僕は皆より長く確認したあとに後を追う。砂粒は微動だにしない。歩き続けて遠くにふたつめの貿易市場、それと黒い竜の姿が見える。地面に倒れるように潜んでいるのか? 荷物持ちが手を上げた瞬間に僕とベンは木陰に身を隠す。ゆっくりと覗いて見ると黒い竜が横たわっている。けれど、何かおかしい。
「いいぞ出てこい」
荷物持ちに言われて僕とベンは音を出さず素早く。荷物持ちに追いつく。
「こいつわ」
荷物持ちが黒い竜を眺めながら道を進む。ふたつめの貿易市場はテントが破壊されているが、人の死体はどこにも見当たらない。きっと皆逃げ出したんだろう。そう思いたい。
「なんだ?」
荷物持ちの声に僕とベンは黒い竜を見上げる。首の一部が明らかに無い。誰かに食いちぎられたような。赤い肉と太すぎる骨がいくつも見える。
「こいつは昨日、俺たちを追いかけた黒い竜だぞ」
「そうなの?」
「ああ、間違いない。ただ……こんな竜の死骸は見たことがない。明らかに押さえつけて首をひと噛みだ」
「り、竜と竜が喧嘩でもしたってのかよ?」
ベンの声が震えている。
「俺もここまで残忍な殺し方は初めて見る。それに人の死体がない。上手いこと逃げたか」
僕は破壊されているテントを見る。もし全員焼き殺されているならこのテントも残っていない。ふと僕は違いに気づく。砂漠で襲った黒い竜は奴隷商の一団を、竜殺しの槍以外跡形もなく業火で消し去った。森に入るときにいた竜に焼かれた男の人、そしてひとつ目のテントで焼かれた黒焦げの死体の数々。
「ねえ」
尋ねようとした瞬間、遠くの彼方から大きな咆哮が大地を揺らす。それはいま目の前で死んでいる。昨日耳にした黒い竜の咆哮より遥かにすさまじく、もはや咆哮でわなく地震だ。荷物持ちが先を見ながら僕たちを手で払う。僕とベンはまた素早く隠れる。同時に聞きなれない音が耳に聞こえた
ヒュー……ドン!
そんな音だ。その音を聞いた瞬間に荷物持ちが全速力で駆け始める。僕たちは追おうか隠れようか迷い体を動かす。遠くの木陰に隠れた荷物持ちが両腕を大きく振り僕らを呼ぶ。僕たちは必死に荷物持ちの場所まで駆ける。
「花火が上がった」
「花火?」
「黙って聞け。この道の先に竜がいる。恐らくこいつを噛み殺した竜だ。デカいぞ。花火が上がったということわ、そこにここから逃げた連中がいる。そしてそいつらは今全員死んだと思え。生きてるかもしれないなんて考えは今捨てろ。いいな?」
僕とベンは荷物持ちに頷く。荷物持ちは僕たちを連れて音もなく静かに進む。少し進んだ辺りで荷物持ちが木陰の影で座り込み。僕たちは音に注意しながら静かに座り込む。遠くから唸り声が聞こえる。荷物持ちが自分の口の前で手を動かし始める。なんだろう? 火を噴ている? その後に両手を広げてそれを自分の両耳に当てる仕草をする。鳴き声に気をつけろということか。ちょうど咆哮が近くで轟き、僕たち全員両耳を両手で塞ぐ。それでも耳を破壊されそうな轟音、そして体中を震わす振動。それが終わると同時に微かに聞こえる悲鳴と炎が噴射される音。僕は静かに息を整える。急に静かになる。荷物持ちがゆっくりと本当にゆっくりと木陰から顔を出す。僕とベンも音に気をつけて道の先を見ようとする。突如、眼前に竜の赤い眼光が上から飛び込んでくる。それが竜の目だと気づくのに少し時間がかかった。大きな黒い竜は音を立てず、静かに空を飛んだのか。僕らの頭上で大きな翼を広げ動かすことなく宙に浮いている。そして首を下げ僕らを赤い眼光で確実に捉えている。
荷物持ちが震えながらゆっくりと後ずさりしているのが分かる。僕たちもゆっくりと後ずさりする。震える足で転びそうになる。
「逃げろ」
荷物持ちの聞こえるか聞こえない声に、僕とベンは一斉に森の中へ駆け出す。絶対駄目なのに僕は振り返ってしまう。荷物持ちもその場から逃げだす。黒い竜は宙で止めていた黒い翼を高らかに掲げ、空を見上げて咆哮上げる。逃げ遅れた僕は槍を地面に落としその場で両耳を塞ぐ。あまりの轟音に意識が飛びそうになる。なんとか轟音に耐えきり僕は黒い竜を見上げる。強い風を感じ木々や岩が音を立て茶色い竜巻に巻き上げられていく。それはまさしく僕の家を閉じ込めた竜巻。そして黒い竜は口から火を吐くことなく噴き出している。ひとつ噴き出すことに振動と熱が僕に伝わる。
荷物持ちが僕の両肩を潰すぐらい力強く握ってくる。そして力強く揺すられて顔を見る。
「なんで噴かしの竜が生きている!」
「え?」
「ゴズウェルが殺した竜がなんで生きてるって話だ!」
僕は一生懸命に首を横に振る。
「ゴズウェルさんの隣で死んでいたのは白い竜だ! あいつじゃない!」
「しろ」
荷物持ちは僕を離すと両手で自分の髪をすごい勢いで掻き始める。
「俺は馬鹿だ! 本物の馬鹿だ! この世で一番のクソ野郎だ!」
僕は訳も分からず荷物持ちを眺める。僕は何も理解できないでいる。
「ここまでだ! 俺はお前を置いて逃げる! じゃあな!」
荷物持ちはすごい速さで森の中へ消えていく。置いていかれた僕は竜殺しの槍を手にしてそれっぽく構える。誰にでも分かるがここから届くはずがない! 何が竜殺しの槍だ! 空を飛んでいる竜にどうやって槍を突けというのか!
ベンの悲鳴が耳に入る。僕は急いでベンの悲鳴へ駆けだしていく。吹き飛ばされた大木にベンの足が挟まっている。
「ベン!」
ベンは顔を引きつりながら笑っている。
「俺はここまでだよ! 早く逃げろ!」
槍を放り投げ大木を上げようとする。上がる訳がない! それでも歯を食いしばってあげようとするがビクともしない。
「俺なんか置いて逃げろって! どうせ砂漠で死ぬはずだったんだ、ちょっと死ぬのが遅れただけさ」
「でも」
ベンは土を握って僕に投げ飛ばす。
「さっさと逃げろよ! 行けって!」
僕は竜殺しの槍を持ってベンから少しずつ離れていく。いいのかこれで?
「俺の分も生きてくれよ」
僕は全速力でベンから離れ黒い竜から逃げようとする。
「誰か……誰かあああああああああああ!」
ベンの悲鳴に足を止める。置いていける訳がない! 僕はベンの下まで急いで戻る。ベンは必死に大木を爪で引っ掻いていた。
「死にたくねえ! 死にたくねえよお!」
「待ってて今助けるから!」
言うがやすし、こんな大木上がるはずがない! どれだけ歯を食いしばりどれだけ踏ん張っても子供の僕が上げられる訳がない! 荷物持ちはひとりで逃げた! それが正しいのは分かっている! でももう僕しかしないんだ! 僕が上げるしかない!
「せーので上げろ」
いつの間にか荷物持ちが僕の背後にいて大木に手をかけていた。
「なんで?」
「せーの!」
僕と荷物持ちは必死に大木を上げる。ベンは必死に土を引っ搔き回しついに抜け出すことに成功した。急いで立ち上がったベンの背を荷物持ちが蹴り飛ばし、続いて僕も蹴り飛ばされる。
「このクソガキ共が」
竜巻が僕らを飲み込んでいく。飛んでくる石や土に激痛を感じる。僕は何も出来ずその場で頭を抱えて丸くなる。竜巻は全てを巻き上げながら徐々に威力が弱まっていく。それでも僕は怖くて動けなかった。巻き上げられた木や石が空から落ちて来る音が聞こえる。生きるか死ぬかもう運だ。僕はただ何も考えず体を丸くする。
「起きろクソガキ共、死ぬぞ」
荷物持ちの声に僕は丸めた体を開きゆっくりと立ち上がる。
「さっさとこっちに来い、死ぬぞ」
辺りはもう森なんかじゃなかった。破壊された森、大量の木や岩が転がっている。そして荷物持ちは大木の下敷きになっていた。口と鼻から血を出して今まで見たこと無い優しい顔をしている。
「何してんだよ! 早く逃げ」
ベンも気づいて両膝を折る。
「足を止めるなよ」
見たこともない笑顔を見せ、荷物持ちは動かなくなった。なんでここで荷物持ちが死んでいるのかが理解できなかった。
「なんで戻ってきたんだよ……あんた勝手にひとりで逃げたじゃないか」
僕はしゃがみ込んで荷物持ちに近づく。
「僕を置いて勝手に逃げたじゃないか! なんで戻ってきて死んでんだよ! 馬鹿じゃないのか! 戻って来なければ生き残れたじゃないか! どうして戻って来たんだよ! 何か言えよ!」
ベンが泣きながら僕を引っ張る。
「今は逃げようぜ!」
僕はベンを睨む。
「ここに置いて行けって言うのか!」
自然と涙が流れた。同時にベンが泣きながら震えた手で僕を掴んでいることも気づいた。僕は立ち上がって荷物持ちの顔を見る。憎たらしいほどの笑顔だ。
「ごめん怒鳴って。でもベンの言っていることも分かるよ。分かるけど」
ベンは僕を何度も引っ張る。
「俺だって置いて行きたくねえよ! でも……でもこのままじゃ俺たち」
頭上から熱と振動を感じる。黒い竜が炎を噴かしているのだろう。けれど僕は荷物持ちから目が離せられなかった。いま荷物持ちは足を止めるなと言った。そして僕は完全に足を止めている。自分の両手が折れそうなぐらい力強く握りしめ、頭上の熱と音に憎しみを抱いている。自然と口から言葉が漏れた。
「失せろ」
竜は咆哮を上げるが両耳を塞ぐほどの咆哮じゃない。黒い竜が翼を広げる音が聞こえ羽ばたく音が遠くへ消えていく。ベンが僕の服から手を離しゆっくりと地面にしゃがみ込む。
「なんで、なんで俺のなんかのために。俺なんか置いてさっさと逃げればいいんだ」
僕はベンの胸倉を掴んで自分に引き寄せる。
「二度とそんなこと言うな! 僕が代わりにぶっ飛ばす!」
僕とベンはふたりで涙を流す。僕たちは何も、何も出来ないでいる。
「なああんた」
声に驚いて僕とベンは顔を上げる。いつの間にいたのか茶色いフードを被った人々が列を作っていた。
「あんたがあいつを追い払ってくれたんだろう?」
僕は首を横に振る。
「僕は……僕は何もしてません」
「どうか! どうか私たちと一緒に来てくれ! 頼む!」
皆が泣きながら僕に膝を曲げる。僕は膝まづいている人を見下ろす。
「なら手伝ってください。それが条件です」
人々の力を借りて荷物持ちの墓を作った。他にも墓をいくつか掘っているが手伝う気になれなかった。置いた石に白いバツ印を大きく書いてもらった。それが彼の遺言だ。僕は墓の前で腰を降ろし、使えない竜殺しの槍を肩にかけそれに顔を傾ける。墓の前から動く気が起きない。荷物持ちの臭いと汚い言葉が今にも聞こえてきそうだ。と、森に入る前の荷物持ちを思い出す。墓を掘ったときだ。彼は墓の前で微動だにしなかった。今の僕と同じ様に。きっと炎に焼かれた人は荷物持ちの知り合いだろう。僕は両眼を力強く瞑り思い出す。荷物持ちは噴かしの竜と言った。そして僕が白い竜と言ったことに驚いていた。黒い竜、噴かしの竜の竜巻を見てそれが僕の家を閉じこめた竜巻だとすぐに分かった。僕は左手で自分の顔を隠す。荷物持ちに白い竜と伝えていなかった。もう僕は訳が分からなかった、僕はゴズウェルさんが白い竜を倒したから竜巻がやんだと思っていた。それが恐らく間違えている。荷物持ちの反応と噴かしの竜の竜巻。じゃあゴズウェルさんが倒したと思っていた白い竜はなんだ! 一匹と相打ちになり噴かしの竜に殺されたと言うのか? 考えても何ひとつ分からない。
「くそ」
小声で汚い言葉が漏れた。ベンが僕にコップを差し出す。けれど僕は受け取る気が起きない。
「水」
「いらないよ」
「そ、そうか」
ベンは荷物持ちの墓を眺める。
「俺が馬鹿なせいだ。シンザは何も悪くない」
「いや僕のせいだ。僕の家を閉じ込めていたのは噴かしの竜で間違いない。僕がちゃんと伝えていなかったせいだ」
僕もベンも荷物持ちの墓を黙って眺める。ひとつの決意だけはあった。
「噴かしの竜だけは確実に殺す。絶対にだ」
ベンは何も言わなかった。茶色いフードを着た男がひとり僕の下へ来る。その人は臭くなかった。
「そろそろ出発してもよろしいですか?」
放っておいて。なんて言葉は流石に酷い。
「足を止めるなよ」
「え?」
僕は槍を立て立ち上がる。
「いえ、そんな声が聞こえた気がして。行きましょう」
一団の先頭を僕とベンが行く。先へ進むと言うより、荷物持ちの墓から遠ざかっている思いのほうが強く。僕は歩きながら静かに涙を流し続けた。




