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治癒の神官と殺戮卿  作者: Yulz
第一章

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第9話 亡霊

 アンジェロの死は、彼の護衛だった男が神殿まできて報せてくれたという。

 ユステルはうまく頭が働かないまま、その男と会った。


「トリストと申します」


 アンジェロに負けず劣らず大きく、同じ黒髪を持ち、アンジェロよりもいくぶん歳を経た穏やかな顔つきの男が、ユステルの前で礼を取った。

 かつて鎧を脱いだアンジェロがやったのと同じく、右足を後ろに下げて体を傾ける、あの礼だ。

 戦闘職にあるものが、君主以外に向けてとることの許された最上位の礼であることを、今のユステルは知っていた。


「申し上げます。

 我が主は昨晩、急な病気により神の御下へ昇られました。

 我が主に対する生前の貢献に心よりお礼申し上げます」

「嘘だ」


 その礼を取った男の言葉を、ユステルは切って捨てた。


「私は治癒師ですよ。

 体のどこかに傷があったり、病が潜んでいたりするなら、それとわかります。

 昨日会ったアンジェロは、どこにもそれは見当たりませんでした。

 教えて下さい、なぜアンジェロは死んだのですか」

「ご慧眼、恐れ入ります。

 改めて申し上げます。

 我が主は、急な病気により」

「それが嘘だと言っている!」

「……急な病気で逝去いたしました」


 男は頑としてユステルの言い分を聞き入れなかった。

 ユステルは悲しくなった。

 王都の貴族たちのなかで孤立しているアンジェロだったが、そばにいる彼らはアンジェロの忠実なしもべだと思っていたからだ。

 その彼らが、主の死に嘘をついていることが、とても悲しかった。


「普通のひとなら何十回死んでいるかもわからないような戦場をくぐり抜けた男だぞ。

 昨日まで、この神殿で、自分でもってきた食事を広げて食べていたんだぞ。

 私と話していたんだ! ここで!

 その男が、アンジェロが、死ぬわけが……!」


 悲しみのままに振る舞うユステルだったが、ふと、男の握りしめた拳が震えている事に気がついた。

 それに気がつけば、男の顔が強く強張っている事にも、歯を食いしばってこちらを見ている事にも、すぐに気がついた。

 男は再び礼をとり、言った。


「改めて申し上げます。

 我が主は、急な病気により、神の御下へ昇られました」


 静かな声だった。


 アンジェロは戦場で、周りに命がけで守られながら、自分も命をかけて彼らのために戦っていると、いつも言っていた。

 彼が自分の主を慕う気持ちを捨てたわけではないのだと、ユステルは理解した。

 喚き散らす自分の前から立ち去らずに、誠意を尽くしてくれている男の心を理解した。

 ユステルは震える声で尋ねた。


「……病死、と、なったのですね」


 トリストは何かに耐えるように目を閉じた。

 ユステルもそれを見て、同じように目を閉じた。


「……ご連絡、ありがとうございました。

 彼は、その……アンジェロは、この後どうなりますか?」

「明日までを移動の準備に充てて、その後は許可がおり次第、亡骸を領地まで運ぶ予定です。

 愛する妻子の元で眠りたいと普段よりおっしゃられていた、我が主の遺志を汲む形となります」

「そうですか。わかりました」

「主より治癒師様へ……ユステル様へ、言伝がございます」


 ユステルが顔をあげると、トリストと目があった。

 トリストは泣いていた。


「息子に会わせたかった、と」




 トリストが神殿を去ると、ユステルは神官長に、神殿から出たいとせがんだ。

 死に顔を見なければ、アンジェロが死んだとはとうてい信じられなかったからだ。


 しかし、神官長は許可しなかった。

 貴族の死は、そうでない者の死と違い、現場の検証があり、遺体の検分があり、それを取り扱う手続きが要る。

 今行っても顔を見ることも出来ないからと、ユステルを諌めた。


 神官長はユステルの自室までついてきた。

 しばらく作務を休んでも良いと話すその声は、昨日に聞いた声よりもずっと悲痛に響いた。

 別れ際、すまん、と一言こぼしたが、ユステルは返事をせず、扉の鍵をすぐに閉め、服を着替える事もせずに寝台の上に体を預けた。


 止まっていた思考が鈍い痛みを発し始める。

 これから庇護を得ようと思っていた男が、この一年で仲を深めた男が、この世を去ったという事実が受け入れられない。

 突然の喪失に、自分の心が追いついていない。

 胸によぎるのは、思い出と後悔だけだ。


(アンジェロ。本当に死んだのか?)


 戦争の話をしながら、早く終わってほしいと願っていた。

 部下や兵士を気遣いながら、自分が傷つくことにはためらわなかった。

 家族と過ごせるようになりたいと、寂しく笑っていた。

 俺の領地に来いと、自分を求めてくれた。

 その全てが喪われたのだと思うと、涙がにじんだ。


(何が殺戮卿だ。他の貴族より強いんじゃなかったのか。

 一緒に行くなら、命がけで私を守ると言っていたじゃないか。

 私のことを連れて行く前に死んでしまって、どうするんだ)


 怒りにも似た感情が熱を持って、体の中でぐるぐると回り続ける。

 それは理不尽への怒りだった。

 自分を置いていったアンジェロへの怒りだった。

 無力な自分への怒りだった。


(私は……これから、どうすればいいんだ)


 ユステルは呆然と天井を眺めながらその日を過ごした。

 途中、神官長が食事をとるように部屋の外から話しかけてきたが、ユステルは無視した。

 今は何もしたくなかった。


 ユステルは教会に来てから初めて、祈りを捧げずに寝た。




 夢を見た。

 何度も夢想した、アンジェロと共に戦場を駆け抜ける自分の夢だった。

 傷つき倒れたアンジェロを癒し、彼の仲間たちを癒し、見たことのない強大な敵を打ち倒す。

 アンジェロは、お前がいてくれてよかった、と笑う。

 何度も、何度も何度も思い描いた、物語の中の自分だった。


「……ユステル」


 耳を打つ低い声が生々しい。

 戦場の勝ち鬨のなかで聞くには、平坦で落ち着いていて、冷たい声色だ。

 だが、ユステルは戦場にいるときのアンジェロを知らない。

 こんな声で自分を呼ぶのも、またあの男らしいかもしれないと、ユステルは思った。


「ユステル、おい」


 思えば神殿にきてから、この一年ほど誰かと話したことはなかった。

 教育は一方的に詰め込まれるだけだし、落ちこぼれと言われるようになってからは、他の治癒師や神官たちと話をするようなことはあまりなかった。

 自分はこんなにも誰かに名前を呼ばれたがっていたのかと、我が事ながら皮肉に思えた。


「おい、ユステル。起きろ」


 ゆっくりと目を開ける。

 時間は既に夜のようで、部屋の中にはカーテンの隙間から差し込む月の光が、物の少ないユステルの部屋を切り取っている。

 その光を遮る、黒い影があった。

 目を凝らすと、それは静かにこちらを見つめているアンジェロの姿だった。


「こんな夜中に神殿に入り込んで……悪い貴族ですね。

 私がしかるべき所へ訴え出たら大変なことになりますよ」

「声は届いているようだな。

 おい、起きたか? ユステル、聞いてほしい事がある」


 ユステルは目を細め、すがるように声を振り絞って言った。


「私も……聞いてほしいことがあります。

 あなたの領地に行きたいと、ずっと思っていました。

 未熟者の私でよければ……あなたの……」

「そう思ってくれているのなら、ちょうどよかった。

 急いで外出許可を取ってくれ。

 このままだと間に合わなくなってしまう」


 ここに至ってユステルはようやく、あれ? と思った。

 夢の中にしては、会話のやりとりがはっきりしすぎている。

 そして眼の前にいるアンジェロの存在感は、嘘じゃない。

 そう思い至った時、一気に意識が覚醒した。


「アンジェロ!?」

「ふむ、姿も見えているようだな」


 ユステルは跳ね起きて、思わずアンジェロの手を取った。

 いや、手を取ろうとした。

 しかし、伸ばした手は抵抗もなくすり抜け、アンジェロの輪郭が水面にうつった姿のようにぼやけた。


「俺は死んだはずなんだが、気がついたらここにいた。

 ……で、この有様だ」


 呆然として言葉を失うユステルに、アンジェロは皮肉げに笑って言った。


 ユステルは影を見上げた。

 月明かりを背に受けるアンジェロの姿は、昨日に会った時と同じ服で、圧倒的な存在感がある。

 しかし、視線を下げると、アンジェロの手を握ろうとした自分の手が虚空をつかみ、宙に滲んだアンジェロの体がある。


「悪い夢だ……」

「俺もそうであってほしいと思う」


 アンジェロが離れると、滲んだ輪郭はもとに戻った。

 ユステルは、喜べばいいのか、悲しめばいいのか、怖がればいいのか、全くわからなくなった。


「死んだんですよね?」

「より正確には、殺された。

 まさか王都で大立ち回りを演じる事になるとは予想していなかったがな」

「……誰に、ですか?」


 ユステルが尋ねると、途端にアンジェロは両手で頭を掻きむしり、苦悶に歪んだ。


「うう……! くそっ、隣国の奴らだ。

 やつら、この王都に入り込んでいやがった!」


 目のまわりは黒く落ちくぼみ、剥きだした歯は血に濡れていて、血の涙が流れ落ちた。

 みるみるうちに服が引き裂かれ、血に濡れた服は黒く染まって、部屋の闇に溶けた。

 恐るべき亡霊の狂態に、ユステルは恐怖で思わず身をすくめる。

 はっとした表情でそれを見たアンジェロは、気まずそうに顔を背け、再びユステルの前へ出た時には普段の姿に戻っていた。


「襲ってきた奴らには、全員、その責任をとらせてやったが……毒を受け、間に合わなかった。

 死者が喋るなど、噂話に登る程度の下らない怪異だ、と信じていなかったが、まさか自分がそれになるとは考えてもみなかったな」


 アンジェロは悲しげに目を伏せ、黙った。

 ユステルも言葉を探したが、この非現実的な事態を受け入れることにいっぱいいっぱいで、何も言葉が浮かばなかった。


「ユステル。

 死の間際、俺は領地のことを思い、家族のことを思い、最期にお前のことを思った。

 そのせいか、俺の声は今のところ、お前以外には聞こえていないようだ。

 だから、俺は、お前に頼むしかない」


 ユステルはアンジェロの顔を見た。

 アンジェロはまっすぐに自分を見ていた。

 恐ろしいはずなのに、不思議と目をそらしたいとは思わなかった。


(あの眼だ)


 アンジェロは、自分が傷つき倒れそうだった時に、この眼で自分をみた。

 家族の事や、領地のことを話す時も、この静かで激しい視線が正面から向けられていた。

 汚い欲望にたぎる光ではなく、生命を燃やす希望の光だ。


 アンジェロは亡霊になっても何も変わっていない。

 そう思うと、ユステルの体から恐怖が抜けた。


「うかがいます」


 ユステルが頷くと、アンジェロも同じように頷き、言った。


「俺の仇を討ってくれ」

お読み頂きありがとうございます。

ようやくあらすじの部分まで公開できました。

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宜しくお願いします。

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