第8話 凶報
ちょっと長いですが、切りの良い所まで投稿します。
アンジェロと出会ってから、二度目の春が来た。
窓の外から聞こえてくる王都の賑わいは日ごとに増し、暗く冷たい冬の終わりを喜ぶ声に満ちていた。
戦争が終わったわけではない。
それでも、例年なら春が深まるごとに激しくなる戦火の煽りは不思議と少なく、ひとときの安らぎを謳歌しているようだ。
互いに損耗が激しかったからか、どちらからともなく大きな戦を避けるようになり、奇襲や奇策の押し付け合いも落ち着いて、小競り合いを繰り返すだけの日々が続いているという。
アンジェロが王都に来る回数は減ったが、一度来ると滞在期間は長く、神殿には毎日のように顔を出した。
怪我などしていない日でさえ、である。
ユステルもいい加減、この豪放磊落な男のあしらい方を身につけつつあった。
「他にやる事があるでしょう。暇なんですか?」
その日も、漆黒の大男はユステルの施術室に持ち込んだ差し入れをその場で遠慮なく広げだした。
ユステルの呆れたような問いかけに、アンジェロはにやり、と笑って言った。
「俺は王都の民草を震え上がらせる悪漢、今をときめく殺戮卿だぞ?
暇なわけがないだろう」
「では何故、こんなところでくだを巻いているのですか?」
「王城では論功行賞をやっててな。
誰に何を与えるか、国のお偉方がハゲ頭を突き合わせて相談している真っ最中だ」
「言い方」
「構うものか。
まあとにかく、それの結果が出るまでは待機ということになっている」
アンジェロは広げた荷物から果物を掴み上げ、軽く服でこすってから皮ごとかじりついた。
柑橘の甘い香りがユステルの鼻をくすぐる。
仮にも貴族らしい服装でありながら、その振る舞いはどちらかといえばスラムで見た者たちに近い。
伯爵位の領主がこれでいいのだろうか、と思いながらも、ユステルも同じ机を囲い、席についた。
「貴族って、もっと会合や顔つなぎをして、権力抗争に明け暮れているものだと思っていました」
「それこそ俺には縁のないものだ。
必要な所には顔を出しているし、あちらも気をつかってはくれるが、そうでない大多数は無関係を貫いている。
今となっては気楽なものだぞ。
俺が何も言わなくても、向こうが勝手に道を空けてくれるようになったからな」
アンジェロは悪びれることもなくそう言ってのける。
ユステルは、こんな大男が正面からのしのしと歩いてきたら、身分に関係なく、身の危険を感じて横に避けるだろうな、と思った。
「行けば行ったで、俺のことを認めたがらない奴らが必死に足を引っ張ってくる。
そういう手合いと付き合うのは、戦うより疲れるな」
「お察しいたします」
「もうちょっと心を込めて言え。
癒しの神官だろ」
アンジェロは咎めるような事を言うが、その顔は朗らかな笑みに崩れていた。
「そうそう、戦争が無為に続いているのは、俺が後先考えずに殺してるせいらしいぞ」
「……では、罰せられるのを待っているのですか?」
「まさか。俺を罰するなら、他に首級をあげた者たちも罰しなければならん」
「それは、はい、そうですね」
「それに、輜重隊や後方支援部隊に何かあったときの対応は、俺たちが一番早い。
本当なら足の裏まで勲章をつけていてもおかしくない」
「歩きにくそうですね。
では、何故そんなに目の敵にされているんですか?」
「つまり、文句をつけて何とかして俺への支払いを減らしたいのだ」
「支払い?」
「ああ」
アンジェロは姿勢を正し、慇懃な態度で言う。
「賞状だか名誉だかではなく、年金つきの勲章か現金をよこせ、と言ってある。
おかげで俺の領地は戦争以降、金に困ったことはない」
「……じゃあ、私への支払いは……」
アンジェロは態度を崩し、歯を見せて笑った。
ユステルは自分への過分な支払いの、出どころの一端を知り、言葉を失った。
そして、つられて思わずふきだした。
「そういう所が、戦争屋と呼ばれる所以ではありませんか?」
「おお、好きに呼べばいいさ。不名誉な渾名なら既にある」
とうとう、アンジェロは声を上げて笑った。
いつ頃からか、こうして気安い物言いで笑い合えるようになっていた。
日は流れ、王都の者たちの間に戦争以外の話題がのぼるようになっても、アンジェロは神殿へ訪れ続けた。
最初こそ大きな傷ばかり負って駆け込んできていたが、戦況の落ち着いた今となっては、治癒の必要な事態はほとんど起こらなくなっている。
その日も、アンジェロは差し入れと寄進を手に、ユステルと雑談をしに来た。
「今日も治療は要らないのですか?」
「要らんな、この通り五体満足だ」
「……傷の治癒ではなく、老化抑止をお求めなら、ほかの神官をご紹介いたしますが」
「そういう問題じゃない」
ユステルが真顔で返すと、アンジェロはまた笑った。
「お前、本当に面白いな」
「笑うところでしたか?」
「ああ、そういうところだ」
嫌味のない笑いだった。
他人を馬鹿にする笑いではなく、今この時を楽しんでいると分かる笑みだ。
ユステルは、この笑顔が嫌いではなかった。
「で、だ」
話が一区切りしたところで、アンジェロが切り出した。
「そろそろ俺の領地へ来る気になったか?」
ユステルは視線を落とす。
「……まだ迷っています」
「そうか」
「私は、他の貴族が望むような治癒は出来ません」
「だが傷は治せるだろう?
その点において、俺はお前の能力を疑っていない」
「でも、それだけなんです」
「十分だ」
即答だった。
二の句が継げなくなったユステルが沈黙していると、アンジェロはまじまじとユステルを見てから、深く落ち着いた言葉で言った。
「大きくなったな」
「え?」
「初めて会った頃は、まだまだ少年といえるくらいだったが」
「……? お陰様で、飢えることなく過ごせています」
「そういう意味じゃない」
ユステルはこうした会話の意味がわからない。
目の前の男に感じる、面映いような、傍に居たくなるような、この感情の名前を知らない。
首をかしげるユステルをみて、それでもアンジェロの言葉はやわらかだった。
「男らしくなった」
ユステルは何も言えなかった。
しかし、この沈黙が嫌ではなかった。
「うむ、中身も追いつけば、今度は俺の息子に会わせてやりたいな」
「……どういう意味ですか?」
「そのままの意味だ」
なんとなく、からかいの声色を感じたユステルが尋ねると、アンジェロは屈託なく笑った。
アンジェロが帰ると、いつものように神官長がやってきた。
しかし、普段の仏頂面ではなく、今日は神妙な顔をしている。
「一年だ」
「はい?」
「お前が、あの殺戮卿を癒し始めて一年たった」
神官長の視線が、机の上の革袋に向く。
普段は金の山を前にして、一枚、もう一枚と寄進を数えているにやけづらが、今日は浮かんでいない。
「もはやお前の治癒を望む貴族はおらん」
「そういえば……」
ユステルは思い返す。
最後にアンジェロ以外の貴族に癒しを施したのはいつだったか。
「最近はアンジェロ以外を診ていませんね」
「伯爵位の貴族を呼び捨てか。
随分気安い関係を築いたのだな」
神官長は机の上を片付けもせず、椅子に座った。
アンジェロの座っていたそこに腰を下ろした神官長は、教育係の時と同じ顔をしていた。
「貴族たちの間では、お前は既に殺戮卿の庇護下にあるのだ」
「アンジェロの庇護下に?
ですが、私はまだ彼を望んでいません」
「お前がどう思うかではない。
周りがお前たちをどう見るかなのだ」
初めて聞くような顔をしたユステルに、神官長は静かに話し始めた。
「薬盃戦争以来、この国は変わった。
治癒師は癒しを齎し、貴族はそれを守護する。
その契約のもと、力を合わせて国を立て直してきたのだ」
ユステルは頷いた。
薬盃戦争は、神殿で何度も教わった歴史だ。
「だが、長い月日はその契約を歪めた。
いや、人が歪んだというほうが正しいか。
勘違いする貴族がいるのだ」
神官長は眉をひそめた。
「……勘違い、とは?」
「治癒師は、その力を狙う者に常に脅かされている。
だから、守護を与える側が上位だと、貴族が上だという考えが生まれた。
今の貴族には、それを隠そうともしない者もいる」
「そんなばかな……。
治癒と守護の契約は国の法にも記されています。
互いに支え合う我らに優劣はないと」
「お前は彼らの視線を思い返しながらでも、それが言えるのか?」
ユステルは言葉に詰まった。
自分を値踏みするような視線は、今も忘れたことはない。
それは何よりも神官長の言葉を裏付ける証拠だった。
そして神官長は、「その後」のことを話す。
「その手の貴族と契約したとしよう。
男なら、酷使されるだけで済むかもしれん。
治癒のちからが衰えた時、もっと良い治癒師と契約した時には、どのような扱いになるかはわからんがな」
少しの間をおいて、短く続けた。
「女は、もっと悲惨だ」
部屋に重い沈黙がおりた。
神官長は遠くを見るような目をしている。
ユステルは震える声で、何とか返事をした。
「……私、は……何も、知りませんでした」
「そうだろうとも。
知る必要がないようにしてきたのだ」
神官長は頷いた。
「それが神官長の仕事だ。
希望を胸に神殿を出る治癒師たちが、少しでもよい相手の元へ行けるように、相手を選び、時を選び、縁を結ぶことが、この衣服をまとう者の仕事だ」
ユステルは神官長の服を見た。
聖印が施された白い服が、見飽きた聖衣が、にじんで見えた。
「私の仕事なのだ」
ユステルは、自分は嫌われていると思っていた。
不出来な治癒師として叱責される日々が、この神官長から自分への評価なのだと、ずっと不貞腐れていた。
確かに酷い振る舞いもするし、嫌な思い出もいくらかある。
しかし、この神官長は自分の教育係だった男なのだ。
自分は守られていたのだ。
「……殺戮卿になど、つけたくなかった」
ぽつりと、つぶやくように神官長が言う。
「お前に見せるあの男の姿は、もしかしたら優しかったかもしれない。
だが、それが嘘だったらどうする?
王都にすら聞こえてくる、あのおぞましい噂が本当だったら?」
ユステルは顔を上げた。
こちらを見る神官長の目はいつになく凪いでいる。
その目にかかる髪のなかに、白いものが混じっているのが見えた。
「一度、神殿から治癒師を出した前例を作れば、今後もあの男の領地はそれを求めるだろう。
神殿から遠い彼の地で、治癒師はどんな扱いを受けるのだ?
貴族とのやりとりもろくに出来ない未熟な治癒師では、丸め込まれるのでは?
わからない。
わからないから、出すわけにはいかない……」
それは、神官長の苦悩だった。
嫌味なだけだと思っていた男の真意に触れて、ユステルは急に自分が恥ずかしくなった。
アンジェロに大きくなったと言われて、何となく膨らんでいた気持ちが、冷たくしぼむのを感じた。
(私は、まだ子供だ……)
ユステルは唇を噛んだ。
声を上げないように必死に耐えたが、こぼれる涙はとめられなかった。
神官長はそんなユステルをしばらく見ていたが、ふいに再び口を開いた。
「ユステル。
お前から見て、あの男はどうだ?」
「はっ?」
思ってもいなかった問いに、変に上ずった声が出た。
「あ……その……」
気持ちも追いついていないまま、何とか話そうとはするものの、言葉が詰まる。
神官長は変わらずユステルをみていたが。
「そうか」
ため息交じりに、笑って言った。
「お前が望むなら、契約してよい」
「……えっ?」
「もう反対はせん。
お前の望むままにやってみよ」
神官長は立ち上がり、寄進の入った袋に手を伸ばす。
「戦う力だけは誰にも否定させなかった男だ。
懐に入った子供のひとりくらい、守れるだろう」
いつもより重たそうに袋を抱えて、神官長は出ていった。
その日の夜は、どれだけ祈りを深めても、眠れなかった。
寝台に横になり、暗闇をみつめる。
遠く風の音が聞こえる闇のなかで、ユステルの頭の中には、まるで大嵐のように今日の出来事が飛び交っていた。
(庇護を……受けること。
……アンジェロの庇護を、受けるということ)
教わった知識の世界で、彼の庇護を受けたあとのことを夢想したことはあった。
しかし、その契約がもつ意味までは、思い至らなかった。
(私は何も知らなかったのだ)
貴族のこと。神官長のこと。治癒師のこと。
今日になって、ようやく自分が守られて生きてきた事に気づいた。
アンジェロに言われた言葉が頭によぎる。
「大きくなったな」
思わず身を捩り、掛布を手繰り寄せる。
(違う。私はまだ未熟だ)
ユステルは未熟な自分を恥じた。
その自分を認めてくれたアンジェロに対して、申し訳ない気持ちが胸にあふれた。
今の自分の思いを、アンジェロに聞いてほしかった。
しかし、アンジェロについて行きたい気持ちはむしろ強まった。
こんな未熟者の子供に、共に来いと言ってくれた時のことを思い出した。
アンジェロの傍で、アンジェロに相応しい男に成長した自分を夢想したこれまでの自分が、諦めるなと叫んでいた。
会いたかった。
(次……、次にアンジェロに会ったら、この気持ちを打ち明けよう。
私のような治癒師でも、連れて行ってくれるのかと、相談しよう)
もし、受け入れてくれたら、その時は。
ユステルはいつの間にか、眠りに落ちていた。
翌日、目を腫らしたユステルは、それでも普段通りに朝を過ごし、自分の施術室へと向かった。
そこには神官長がいた。
椅子に座ることもなく、所在なさげに立っている姿は、普段よりも頼りなく見える。
扉の音に振り向いてこちらを見た顔は、青ざめていた。
「ユステル、落ち着いてききなさい」
昨日よりも硬い声で名前を呼ばれる。
胸の奥で冷たい血がどくどくと暴れている。
ユステルは思わず自分の胸を抑えた。
その日、アンジェロ・ドラウキン伯爵は死んだ。
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