第6話 その名はアンジェロ
「こちらです。治癒の必要な方はベッドへお願いします」
「ありがとうございます。
……おい、そのまま奥まで運べ、そっとな」
部屋の奥にある柔らかなベッドの上に、無骨な担架がそのまま置かれる。
担架から降ろさないのかとユステルは疑問に思ったが、その理由はかぶせられた布が外されてすぐに理解した。
現れたのは全身鎧だ。
何かの油らしい、ひどく鼻の奥を痺れさせる臭いと、それと同じくらい強く肉の焼けた臭いがする。
おそらくは火計かなにかに巻き込まれたのだろう。
これほどまでに焼け焦げているのであれば、恐らく内側に着た防護服は意味をなさず、溶けた皮膚が鎧に癒着しているだろう。
体を動かすどころか、わずかな振動を受けるだけでも、想像を絶する苦痛を感じているはずだ。
傷を負った将兵の治癒を任される事の多いユステルをして、初めて見るほどの重傷ぶりだった。
神殿に詰めている他の治癒師たちが施すような並の治癒では、ほんの少し苦痛を和らげるか、表面だけを美しく整える程度が関の山だろう。
間違いなく、強い治癒を施す必要があり、そしてユステルは自分ならそれが出来ると感じた。
しかし……。
(こいつは戦争屋だ。殺戮卿とまで言われた、戦争の音頭取りだ)
胸のうちは冷え切っている。
男の横に跪き、定められた祝詞を口にするが、それだけだ。
心で治癒のちからを動かすユステルが義理だけで祝詞を口にしたところで、何も起こりそうもない。
何度か試し、ユステルは首を横に振った。
「生を慶び、命を祝し、老いを諾い、死を諒し、あまねく旅路の助けとなるよう。
生を慶び、命を祝し、老いを諾い、死を諒し、あまねく旅路の助けとなるよう。
……すみません。治癒がうまく出来ません」
沈んだ声で言うと、周囲を取り囲んでいた男たちが狼狽する。
ユステルは謝罪するように目を閉じ、心を閉ざした。
「そう言わず、どうか頼みます!」
「本当に他の治癒師は来れないのか!」
「慈悲の光は一度も灯っていないが、本当に治癒は発動したのか!?」
男たちの悲鳴にも似た怒号が施術室を満たす。
しかし、どう頑張っても治癒の力は出せそうにない。
であれば、諦めて帰るまでそれをやり過ごそう。
ユステルがそう思った、その時。
凄まじい力で腕を掴まれた。
「っ!」
体勢を崩し、思わず目を開く。
担架の上の大鎧が起き上がっていた。
いや、実際には、起き上がろうとしていた。
全身を震わせながら、今にも死にそうな男が、死力を振り絞ってユステルにすがりついていた。
驚くユステルの耳は、鎧の隙間から漏れ出た声を拾う。
「俺は……帰らなくてはならん……!
妻が……子が……待っているのだ……」
かすれた声だったが、はっきりと聞き取れた。
握られた腕が痛むが、それをしている篭手の隙間からは血が滴り落ちている。
それでも男は手を離さなかった。
「まだ……! 死ねないのだ……!」
首を起こした兜の隙間に、爛々と光る目が見えた。
貴族や商人が自分に向ける、暗い欲望を感じる視線ではなく、ただ命を諦めないという、強い光だった。
たどたどしい声はか弱く悲壮感があり、体は深く傷つき、動く事もままならないような状態なのに、この男は生きる事を諦めていない。
ユステルは驚いた。
治癒の価値だとか、払われる金銭だとか、自分の老いがどうだとか、賤民の身分が何だとか、そうした打算を、欲望を、侮蔑を感じない。
スラムで治癒した者たちですら、あわよくば良い目をみたい、という暗い欲望を隠さない者たちがいたというのに、この男の視線にはたった一つ、生きたいという意志だけがある。
そんな人物に会うのは初めてだった。
「わかりました」
そして、そう応えた自分にも驚いた。
胸の奥が熱くなる。スラムで初めて奇跡を起こした時と同じ、懐かしいあの感覚だ。
体中からやわらかな光が溢れ出し、自分の腕を掴む男の手に自分の手を重ねた。
この男を家族の元へ返してやりたいと、ユステルは思った。
「おお! なんと大きな慈悲の光だ!」
「これは……!?」
施術室がまばゆく染まり、壁のように並んで見守っていた男たちからは歓喜の声が上がった。
横になった大鎧の体からこわばりが抜けていく。滴り落ちていた血は止まり、焼けた油の焦げ臭さだけが残される。
明らかに死の気配が薄れていく。
「……俺は、帰れるのか……」
溢れ出る光に身を委ねるように、力を抜いた男がつぶやいた。
ユステルはその目を見つめながら頷く。
男の目には憧憬が浮かんでいた。だが、その目はユステルを見ていない。きっと、帰るべき家族が、その視線の先に写っている。
ユステルは、この男は救われるべきだと確信した。
ひときわ強い光が男を包み込み、それからゆっくりと光は薄れていく。
やがて治癒の光が消えると、柔らかな陽光が窓からそっと差し込み、言葉を失って立ち尽くす男たちと横たわる鎧、そして先とは違う意味で静かに目を閉じ、神に祈るユステルの姿を照らしていた。
「終わりました」
その直後だった。
担架の上に静かに横たわっていた大きな影が跳ね起きた。
「うおお~~~っ!!」
「うわぁ!?」
「おおっ!」
男たちがどよめき、ユステルも思わず後ずさった。
まるで何事もなかったかのように、鎧の重さすら感じさせないような速さで起きた大男は、その視線をユステルに向ける。
「治癒師殿!」
大男はユステルの両手をとり、玄関で他の男たちが見せたように腰を折って頭を下げた。
「ありがとう! 本当に、本当に助かった!」
「い、いえ、治癒師としての勤めを果たしたまでで……」
「まだ少年だというのに、素晴らしい腕だな。
まさかほんのひと時で何もかもが治るとは、信じられない思いだ。
おい、誰か俺の財布は持ってきているか!?
こちらの治癒師殿に礼金を支払って差し上げろ!」
とまどうユステルを置いてけぼりにして、鎧の大男は周囲の男たちに指示を出しながら、指や腕を曲げ伸ばしして動きを確かめている。
そして革袋を持った部下が進み出ると、それをひったくるように受け取り、机に叩きつけた。
重たい音が響き、緩んだ口から金の輝きが漏れる。
過大な支払いにユステルは目を丸くしたが、大男は一つ頷いて言った。
「今の手持ちはこれだけだ! 足りなければまた持ってくる!」
そして、くるりと背を返し、部下たちに向き直る。
「おまえたちにも世話をかけたな。
ここまで護送してくれたこと、心より感謝する!
まずは俺が抜けた後のことを聞きたい」
「はっ、馬は替えを手配しております。
道すがら状況をご説明いたします」
「頼む」
短いやり取りをして男たちは出ていこうとする。
あまりの事にあっけにとられていたユステルだったが、その背中を見て、ふと思った。
この男ともっと話したい。
「待ってください」
思った時にはすでに声をあげていた。
ユステルの声に大男が足を止め、振り返る。
その視線には、つい先程までの燃え上がるような生の執着も、帰るべき場所への憧憬も、命が助かった喜びもない。
なのに、こちらを見つめる視線からは、先程の眼差しよりも強い圧力を感じる。
ユステルはおもわず口を抑えた。
考えなしに呼び止めてしまったが、何が自分をそうさせたかはわからなかった。
しどろもどろしながら、ユステルはそれでも呼び止めた以上は何かを話さなければと口を開く。
「治癒が終わってすぐの体では動きづらくありませんか?
どのくらいの距離を来られたかは知りませんが、馬で、それも担架で揺られたなら、お疲れでしょう。
それでなくてもあなたは酷く汚れている。
今は少し腰を落ち着けて、癒された体が馴染むのを待ったほうがいいのではありませんか?」
「おっ、治癒師殿、気を使ってくれるのか。
この神殿に詰めている神官にしては随分とお優しいことだな」
おどけるように肩をすくめた大男は、一転して心配するように首をかしげ、ユステルの顔を覗き込んで言う。
「ありがたい申し出だが、もう行かせてもらうよ。
まあ、そりゃあ、あのまま一眠りしたら、さぞかし気持ちよかっただろうが……そうも言ってられん」
「なぜ、そんなに急ぐのですか?」
「そりゃあ、戦いの途中で抜けてきたからだ」
男は実にあっさりと言った。
そして、篭手が軋むほどに拳を握りしめ、兜ごしでもわかるほどに顔を笑みの形に歪めた。
「これでまた戦える」
ユステルの心に再び冷たいものが降りた。
助けた命が、すぐに戦場へ戻り、戦火に身を投じると宣言したのだ。
呆れや悲しみよりも、失望のほうが大きかった。
「……また、殺しに行くのですか」
不躾だとは思いつつも、言わずにはいられなかった。
殴られるだろうか、とユステルは思ったが、大男はただひとつ大きく頷き、応えた。
「そうしなければ、俺の妻子が殺される」
ユステルは言葉を失った。
その言葉は不思議なほど重く心にのしかかってきて、そして不思議なことに、ユステルの心を熱くした。
しかしそれは、神の慈悲を乞う時の温かなものではなく、これまでに感じたことのない熱だった。
ユステルの胸の中に去来したそれは、頭の中にいろいろな言葉を投げかけ始めた。
殺戮卿と呼ばれたこの男の、治癒を失敗してもいいと神官長は言っていた。
伝説にある悪魔のような振る舞いを謳われているこの男に、部下の者たちは心酔しているようだった。
死の淵に立ったこの男は、ただ家族のもとに帰りたい、とだけ願っていた。
今はやるべきことだけを見据えて戦おうとしている。
殺戮卿と呼ばれている人物像と、眼の前の大男の印象は、ちぐはぐで噛み合わない。
自分はこの男のことを、何も知らない。
「あなたのお名前を伺っても?」
ユステルが尋ねると、男は一瞬呆気にとられたように目を開き、そして豪快に笑った。
「そういえば、まだ名乗りもしていなかったか。
世間では『殺戮卿』の方が通りはいいんだがな!」
肩を揺らして笑った後、大男はユステルを見た。
「俺の名はアンジェロ」
その声は朗らかだった。
「辺境で戦うしがない伯爵だ。
治癒師殿、また世話になりに来る」
大股で治癒棟を出ていくその背中を見送る。
その後、血や油で汚れた施術室を掃除したり、復帰した殺戮卿を見た神官長が肝をつぶしてユステルの元を訪れたり、そこに置かれた金貨に腰を抜かしたり、普段ほとんど話さない他の治癒師から殺戮卿のことをあれこれと聞かれたりしたが、ユステルはそれらにさほど心動かされることはなかった。
ユステルの中にあるのは、今日会った男、アンジェロの記憶。
自分をまっすぐに射抜くあの視線を、ユステルは忘れられなかった。
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