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治癒の神官と殺戮卿  作者: Yulz
第一章

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第四話

 答えが見つかったのは、偶然だった。

 ある冬の終わりの早朝、作務の一環で敷地の清掃をしていたユステルの目に、冷たい門にもたれかかるようにして倒れている老人の姿がうつった。

 思わずかけよると、走った後のように熱を放つその体は見た目よりもはるかにやせ細っており、胸を悪くしているのか、ぜいぜいと音をたてて息をしている。


 周りを見回すと、神官たちのしかめっ面と、冷めた視線がこちらに向けられていた。

 治る見込みのうすそうな貧乏人。治し甲斐のない老人。金を持たない殉教者。

 誰かが何とかするだろう、とでも思っているのか、視線を切って無視する神官までいた。


 ユステルは再び腕の中にいる老人を見た。

 マントの上に放り出された髪は汚れで固まり、強張った顔はぜいぜいと息をするたびに苦しげに歪んでいる。

 垢に汚れ、土にまみれ、熱にうなされて今にも死にそうなのに、それでもユステルの服を握りしめる傷だらけの手は、助けを求めて震えている。

 もう片方の手には、手垢に汚れた木彫りの聖印が握られている。

 ユステルの頭の中に、あの雨の日が蘇った。


「俺が診る」


 気づけばそう言っていた。

 握りしめた手は冷たい。体はこれほどまでに熱くなっているのに、もはや指先からは命のちからが失われつつある。

 かつてスラムを駆け回っていた仲間たちよりも遥かに頼りなく、今にも折れそうな手だ。


「大丈夫だ、安心しろ。よくここまでたどり着いたな。

 これから治癒師が、神の慈悲が、お前を癒すから……」


 言葉を飾り付ける事も忘れて老人へと語りかける。

 このひとを助けたい……そう思った瞬間だった。


 胸の奥が熱くなり、懐かしい感覚がユステルの体を駆け巡った。

 何年ぶりかに目にする神の慈悲が、夜闇を切り裂く朝陽のような黄金の光が、ユステルと老人を包み込んだ。


 効果は劇的だった。

 傷つき、ひび割れ、汚れていた手や顔に生気が宿り、その口からは温かな吐息が規則正しく漏れている。

 苦痛に喘いでいた体はその全てから解放され、すっかり脱力してユステルにその身を預けていた。


「これは……。

 ……これで、まだ、旅が続けられる……」


 つぶやく老人の手は聖印をゆるく握ったままだが、今にも凍えて折れそうだった指には暖かく命の気配がみなぎっている。

 ひと目でわかるくらいには、老人からは死の気配が拭われていた。


 いつかの子供たちのように、周りの神官たちは息を呑んだ。

 いつかの日と違い、ユステルは今の奇跡を正しく認識した。


(ああ。そういうことだったのか……)


 神は祈りに応えてくれたのではない。

 神は願いに応えてくれたのだ。


 誰かを救いたい、守りたい、そう心から思った時でないと、この力は動かないのだ。

 救う必要を感じない相手には、助けたいと思えない相手には、どれほど祈ってもこの力は動かないのだ。

 ユステルは自分を識り、そしてそれは未来への光ではなく、ユステルの心に重くのしかかる絶望の闇となった。


(ここで望まれている治癒は、俺にはできない)


 ユステルは老人からわずかな金を受け取った。

 いくつか果物を買えばなくなるような額のそれを、ユステルは受け取れないと言って返そうとしたが、老人は「少なくて申し訳ないが、あなたへの感謝を示したい」と言ってユステルの手の中に収めた。

 そして、「戦場からの便りを待っているひとがいる。行かなければ」と、ユステルに正式な跪拝をみせてから冬の空へと旅立っていった。


 神官長は許可なく治癒を行った事を責め、ユステルが手にした金額をみて「安売りするな」と怒り、その金を納めさせた上で、罰としてその日の夕食を抜いた。

 ユステルの心の中には虚無が荒れ狂った。




 自分のちからのことを、教育係や他の神官に相談はしなかった。

 座学で覚えた治癒の作法とは、あまりにも違いすぎる。

 だが、現れる効果は座学で教わった治癒の内容をはるかに上回るもので、傷病者には問題なく発動し、奇跡的な回復をみせる。

 ユステルはあえて、「おいしくない客」を積極的に引き受け、彼らに治癒を施すようになった。


 神官長や上級神官は治癒を賤民にばかり使うユステルに食って掛かったが、ユステルは「何も出来なかったこれまでよりも良いだろう」という態度で彼らと対峙した。

 何度も教育係や神官長が治癒の現場に同席し、ユステルの治癒を分析した。


 確かに強い。強いが、老化を抑えるような効果は見られない。

 それが彼らの出した結論であり、欲しい情報だった。


 結果として神殿は方針を変えた。

 無理に高位貴族に遣わせるようなことはしなくなり、かわりに、戦争で傷ついた上級兵士や、有力者の身内の治療を任されるようになった。


 治癒の対価としてユステルの手元にまとまった金が入るようにもなった。

 ユステルはそれを手元に置く事なく、生活に最低限必要な分を取り置くと、他の神官を頼って、スラムの仲間たちや炊き出しをしている部署に届けてもらっていた。

 孤児院への寄付。炊き出しの材料の調達。慈善団体の活動費用。

 この金が巡り巡って、かつての仲間たちやその周りの人たちが飢えなければ良いと思った。




 ユステルは治癒師として務めるようになって、一つの真理を理解した。

 自分が神殿という場所にいるからこそ、客である彼らは行儀よく治癒を受けていること。

 いざ手段を選ばずに求められたら、自分に成す術はない、ということ。

 神官長に言われた意味を、嫌でも理解させられた。


 自分が治癒師として彼らの前に立つ時、客からは値踏みするような粘つく視線を浴びせられる事になる。

 そこに宿るのは強烈な欲望の光だ。

 ユステルが仲間を助けたいと思った時に胸に抱いたものとは違う、もっとおぞましい暗黒の光だ。

 ユステルは、自分が値札をかけられた薬かなにかになったような気分になり、その身に宿した神の慈悲をそのように思ってしまう自分自身に打ちのめされた。


 神官長は「スラムに帰れ」とは言わなくなった。

 スラムで治癒の力を振るっていた子供がいることはそれなりに知られているだろうし、しかも今のユステルは治癒師として働けるようになり、その能力は目を見張るものがある。

 反抗的な態度を取る事もあり、神官たちの中では浮いていて、使いづらい治癒師ではあるが、この少年を手放すとどこの誰にさらわれるかもわからない上、そもそも治癒のちからを振るうことの出来るものを神殿から放逐するなどという本末転倒な行いを選ぶほど愚かでもなかった。


 逆に、ユステルはスラムに帰りたいと口にするようになった。

 理想と現実の間で心を削るユステルの静かな叫びだったが、周囲も、ユステル自身も、もはやそれが叶うとは思っていなかった。


 なまじ強いちからを発揮できるだけに、些細な傷でもユステルの治癒を求めるものは跡を絶たない。

 老化をとめる力はないと伝えても、自分の時にはその尊き慈悲がおりてくるかもしれないと、都合よく考える者は多かった。

 そういう者ほど、ユステルを賤民となじり、支払いを渋り、「思ったほどの効果はなかった」と言ってユステルの評価を下げた。


 豪奢な装飾に身を包む貴族や、勲章をじゃらじゃらとつけた将兵を治療するたびに思う。


(このひとを助けて、誰が救われるのだろう)


 身の毛のよだつような視線を自分に浴びせながら、もらえて当然と言わんばかりに神の慈悲を乞うたその口で、賤民の分際でと自分を罵る客たち。

 その姿を見るたびに胸の奥が重たくなった。


 あの日、神に誓った思いは今も変わらない。

 傷ついたひとたちの元へ、病に侵されたひとたちの元へ、この慈悲の力を届けたい。

 世の苦しむ人々を救いたい。世の悲しみを和らげたい。


 だが、自分がやりたかった事は本当にこれなのだろうか?

 神殿へ来た意味はあったのだろうか?

 あのまま、スラムで治癒のちからを振るっていた時のほうが人を救えていたのでは?

 神は……神は、自分に何を望んでいるのだろう?


 答えは見つからなかったが、祈りだけは欠かすことなく続けていた。

 いつか誰かの救いになれるように、いつか自分のちからの意味を知れるように、貶されても爪弾きにされても、祈りを深める事はやめなかった。




 気づけば、神殿へ来てから幾年もの月日が流れていた。

お読み頂きありがとうございます。

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