第35話 イウフィフィの地
その日の夜、イウフィフィから馬車の一団がやってきた。
物々しい姿をした何人かの護衛とともに現れたのは、緑のショートマントの男だった。
「治癒師ユステル、問題はないか?」
「はい、明日から宜しくお願いします」
顔を合わせてすぐにそれを聞いてきた男は、頷きもせずに踵を返して去っていった。
ドラウキンの人々が優しく礼儀正しいので忘れていたが、王国の貴族たちは大体そんなものだ。
前に会った時にはそんな事すら思いつかないほど緊張していたし、追い詰められていたのだなと、ユステルは改めて気がついた。
イウフィフィの一団は客室をふたつ借り、そこに護衛ともども詰めている様子だった。
その日の夜、ユステルはジュリオ達と夕食を共にした。
ジュリオもナザディアも、イウフィフィに行く事にはさらりと触れただけで、引き止めるような事は言わなかった。
かわりに、彼らから見たアンジェロの思い出話に花が咲いた。
「では、この邸での思い出はあまり無いのですか?」
「ぼくが生まれてしばらく経つまでは、会戦を繰り返していたらしくて、邸にいる時間も多かったそうです。
隣国が奇襲部隊を沢山組んで侵攻してくるようになってからは、その対応にかかりきりで、たまに顔を合わせるくらいでした」
「そのかわり、一度帰るとやたらと甘やかしていましたよ」
「アンジェロの家族愛が強いのは存じております」
「そう、それ!
ユステルさん、神殿では父とどんな事を話していたのですか?」
「まあ、それは是非、わたくしも伺いたいです」
「ええと……どこから話しましょうか」
「最初から!」
彼らにせがまれ、ユステルも神殿でぎこちなく会話をしていた頃からの思い出を語った。
ドラウキンのものたちは故人を偲んで涙し、話題にあげられていた本人は影の中でいたたまれなさそうにしていた。
(ガキの頃、トリストや分家のジジイどもが集まるたびに俺にアレコレ言っていた事を思い出したぞ)
(大変でしたね)
(他人事じゃないだろ。
お前も……ああ、もういい、疲れた)
翌朝、ユステルは早くから起きて準備をしていた。
自分の荷物は着替えがいくらかある程度で、旅には不安があったのだが、道中に必要なものはドラウキン側で手配してくれることになった。
「もし先方から、ユステルさんが滞在する間の諸々の支出について何か言われたら、ドラウキンが持つと伝えて下さい」
「ありがとうございます。
その時には頼らせていただきます」
ジュリオはにこりと笑った。
ユステルは彼らの気遣いに、貴族に対する正式な跪礼で応え、事が済んだら再びこの地に来ようと心に誓った。
馬車広場では、既に出発の準備が済まされており、イウフィフィの者たちがユステルを待ち構えていた。
「行くぞ」
ショートマントの男は顔を見るなり、それだけ言って自分の馬車に乗り込もうとする。
その背中に向けてユステルは声をかけた。
「失礼ながら、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?
まだ聞いていなかったかと思うのですが」
しかし、男は一瞬振り向いただけで、ユステルの質問を黙殺した。
隣りにいたラオベルトと顔を見合わせると、ラオベルトは肩をすくめ、自分たちが乗る馬車へと歩き出す。
中を検め、ユステルが乗ってからラオベルトが同乗して扉を閉めると、すぐに馬車が動き出した。
馬車の外からは領都の賑わいが聞こえてくる。
やがてそれも遠のき、馬車の中は風と車輪と蹄の音に満たされた。
ラオベルトはずっと窓から外を見ていた。
直情的な彼には珍しく、無表情でじっと景色を眺めている。
(ここへ戻る時は必ず、ラオベルトさんも一緒に戻ろう)
ユステルは密かに決意を固めた。
馬車は速かった。
ドラウキンの馬車は、その造りも、馬も特別製だから速い、という説明を受けたが、イウフィフィの馬車も同じくらい速いように感じられる。
外観からして神殿で使っていた馬車とは違うので、この馬車にも何か特別な工夫が施されているのかもしれない。
そのような事を思っているうちに、ユステル達はイウフィフィの領都へと辿り着いた。
イウフィフィ領都の賑わいは、ドラウキン領都の比ではなかった。
道は馬車が何台もすれ違えるくらい広く、それぞれの建物の前に馬車や荷車がとまっていて、人が集まって何かを話している。
聞こえてくるのは、値段がどうとか、期日がどうとか、商売に関係する話ばかりだ。
目に入る建物はどれも堅牢に見え、屋根や壁が様々な色に塗られ、門戸の上には大きく名前や記号が入っている。
もしかしたら、王都の大通りよりも賑やかかもしれない。
その大通りに面するひとつの邸の前で、ユステル達は止まった。
「降りろ」
馬車の外から、ショートマントの男の声が聞こえてくる。
すぐにラオベルトが降り、ユステルを手招きして外へと促した。
イウフィフィ伯爵の邸は、大きな道や賑やかな領都から受ける印象と違い、こざっぱりとしていて簡素な造りに見える。
かわりに、道に面した部分は広く場所をとっていて、馬車が何台も止まれるようになっていた。
今も多くの馬車が止まり、それより多くの人々がひっきりなしに出入りしている。
そんな騒がしい場所の中央に止められた馬車から降りて、ユステルは邸の中へと案内された。
「伯爵の客だ」
邸に入ってすぐ、ショートマントの男がドアマンに言うと、控えていたひとりが邸の上へと上がっていった。
ここまで同行していた護衛たちは邸の外でそのまま待機していて、彼らを労う事もなく、ショートマントの男はドアマンが去った方へと歩を進めようとする。
それを見ていたユステルは、ラオベルトの顔を見て、はっとした。
「ラオベルトさんも同行して大丈夫でしょうか?」
「駄目だ」
男は足を止めて振り返ると、じろりとユステルの顔を見てくる。
温度を感じさせないこの視線に思わず怯むと、影の中からアンジェロの声が聞こえてきた。
(ユステル、ドラウキンでは常に護衛がついていた事を理由にして、もう一押ししろ。
お前はイウフィフィ伯爵のものではない。
何が起こるかわからない以上、味方は近くにいたほうがいい)
これが、相応の対応を求める、ということになるのだろうか。
ユステルは解らないなりに、アンジェロの助言に従った。
「ドラウキンでは彼を含む護衛一団が、私の眠る時間以外ずっとついていてくれました。
それに、伯爵本人からラオベルトさんの同行について許可を頂いております。
彼は私の護衛です。
ここでの同行を許可して下さい」
男は何も言わずにじっとユステルを見下ろしていたが、ユステルに譲る様子がないと判ると、視線を切って歩き出した。
「同行しても大丈夫ですか?」
ユステルの再度の質問は黙殺され、男は邸の上の階へと姿を消した。
ラオベルトはどうしたものかと居心地悪そうにしていたが、ユステルの手招きに応じて共に邸へと入る事にした。
他のドアマンや従者らしきものたちから止められなかったので、ふたりがそのまま奥へと進むと、階段の上に男が待っていた。
男はやはり何も話さずに進み始めたが、ラオベルトの同行を咎める事はなかった。
「伯爵、私だ。入るぞ」
ある部屋の前で、男はそう声をかけ、返事も待たずに扉を開いた。
入れ違いに中から従者らしきものが出てきて、後に続くユステルたちの姿をみとめると、ふたりとも手で中へと促した。
仕立ての良い扉の中は、窓のない執務室だった。
壁には日付や記号のついた棚が並び、紙の束……帳簿と思しきものが所狭しと並んでいる。
扉の正面には木製の執務机が置かれていて、その上にはインクの香りがする紙の塔が築かれ、その向こう側に、この邸の主が座っていた。
「来たか。
出先で体調を崩したとのことだが?」
「ご心配をおかけいたしました。
問題なく回復しております」
「聞きたいことが色々とある」
じろ、と視線が動き、ユステルの後ろのラオベルトへと注がれる。
「ラオベルト、ここでは治癒師から良しと言われた時以外の発言を禁じる」
「ああ?」
「用もないのに教育も受けていないような蛮族と話す事が苦痛だと言っている」
「……てめぇ」
「ラオベルトさん、抑えて下さい」
急に剣呑になった空気に慌てたユステルが間に入ると、伯爵の標的はユステルへと移った。
「治癒師ユステル、お前には本当に老化抑止のちからは無いのか?」
「はい、以前、神官長に確認して頂きました」
「治癒のちからが強ければ老化抑止は勝手に起こると伝え聞いているが……。
まあいい、お前に強い治癒のちからがある事は今回の件で理解した」
やおら立ち上がったイウフィフィ伯爵が、ゆっくりとユステルに近づいてくる。
後ろでラオベルトが緊張したのが気配で感じられたが、ユステルは敢えて何にも反応せずに、伯爵の次の言葉を待った。
伯爵はユステルに近づき、言った。
「報告にある通りなら、治癒自体は問題なく出来るのだろう。
最初の仕事だ。
私を治癒せよ」
ユステルはイウフィフィ伯爵を見た。
アンジェロや神官長よりも年上の、壮年の男の顔だ。
引き締まった顔に整えられた髭と眉が乗っているので、黙っていると不機嫌そうに見える。
その表情に、ユステルは疲労を見た。
この男の事情は何一つ知らないので、どういった事情で疲れているのかは解らないが、確かに疲労が蓄積していることが感じられた。
「承ります」
ユステルは返事をして、ゆっくりと伯爵に近づき、跪拝の姿勢をとる。
すると、アンジェロが明らかに嫌がっている声色で語りかけてきた。
(待てユステル、本当に癒すつもりか?)
(そのつもりですが……いけませんか?)
(こいつは少なくともドラウキンに仕掛けてきた下手人のひとりだ。
敵かも知れない男だぞ。
こいつを癒すことには、はっきり言って反対だ)
アンジェロはきっぱりと言い切り、ユステルの翻意を願った。
その間に、ユステルは伯爵の足元に跪き、差し出された手を、両手で恭しく掲げるようにして握った。
(敵か味方かは判りませんが、ここで信用を得ておく事は必要だと思います。
確かにドラウキンでは治癒を行いましたが、このひとの前では一度も治癒をしていませんから)
(なら、ここの教会でも出来るだろう)
(ここで引き伸ばしたとしても、いずれまた自分を癒すように求めて来るでしょう)
(……出来るのか?)
(やらなければならないと思います)
ユステルは目を閉じ、祈る。
かつて神官長にも言われた事だ。
そのものの奥底に溜まった、疲労や衰えを癒すこと……。
思い返すのはナザディアを癒した時のことだ。
あの時、傷も病もなかったのに、治癒はしっかりと発動し、ナザディアは活気を取り戻した。
あれが疲労を癒したというのであれば、自分の治癒にはそのちからもある、という事になる。
この男にも確かに疲労はある。
以前は判らなかったが、今なら体に触れるだけで、傷や病と同じく、全身を満たす疲労を感じられる。
かつて神殿で、老人に癒しを与えられなかった時と違い、今はこの疲労も確かに、癒すべきものとして、ユステルの胸の奥に触れてきた。
「生を慶び、命を祝し、老いを諾い、死を諒し、あまねく旅路の助けとなるよう」
ユステルの手が静かに輝いた。
光は伯爵の手の中に吸い込まれるようにして消えていき、ほんの短い時間でそれは消えた。
「ほう、確かに治癒は発動しているようだ。
このところ立て続けに色々あったせいで疲れていたが、よく眠った後のような爽やかさだ。
ご苦労だった、治癒師ユステル」
「光栄です」
ユステルが慇懃に頭を下げてから立ち上がると、伯爵はわずかに目を細めてユステルの顔を睨んだ。
「前に聞いたように、治癒が発動しないようであれば、さっさと放り出すつもりだったが……仕事が出来るならいいだろう。
この街の教会にほど近い場所でお前の休める場所を手配してある。
案内をつけるので、そちらで仕事をしてこい」
「かしこまりました」
「仕事は明日からで、次は三日後にここへ来い。
進捗の報告と、私への治癒を依頼する。
報酬はお前の滞在に係る経費だ。
本日分の報酬は三日後までの滞在費とする」
「かしこまりました」
心の中にアンジェロの呻く声が響いた。
どうやら伯爵が満足するだけの対応が出来たらしい。
ほっとした気持ちで立ち上がると、伯爵は肩をぐるぐると回しながら、ショートマントの男に向かって語りかける。
「うむ、しっかり効いているな。
どうかなアドテリオ殿、貴方も治癒を求められては?」
「結構だ」
男……アドテリオは、ユステルにそうしたように、伯爵の問いかけにも淡々と答えている。
ここで初めて、ユステルはこの男の名前がアドテリオだという事を知った。
「では、後のことは外にいる従僕に聞け。
不明点や問題があれば、宿のものに言えばこちらに伝わるので、そのように。
十分な仕事をこなしたと判断したら、こちらから話を持っていく」
「ありがとうございます。
お世話になります」
ユステルはラオベルトと共に邸を出た。
案内につけられた従僕の後を追いかけながら、ラオベルトはふうと大きく息を吐き、情けなく眉を崩す。
「あーあ、黙って立ってるだけってのは思ったより疲れるな。
煽られた時には思わず怒鳴っちまいそうになったけど、相手は一応貴族だもんなあ」
「よく我慢なさっていたと思います。
嫌味な言い方をされる方ですが、お話はまともですから、貴族としては優しいほうだと思いますよ」
「あれでかぁ……?
クソっ、アンジェロの野郎が貴族のお手本と思ってたらダメってことか」
ラオベルトは天を仰いだ。
ひょっとして、ラオベルトは何だかんだ言いながらアンジェロの事は貴族だと認めていたのだろうか。
お手本にするにはいささか破天荒が過ぎる相手だ。
そのアンジェロはというと、影の中でじっと黙ったままだった。
(アンジェロ?)
(どうした?)
(いえ、あそこを離れてからずっと静かだったので)
(ああ……さっきの事を思い返していた)
(さっきの?)
歩きながら、ユステルはアンジェロの話に耳を傾ける。
(伯爵はユステルに対しては、お前、と言った。
だが、あの緑のショートマントの男、アドテリオに向かって話す時、貴方、と言った)
(そういえばそうでしたね)
(伯爵位にある人間が、ショートマントをつけるような身分のものに使う言葉じゃない。
普通なら、ユステルに対して言ったように、お前、と言うはずだ)
(それは……そうかも知れません)
(やはりあのふたりには何かある。
ユステル、これからも話す内容や関わり方には気をつけろ)
(今日のような事はしないように、という意味ですか?)
(それもある。
すぐに従うのではなく、真意を問うべきだ。
返答の真偽がどうであれ、反応を見て判る事があるかもしれない)
(わかりました。
ありがとうございます)
ユステルはそっと頷き、前を向いてイウフィフィの従僕についていった。




