第34話 備え
その日の日暮れ頃、ユステル達は領都へと戻ってきた。
イウフィフィからの迎えは来ておらず、ユステルは胸をなで下ろした。
ジュリオからは、翌日の朝に面会したいと申し出があり、差し入れとしていくらかの果物が持ち込まれた。
ひとまず休め、という事なのだろう、行き届いた配慮に感謝しつつ、ユステルは腹ごしらえをしてから、前線の街とは違う柔らかな寝台に体を委ねた。
余程気が抜けたのか、ユステルが目覚めたのは日が昇ってから随分と経ってからだった。
「報告は目を通しましたけど、目を疑うような事が書いてあって驚きました。
本当に一人であれだけの人数を癒したのですか?」
軽食をつつきながら、ジュリオはそんな事を言い出した。
遅れて起きてきたユステルを、ジュリオ達はむしろ労って、共に食事を摂ろう、と誘った。
この領地に来てから、何処へ行っても気を遣わせてばかりだな、と感じたユステルは少し恥ずかしくなったが、申し出は有難かったので素直に受けた。
ラオベルトが食べさせてくれたのとは違う、上等な野菜の使われたサラダを飲み込んで、ユステルは首を横に振る。
「必死になって癒しを行っておりましたので、具体的な人数は自分でも把握していません。
私の滞在中に死人は出なかった、という事は伺いました」
「それだけでも素晴らしいことです。
あの場所では力尽きたものたちが毎日のように出ていましたから。
我らが領民を救ってくださったこと、領主として感謝いたします」
ジュリオはそう言って、座ったまま胸に手を当てて礼を取ろうとする。
ユステルはそれをやんわりと制しながら微笑んだ。
「治癒師として当然のことです」
「……何だか、少し雰囲気が変わりましたね」
そんなユステルを見て、ナザディアがほうっとため息をついた。
驚いたような、安心したような、不思議な表情だった。
「ユステルさんみたいなひとが、この領にずっといてくれたら良いのですけれど……」
「……すみません、今はやるべき事がありますので」
「あっ、こちらこそ、すみませんでした。
後押しすると決めたのに、未練がましかったですね」
ジュリオがあわてて手を振って否定する。
ユステルもそれは考えていたことだ。
事を済ませた後、再びドラウキンの地に戻って、一介の治癒師として職務を全うする。
それは自分のやりたかった事でもあるし、アンジェロの友としても彼に報いる道だと思ったのだ。
だが、他ならないアンジェロ本人が違う事を望んでいる。
真相を明らかにすると自分でも決めた以上、ユステルは立ち止まるわけにはいかなかった。
「それで、イウフィフィ領への出立についてなのですが……」
「伯爵から連絡が来ていますよ。
あちらで一度倒れた事に鑑みて、休息を与える事にする、ドラウキンで心身を癒しておけ、との伝言です。
改めて日時が指定されていますので、迎えが来るのは二日後の朝になるでしょう」
「……そうですか、正直、助かります」
ユステルはほっとした。
正直に言えば、このまますぐにイウフィフィに向かうのは負担に思っていたからだ。
しかし、影の中のアンジェロは警戒を強めたようだ。
(呑気に言ってる場合か。
あいつめ、治癒の結果だけではなく、お前の振る舞いすら把握しているという事だ)
(何故そのように?
私には、社交辞令に聞こえましたが)
(心身を癒せ、という伝言だ。
倒れた……体調を崩した、という情報だけなら、体を休めろ、とかの言い回しになるはずだ)
(旅の疲れを癒せ、という意味ではないのですか?)
(ドラウキンの領民を治癒すると言った時、うちでも出来る、すぐにでも来い、と言っていた男だぞ。
旅の疲れなら、イウフィフィに来て癒せ、と言うはずだ。
そんな男が、ここで休む段取りを組んだ上での、心身を癒せ、という文言だ。
恐らく、全部知っているぞ、と匂わせる、お前への牽制だ)
(…………)
この意見をアンジェロの考えすぎだと一蹴することは、ユステルには出来なかった。
倒れる前後のあの時、トリストやラオベルトに言われて自覚した自分の振る舞いは、普段とは違うものだった。
癒した相手に顔色を心配されたこともあった。
もしどこかで、イウフィフィ伯爵の手のものがそれを見ていたなら、あるいは誰かから聞き出していたなら、それも知られているだろう。
それをしてもおかしくない強かさが、あの伯爵にはあると思った。
しかし、ユステルはむしろ腰を落ち着けて休むことにした。
(望むところですよ)
(……ほお、言うようになったな)
(アンジェロの薫陶を受けていますからね)
自分は神官であり、治癒師なのだ。
この駒をどう扱うか、あの男なら直接確認したがるだろう、という確信めいたものがあった。
遅かれ早かれ、顔を合わせることになるのだ。
それなら、今はありがたく、このドラウキンの邸で休息を取ろうと、ユステルはそう思った。
(頼もしいことだ)
アンジェロの言葉が影から響いた。
次の日、ユステルは一日中、ドラウキンの邸で過ごした。
日の高いうちは、アンジェロがいつかの日に語っていた、これからのドラウキンに起こりうる問題について、神殿でアンジェロから聞いていた、という体でジュリオやナザディアに伝えた。
かなり際どい話も混ざっていたので、他の家臣団は訝しげな顔を見せたりもしたが、アンジェロと懇意にしていたのであればその位の話はしていたかもしれない、と納得していた。
今回、身を粉にして働いた、治癒師としての貢献が、彼らから見たアンジェロとユステルの友誼を補強していた。
領の内情に詳しい治癒師が他の領に行くことに酷く難色を示すものもいたが、事が済めばここに戻る事も検討している、というユステルの言に矛を収めた。
かわりに、熱烈な勧誘を至るところで受けることになってしまい、ユステルは苦笑した。
午後には、ラオベルトが戦闘訓練をしている所を見学した。
ドラウキンの領民のなかでも黒髪をもつものたちは、皆そろって体が大きい。
その巨漢たちが、木製とはいえ武器を振り回してぶつかり合うのだから、とてつもない迫力だった。
そして、ラオベルトは隊伍を組んで襲いかかる騎士たちを相手に、一騎当千の活躍を……見せることなく、終始押され続けていた。
トリストの怒号が飛ぶ。
「何故、武器を振るわんのだ!?
訓練にならんだろう!」
「いや、だって……。
いくら鎧を着てても、痛いもんは痛いだろうがよ」
「それに慣れるための訓練でもあるのだ!」
結局、ラオベルトはぼこぼこに叩かれてばかりだった。
しかし、走り込みの訓練の時、他のものが丸太を担ぐ所を、ひとりだけ大岩を持たされたにも関わらず、隊列に苦もなくついていったのには、素直に感心した。
訓練後、ユステルは善意で、彼らの傷や疲れを癒そうとしたが、これはトリストに止められた。
疲れを取ることも訓練のうちなのだという。
訓練を受けていた者たちからは非難の声が上がったが、トリストは相手にしなかった。
この優しい男が、厳しい教官として振る舞っているのが、おかしかった。
夜、ユステルはアンジェロと話をした。
「アンジェロ、イウフィフィはどういう場所なのですか?」
「そうだな……」
寝台に並んで座ったアンジェロが、腕を組んで天を仰ぐ。
何かを思い出す時、言葉を選ぶ時、アンジェロはこうした仕草をする。
「戦争前、他国から入ってくるものは、辺境を通った後、イウフィフィの街に集まった。
大きな街道が交差する場所だからな、様々なものが集まったのだろう。
各所に影響力を持つ大きな街となり、イウフィフィの領都となった。
俺たちが向かうのも、そこになるだろうな」
「交易都市、ということですね」
「ああ。
海沿いでもないのに大きく栄えている街は、王都以外では数えるほどしかない。
それだけでもイウフィフィ伯爵の手腕が垣間見えるだろう」
「なるほど……」
ドラウキンに来る途中で、一際ひとの多い場所を通ったことを思い出した。
そのすぐ後がドラウキンだったので、あまり深く考えていなかったが、あそこがイウフィフィだったのだろう。
「私が気をつけることはありますか?」
「伯爵のことでか?」
「それ以外でも、何かあれば」
「まあ、伯爵が厄介な男であることはもう解ってるだろうから、最大限注意しておけ。
あとは、そうだな、治安の悪さか」
「えっ?」
意外な事を言われて、ユステルは驚きの声を上げた。
「俺の知るイウフィフィは、広く辺境に影響を持つために、各所から応援を求められていた。
中には王命絡みもあって、イウフィフィ伯爵領軍は何度も戦場に呼ばれ、その度に損耗していた。
戦争に出す数を揃えることを優先し、結果、自治に活かせる数の軍が残せず、戦争の落伍者や他領の食い詰めものが集まり、治安が悪化したのだ」
「街がスラムになった、と聞こえますが」
「それに近いと思っていいだろう。
街全体が倉庫街と商店みたいな場所だからな、王都みたいに治安の良い悪いがはっきりと分かれている訳ではない。
大通りや倉庫周りは商人も、その護衛たちも通るから比較的安全だが、一歩外れれば何がいるか分からん。
俺が通った時には、さすがに貴族の馬車を襲うような輩には会わなかったがな。
街を歩く事になった時は、ラオベルトから離れるなよ」
ユステルは頷いた。
戦争の落伍者ということは、武装した兵士崩れ、ということだ。
彼らは時に山賊や盗賊に成り下がる、ということは学んで知っている。
それが街中にも出るというのなら、なるほど治安はかなり悪いのだろう。
荒事が無ければ良いなと、ひそかに祈った。
それと同時に、ユステルは以前のアンジェロの言葉を思い出していた。
――王都に辿り着けないからだ。
傷ついた兵士のうち、重傷のものは帰ることすらままならないと、アンジェロは言っていた。
であれば、そうしたものたちは戦場を離れた後、何処を目指すのだろうか。
それは、ひとが多く、食事も仕事もありそうで、助けを求めやすそうな、馬車の行き交う大きな街を目指すのではないか。
イウフィフィにある教会は、そこに詰めている治癒師は、どんなものたちを相手にしているのだろうか。
ぶるりと、震えが来た。
「怖いか?」
「……武者震いです」
イウフィフィ伯爵が、影響力を持つという意味で強い貴族なのは間違いない。
アンジェロが亡くなってすぐに動き出した貴族であるから、暗殺の首謀者と共謀している可能性も無くはない。
それを、治癒師の立場である自分が、務めを果たしながら情報を集める……。
どうすれば良いのか、皆目見当もつかなかった。
暗闇に浮かんだ、視線の鋭い貴族の男を睨みつけながら、ユステルはにやりと、口の片側を上げて笑った。
努めてアンジェロのような笑みを作った顔に、一筋の冷や汗が流れた。
「望むところですよ」
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