第31話 自覚
「……不甲斐なくてすみません」
ユステルは寝台の上で、誰にともなくそう口にした。
傍にいたラオベルトが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「頼むから無理はしないでくれ。
お前が倒れたら、誰がみんなを診てくれるんだよ?」
「……そうですよね。
私が行かなければ」
「あっ、おい、起きろって意味じゃねえよ!」
ユステルが返事とともにのっそりと体を起こすと、ラオベルトが慌ててその肩に手をおいてその身を留めた。
驚くほど大きなその手に、ユステルは自分の手を重ねる。
「私には時間がありません。
あと二日、その間に、癒しを求める全ての方に、神の慈悲を届けなければ」
重ねられた手も、発された言葉も、力ないものだった。
しかし、意思だけは頑なだった。
ラオベルトの顔が悲しげに歪む。
それを無視してユステルは起き上がろうとしたが、それより一瞬早く、制止する声が部屋の入口から飛び込んできた。
「ユステル様、少しよろしいでしょうか?」
声の主はトリストだった。
普段は優しく微笑んでいる顔に、今は険しい表情が張り付いている。
トリストはゆっくりと寝台に近づくと、ラオベルトがいる側とは反対の場所に腰を下ろした。
「治癒が必要な怪我人の情報を整理してきました。
届いた薬と傷の具合次第ですが、それでもあと十数人の治癒を終えれば、この街の者は十分に救われたと言えるでしょう」
「なっ……トリストさん、何故ですか!?
傷を負うものも、病を宿すものも、私が診てみせます!」
「はい、その必要のあるものを整理してきた、と申し上げました。
治癒師の手を必要とするものは、あと十数人です」
トリストの目は厳しい。
ユステルが視線を強めても、その厳しさが揺らぐ様子はない。
虚ろながらも燃え上がるような視線を受け止めながら、トリストは言った。
「二日以内に全員を癒さなければならないというのは、誰かに強要されたのですか?」
「私はあと二日したらここを離れなくてはなりません。
それまでにやれるだけの事をやりたいのです」
ユステルは淀みなく答えた。
しかし、トリストは同じ問いを繰り返した。
「誰かに強要されたのですか?」
「……いえ、そのように言ったものはありません」
「では、急ぐ必要はありません。
今日は休んで、明日、明後日と、待っているものたちを癒して差し上げて下さい」
「それじゃあ遅いんです!」
ユステルが声を荒げても、トリストは言葉を翻す様子はない。
ただじっと、ユステルの顔を見ている。
刺すような沈黙が流れる中、ラオベルトも口を開いた。
「俺は、確かに仲間を助けてほしいと願ったし、命が助かって喜んだ。
そこは感謝してる。
でも、お前が倒れるまで働くことは、望んでねえぞ」
ユステルがそちらに目を向けると、ラオベルトが渋面を作ってこちらを見ていた。
その表情が、足を失った男の顔と重なった。
「……っ!
それでも私は癒し続けなければなりません!
そうでなければ……!」
「……そうでなければ?」
「そうでなければ……。
そうでなければ、私はアンジェロに顔向け出来ません」
「あの野郎が、お前に仕事をしろと、そう言ったのかよ?」
「アンジェロは、俺の領地に来ないか、と誘ってくれただけです。
ですが、私の治癒の腕は疑っていない、とも話してくれていました。
私は……私はアンジェロの期待に応えたいのです」
話しながら、ユステルは自分の中にある暗い何かが輪郭を持ったことに気づいた。
ユステルはアンジェロの期待に応えたかったのだ。
そうと判った瞬間、ユステルは体を掻き毟りたくなるような苦しみを感じた。
ユステルは悔しかった。
ここでアンジェロの期待に応え、治癒師として完璧な仕事をすることが、誰にとっても最善の行動だと思っていた。
アンジェロを腐していたものたちや、自分を不良品と蔑んだものたちを、見返してやりたいという気持ちもあった。
その気持ちをはっきりと自覚した今、自分が思い描いていた姿になれなかったことが悔しかった。
結局、自分の未熟さが招いた事だとも自覚して、それが悔しかった。
何もかもが上手くいかなくて、悔しかった。
「なあユステル、それはちょっと独りよがりじゃねえか?」
ラオベルトの言葉が、ユステルの心にひびを入れた。
「どういう意味ですか?」
「アンジェロの野郎がお前にどんな期待をしてたかなんて、判らねえだろ。
それに、五日以内にこの街の全員を癒せなんて、誰も言ってねえ。
期待に応えたいから無理を押して働くってのは、お前が勝手に決めてやってるんじゃねえのか?
むしろあの野郎なら、効率的に回るために休憩を挟んでどうこう、くらいの事は言いそうだけどな」
あまりに直截な物言いだったが、しかしユステルにそれを撥ねつける事は出来なかった。
前の晩、アンジェロは確かに、自分に休むように言ってきたからだ。
理由についても話していたが、自分の事が心配だからと、そう言っていた事を思い出したのだ。
「ユステル様、どうしてそのように焦っておられるのですか?」
二の句が継げなかったユステルに、今度はトリストが語りかけてくる。
「領都の邸では、ユステル様は皆様の話を聞いておられましたね。
私も、ユステル様の話を聞きたいと思います。
何を思ってのことなのか、お教え頂けませんか?」
トリストの表情から、既に険しさは消えていた。
どこまでも穏やかな声色には、この男の性根にある優しさが満ちている。
続けて、アンジェロまでもが、影の中から語りかけてきた。
(ユステル。
俺も、お前の考えを聞きたい)
「…………」
(俺の言葉がお前を圧し潰していたというのなら、それを取り払いたい。
だが、お前がこの事で何かを思っているのなら、それを聞きたい)
「アンジェロ……」
ユステルは頭の中で返事をするのではなく、口に出して友の名を呼んでしまったが、ラオベルトもトリストも悲しげに表情を歪めるだけで、何も言わない。
アンジェロも多くは語らず、ユステルの言葉を待っているような気配を感じる。
ユステルは、頭に浮かぶままに、自分の思いを口に出した。
「私は、神殿で治癒師として務めるようになって以来、外で人々を癒すのは初めてでした。
アンジェロの葬式への参列が理由ではありましたが、治癒師としての私は、人々に癒しを届ける事が使命だと信じていました。
ですから、癒しを求める方には神の慈悲を届けるべきだと強く思っていました」
「はい」
「これほど多くの重傷者を続けて診たのは、この街へ来てからが初めてでした。
神殿で診るような、戦場から王都まで保つような怪我人ではなく、手足を失い、今にも死にそうな方を診るのが、初めてでした」
「……それで?」
トリストも、ラオベルトも、相槌を打ちながら言葉少なに先を促す。
「私は、自分の治癒が、体の欠損を治せないということを知りませんでした。
私は治癒に失敗したと思いました」
「失敗? なぜ?」
「私の思い描いた治癒ではなかったからです。
……今日も、私に声をかけて下さった街の方々がいました。
ラオベルトさん、彼らがどのような方々だったか、覚えていますか?」
「……いや」
「拳を振り上げていた方は、反対側の腕がありませんでした。
椅子に座って歓声をあげていた方は、片足がありませんでした。
人の肩を借りて立っていた方は、顔の損傷が激しくて、光を取り戻す事の出来なかった方でした」
「…………」
「私の治癒は失敗しています。
だから、多くの方を救う事で、せめて穴埋めをしたかったのです」
「……そうでしたか」
「ですが実際には、先に私の体力が尽きて……この有様です。
アンジェロの期待にも、私自身が掲げた誓いにも、応えられませんでした」
ユステルは寝台の上で膝を抱えた。
このまま消えてしまいたかった。
「私は、そうは思いません」
トリストは首を振った。
「もしかしたら、我らが主は……先代様は、そうした希望を持っておられたかもしれません。
しかしユステル様、貴方は既にこの領を大いに癒して下さいました」
「……前線の傷病人を集めただけのこの街ですら、満足に癒せていないのにですか」
「はい、私はその事自体は大きな問題ではないと考えています」
ユステルは顔を上げた。
トリストは真摯な表情でユステルを見ていた。
「治癒という面で見れば、ユステル様、あなたの治癒能力は凄まじいです。
わずか数日で、数百人という規模の傷病者に治癒を施し、少なくない数を死の淵から掬い上げたのですから」
「ですが……」
「はい、確かに、腕や足を失った者を元に戻す事は出来ませんでした。
しかし、それよりもっと大きなものを、貴方は齎して下さったのですよ」
「……もっと、大きなもの……?」
ユステルは首をかしげた。
治癒師の価値が高く、その立場も大きいということは、それを巡る貴族たちからの圧力を通じてよく感じた部分だ。
だが、それだって傷を癒す事が出来てこその価値のはずだ。
トリストが何を指してそのように言っているのか、わからなかった。
「この領地において我々を癒して下さった事。
殺戮卿と呼ばれた先代様を友として下さった事、その葬儀に参列して下さった事。
ユステル様のおかげで、あの方は血の通わない悪鬼ではなく、領民のためを思って動いて下さっていた尊き領主であると、領内外に示す事が出来ました」
「…………」
「少なくとも我が国の貴族たちは、神殿の治癒師が訪れ、公に治癒を施した領地だと、そう見るでしょう。
それは、先代様のご遺志に沿うものです。
私は、これ以上のものはないと思っております」
トリストは、もっと大きな視点でものを見ていた。
治癒師がドラウキンの地を踏む事で何が起こるか。
アンジェロの友人に神官がいる事が何を示すか。
それが齎す、これからの事を見ていたのだ。
「あー、領地のこととか、貴族の事はよくわからねぇけどな?」
「…………」
「ユステル、お前はさ、街の人の治せなかった所しか見えてなかったみたいだけどよ。
あいつら、みんな笑ってただろ?」
「……そうだったでしょうか」
「ああ。
なあユステル、俺もここに来てから知ったんだけどな。
生きてるってのは、死んでるよりも残酷なこともあるんだよ」
ラオベルトの語るそれは、村から出ずに遺された人々を守ろうとしていた、ドラウキンに生きるひとりの男としての言葉だった。
「生きてるとな、死んでいく奴らを見送る側になるんだよ。
戦争ってのは、それが当然になって、日常になって……寝てる間にも、悪夢になって、生きてる奴らを苦しめるんだ」
「……悪夢」
「目が覚めたら、隣にいた奴が死んでるかもしれない。
それどころか、自分が朝に目覚められるかもわからない。
お前がここで癒したのは、そんな悪夢にとりつかれた奴らばっかりなんだよ。
お前が悪夢から救い出したんだよ」
ラオベルトが拳を握りしめると、屋内でも律儀に着けている革の手袋が、ぎゅっと音をたてた。
「勿論、お前が言う通り、体が元に戻らない以上は、元の生活には戻れないだろうな。
それは、新しい悪夢になるんだと思う」
「私の、せいで」
「でもそれはそいつらの都合だろ。
お前は癒した。
あいつらは命を救われた。
一番大事なのは、そこじゃねえのか?」
「……命を……」
「あいつらが、手が無いのはお前のせいだ、って言ったら、お前が責任取るのかよ?
そうじゃねえだろ。
悪いのは戦争だろ?」
「…………」
「あいつらは助かったって喜んでるのに、お前はそれを失敗だって決めてかかっちまうのか?」
ラオベルトは再び、その大きな手でユステルの肩に触れた。
先程とは違い、壊れ物に触れるような、そっと支えるような触れ方だった。
「お前は間違いなく救ってくれたよ。
俺の知り合いも救われたし、その事で俺も救われたんだ。
……お前は、救った事を後悔してるのか?」
「いえ、そうではないです」
「なら、誇ってくれ。
じゃないと、救われた俺達の気持ちのやり場がねえだろ?」
ユステルは答えられなかった。
ふたりの言っている事は間違っていないと感じている。
しかし、それについて考えられるほどの余裕が、今は無い。
ユステルはふたりに従って休むから、この後はひとりにして欲しいと訴えた。
トリストもラオベルトも、ユステルが休む時にはひとりになりたがると、この二日間で心得ていたので、快く了承した。
外はまだ明るいが、ユステルは部屋にひとりになり、寝台に横たわった。
そして。
(アンジェロ、聞いてくれますか)
今も傍にいる友人に声をかけた。
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