第30話 悪夢
ユステルは夢を見た。
夢だ。
そう判ったのは、神殿の施術室にいて、アンジェロが座っているからだ。
「そろそろ俺の領地へ来る気になったか?」
忘れもしないあの日の言葉だ。
ユステルは視線を上げた。
アンジェロの顔は闇に塗りつぶされていた。
ユステルが立ち上がると、そこは滞在中の街で、最初に治癒を行った建物の中だった。
周りにいる人影は曖昧な輪郭で狂喜乱舞しながら、ユステルの名を呼んだり、聖印を掲げたりしている。
――治癒師様。ありがとうございます――
――神官様が来て下さった。もう安心だ――
人影は口々にユステルを称えながら、波を作って左右に分かれていく。
開かれたその先には、木箱で作られたベッドの上に、あの男がいた。
男は起き上がっていた。
自分の手を見て、体をまさぐって、それから体にかけられた布を剥ぎ取った。
――ああ、駄目だったか――
いつしかユステルは冬の神殿にいた。
自分の周りには黄金の光が輝いており、腕の中には旅の老人がいる。
旅の老人はユステルの手を取り、こちらを見上げた。
風にあおられた外套の下、膝から下が無い老人は、あの男の顔になっていた。
――ああ、駄目だったか――
まばたきの後にはスラムの寝床に立っていた。
周りにはたった今癒したばかりの人々が喜びを顔に貼り付けて騒いでいる。
その人垣の向こう側で、ゴミ溜めの中に寝転がっている男が、こっちを見た。
男には膝から下がなかった。
――ああ、駄目だったか――
「我が領に来る前に力試しをしておきたい、という事か?」
眼の前にいる貴族の男が、鋭い視線でこちらを見下ろしてくる。
この男の視線の前では、自分の全てが見抜かれているかのような気分になってくる。
ユステルは首を振って、そんなつもりじゃない、ただ人を助けたいと、一心に祈った。
男の視線が欲望をはらんで輝いた。
「もしかして不安を感じているのですか?
大丈夫、習った通りに祝詞を唱えて、治癒のちからを解放するだけでいいのです。
さあ、いいからやりなさい」
ユステルは眼の前にいるふたりを見た。
神官長の服を着た真っ黒な影が揺らめいて、隣に座る老人を指す。
椅子に座った老人の、指輪だらけの指が蠢き、ユステルを急かした。
ユステルは聖句を唱えようとした。
しかし、口からは違う言葉が出た。
「アンジェロはいいですよね。
現実主義ですから、いつだって最善の選択肢を選べる。
それを周りがどう思うかなんて、考えた事もないんでしょうね」
違う、そんな事を言いたいのではない……。
そう思った時には、眼の前の老人はアンジェロの服を着た大きな影に変わっていた。
影は暗く歪んだ声で言った。
「期待外れだな」
「うああぁあーーーっ!!」
ユステルは寝台から飛び起きた。
体中から汗が吹き出し、胸の中では鼓動が激しく暴れている。
ちかちかと眩む目を押さえると、頭の中にアンジェロの声が響いてくる。
(ユステル、大丈夫か?
随分と魘されていたぞ)
「アンジェロ……?
はあ……大丈夫です。
それより、どうして直接話さないのですか」
(今は陽の光が強すぎるからな。
姿を現すのは遠慮しておく)
アンジェロの言葉を聞いて、ユステルは手をどけて寝室を見渡した。
明るい時に見る宿屋の寝室は、木張りの色合いが目に優しい、広い部屋だった。
誰かが片付けたのか、湯の入っていた桶と使った布は片付けられている。
そして開け放たれた窓からは、さんさんと陽光が降り注ぎ、室内を明るく照らしていた。
「アンジェロ、今は日の出からどれくらい経ちましたか?」
(そろそろ昼飯が終わる頃かな)
「……!」
ユステルは驚くことも忘れ、身だしなみもそのままに部屋から飛び出した。
外には椅子に座ったまま器用に寝ているラオベルトがおり、扉の音に気づいて起きた様子だ。
「おうユステル、ゆっくり休めたか」
「ラオベルトさん、そんな悠長にしてる場合じゃないですよ!
治癒を求めている方の元へ行かなければ!」
「ああ、トリスト隊長がまとめてくれてるはずだから、一緒に降りるか」
ラオベルトは、ぐいっと体を伸ばしてから、ユステルの前を歩いて階段を降り始めた。
大きな体で階段を塞ぎ、とん、とん、と一段ずつ降りていく姿は、これ見よがしにゆっくりと動いているように見えて、ユステルを焦らした。
外ではトリストが周りに向けてあれこれと指示を飛ばしていた。
周囲には新しい木箱が積まれ、山と積んであった空の木箱は解体されて板になっている。
ユステルが近づくと、トリストもユステル達に気づき、こちらへと近づいてきた。
「おはようございます、ユステル様。
よくお休みになられていましたね」
「寝坊してすみません。
今すぐ昨日の続きに回りたいのですが、良いでしょうか」
「その前に、食事を摂りましょう。
今日は朝早くから荷物が立て続けに届いていましてね。
これの対応をしていたら、食事を摂り損ねてしまいました」
トリストは木箱を叩いて笑った。
ユステルは焦れる気持ちに蓋をして、トリストに従い、近くの建物へと向かった。
道中、町の人々は、治癒のちからを自分たちのために振るっている神官に感謝と歓迎の言葉をかけた。
時に拳を掲げて、時に椅子に座ったまま、時に連れ立つ仲間に肩を叩かれて、各々が神官に敬意を示した。
ユステルは微笑んで返しながら、胸の奥が痛むのを感じた。
「随分と、酷いお顔をなさっておいでですね」
「えっ?」
食事中、トリストは唐突にそのような事を言いだした。
ユステルは一瞬、何について言っているかわからず、呆けてしまったが、その視線が自分に注がれている事に気づいた。
「すみません、ちょっと夢見が悪かったのです」
「そうでしたか。
……今日は、早めに治癒して頂けると助かるものが数名で、急を要するものはおりません。
危ないものにだけ治癒をして……」
「いえ、全員対応します。
やらせて下さい」
トリストの申し出を、ユステルは切り捨てた。
心配そうにこちらを見るトリストの視線が気まずくて、黙って食事に視線を落とす。
食べ進めるのも程々に、ユステルは食事を切り上げ、今日の傷病者の元へと向かった。
ユステルは真摯に治癒を行ったし、心に燃える奇跡の光はよくそれに応えた。
しかし、ユステルの体は限界だった。
早めに治癒が必要なものたちに、言われるがまま治癒をかけていたユステルだが、その動きは明らかに鈍っている。
そして、聖句を唱えても、治癒の発動までに時間がかかるようになっていた。
「ユステル……」
「大丈夫ですラオベルトさん、まだ、大丈夫です」
ユステルは傷ついた男の胸に手を置き、再び聖句を唱える。
「生を慶び、命を祝し……」
めまいがする。
大して運動したわけでもないのに息切れがして、頭痛もしており、うまく治癒に集中出来ない。
――ああ、駄目だったか――
この男を助けたい、助けなければ、と頭の中では思っている。
それでも、頭の中に足を失った男の顔がちらつく度に、その思いが暗い闇に拭い去られてしまう。
思いが治癒の力に繋がらなくて、焦りだけが大きくなっていく。
それでも気力を振り絞り、ユステルは苦しむ男の快癒を祈った。
「……老いを諾い、死を諒し、あまねく旅路の助けとなるよう」
黄金の光は、いつの時も変わらずに輝き、朝陽のような温かさで傷ついたものを包み込む。
光が消えた時、男の傷は綺麗に治り、そしてユステルはその場にへたり込んだ。
「ユステル!」
「今日はここまでにしましょう。
傷の癒えた者はひとまず食事をとってもう暫く休息するように。
護衛団は……」
ラオベルトが駆け寄ってきて、自分の肩を抱えてくる。
トリストが周りに指示を出すのを遠くに聞きながら、ユステルはうなだれて、なすがままにされていた。
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