第29話 焦燥
「随分早いじゃねえか。
どうした? 何かあったか?」
「いえ、その……どうにも眠れなくて。
どうせ起きているなら、まだ待っておられる方々に治癒を施しに行こうかと思ったんです」
「そりゃ……みんな喜ぶだろうし、ありがたいと思うけどよ。
体は大丈夫なのかよ?」
「問題ありません。
それに、期日が切られていますからね」
次の日、ユステルは早朝に目を覚まして外へ出たが、意外にも真面目に護衛をしていたラオベルトに見つかった。
構わず出ようとしたが、ラオベルトは、待ってろ、と言ってユステルを止め、トリストの許可を取って戻ってきた。
護衛の人数が増えたことにユステルは少し億劫な気持ちになったが、すぐに考えるのをやめ、外へと向かった。
やってきた神官の献身的な働きを、街のひとびとは諸手を上げて歓迎した。
是非自分を、家族を、知り合いを、と人々は懇願したが、治癒師を襲って独占しようという者はいなかった。
治癒師の価値が王都とは違うのか、ドラウキンの治安が良いのか、それともユステルについて歩く護衛たちが恐れられているのか……ユステルには想像もつかなかったが、邪魔されずに済んでよかったと考えた。
「ユステル様、先にこちらをお願いします」
「わかりました」
「ああ……神官様が……?
ありがとう……ありがとうございます……」
ユステルは促されるまま、望まれるままに治癒のちからを振るった。
癒されたものたちは皆それぞれ、様々な反応を見せた。
家族と抱き合い、喜ぶもの。
戦友らしきものたちと肩を叩き合うもの。
祈りを捧げて感謝するもの。
そして、彼らの出自もそれぞれ様々だった。
この街の出身のもの。
ドラウキンの別の地から来たもの。
他の領地から来たもの。
彼らは一様に、治癒を受けられたことを、死に囚われた身が救われたことを喜んでいた。
体が動く、家に帰れる、また戦える、理由は様々であれ、この奇跡をもたらした治癒師に感謝し、この神官を遣わした神に祈った。
「終わりました」
「ああ、ありがとうございます!
……あ、あの、神官様?」
「何か?」
「その、お辛いようでしたら、少し休まれますか?
険しいお顔をなさっておいでのように見えます」
「……いえ、大丈夫です。
お気遣いありがとうございます。
トリストさん、次へ」
ユステルは彼らに目を向けることなく、淡々と治癒を施し続けた。
その日は小さな建物をいくつか回って終わった。
建物は小さくとも、中に収容されている怪我人は重篤なものばかりで、最初に入った建物に収まりきらなかった重傷者が、火や水を使える場所の近くに集められているようだった。
終わった時には前日と同じく、日はとっくに暮れていた。
寝室に戻ってきたユステルは、寝台に倒れ込んだ。
あまり柔らかくない寝台はユステルの体を固く受け止めたが、それにも構わず、体を横たえて大きく息をつく。
「なあユステル、やっぱり無理してるんじゃないのか?」
「……多少の疲れはあります。
ですが、今も治癒を待っている方々は、痛みや苦しみに耐えているのです。
私のわがままで遅らせるわけにはいきません」
「いや、そうじゃなくてよ……」
ラオベルトはその様子を心配そうに見て、太い眉を悲しげにゆがめた。
ユステルは既に青年に近い年頃だ。
しかし、幼少期をスラムで過ごしたためか、王国のひとびとの中でもあまり背は高くなく、体つきも華奢で、その上少年期のほとんどを神殿内で過ごしていたため、体力がない。
ユステルは多少の疲れと言っていたが、足取りは重く、声に張りがなくて、もはや限界に近いことは明らかだ。
それは、ラオベルトから見てもわかるほどに。
「もう、明日は、おっさんと……あー。
明日はトリスト隊長と相談して、すぐに治癒が必要なやつだけ、診ることにしないか」
「似合いませんよ、ラオベルトさん。
普段通りにして下さい。
それに、私のことは構いません。
明日も目が覚め次第、今日の続きをしようと思いますので、そのつもりでお願いします」
「でもよ……」
「今日も一人で眠りたいので、出ていって下さい。
おやすみなさい、ラオベルトさん」
ユステルは有無を言わさず、ラオベルトにそう言って、それっきり黙った。
ラオベルトは暫く、何とか声をかけようと口ごもっていたが、そのうち諦めて部屋を出ていった。
前日と同じく、代わりの護衛はこなかった。
「ユステル、何をそんなに焦っている?」
いつの間にか、ベッド脇に置かれた木の丸椅子にはアンジェロが座っていた。
ラオベルトのように心配そうな目ではあるが、その表情は厳しい。
ユステルはちらりとそれに目を向けて、すぐに目を閉じた。
「焦りもします。
私にはたったの五日間しかありません。
その間に、ここにおられる皆様に癒しを届けなければなりません」
「気負いすぎだと思うぞ。
……俺はラオベルトの提案に賛成だ」
しかし、アンジェロのその言葉に、ユステルは体を起こした。
普段の様子とは似ても似つかない、厳しい視線をアンジェロに向ける。
「どういう意味ですか」
「昨日と今日とで、すぐにでも治癒が必要なものはあらかた治癒できたはずだ。
つまり、彼らに使っていた薬、布、人手を、他の怪我人に使うことができる。
ここには時間さえかければ癒えるような傷のものもいる。
そうした者は、治癒をしなくとも」
「出来ません!」
アンジェロが語る道理を、ユステルは感情的に遮った。
「彼らだって治癒を受けられるなら受けたいはずです。
順序を決めるだけならともかく、治癒をかけずに捨て置くなんて、出来ません!」
「落ち着け、ユステル」
「これが落ち着かずにいられますか!
見捨てろっていうんですか!?」
「そうじゃない」
握りしめた拳が熱くなる。
どうしてこの朴念仁は自分の考えを理解してくれないのか。
もやもやとした気持ちの全てが怒りになる前に、扉が叩かれた。
「ユステル、大丈夫か?
何かあったか?」
「……何でもありません。
ちょっと寝ぼけただけです」
「もう寝てたのか。
せめて少し体を拭くとかして、一息ついたほうがいいぞ」
「ありがとうございます。
おやすみなさい、ラオベルトさん」
「ああ、おやすみ」
音の主はラオベルトだった。
朝と同じく、真面目に護衛をしているらしい。
ユステルは強張った肩から力を抜き、アンジェロに向き直って、小さな声で言った。
「すみません、少し昂ってしまいました」
「構わないさ」
アンジェロは微動だにしていない。
表情も変わっていない。
ユステルは気まずくなり、視線をそらして体を横たえた。
黙りっきりのユステルの上に、存外に優しいアンジェロの言葉が降ってくる。
「お前が傷ついても、彼らの痛みが解るわけじゃない」
「……どういう意味ですか?」
「自分を責めて、自分を傷つけるのはやめろ」
ユステルは再び口をつぐんだ。
そんなつもりじゃない、という心の声と、そうなのだろうか、という疑う気持ちが、頭の中で混じり合う。
「自分が苦しむことで、誰かに許しを請うような気持ちになっているんじゃないか?
自分は未熟だから、せめてその分働かなければと、自罰的になっているんじゃないか?
……お前が傷ついても、誰かに対しての詫びにはならないぞ」
「…………」
「俺は、その気持ちは尊いと思う。
だが、間違っているとも思う。
お前がお前を傷つけることは、お前にとっても、周りにとっても、良い事じゃない」
「……アンジェロはいいですよね。
現実主義ですから、いつだって最善の選択肢を選べる。
それを周りがどう思うかなんて、考えた事もないんでしょうね」
「そうじゃなくてな……」
「じゃあ、何ですか。
アンジェロも心を痛めて選んだ選択があるっていうんですか?
それとも今のこの話は、私の為に言っているとか仰るおつもりですか?」
ユステルは、口を開いたことを後悔した。
こんなことを言うつもりはなかった。
しかし、アンジェロに言われた通り、自分の中にある無力感や、目的を果たせなかった挫折が、その傷に触れられた痛みが、ユステルの言葉に棘を持たせた。
放っておいてほしかった。
しかし、アンジェロは黙らなかった。
「そうだ。
お前が心配だ、ユステル」
「…………」
「利を説く事はいくらでも出来る。
体調を整えたほうがより多くのひとびとを癒せるだとか、ドラウキンでの治癒はお前の実績になるとかな。
だが、俺が伝えたいのはそこじゃない」
「…………」
「邸でのことで、俺は自分の考えや理屈を中心に語っていた事を知った。
家族はそのせいで悩み、苦しみ、そして俺は一方的に期待を抱くことの愚を悟った。
そう思っていたのだが、今回もやってしまったな」
アンジェロはやはり椅子に座ったまま、表情を変えずにこちらを見ている。
その声色だけが、悲しくなるほど優しかった。
「伝える順番を間違えたな。
俺がお前に伝えたいことは一つだけ。
お前が心配だ、ユステル」
アンジェロは繰り返した。
ユステルは暫くじっとしていたが、おもむろに体を起こすと、部屋の中を見回した。
昨日と同じく、誰かが用意してくれた湯と、白くて清潔な布が用意してある。
ユステルは布を手に取り、湯に浸してから、固く絞って顔を拭き、そして体を拭いた。
湯は少し冷めていたが、十分に気持ちよかった。
「明日の事は、明日になってから考えます。
今日は体を休めます」
「……ああ、それがいい。
おやすみ、ユステル」
「おやすみなさい、アンジェロ」
ランプの灯りは消さずに、ユステルは掛け布を頭まで被って体を丸めた。
アンジェロの優しさが痛かった。
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