第27話 戦禍
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領都を出て暫くすると、ある地点を境にして風景が変わった。
木々は切り倒され、残っている樹はへし折られていて、剥き出しの土が延々と続いている。
その境目には何かの木札がかけられた杭がいくつも打たれ、それが遠くまで並んでいるのが目に入った。
(アンジェロ、あれは?)
(王都から取り寄せた結界の魔具だ。
あの杭の間を通ったり、杭に細工しようとしたりすると、術者が感知できるようになっている)
(通ったものが味方かどうかもわかるんですか?)
(いや、敵味方以前に何が通ったかもわからんし、動物にも反応する。
それでも、何かが通った、何かが結界に手を出した、とわかるだけでも俺達には大事な情報なんだ)
ユステルは説明を聞いても有用性は分からなかったが、アンジェロ達にとっては必要な道具らしい。
(周りの草木を刈ってあるのは動物が来ないようにですか?)
(それもあるが……。
敵に隠れる場所を与えない事と、俺達が急行できるようにしてある事が大きな理由だな)
と、そこまで話してから、アンジェロはぼそりとこぼした。
(いや、俺達ではなく、警備隊と言うべきか)
その声色があまりに寂しそうで、ユステルがどう声をかけたものかと迷っていると、ラオベルトが顔を覗き込んでくる。
「なあ、大丈夫か?
さっきから変な顔してるみたいだが」
「あっ、いえ、すみません。
ちょっと緊張してしまっているみたいで」
「そうか……。
まあ、治癒師だもんな、顔つきも変わるか」
ラオベルトは納得したように、うんうん、と頷いた。
この一日、トリストは何か荒っぽい言葉が聞こえる度に、何度も、何度も何度もラオベルトを矯正しようとした。
しかし当のラオベルトは、言われた時には直すし、叱られるのを怖がりはするものの、ちょっとした会話を交わしたり、自分から何かを話す時には、すぐに元に戻ってしまう。
トリストは疲れた様子で、現地についてから改めて指導する、として黙ってしまった。
もはや叱責が飛んでこない今の状況をいいことに、ラオベルトは普段通りに振る舞っている。
しかし、かけられた言葉はユステルも頷けるものだった。
今回、イウフィフィ伯爵との取引で、ドラウキン領内の怪我人を癒すことを条件に入れたのには、いくつか理由がある。
まず、ラオベルトの同行を認めさせたかった事。
この一点だけを伯爵に持ちかけると裏を探られそうだというアンジェロの警告に従い、神官であり治癒師であるユステルが持ちかけても不自然でない条件を用意したのだ。
ユステルが同行することとなり、その動きに注意を払わざるをえなくなった伯爵は、領主候補としての価値を落としたラオベルトの同行について、少なくとも反対はしなかった。
これは上手くいったとユステルは思っている。
次に、伯爵の関心をドラウキンから自分に向けたかった事。
領主に就任したばかりのジュリオは、周りが友好的な家臣ばかりとはいえ、まだ執務に慣れるには時間が必要だと思われた。
自分が伯爵の近くにいくことで、注意をそらし、ジュリオに圧力をかける暇を与えないようにしたかったのだ。
最悪、伯爵との交渉を長引かせてでもジュリオ達から関心を逸らせるつもりだったが、連絡役を残しているとはいえ、この領からあっさりと離れて帰ったので、ユステルは内心、胸をなでおろす心地だった。
そして何より、ユステル自身が、戦争によって傷ついた者たちを癒したいと思っていた。
スラムにいた時には、戦争の恐ろしさと、それが持つ悍ましさを肌で感じていた。
神殿に入ってからは貴族たちの自慢という形で耳にしていたが、アンジェロと知り合ってからは、本当に苦しんでいるものたちの生々しい現状を知る事となった。
その時からユステルは、いつか自分のちからを戦場で苦しむ人々にも届けたい、と思うようになっていた。
それが神の奇跡を身に受けた自分の使命だと思っていたし、それを願い、祈ることも続けていた。
だから今回、ドラウキン領内の政治に巻き込まれる形とはいえ、傷ついたものたちに癒しを施す機会を得られたことを、運命のように感じていた。
「緊張している、というのもあるのですが……。
元々私は、傷ついた方々を癒したいと思って神殿に入りましたので、そうですね、やる気がみなぎってくる、という言い方が正しいでしょうか」
「ほおー?
なよっとしてると思ってたけど、案外男らしい所もあるじゃねえか」
ラオベルトは笑顔でそう答えた。
しかし、ユステルは看過できない表現に眉をしかめた。
「私、そんなに男らしくありませんか?」
「あっ、気にしてたのか? だったらすまねえ。
だがおまえさん、背はそこまで高くないし、面は綺麗だし、黙ってれば女と間違うかも知れねえな」
「…………」
「あっ、あっ、いいじゃねえか、女ぐらい綺麗ってのも長所だぜ、長所」
「…………」
ラオベルトは素直なだけ。
わかっているだけに、素直な評価がユステルをがっかりさせた。
男らしくなった、とアンジェロに褒めてもらったときに胸に抱いた、男としての自信に、少しひびが入るのを感じた。
気軽なやり取りが出来ていたのは短い間だけだった。
緑の少ない平野を進んでいると、段々と木や草そのものが少なくなり、かわりに抉れた大地や何かが燃えた跡が増えていく。
そして所々に、盛られた土と、誰かが建てたらしい簡素な聖印があるのが目に入った。
戦争を体験していないユステルでも、そこに誰かが弔われていることはわかる。
窓から外を見る目は自然と険しくなった。
ラオベルトも同じような目をして、ユステルに問いかけてくる。
「窓を閉めるか?」
「いえ、このままで」
「……見るのが辛いなら、見なくても」
「辛いですが、ここに眠る方々のことも見ておきたいのです」
ユステルの頑なな様子に、ラオベルトはそれ以上口を開かず、剣を抱くようにして黙り込んだ。
何かが焦げたような臭いが風に乗って窓から吹き込み、ユステルの鼻をつく。
遠くに大きな城壁が見え、それが近づくにつれて、平野は荒野になり、盛り土の数は目に見えて増えていく。
握りしめた手の中に汗をかきはじめた頃に、馬車は城門をくぐり、そして止まった。
「ユステル様、お疲れ様でした。
こちらの街に怪我人を収容しております。
足元に気をつけてお降り下さい」
扉を開いたトリストがそう声をかけてくる。
縁に手をかけて馬車から降りたユステルは、眼の前に広がる光景に言葉を失った。
馬車が走ってきた街道の先は、街の中をゆっくりと曲がりながら建物の向こう側へと消えている。
その建物の周りにはびっしりと木箱が並んでおり、いくつかの建物の前にある分は中身が入っているようだが、空の箱は発着場の近くに乱雑に積まれている。
そして、物資が集められている大きな建物の周りには、既に何度も使われているのだろう、うっすらと茶色くなった布帯やシーツが所狭しと干されていた。
「……戦争は、小康状態だと聞いていましたが、これは……」
「これでも随分減ったのです。
開戦直後や、敵の奇襲が一日に何度もあった頃には、屋根の下に収容できないほど怪我人や死体で溢れていました」
説明するトリストは苦い顔だ。
彼は彼で、前線の様子に思うことがあるのだろう。
ふと振り返ると、ラオベルトがちょうど馬車から降りてくる所だった。
驚いたことに、普段の様子からは想像も出来ないほど憔悴した様子で、白い顔でうつむいている。
思わず声をかけそうになったが、その前に顔を上げたラオベルトが表情を険しくしてユステルの言葉を抑えた。
「なんだ、俺の顔に何かついてるか?」
「いえ、その……」
「馬車にちょっと酔っただけだから気にするな。
トリストのおっさんに段取りを聞いてくるから、他のひとらと一緒にここで待っててくれ」
そう言って、ラオベルトは他の護衛や荷運びのものたちとともに物資をおろしているトリストの元へと向かった。
街に入る直前まで平然と話していた姿を思うと、今のラオベルトの様子は尋常ではないが、張り詰めた様子の彼に追いすがって話しかけるのは躊躇われた。
(怖いか?
何を恐れている?)
(……ここにいる怪我人や病人が、どれだけいるのかと考えていました)
(ここから見える限りでは、トリストの言っていた通り、あまり多くはなさそうに見える。
恐らく四桁には届かないだろう)
ユステルは戦場を知らない。
スラムで怪我人たちに治癒を使った時、戦争が元で傷を負ったというものたちは、それでも全部あわせて百を超えるかどうか、といったところだった。
アンジェロの予想が正しいとすれば、ここにはその数倍、あるいはもっと沢山の怪我人がいる。
ユステルは自分の考えが甘かった事を知った。
そして、そのように自身を省みて尚、まだ足りていない事をこれから知る事になる。
トリストの先導で、一行はゆっくりと、街の広場のほうへと移動し始めた。
ユステルの後ろにはラオベルトがぴったりとついて歩いている。
周りからは様々な視線が浴びせられた。
不審。
驚愕。
そして、期待。
ユステルは胸が苦しくなった。
ここにいる彼らは、傷を負ったものたちとどういう関係なのだろうか。
自分に向けている視線の意味するところは何なのだろうか。
握りしめた手に伝う冷や汗の感触で、自分がひどく緊張している事を自覚した。
イウフィフィ伯爵を前にして交渉を進めた時とは、心の張り詰め方が全く違った。
「ユステル様、こちらです。
ラオベルト、先に中に入って安全を確かめろ」
「……俺がか?」
「護衛なのだから、護衛対象の進む先の安全を確保しろ」
トリストに促されたラオベルトは、生唾をひとつ飲み込んでから、その建物の中へと入った。
続いて何人かの護衛が中に入っていく。
開かれた扉からは、傷を洗うのに使ったのだろう薬湯の香りと、それを塗りつぶすような生臭い血の匂い、そして鼻の奥を突き刺すような腐臭が流れ出てくる。
暫くすると、中に入った護衛たちが出てくる。
ラオベルトの姿はない。
護衛たちが手振りで何かを示すと、トリストはユステルに向き直り、手を開いて扉のほうへと促した。
「お待たせしました、中の安全は確保されたようです。
どうぞお入り下さい」
「……はい」
ユステルもラオベルトと同じように唾を飲み込み、中へと入った。
中は地獄だった。
元は宿屋だったのだろうか。
そこには、血に濡れた肉がひしめきあっていた。
そうとしか言えないほどに、怪我人たちが押し込まれているのだ。
暖炉の近くには木箱で組まれた簡素なベッドが並び、その上には手足のないひとの姿をした布の塊が痛みに呻いている。
その周りには血に濡れた布帯に巻かれたものたちが所狭しと座り込んでいて、それらを踏まないように、女子供が動き回っては、食事を与えたり、血に濡れた布を取り替えたりしている。
暖炉に一番近いベッドの横に、しゃがみこんだラオベルトの姿があった。
こちらに背を向けているが、それでもわかるほどに、泣きじゃくっていた。
「皆、忙しい中すまないが、少しだけ話を聞いてくれるか。
今日は客人を連れてきている」
トリストが声を張り上げる中、ユステルは我を忘れて、ラオベルトの元へと歩み寄った。
トリストの話す内容はもはや耳に入っていない。
周りにいる者たちのうち、若いものはユステルが何者かわかっていないようだが、年嵩のものは神官服に縫い付けられた聖印を食い入るように見つめている。
それら全てを後ろに置いて、ユステルはラオベルトの横に立った。
「お前……お前、そんな事言うなよ!
なんでこんな所で……こんな……」
「……息、くせぇんだよ、ベル。
いい年した、男が……、泣いて……」
「いいから、喋らずにじっとしていてくれ。
今日は神官様がきてくれてんだ。
お前もきっと良くなる……!」
ベッドの上の男とラオベルトは知り合いのようで、男の言葉は気安いものだが、ラオベルトは息も絶え絶えに吐き出される言葉を聞き、歯を食いしばっていた。
男が話すのをやめると、ラオベルトの体から力が抜け、その場に腰をおろす……いや、腰を抜かして、へたり込む。
トリストの言葉に、おお、と反応する声が遠くに聞こえる。
そんな中で、囁くようなラオベルトの小さな声が、いやにはっきりと聞こえてきた。
「こいつな、俺の知り合いで、いつも三人ほどでつるんでるバカでよ。
ちょうど一年前、三人で揃って戦場に行ったんだ」
「…………」
「俺はやめとけって、俺と一緒に村にいろって言ったんだ。
でも、家族を守るためだとか、手柄をあげて金持ちになるとか言って、兵を募りにきたやつに付いていっちまった。
その結果が、これだ……」
横たわる男には布がかけられている。
しかし、膝から下に伸びているはずのふくらみは無く、不自然に短い場所でとぎれている。
そして、見えている肌は、そうでない場所を探すほうが難しいほど、切り傷、擦り傷、火傷と、様々な傷で埋め尽くされ、腐敗の始まった傷すら見て取れる。
「あとの二人は、死んだって……。
こいつも、もう覚悟してるって……」
ラオベルトは立ち上がろうとして、それが出来ず、膝をついたままユステルの足元にしがみついた。
「なあユステル、お前、治癒師なんだろ。
アンジェロの野郎が認めるくらいには、できるんだろ!」
そして、顔をあげた。
ラオベルトは涙と鼻水で汚れた酷い顔だった。
その顔をくしゃくしゃに歪めて、ユステルに癒しを希った。
「頼む、こいつを……こいつらを癒してやってくれ!
もう……もう、奪われたくない……!」
ユステルは拳を握りしめた。
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