第25話 一石
ジュリオたちと別れた後は、日が暮れる前に早速イウフィフィ伯爵から声がかかった。
一日に何度も貴族に会うのは疲れるが、先々の事を考えるとこれにも慣れなければいけないと思い直し、ユステルは再び伯爵の前に膝をついた。
幸いだったのは、多くの貴族に囲まれて圧をかけられた前回と違い、伯爵を含む数人だけしか客室にいなかったことか。
「ドラウキン伯爵から話は聞いた。
治癒師ユステル、お前の決断はこの領と我々にとって良きものとなるだろう」
「光栄です」
彼らの物腰も、今にも飛びかかってきそうなものではなく、どこか落ち着いた雰囲気だ。
しかし浮ついているわけではなく、どちらかといえば安堵の空気を感じる。
流通の要を押さえる伯爵にとっても、ドラウキン領についてのあれこれが一段落したことは望ましかったのかもしれない。
(ユステル、出来るか?)
アンジェロの心配そうな声が頭の中に響く。
これから彼らを相手に、自分の身の振り方について交渉しなければならない。
ユステルは背筋を伸ばしてそれに応えた。
「イウフィフィ領に向かうにあたり、私からも条件があります」
伯爵の視線が、すっと冷たくなった。
何も言わずにじっとこちらを見ている顔は、先程までの落ち着きも、以前の激しさも感じられない。
周囲にいる使用人や取り巻きらしい貴族も口をつぐんだ。
「聞こう」
「そちらへ伺う前に、このドラウキン領にいる怪我人たちに癒しを与えたいのです」
「理由は?」
伯爵は頷いて先を促してくる。
「ふたつ、あります。
ひとつは、どこかの教会が空くのを待っている方々の、順番待ちの解消です」
ユステルは手応えを感じていた。
この伯爵は確かに貴族然とした男だが、ジュリオやナザディアから聞いた通り、自領を富ませるために躍進しているというのであれば、根本的な考えはどちらかといえば商人寄りのはずだ。
であれば、利益を示せば興味を持つ可能性はある。
ユステルは唾を飲み込み、続けた。
「ドラウキン領内には教会がないために、他領の教会を頼っている状態です。
そして現在も多くの怪我人を領内に抱えています。
他の教会が空いたならば、現在のドラウキン伯爵閣下は前例に倣い、報酬を用意して傷病者の受け入れを願い出るでしょう」
「かも知れないな」
「伯爵閣下は、そちらの領内にいるドラウキンの傷病者がアンジェロの負債だと仰られたそうですね。
であれば、将来イウフィフィ領に流れ込む可能性のある彼らもまた、アンジェロの負債だと私は考えました」
「なるほど、一理ある。
もうひとつは?」
伯爵はじっとこちらを見たまま動かない。
ぎらついた欲望に晒された以前とは違う、ゆっくりと首をしめられるような重圧を放っている。
ユステルは言葉を続けた。
「もうひとつは、私の治癒がどの程度のものなのかを測るためです」
「自分の治癒には老化抑止の効果は無い、と言っていなかったか?」
「ちからの強さではなく、多くの怪我人を癒した時に自分がどの程度保つのかがわからないのです」
「限界まで治癒を施したことはないのか?」
「神殿では傷病者にひとりずつ治癒を施すことが大半でした。
それに、貴族の方が求める老化抑止の効果がありませんので、アンジェロと懇意になった頃にはそういった身分の方からの依頼も殆どなくなりました。
今、私のちからがどの程度あり、どのくらい続けて治癒を発せられるのか、私にもわからないのです」
「……だから、我が領に来る前に力試しをしておきたい、という事か?」
「言い方は悪くなるのですが、仰る通りです。
先日のように複数の方への治癒を求められた時、私の治癒の限度をお答え出来ないのは良くないと感じたのです」
ユステルの説明を聞いた伯爵は、暫くは表情を動かすことなくユステルをじっと見ていたが、ふっと口元を笑みに歪めて言った。
「傷病者の受け入れは今後断れば良いだけであるし、練習したいというなら我が領でも出来る。
やはりすぐにでも我が領へ来て欲しい」
やはり、とユステルは思った。
伯爵が初手でこの提案を蹴るだろうことはアンジェロにも指摘されていたことだ。
そしてその対応策も授けられていた。
「であれば、私は神殿へ帰ります」
「……なに?」
「私はドラウキンとは親しくしておりますが、イウフィフィ領の事情は実際にドラウキンまで来てから初めて知りました。
アンジェロの友人として彼の所業に思う事はありますが、私はドラウキンと契約した治癒師ではありませんので、今回の話を上層部に伝えておきます。
ドラウキン、イウフィフィ、ともに傷病者が多く、救済が間に合っていないようだ、と」
「…………」
「神官として客観的に物事を話すよう教育を受けておりますので、どうぞご信頼下さい。
私はドラウキンとの契約を検討し直すことになるでしょうが、イウフィフィ領には神殿から新しい治癒師が赴くかと思われますので、詳しくはそちらで詰めて下さい」
この挑発的な文句を、ユステルは努めて平静を装って言った。
アンジェロはこの切り返しへの反応でイウフィフィ伯爵の目的が判る、と言っていた。
本当に治癒師を求めているなら、神殿と交渉する機会が増えることで良しとする可能性はある。
しかし、そうでない場合……。
「そうか、早く来てほしいとは思っているのだが、そういうことであるならば良いだろう。
苦しむ民に心を痛めているのは私とて同じだ。
出来るだけ早くドラウキンの傷病者に癒しを与えてやってほしい」
そうでない場合、理由は不透明だが、イウフィフィ伯爵はユステルが自領へ来ることを求めている。
アンジェロはそう予測していた。
伯爵はいかにも慈悲深い領主のように、大きく身振りを交えながら、領民の安寧を口にした。
アンジェロの指摘がなければ、わかってくれた、と思っただろう。
ユステルは改めてこの伯爵の貴族としての恐ろしさを感じた。
そして伯爵は更にその上を行っていた。
「しかし、不思議なものだ」
「何がでしょう?」
「アンジェロの友人を名乗り、ドラウキンと親しいものとして振る舞っていた治癒師ユステルが、この領にとって決して気持ちの良い振る舞いをしたわけではないイウフィフィ伯爵などにまで慈悲を施そうとしてくれている。
何がこの治癒師にそうさせたのだろうな?」
伯爵はまるで他人事のように自分をけなして問いかけてくるが、その視線はこれまでで一番冷たい。
口元に笑みを貼り付けたまま相手を見据えるこの視線は、ジュリオが領主就任を通達した時と同じだ。
恐るべき怪物の目だ。
きっとユステルひとりであったなら、この視線に気圧されて、何も言えなくなったり、しどろもどろになっていた。
だが、ユステルにはアンジェロがいる。
そしてアンジェロは、伯爵が仕掛けてくるであろう言葉について、いくつも予測を立ててくれていた。
この伯爵の反応はそのうちのひとつとして挙がっていたものだ。
予測があたっていたことに安堵しながら、ユステルは顔を上げ、伯爵の顔をまっすぐに見据えて言った。
「私は新しい庇護者を求めています」
「ほう?」
「申し上げました通り、私はドラウキンとの契約をした治癒師ではありません。
本来、アンジェロの庇護を受ける予定だったのですが、私自身がまだ未熟だと考え、返答を保留している間にアンジェロは亡くなりました。
貴き方からは既に庇護下にあると見なされているようですが、私の庇護者は宙に浮いているのです」
伯爵は身を乗り出した。
目には先程までとは違う、ぎらついたものが宿っている。
「私がなろう」
「ではお伺い致します。
イウフィフィ伯爵閣下、あなたは殺戮卿よりも強いですか?」
しかし、このユステルの物言いには明らかに不快そうに顔をしかめた。
殺戮卿という名前が持つ影響力は戦場におけるものだけではない。
この王国の貴族社会においても無視できないだけの重みを持っている。
多くの功績を積み上げた男への、嫉妬と、恐怖と、羨望が宿った渾名なのだ。
「言い直させて頂きます。
私は、殺戮卿よりもちからを持つ庇護者を求めています」
この瞬間。
ちら、と伯爵の視線が動いた。
その視線はユステルを越えて、他の誰かと交わされたようだが、伯爵はすぐにユステルに視線を戻して言った。
「お前の働き次第では、より良い契約先を紹介してやってもいい。
そのためにもまずはドラウキンの民を癒し、そして我が領にいる傷病者たちにも癒しを与えてやってほしい」
「承知いたしました」
「期限は明日から五日間だ。
私は先に戻り、お前の受け入れと教会で仕事をする段取りを整えておく。
ここには私の手のものを置いていく。
ドラウキンでの仕事が終わったら迎えをよこすので、そのつもりでいておけ」
「ありがとうございます」
ユステルは視線を切って顔を伏せたが、背中には冷や汗をかいていた。
これだけの圧力と胆力を持つ貴族が大勢いるのだとしたら、そしてこの伯爵にも圧力をかけられるような貴族がいるのだとしたら、やはり貴族社会というのは魔境だ。
そこに一歩入り込んだ事を実感し、震えがきた。
そして最後にひとつ、イウフィフィ伯爵にも言わなければならないことがあった。
「恐れながらひとつ、お願いがあります」
「言ってみろ」
「ラオベルトさんを私の護衛として連れて行きたいのです」
「理由は?」
発言の意図を尋ねる伯爵の物言いはやはり淡々としている。
この、一度受けてから切り返すというやり方はこの男の定石なのかもしれない。
そのような事を思いながら、ユステルは護衛を求める理由を話していく。
「ドラウキン伯爵へ推薦するにあたり、ラオベルトさんからもお話を伺ったのですが、その際に貴族からの後押しをもらったというお話をされていました。
本当かどうかはわかりませんが、領主就任のお話を彼のもとに持ち込んだ方が、イウフィフィ伯爵閣下のお連れ様のなかにいる、とも」
「……それで?」
「ラオベルトさんは既に政治的敗者として扱われています。
もしかしたら自棄を起こして、自分が見たことや感じたことを、真実でないことまで話してしまう可能性があります。
そうなる前に、彼をドラウキンから引き離してしまったほうがいいと思ったのです」
伯爵は前のめりになっていた体を戻し、足の上においた右手の人差し指だけをトントンと動かしている。
ユステルは更に続けた。
「あとは、私に戦う心得がないことも理由です。
来る途中、街に近い場所で呑岩蟲という生き物の群れに襲われたのですが、同じ事があった時、私の身を守ってくれる護衛がほしいのです」
「ほう、よく無事だったな。
護衛か……こちらから出しても良いが?」
「ドラウキンと親しくしている私に、イウフィフィ伯爵閣下の配下がついているとなると、不要な憶測を呼ぶかも知れません。
その点、ラオベルトさんならある程度お互いに事情を把握していますし、気兼ねなく連れ回せます。
貴族籍はありませんが、アンジェロと祖を同じとする血筋であり、同じ魔法が使えるそうですから、護衛としての能力もあるでしょう」
「蛮族の魔法か」
ユステルの説明のうち、魔法のことを耳に入れた途端に、伯爵は心底不快げに顔を歪め、吐き捨てるようにそう言った。
その言葉は忌々しげになじる棘があって、ユステルは自分が言われたわけでもないのに恐怖を感じた。
しかし、それも一瞬のことだった。
「いいだろう、ただしドラウキン所縁の者で我が領内まで連れてきて良いのはラオベルトだけだ」
「ありがとうございます。
そのようにさせて頂きます」
ユステルは再び礼を取った。
さっきの一言は、これまでに伯爵から聞いた言葉の中では最も感情が強く乗っていた言葉だった。
何故そのように嫌われているかまではわからないが、その言い方には並々ならぬ重さがあるように感じた。
(ユステル、やはり俺の勘はあたっていた)
頭を下げているユステルに、アンジェロが囁いてくる。
(この男、お前が庇護者の話を持ち出すと、一瞬目を逸らしただろう。
その時には、緑のショートマントの男を見ていた)
(では、その方が伯爵の裏にいる方、ということですか?)
(少なくとも大きな決断をする時、無視出来ない相手だということはわかった。
これから気を引き締めていこう)
冷や汗が額からも流れ出た。
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