第22話 ジュリオの本音
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翌日、こちらから面会を申し出るよりも早く、ジュリオから召喚がかかった。
あちらも焦りがあるのだろう。
ユステルはそれに応じ、再びジュリオの前に腰を下ろした。
護衛の男たちからは、心なしか期待するような眼差しを向けられている。
「来てくれてよかったです。
逃げ出したりしたらどうしようかと思っていました」
「困っている子供を見て見ぬふりは出来ませんから」
ジュリオは最初から圧をかけてきたが、ユステルの反発が障ったのか、一瞬眉をひそめた。
が、すぐに平静な顔を取り繕って話を進め始める。
「一晩考えたけど、やっぱり母には王都に行ってもらいたいです。
ぼくのやり方を支持してくれるひともいます。
もしもの時は、母を連れてこの領を去るつもりです」
「そうですか」
「……それだけですか?
あなたにも一晩考えてほしいと伝えましたよね?」
ジュリオの言葉が尖っていく。
ユステルはそれを受けても事さらに態度を柔らかくして、しかしはっきりと、自分の……アンジェロと話して決めた、ふたりの結論を口にした。
「私は、ジュリオさんが領主になるのが最も善いと思います」
ジュリオの表情から色が消えた。
呆れのような、怒りのような、それらがないまぜになった圧力が、小さな身体から放たれる。
「ぼくは領主にはなりません。
確かにそう伝えましたよね?」
「はい、伺いました」
「それでもそんな事を言うんですか?」
「そうする事が、ひいてはジュリオさんの願いを叶えることになると思ったからです」
沈黙が走った。
しかし、ジュリオの目はぎらぎらと剣呑な光を帯びてユステルを見ている。
(アンジェロと話したことを、誤解無く伝えなくては……)
ユステルは心に吹き込む不安を感じながらも、あえて穏やかに言葉を紡いだ。
「ジュリオさん、あなたが一番に望むことは何ですか?」
「もちろん、母が平穏に生きることです」
「そのためなら何でも出来ますか?」
「そのつもりです」
「ではなぜ領主にならないのですか?」
ジュリオは答えなかった。
言葉の代わりに、表情が少しずつ心の内を現していた。
形の良い眉は険しく歪み、目尻の下がった穏やかな目は今や吊り上がり、獣の様相となっている。
怒っているのだ。
自分の望まない道をこじ開けようとしている無礼な神官に怒りを感じているのだ。
しかしユステルはやめなかった。
「アンジェロ亡き今、遺された家族が唯一だと感じているのは、ジュリオさんだけでしょうか?
きっとナザディアさんも、ただひとり遺された息子のことを、自分の唯一だと思っていらっしゃるはずです。
あなたが母を想うのと同じくらいの気持ちが、自分にも向けられているとは思いませんか?」
「…………」
「あなたが領主になるならば、ナザディアさんは喜んで助けになってくれるでしょう。
そしてそのために学ぶ時間は、ナザディアさんにとって最も望ましい時間だと思います。
母親の心の平穏を望むのであれば、それを目指すのが道理ではありませんか?」
ナザディアがなぜ命がけでこの領地を守ろうとしているのか?
アンジェロが残したものを守りたい、というのは本心だろう。
だが、そのうちの少なくない部分をジュリオの存在が埋めているのは明らかだ。
この聡い少年がそこから視線を外しているように感じたのだ。
「……ですが、王都にいけば、少なくとも母の実家からの援助を受けられます。
主を亡くし、揺らいでいるこの領地は、既に他の貴族に目をつけられています。
ぼくには頼れる大人が必要なんです」
「ではなぜ、ジュリオさんの周りにいる大人を頼らないのですか?」
「えっ?」
ジュリオはこの問いには、まるで想定していなかったかのような返事をした。
驚いた表情はあどけなくて、まだ十を数える子供だという現実がそこにあった。
ユステルは周囲を見回した。
昨日と同じく、護衛の男たちが並んでいる。
皆、ジュリオのことを気遣わしげに見ている。
「護衛の方々はきっと命がけで、ジュリオさんとナザディアさんを守ろうとするでしょう。
家令の方を始め、家臣団の皆様も、ジュリオさんの治世が上手くいくように助けてくれるでしょう。
領民の方々も、アンジェロの死をあれだけ惜しんでいましたから、後継者であるあなたを歓迎するでしょう。
ここには味方しかいません。
彼らを頼ろうとは思わないのですか?」
「……考えてもみませんでした。
領民は、守るべきものたちですから」
ユステルは頷いた。
「アンジェロもそう言っていました」
「…………」
「責任感の強さといい、抱え込む癖といい、アンジェロそっくりですね」
「違う!!
ぼくはお父様なんかに似てない!!」
ジュリオはこの言葉を受けて激しく反発し、ついに爆発した。
感情の奔流はもはや制止する理性を振り切り、ジュリオの中で荒れ狂っている。
一瞬だけ、どうしよう、という迷いがジュリオの瞳のなかに見えたが、それも後から湧いてくる怒りに呑まれて消えた。
「どうしてぼくを領主にしようとするんだ。
ぼくは嫌だって言ってるだろ!」
「それがこの領に住まうすべての方にとって善い事だからです」
「そんな訳ない!
子供を領主にしても上手くいくわけない。
お母様だってこのままじゃまた倒れてしまう!
今逃げないと、全部手遅れになる!」
ジュリオは涙すら浮かべて主張した。
まわりの護衛たちはジュリオの狂態を止めるべきかとおろおろしているが、ユステルは視線でそれを制した。
かわりに、ジュリオに言葉をかける。
「なぜ領主になりたくないのですか?」
「おまえはバカか!
昨日話しただろ!?
ぼくは、お母様を王都に連れて行く!
領主ならベル叔父さんがなればいい!」
「そうではありません」
ユステルは言葉だけでそう答えた。
正面から受け止めず、声と視線だけでジュリオの感情の波をさばいていく。
この少年の本音を聞くには、もっと深いところまで切り込まなくてはならない。
もっと深く。
「ジュリオさん、私はまだ、あなたの気持ちを聞いていません。
領主を嫌がる理屈はわかりました。
でも、あなたがどう思っているのかを知りません」
「…………」
「ジュリオさん、あなたは領主というものに対して、どんな感情を持っていますか?
どんな気持ちで、領主になりたくないと言っているのですか?」
「…………ッ!」
「アンジェロは言っていました。
息子は聡明かつ大胆で」
「やめろ!!」
ジュリオはついに立ち上がった。
そして勢いのままにユステルに掴みかかってくる。
あっ、と唸る護衛たちの声を聞きながら、ユステルは自分の襟首を掴んでいるジュリオの顔を見た。
子供が泣いていた。
「ぼくはお父様じゃない!
お父様にも似てない!
お父様みたいにはできない!」
「なぜですか?」
「お父様は強かった!
殺戮卿なんて渾名がつけられるくらい、敵を倒した!!
お父様は賢かった!
敵の裏をかいて戦い、何度も勝って帰ってきた!!
お父様は勇敢だった!
護衛のみんなが口を揃えて讃えるくらいには、前に立って戦った!!」
その手が震えていた。
「ぼくは、お父様にはなれない……!」
ぽろぼろと、大粒の涙が落ちていく。
ユステルは何も言わず、何もせず、ジュリオの言葉が出尽くすのを待った。
「ぼくはまだ子供だから、敵の裏なんて読めない。
襲われても、前に立って戦う事もできない。
大人たちが言ってることが嘘か本当かもわからない。
でも、領主になったら、きっと国中の貴族が、ぼくに殺戮卿を求める。
敵を倒し、勝利をもたらす英雄を……」
「…………」
「ぼくは、お父様と同じことは出来ない。
でも、命をかけて守りたいものはある!」
ユステルの服を掴む手に力が入る。
ジュリオはユステルに、この世の理不尽に噛みつくようにして叫んだ。
「きっとぼくは皆に失望される!
弱虫だと、嫡男なのに情けないと後ろ指をさされる!
それでも、母には生きていてほしい!!」
「…………」
「でも、戦えば負ける。
戦う前に逃げるのが、一番確実なんだ……!!」
ユステルは、やはりこの少年は聡明だと思った。
スラムにいる時も、危ないものや争いからはすぐに逃げ出すことが命を長く保つ術だった。
それを選ぼうとしているジュリオのことを、ことさらに弱虫だとなじる気にはならなかった。
しかし、ジュリオは貴族の子供に生まれてしまった。
貴い両親が背負っているものを見てしまった。
そこから逃げ出すことが何を引き起こすのかを伝えなければならない。
利を説くのではなく、真を説くのだ。
「ジュリオさん、あなたが後継者から退けば、この領は今よりはるかに乱れます」
「わかんないだろ。
ベル叔父さんだって大人だ。
きっとぼくなんかより上手にやってくれる」
「ラオベルトさんは敵と話し合うことで戦争を終わらせようとしています。
仮に敵が応じたとしても、これを機に、これまでの報復に出るでしょう」
「……いいや、きっと話し合いに応じてくれる」
「そうだとしても、その時にラオベルトさんに味方する家臣は、ジュリオさんより少ないのでは?
そしてもし家臣の席が空けば、外の貴族がつけ込む隙となるでしょう。
アンジェロや、これまでのドラウキンの領民が育ててきた全てが、彼らの糧にされます」
「…………」
「それに、王都に行っても安全とは限りません。
アンジェロはまさに、その王都で暗殺されたのですから」
ユステルは大きく息を吸った。
ここからは、アンジェロが伝えたかった想いの代弁者になる。
息子の心へ語りかける父親の言葉を、不自然でないように伝えなくてはならない。
頭は冷静だった。
心は激しく燃えていた。
「アンジェロは、なぜあんなに勇敢に戦っていたのでしょうか?」
「……お父様は、誰よりも強かったから」
「いいえ。
アンジェロ自身は、武勇だけならラオベルトさんのほうが上だと言っていました」
「……嘘だ。
お父様が、ベル叔父さんに負けるわけない」
「そしてアンジェロは、いつも勝利していたように見せていましたが、実際には何度も負けそうになっていました。
ひどい傷を負い、部下や護衛の助けを得て、何とか帰ってくる、という事が珍しくなかったそうです。
事実、私が最初にお会いした時のアンジェロも、いつ死んでもおかしくない重傷でした」
これはユステルも聞いて驚いたことだった。
アンジェロは領内でも有数の使い手だったが、それでも最強ではなかったという。
誰かと問えば、恐らくラオベルトだと返ってきて、とても信じられない思いだった。
初めて聞いたときのユステルと同じように驚いているジュリオに、ユステルは語りかけ続ける。
「それでもアンジェロは絶対に戦うことをやめませんでした。
死にかけても、負けそうになっても、絶対に前に立ち続けました。
……問い方を間違えていましたね。
なぜ、アンジェロはあんなに勇敢に、戦えた、のでしょうか?」
「…………」
「きっと、ジュリオさんと同じ気持ちだったのだと思いますよ」
「……守る、ため?」
ユステルは頷いた。
ジュリオの涙が再び溢れ始めた。
「アンジェロはいつも言っていました。
家族と平和な時間を過ごしたい、領で牛を追うような長閑な生活がしたい、と」
「……ぼくも、よく聞きました。
お前が大人になる頃には馬より牛が多くなっていてほしい、って」
「はい。
それがアンジェロの願いなのです。
この国が、この領地が……あなたたちアンジェロの家族が、平和に暮らせるように、戦っていたのです」
「…………」
「きっとアンジェロにとっての唯一は、あなたたち母子でした。
ジュリオさん、アンジェロは今のあなたと同じ想いで、戦っていました。
家族を守るために、家族が平穏に暮らせる場所を手に入れるために」
「……ぼくには出来ません」
「いいえ、きっと出来ます。
アンジェロが遺したものは殺戮卿の渾名だけではありません」
ユステルは視線でジュリオを促した。
ジュリオがそれに従って周りをみると、護衛の男たちと目が合った。
皆、真剣な目でジュリオを見ていた。
「彼らがあなたを助けてくれるのは、領主だからでも、貴族だからでもありません。
アンジェロが彼らを守ろうとしたから、アンジェロが守ろうとしたものを彼らも守ろうとしてくれているのです」
「……お父様が守ろうと、したもの」
「それは私も同じ気持ちです。
ジュリオさん、あなたはひとりではありません。
周りに助けを求めてもいいのです。
アンジェロのように」
ジュリオは俯いて黙ってしまったが、しばらくしてユステルから手を離すと、右膝を引いて礼をとった。
アンジェロがよくやっていた礼だった。
「興奮していたとはいえ、失礼いたしました。
お怪我はありませんか?」
「どうぞお構いなく。
ジュリオさんの御心の悩みを払う助けになれていればいいのですが」
「……ぼくは」
ジュリオは袖で顔を拭い、鼻をすすった。
貴族らしからぬ行動だったが、力強かった。
「ぼくはまだ、そうとは決められません。
だから、周りの方と相談してみようと思います。
まずは、母と」
「……はい、それが善いと思います」
ユステルが微笑むと、ジュリオも微笑んだ。
目は腫れて、鼻水は出て、ひどい顔だったが、これまでで一番輝いて見えた。
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