第20話 それぞれの思惑(3)
7/26 一部表現を修整
ユステルは何も言わずに目を伏せた。
この少年は母を領外に逃がすために最短の方法を取ろうとしている。
そのために、子供らしくあることも、大人に頼ることもやめている。
何をどう話すことが、彼の……ドラウキンに住む彼らの最善なのか。
「ジュリオさんの思いは間違っていないと思います」
ユステルは頭に浮かんだことをそのまま伝えることを選んだ。
最初の一言、これは偽らざるユステルの本心だ。
親を思う子の心を疑わなければならないほど、この領地の人々は腐っていないと思ったからだ。
「ですが、ナザディアさんが倒れるまで待つというのは極端だと思います。
確かに周りは納得するかもしれませんが、ナザディアさん御本人が納得なさらないでしょう」
そしてこれも本心だった。
女傑と呼べる心を持つあのひとが、ただ倒れたから、というだけでこの領から退くことを良しとするとは思えない。
仮に上手く逃れたとしても、きっと深い後悔を抱えて生きていく事になる。
「それは、ジュリオさんの言う、平穏な時間を過ごしている事にはならないと思いますが、いかがでしょう」
ジュリオは口をつぐんだ。
しかし、その表情は先程とは違う。
眉の間には深いしわが刻まれ、吊り上がった目はユステルをまっすぐに睨み据えている。
ユステルは指を一本立ててジュリオに見せた。
何よりもこの事については、アンジェロの話も聞きたい。
「一日下さいませんか?
ジュリオさんの意見を聞いて、私もこの領のことを考えたくなりました。
アンジェロの友人として……真剣に考えますから」
ジュリオはじっとユステルを見ていたが、やがて視線を床に落として言った。
「ぼくたちには時間がありません。
あのひとが権力を盾に、三日後という期限を切ってしまったから」
「イウフィフィ伯爵ですね」
「はい、ですので待つのは明日の朝までです。
その時に良い案が浮かんでいたら教えて下さい。
それが出来ないなら、ぼくはぼくなりの作戦を立てて、何としてでも母を王都まで連れていきます」
「……わかりました。
今夜一晩、しっかりと考えてみます」
ユステルは承諾し、部屋を出た。
そっくりなため息が、部屋の中と影の中から同時に聞こえた。
ユステルは自分が深みに嵌まっていくのを感じた。
治癒師、神官、アンジェロの友人。
それぞれの立場が、神殿の外でこれほど大きな意味を持つとは、正直、考えてもいなかった。
十歳の子どもに迂闊だと指摘されるのも已む無いことだとユステルは思った。
ユステルはものを知らない。
幼いうちはスラムで命を繋げるだけの日々を送っていたし、教会に拾われ、神殿に入ってからは狭い世界で神官としての教育を受ける毎日だった。
貴族や、自分以外が見ている世界のことも、そこから自分がどのように見られているかも、考えたことはなかった。
神殿を出てから……いや、アンジェロと出会ってから、ユステルは自分の未熟を感じてばかりだ。
そしてドラウキンに来てから、そのアンジェロも、完璧ではないということを知った。
(アンジェロ、大丈夫ですか?)
(……すまない、取り乱した。
もう大丈夫だ。
任せっきりにしてすまなかったな)
だからこそ、ユステルは自分の指針について考えた。
自分は何をしたいのか、自分は何をしに来たのか、自分は何を望むのか。
ユステルはアンジェロの仇討ちを引き受けて行動を始めた。
この場所には、アンジェロの守っていたものを守るために来た。
望むのはもちろん、最初の誓い、人々を癒したいという希望だ。
決してこの領に混乱をもたらすためではない。
(アンジェロ、私はラオベルトさんと話そうと思います)
(……理由は?)
(ナザディアさん、ジュリオさん、イウフィフィ伯爵、それぞれの意見や思惑は聞きました。
あとはラオベルトさんが何を考えているのかも聞くべきだと思います)
(あいつにそんな能は無いと思うがな)
(それでも、領主になりたがる理由はあるはずです。
情報が足りない、と言っていたのはアンジェロでしょう?)
(……そうか、そうだな)
今、必要なのは、全てを詳らかにすることだ。
アンジェロの仇がこの領地の騒動に関わっているかはわからないが、この地に生きる彼らを守ることが、今のふたりの望みなのだ。
部屋の外にはトリストと、老齢の家令ではなく、執事が控えていた。
元々家令は領主に近いところで領地経営を助ける身分なので、本来の執務に戻ったのだろう。
ユステルはトリストに挨拶し、言った。
「案内、ありがとうございました。
ご迷惑ついでにもう一つ、お願いがあります」
「何なりと」
「ラオベルトさんに会わせて下さい」
「……おすすめいたしません」
しかし、トリストはぐっと眉をひそめて、ユステルの申し出を断った。
「どうしてでしょうか?」
「ラオベルトは貴人としての教育を受けていません。
ユステル様に不快な思いをさせてしまうでしょう」
「私は神官ですので、そうした物言いには耐性があります」
「そうではないのです。
ラオベルトは感情に素直すぎるのです。
話が気に入らないからと、些細なことで激昂するかもしれません」
「おう、悪かったな、乱暴者でよ」
ぎょっとしたトリストが振り返ると、そこにはラオベルトがいた。
ラオベルトは眠っていたのか、服は乱れてしわが寄っており、眠たげな目でユステルを見ている。
彼は客間にいるとユステルは思っていたが、領主一族の生活空間があるこちらで過ごしていたらしい。
「俺の名前が聞こえたんで何かと思って起きちまった。
まあでもちょうど良かった、俺もそいつと話したいと思っていた所だ」
「いい加減にしろラオベルト、こちらはアンジェロ様のご友人なんだぞ!」
「んなもん関係ねえよ。
あー、ユステルだっけ?
俺の事を領主に推薦してくれるって聞いてるぜ」
トリストは今度は凄まじい形相でユステルのほうを見た。
驚きと困惑がないまぜになったその顔には、信じられない、と書いてある。
「そういうわけだから、トリストのおっさんは仕事してればいいぜ。
俺はこいつと今後のことを話し合わなきゃいけねえからな」
「……私は、本日はユステル様の護衛を仰せつかっている」
「あ、そうなのか?
じゃあ一緒にいてればいい」
ラオベルトは顎で歩くように指し示し、ひとりですたすたと歩き始める。
トリストは今にも泣きそうな表情だ。
あまりに情けない表情のこの護衛に、ユステルは弁明するように言った。
「まだ推薦するとお約束したわけではありません。
それに、一度あの方からも話を聞いてみたいと思っていました」
「……ユステル様、我ら家臣団が忠誠を誓ったのは領主一族だけです。
どうか正しい道をお選び下さいますよう」
「あのひとを推薦するにしても、説得するにしても、言い分を聞く必要はあると思います。
アンジェロの守っていたこの場所を守りたい気持ちは、私も同じです」
トリストは考え込んでいたが、やがて渋々と頷き、控えていた執事とともに歩き出した。
(ユステル、気づいたか?)
(何をでしょう?)
(こいつ、お前がイウフィフィ伯爵と客間で話したばかりの事を知っていた。
恐らくあいつらとは繋がりがある)
(…………)
(大分見えてきたな。
大丈夫だとは思うが、ユステル、こいつに下手なことは言わないように気をつけてくれ)
アンジェロの忠告を聞いて、ユステルは再び腹の奥が縮み上がるような重圧をその身に感じた。
ついたのはすぐ近くの部屋だった。
控室すらないそこを開くと、中はほんのりと酒の匂いがするものの、日差しのよくあたる明るい部屋だ。
「おう、来たな。
そっちに座ってくれ」
ラオベルトは自分と対面にあるソファを指してユステルに促してくる。
ラオベルトはトリストも執事も追い出さず、それが当然であるかのようにユステルに語りかけ始めた。
「さて、ユステル、あんたどのへんまで知ってる?」
「ラオベルトさんの事を仰られているのなら、あなたが分家二世で、他の分家からの推薦を受けて後継者に名乗りをあげている、と聞いています」
「おう、よく調べてるな」
「ですが、何故そうなさったかは聞いていません。
お伺いしてもよろしいでしょうか?」
ユステルが水を向けると、ラオベルトは揚々と胸を張って言った。
「そりゃあ、戦争を終わらせるためだ」
「……どのようにでしょう?」
「戦っても戦争が終わってねえんなら、違う方法を考えるしかねえだろ?
まあでも、敵国と出来ることってのは限られるよな。
なら、話し合うしかねえだろ?」
ユステルは表情を変えなかったが、内心、意外だった。
この青年の振る舞いはだらしないし、トリスト達からの評価もあまりよくなかったので、彼は短慮な乱暴者なのだろうか、それ故に無謀な短期決戦でも挑むのだろうか、と予測していたからだ。
実際には反対のことをラオベルトは口にした。
「アンジェロは死んだ。
病死ってことになってるが、あいつが暗殺された、ってことは知ってる」
「ジュリオ様もご存知でしたね」
「ああ、あいつは可哀想な子どもだ」
ラオベルトは苦々しげに顔を歪めた。
少なくとも嘘をついているような様子はない。
「この広い領地に遺されたのは、外様の女と幼い子どもがひとり。
男じゃないと領主になれないってんなら、俺が領主になって、あいつらを安全な場所によこすのが一番丸く収まるだろ?」
「ですが、アンジェロは皆を守る為に戦っていました。
ラオベルトさんは、話し合い、とおっしゃいましたが、どういうおつもりなのですか?」
「聞いた通り、敵さんと話して終わらせんだよ」
理論が飛躍している。
あまりに突拍子のない主張にユステルは困惑したが、ラオベルトの目は真剣だ。
ユステルが頷いて先を促すと、ラオベルトは自分の考えを訥々と語りだした。
「俺は元々、アンジェロの野郎と同じ領主一族で、でも本家筋ではないってことで、戦場から離れた村をいくつか任された親について行ったんだ。
そこで適当に遊んでてもよかったんだが、まあ、今、戦争中だろ?
あんまりのんびり遊んでるわけにもいかなくってな」
(こいつ……!
俺の誘いは断って、女遊びばっかりしてたくせに、のうのうと!)
影の中からアンジェロの怒りが飛んでくる。
「アンジェロの野郎は強かったし頭も良かったから、戦うことで守ろうとした。
ああ、それはわかる。
でもよぉ、あいつが戦場に出て何年たった?
戦争はまだ終わってないだろ?」
(……!)
「誰かが死ぬってことは、そいつがいた所は空っぽのままになるんだよ。
働き盛りの家族を亡くせば生活は立ち行かなくなるし、自分の生まれ故郷のことが嫌いになっちまう。
だったら、違う方法を考えなきゃいけないんじゃないか?」
そして、その怒りはラオベルトの主張を聞いて鳴りを潜めた。
逆に、堂々たる領主批判にトリストが怒りを迸らせているのが傍目にもわかった。
「だから、主を腐してお前がその座に就くと言い出したのか?」
「おっさん、俺は俺が感じたことを話してるだけだぜ」
「それが葬儀の場にまで持ち込むような事か!?」
「それは悪かったって、ちゃんと謝ったろうがよ」
トリストの横槍を面倒くさそうにあしらって、ラオベルトは再びユステルに顔を向ける。
「ま、そういうわけで、俺が領主になって方針を変えようと思ったわけだ。
さすがに頭が戦争から身を引くって言やあ、戦ってる奴らも言うことを聞くしかねえだろ?」
(……それじゃ全然足りてねえんだよ、バカ)
思わずといった感じでアンジェロの思考が漏れてくる。
今は影の中で頭を抱えているような気がした。
「まあ、分家の俺に貴族様のマネごとは難しいと思ったんだけどよ。
同じように考えてくれたひとらが、俺を後押ししてくれてるんだ」
ラオベルトの話が核心に迫る。
「抱いた思いを評価してくれる方がいるなんて、素敵ですね。
その方々はどういったご関係なのですか?」
「詳しくは聞いてねえけど、まあ、やんごとなき御身分ってやつらしい。
へっへ、分家なだけで殆ど貴族じゃない俺の話を、真っ当な貴族サマが聞いてくれてるんだぜ、すげえだろ?」
「……その方々とは、今も交流があるのですね?」
「ああ、俺に話を持ち込んできたやつも、この葬儀に参加してたからな。
ほら、おまえも見ただろ?
緑色のマントつけた、ひょろながいおっさんだよ」
「存じ上げております」
「あいつなんか怖くねえ?
……あ、それと、ジュリオに届いた手紙、俺のところにも来てたんだよ。
ウチの孫を王都に送れって」
ユステルは頷いた。
ラオベルトがイウフィフィ伯爵やナザディアの実家に繋がりを持っているのは確定だ。
そして、彼が動き出した動機もはっきりした。
そしてふと、思ったことを口にした。
「そういう貴族とのやりとりは、あまり話さないほうがいいのではありませんか?」
「ああ? 何でだ?
ドラウキンの家臣団はみんなもう知ってるし、あんたは俺のこと推薦してくれるんだろ?」
この男が貴族教育を受けていないという意味を、ユステルはよく理解した。
この素直であけすけな態度で貴族社会に出れば、あらゆる意味で食い物にされろうだろうことは容易に想像がついた。
あまり整えられていない、太くて大きな眉毛を上げてユステルを見つめる顔が、アンジェロに少し似ていて、ユステルの胸の奥が軋んだ。
「……どのようにお話するかは、これから考えてみます。
今日のところはここまでにして、少しお時間を頂けますか?」
「おお、構わないぜ。
一緒に考えてくれるやつがいるっていうのは、なかなか良いな」
ラオベルトはにかっと笑って言ったが、トリストは反対に厳しい視線でラオベルトを見ている。
ユステルは彼らから努めて目を逸らして礼を取り、部屋を出た。
お読み頂きありがとうございます。
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