第18話 それぞれの思惑(1)
翌朝、ナザディアから改めての面会の申し出があった。
今度は応接室を整えてくれていたようで、客間と同じく、品よく落ち着く空間が演出されている中で、ユステルはナザディアと顔を合わせた。
「昨日は申し訳ございませんでした。
ご相談をもちかけた身でありながら、あのような……。
癒しを受けて眠りに落ちるなんて、まるで童女のようですね」
「いえ、王都では皆様同じようにされていました。
治癒を受けたあと、飛び起きて出ていったのはアンジェロくらいです」
「まあ」
ナザディアは微笑み、それを見たユステルは、おや、と思った。
昨日に彼女から感じた影というか、悲壮感が薄れている。
物腰は変わらないし、血色が良くなっているわけでもない、そうした変化ではなく、活気があるのだ。
「こちらこそ、昨日は差し出がましいことを致しました。
貴き方への所作としては失礼を……」
「夢を見ました」
ナザディアはユステルの言葉を遮り、そう言った。
瞳の奥には、昨日にはなかった美しい輝きがあるように感じた。
「この広いドラウキンの地で、家族とともに牛を追う日の夢でした。
戦う事も、執務に追われる事もなく、ただ生ある事に感謝して一日を過ごす。
主人がずっと、戦争が終わったらやりたいと言っていたことではあるんですけれど……不思議ですね、一度もそんな事をした経験はないというのに、夢に見るなんて」
ナザディアは笑みを深めて言った。
「でも、おかげで自分のやるべき事を掴めた気がします。
相談というか、ただ話を聞いて頂いただけでしたが、胸のわだかまりは解けました。
お礼申し上げます」
「いえ、とんでもないです」
ユステルはあわてて首を振る。
治癒のちからにその様な効果があるとは聞いたことがなかったし、自分の治癒に夢を見せる効果があるとも思えない。
「私の治癒は未熟ですし、何を癒せたのかは自分でもわかりません。
ただ、お体の疲れは癒えたのではないかと思います」
これはユステルの本心だった。
少なくとも今のナザディアは、昨日のように疲れ果てた姿ではないから、治癒が効いたとすればそこだと考えたのだ。
ナザディアは少しの間、ユステルの顔を見て黙っていたが、再びそっと微笑んで言った。
「不思議な方ですね、ユステル様は」
「……そうでしょうか」
「ええ、とても」
微笑みはやがて笑い声にかわった。
ナザディアの笑い声を聞くのは初めてだったが、大人びた顔から受ける印象とは違う、ふふ、くすくす、と童女のような笑い方をしていた。
(お笑いになると印象が全然違いましたね)
(ああ、あの笑い方が好きでな、よく下らない噂話なんぞを集めたものだ)
(遊び人みたいな事をしてたんですか)
(心外だな、俺は妻一筋だぞ)
自分の部屋へ戻る最中、ユステルはアンジェロと話しながら先の会話を思い返していた。
人の苦悩を受け止めることは神官に求められる素養の一つだ。
しかし、ユステルは誰かの苦悩を打ち明けられた経験はほとんどなかった。
王都で会う貴族や富豪たちは自らの怒りや悲しみをぶつけてくる事はあれど、それを共有するようなことはなかった。
唯一の例外はアンジェロだ。
ユステルは改めて、アンジェロとの出会いの不思議を思った。
部屋に近づいた頃、案内してくれていた従者が突然立ち止まった。
従者の視線の先には、ユステルの部屋の前で待っている一人の男がいる。
男はユステルの姿をみるとつかつかと近づいてきて、その顔を見下ろしてきた。
ひょろりとした体型の、背の高い男だ。
灰色の服に赤い飾り紐をつけ、緑色のショートマントを肩に羽織っていて、骨ばった顔の上には、王国によくある淡い髪色と、その中から伸びた一房の真っ白な髪が乗っていた。
男は冷たい視線でユステルを睨んで言った。
「治癒師ユステルだな。
我が主が治癒を求めている。
来い」
そして、言い終わるが早いか、背を向けて歩き出す。
ユステルは警戒を高めた。
この居丈高な物言いと、反論を許さず、相手が従うものと断じている態度から、高位貴族やその周辺にあるものたち特有の空気を感じた。
腹の奥がじっとりと重たくなってきたが、そんなユステルの頭の中にアンジェロが語りかけてくる。
(ユステル、あまり警戒しすぎるな。
これは好機だ)
(好機、ですか?)
(ドラウキンが抱えている問題はわかったが、その周りにいる奴らのことはよく解らないままだ。
お前は治癒師だが、今回は王都の神殿から来た神官という立場があるし、俺との関係も葬儀で知らしめているのだから、無法な振る舞いをするような輩はまだいないはずだ)
(……まだ、ですか)
(治癒師であるということはそういうことだ。
気づいた事や危機を感じた時は伝えるから、ひとまず敵の顔を拝んでやろう)
アンジェロの指摘を受けて、ユステルは自分がひどく緊張していることに気がついた。
思えば、アンジェロと懇意になってからは他の貴族と会う事はなくなっていたので、こうして他の貴族に治癒を求められるのは久々だ。
ナザディアにも治癒はしたが、あれは自分から行った事だし、心構えが違う。
ふう、とひとつ息を吐いて、ユステルは男に遅れないように足を早めた。
たどり着いたのは、邸唯一の上級客室だった。
ナザディアがユステルに勧めたかったというそこで寝泊まりしているのは、この伯爵家の邸において最も権力の強いものだ。
ユステルの喉がごくりとなった。
「伯爵、治癒師ユステルを連れてきた。
入室するぞ」
男はノックした扉越しにそう声をかけると、客室の扉を遠慮なく開く。
中にはユステルの想像通り、イウフィフィ伯爵と、何人かの貴族たちが、半円を描く車座になってユステルを待ち構えていた。
「来たか。
こちらへ」
イウフィフィ伯爵が手を振り、人垣の輪の中央を指す。
ユステルはそこまで進み出ると、伯爵に向けて両膝をついた上位者への礼を取った。
「治癒師ユステル、お召しにより罷り越しました」
「ご苦労、楽にしていい」
伯爵の言を受け、上体を起こしたユステルは、ぼんやりと床を見つめたままで次の言葉を待つ。
ひそ、と何人かの貴族が話す声が聞こえてきたが、すぐに伯爵が話を切り出してきた。
「治癒師ユステルよ。
お前に仕事を申し付ける。
私と、ここにあるものたちを治癒せよ」
ユステルはゆっくりと顔をあげた。
こちらを見る伯爵は無表情そのものだ。
「恐れながら、私はまだ修行中の身でありまして、治癒の力が安定せず、発動しないことがあります。
仮に発動したとしても、傷病があれば治癒する事は出来ますが、老化抑止などの効果はありません。
それでよければ、試させて頂きます」
「……なに?」
その無表情が、ユステルの返答を受けて少し歪んだ。
「聖力を震わせ、祝詞を唱えればよいだけではないか。
あとはそこに注ぐ聖力の多寡の問題だろう」
「私には、それが出来ない事があるのです」
「……いや、聞いたことがある。
有望株だと言われた賤民の子が、とんだ不具合を抱えていたと。
ここ数年話を聞かなかったので、誰ぞと契約したか、処分されたかと思っていたが……まさか殺戮卿がそんな不良品を愛でていたとはな」
そこに浮かんだのは、侮蔑だ。
周りの貴族たちも、侮蔑だけでなく、愉悦や、欲望が、その表情の中で暗く鋭く鎌首をもたげているのを感じた。
ユステルの体が緊張に固くなっていく。
「まあ、いいだろう。
殺戮卿と懇意であったというのは恐らく本当であろうしな」
その剣呑な空気を押し付けるように、体を前に乗り出して、イウフィフィ伯爵が言う。
「治癒師ユステルよ。
伯爵夫人ナザディアとも懇意になっているようだな」
「お答えします。
一神官の私に多くの便宜を図って下さいましたので、相応のお礼をお伝えいたしております」
「昨晩と今朝と、二日続けてか?
あちらは未亡人とはいえまだ若い貴族の女性、片やお前は貴族の誘いを受ける身だ。
我々に言うには憚られることもあろう」
ユステルの体がさらに緊張していく。
朝のことはともかく、昨晩のナザディアとの面会も見られていたのだ。
ふふ、と嗜虐的な笑い声が、周囲の貴族から浴びせられた。
「しかし本題はそこではない。
お前には別の仕事を申し付ける」
「……私に出来る事でありましたら、喜んで」
「ラオベルトが次期領主となれるよう推薦せよ」
ユステルは目を見開いた。
治癒師として呼ばれた以上、それにまつわる事で何かを言われることは覚悟していた。
しかし、イウフィフィ伯爵が投げつけてきた課題はユステルの想像の範疇を越えていたのだ。
伯爵は続ける。
「あの会食の時の、私の言葉を覚えているかな。
このままでは、三日後には多くの取引が止まる。
そうすれば、遅かれ早かれ、この領地は干上がるだろうな」
それはナザディアも懸念していたことだった。
備蓄はあると言っていたが、取引の伝手があるとは聞いていない。
仮にあったところで、今、これだけの貴族を率いている、力ある伯爵が黙ってそれを見過ごすとは思えなかった。
「勘違いしないでほしいのだが、私とて取引を止めたくはないのだ。
だが、あの場で言った通り、当主の名で行われた取引は、当主の名で更新すべきだと考えている。
責任を取れる立場のものがあやふやなままでは、取引相手としての信頼に欠ける。
これは、このドラウキン領という、大きな戦場を抱える領地を相手にしているものとしては、当然の懸念なのだ」
周りの貴族からも、そうだ、とか、おっしゃるとおり、とか、同意するような声が聞こえてくる。
ユステルは完全に敵地にいる。
影の中のアンジェロの気配がざわついているのを感じる。
「伯爵令息、ジュリオはまだ十歳と幼い。
私が欲しているのは、責任感があり、実際に責任をとる事が出来て、そのつもりでこの領の頂に立つ気概のある新領主だ。
今のところ、自薦しているラオベルト以外に適当な候補者はいない」
伯爵が目を細めた。
細くなった目の奥では、欲望の光が更に強く、ぎらぎらと燃え盛っていた。
「人を救うことを是とするブリオノール教会の神官であるならば、領民にとって何が最善か、わかるだろう。
お前は神官の立場として、伯爵夫人に勧めるだけでよい」
入院が明け、本職に復帰いたしましたので、次回から隔日更新に戻ります。
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