42話 退路を断つ覚悟と、社長の器
平日の夕方。
宇和島オレンジトレーディング本社の社長室前で、
北島岳は深く息を吸った。
ノックをすると、
三好大悟の豪快な声が返ってきた。
「おう、岳か。入れ」
社長室に入ると、
三好は書類を片付けながら笑った。
「最近、忙しそうやな。
クラブの方も順調なんやろ?」
岳は一礼し、
静かに口を開いた。
「……社長。
今日は相談があります」
三好はすぐに表情を引き締めた。
「なんや。言うてみい」
岳は言葉を選びながら、
しかし逃げずに言った。
「旧三間中の施設を、
クラブの“指定管理者”として運営したいんです。
クラブ事務所も、あそこに移したい」
三好は眉を上げた。
「ほう。理由は?」
「今のままでは、
総務課の仕事とクラブ運営の両立が難しくなってきました。
最近、総務課の皆さんに負担をかけています。
……このままでは、どちらも中途半端になります」
三好は黙って聞いていた。
岳は続けた。
「だから──
一度、オレンジトレーディングを退職しようと思っています」
社長室の空気が止まった。
「退職……?」
「はい。
退路を断って、
クラブ運営に全てを賭けたいんです。
中途半端なままでは、
クラブも、会社も、誰も幸せになりません」
岳は深く頭を下げた。
「どうか……
クラブ事務所を旧三間中に移すことを認めてください。
そして、俺はクラブに専念したい」
三好はしばらく黙っていた。
やがて、
ゆっくりと椅子にもたれ、
天井を見上げるように息を吐いた。
「……岳。
お前、ほんまに覚悟決めたんやな」
「はい」
三好は机に肘をつき、
岳をまっすぐ見た。
「まず言わせてくれ。
すまん」
岳は顔を上げた。
「すまん……?」
「お前を巻き込んだんは、俺のわがままや。
“宇和島にクラブを作りたい”なんて、
ただの夢物語やった。
それにお前を付き合わせてしもうた」
その声は、
豪快な社長のものではなく、
ひとりの人間としての誠実な声だった。
「お前が総務の仕事で苦労しとるのも知っとる。
クラブのために走り回っとるのも知っとる。
それで退職なんて……
そんな責任、俺は取れん」
三好はゆっくりと立ち上がった。
「だから──
退職はさせん」
岳は息を呑んだ。
「……でも、俺は──」
「代わりに“出向”にする。
オレンジエクストリームへ、総務課員として出向や。
給料も待遇もそのまま。
お前の負担は減らす。
総務課には人員補充もする」
岳は言葉を失った。
三好は続けた。
「退路を断つ覚悟は立派や。
でもな──
背水の陣は、味方がいてこそ成立するんや」
その言葉は、
岳の胸に深く刺さった。
「お前は一人で戦う必要はない。
俺も、会社も、街も、
全部お前の味方や」
岳の目が熱くなった。
「……社長……」
「旧三間中の指定管理者の件は、
俺が市と話をつける。
クラブ事務所も移してええ。
お前が動きやすいように全部整える」
岳は深く頭を下げた。
「ありがとうございます……
本当に……ありがとうございます」
三好は笑った。
「礼はいらん。
お前が本気でやるなら、
俺も本気で支えるだけや」
その言葉は、
岳の覚悟をさらに強くした。
退路を断つ覚悟は、
ひとりで背負うものではない。
支えてくれる人がいてこそ、
前へ進める。
岳は社長室を出ると、
旧三間中の方向を見つめた。
あそこが、
これからの戦いの拠点になる。
そして──
クラブは次の段階へ進む。




