23話 彷徨う社長
金曜日の朝。
北島岳は、会社の駐車場に車を停めたまま、しばらくエンジンを切れずにいた。
昨日の“分社化宣言”。
そして、自分が新会社の社長に指名されたという現実。
胸の奥に、まだ熱が残っている。
だがその熱は、喜びだけではなかった。
責任、覚悟、そして――恐れ。
(……本当に、俺でいいのか?)
そんな弱さが、ふと顔を出す。
だが同時に、昨日の会議室で聞いた拍手の音が、耳の奥で蘇る。
――たけしは一人じゃない。
三好社長の言葉。
社員たちの表情。
あの瞬間、確かに“仲間”がいた。
だったら……やるしかない
岳は深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
そして、エンジンを切った。
今日の目的はひとつ。
監督を探すこと。
クラブは会社になった。
地域交流ウィークも動き出した。
選手募集も始まる。
だが――監督がいなければ、クラブはただの“夢の断片”だ。
戦術も、練習も、選手の育成も、何ひとつ形にならない。
3−4−3ムービングを理解してくれる人……
そんな人、この街にいるのか?
岳は名刺ケースを握りしめ、会社を出た。
向かった先は――宇和島商業高校だった。
昼下がりのグラウンドには、春の風が吹き抜けていた。
芝の匂い、土の温度、遠くで響くボールの音。
そのすべてが、岳の胸に懐かしい痛みを呼び起こす。
監督は、練習を見守りながら岳に気づき、軽く手を挙げた。
「北島さん、また来たか」
「はい。今日は……監督候補の件で」
「監督候補?」
監督は腕を組み、岳をじっと見た。
「クラブの監督を探してまして。
3−4−3ムービングを理解してくれる人を……」
監督は少し驚いたように眉を上げた。
「お前がやるんじゃないのか?」
「いやいやいや、無理です! 僕、サッカー未経験ですよ!」
監督は笑った。
だがその笑いは、岳をからかうものではなく、どこか温かかった。
「冗談だ。
だが、3−4−3ムービングをやりたいんだろ?」
岳は頷いた。
「……あの戦術には、夢があります。
ただ勝つためじゃなくて、観る人をワクワクさせる。
街の子どもたちが“あんなサッカーがしたい”って思える。
そんなクラブにしたいんです」
監督は、少しだけ目を細めた。
「……いい顔になったな、北島さん」
「え?」
「前に来たときより、ずっと“代表の顔”になってる」
岳は照れくさく笑った。
「で、監督候補だが……」
監督は少し考え、言った。
「……大畑悠斗って知ってるか?」
「大畑……?」
「うちのOBだ。
若いが、戦術の勉強をずっと続けてる。
県外のクラブでコーチをしていたが、今は宇和島に戻ってるはずだ」
岳の胸が跳ねた。
「その人、会えますか?」
「連絡してみろ。悪い男じゃない」
監督はスマホの連絡先を岳に渡した。
(……大畑悠斗。
名前は聞いたことがある。
でも、どんな人なんだろう)
胸の奥に小さな期待が灯った。
次に向かったのは吉田高校だった。
ここでも、同じ名前が出た。
「監督候補? それなら大畑くんがいいんじゃないか」
「彼、頭がいいよ。
選手時代から“動きながら考える”のが得意だった」
「戻ってきてるって聞いたよ」
(……また大畑さん?)
偶然にしては出来すぎている。
三間高校でも同じだった。
「大畑くんは、指導者として伸びると思うよ。
ただ……ちょっとクセがある」
「クセ……?」
「妥協しないタイプだ。
“本気じゃないクラブ”とは絶対に組まない」
岳は息を呑んだ。
(……本気じゃないクラブ、か)
自分は本気だ。
だが、クラブはまだ何もない。
監督から見れば“形だけ”に見えるかもしれない。
(それでも……会わなきゃいけない)
岳は強く思った。
夕暮れの帰り道。
車の窓から見える旧三間中学校の校庭は、薄いオレンジ色に染まっていた。
草刈りの跡がまだ残り、土の匂いが風に乗って漂ってくる。
あの日、三崎陽斗と話した場所。
あの青年の寂しげな目。
そして、わずかに揺れた心。
(……あの子のためにも、
この街の子どもたちのためにも、
“本気のクラブ”を作らなきゃいけない)
岳はハンドルを握りしめた。
「……会おう。
逃げずに、ちゃんと話そう」
その声は震えていたが、確かに前を向いていた。
監督探し――
クラブの未来を決める、大きな一歩が始まった。




