第九話「商業都市・トレド・ライン」
トレド・ラインが見えてきた頃、リィナは思わず声を上げた。
「……大きいですね」
「でしょう」レイヴンは御者台の上で笑った。
「王都とメイセキの中間にあるんで、物流の要所ッスよ。自然と人が集まる」
町は、遠くから見ると華やかだった。
白い石造りの建物が整然と並んでいる。大きな商会の看板が目立つ。街道から続く大通りは広く、行き交う荷車や人の数が多い。メイセキの無骨な雰囲気とは全く違う。洗練されていて、活気がある。
しかしレイヴンは、その景色を見ながら、静かに目を細めた。
表は華やかだ。
しかしその華やかさの下に、別の空気が流れている。
金の匂いがする。欲の匂いがする。そしてその奥に、もっと暗い何かが潜んでいる。
「……知ってる町ッスよ、ここは」
独り言のように呟いた。
「来たことがあるんですか」リィナが聞いた。
「昔ね」レイヴンは笑った。
「色々と、勉強になった町ッスよ」
「勉強、というのは」
「世界には色んな人間がいるッスってこと、ッスかね」
リィナはその答えの意味を測るように、レイヴンを見た。
レイヴンは前を向いていた。
笑顔だ。しかしその目が、町全体を静かに読んでいた。
門をくぐると、喧騒が一気に増した。
大通りは人で溢れていた。商人、旅人、荷運びの人足、行商人。様々な人間が行き交っている。露店が並び、怒声と笑い声が混ざり合っている。
リィナは周囲を見渡した。
活気がある。しかし何かが引っかかった。
人の目だ。
笑っている人間の目が、笑っていない。値踏みするような目が多い。誰もが誰かを測っている。そういう空気がある。
「……メイセキとは全然違いますね」
「そうッスね」レイヴンは荷車を進めながら言った。
「メイセキは鉄と汗の町ッスけど、ここは金と欲の町ッスから」
「金と欲」
「悪い意味じゃないッスよ」レイヴンは笑った。
「商売の町ってそういうもんッスから」
リィナは納得しきれない顔をしたが、それ以上は言わなかった。
荷車が大通りを進む。
レイヴンは進みながら、視線を細かく動かしていた。
路地の奥に、人が消えていく。表通りには出ない人間が、裏に流れている。荷車の荷が、帳簿に載らない動き方をしている。商会の裏口に、夜でもないのに人の出入りがある。
全部、知っている。
以前来た時から、何も変わっていない。
いや、少し変わっている。規模が大きくなっている。組織的になっている。
「……なるほど、ッスねぇ」
呟いた。
「何ですか」リィナが言った。
「いやぁ、繁盛してるッスねぇと思って」
レイヴンは笑った。
「表も裏も」
リィナは眉を寄せた。
「裏、とは」
「まあ、追い追い分かるッスよ」
レイヴンは荷車を止めた。
大通りから少し外れた場所に、手頃な宿があった。看板には「旅人の宿・マルコ亭」と書かれている。
「今日はここに荷車を止めて、少し町を見て回るッスよ」
「商売ですか」
「それもありますッス」
レイヴンは御者台から降りた。
「それと、情報収集ッス」
「情報収集」リィナは繰り返した。
「何の情報ですか」
「黒衣の組織ッスよ」
リィナは目を細めた。
「……ここに、その組織が関わっているんですか」
「関わってるどころじゃないと思うッスよ」
レイヴンは笑った。
「まあ、確認が必要ッスけどね」
午後、レイヴンは大通りに店を広げた。
魔道具、薬草、日用雑貨。いつも通りの商売だ。しかし今日は少し違う。客との会話が、いつもより長い。世間話が多い。笑い声が多い。
リィナはその様子を、少し離れた場所から見ていた。
レイヴンは客と話しながら、自然に情報を引き出していた。
世間話のように見えて、全て計算されている。話題を誘導して、必要な情報だけを抜き取っている。相手は気づいていない。ただ楽しく話していると思っている。
「……上手いですね」
リィナは小さく呟いた。
感心しているのか、呆れているのか、自分でも分からなかった。
夕方になって、レイヴンが店をたたんだ。
「収穫はありましたか」リィナが聞いた。
「まあまあッスね」レイヴンは言った。
「夜に酒場へ行くッスよ。もう少し詳しい話が聞けそうッスから」
「酒場、ですか」
「情報屋がいるッスよ、行きつけの」
「行きつけ、というのは」リィナは眉を上げた。
「以前来た時からの知り合いですか」
「そうッスよ」レイヴンは笑った。
「信用できる人間ッスよ、一応」
「一応、というのが気になりますが」
「まあ、会えば分かるッスよ」
夜になった。
レイヴンとリィナは、大通りから路地を二本入った場所にある酒場に向かった。
「銀の杯亭」という店だ。看板が煤けている。扉が重い。中に入ると、煙草の煙と酒の匂いが混ざった空気が漂っていた。
客は多い。しかし声が低い。笑い声が少ない。それぞれのテーブルで、それぞれが静かに飲んでいる。
リィナは入った瞬間、背筋が伸びた。
全員ではないが、この中に、まともではない人間が混じっている。目で分かる。職業柄、そういう人間の空気は分かる。
「……レイヴンさん」
「大丈夫ッスよ」レイヴンは小声で言った。
「顔に出さないでくださいッス」
「顔に、出ていますか」
「少しッスね」
リィナは意識して、表情を整えた。
レイヴンは店の奥のテーブルへ向かった。
そこに、一人の男が座っていた。
四十代くらいだろうか。細身で、目が鋭い。安そうな服を着ているが、どこか只者ではない雰囲気がある。グラスを傾けながら、レイヴンを見て、口の端を上げた。
「久しぶりだな、レイ」
「お久しぶりッスよ、セルジュさん」
レイヴンは向かいに座った。リィナも隣に座った。
セルジュはリィナを一瞥した。
「連れができたのか」
「旅の仲間ッスよ」
「珍しいな。お前が人を連れてるのは」
「色々あったッスよ」レイヴンは笑った。
「それより、最近どうッスか。商売は」
「まあな」セルジュはグラスを置いた。
「お前が聞きたいのは商売の話じゃないだろう」
「さすがッスねぇ」
「黒衣の連中のことだろう」
テーブルの空気が、少し変わった。
リィナは表情を変えずに、セルジュを見た。
セルジュは声をさらに低くした。
「最近、この町で動きが活発になっている。黒衣を着た連中が、闇市に金を流し込んでいる。魔道具の密売、魔力石の横流し、禁術の素材取引。全部、奴らが絡んでいる」
「規模は」
「でかい」セルジュは言った。
「以前とは比べものにならない。組織的だ。統率が取れている。上に、優秀な人間がいる」
「……名前は出てるッスか、上の人間の」
セルジュはしばらくレイヴンを見た。
「ゼノ、という名前を聞いたことがあるか」
一瞬だった。
レイヴンの表情が、ほんの少しだけ動いた。
笑顔のままだ。しかしその笑顔の奥に、何かが揺れた。
「……聞いたことがあるッスよ」
静かに言った。
「その名前が、最近になって出てきた」セルジュは続けた。
「直接会った人間はいない。しかし指示だけが来る。金が動く。人が動く。まるで影みたいな人間だ」
「……影、ッスか」
「お前、その人間を知っているのか」
レイヴンは少し間を置いた。
「知ってるッスよ」
笑顔だ。しかしその声が、いつもより少しだけ、重かった。
「……探してるんッスよ、その人を」
セルジュはレイヴンを見た。
長く、静かに。
「……そうか」
それだけ言って、グラスを傾けた。
リィナはレイヴンの横顔を見た。
笑顔だ。いつもの笑顔だ。
しかし目が、遠くを見ていた。
ずっと、何かを追いかけている目だ。
酒場を出ると、夜風が冷たかった。
路地を歩きながら、リィナは口を開いた。
「……セルジュという人は、信用できるんですか」
「できるッスよ」レイヴンは言った。
「嘘をついても得しない人間ッスから」
「情報屋というのは、そういうものですか」
「信用が商売ッスからね」レイヴンは笑った。
「嘘をついたら終わりッスよ、あの商売は」
リィナはしばらく黙って歩いた。
それから、静かに言った。
「……ゼノという名前が出た時、レイヴンさんの顔が変わりました」
「そうッスか」
「気づいていませんでしたか」
「気づいてたッスよ」レイヴンは笑った。
「隠せなかったッスね」
「……やはり、ゼノという人がこの件に関わっているんですか」
レイヴンは少し間を置いた。
「関わってるッスね、たぶん」
「たぶん、というのは」
「まだ確信が持てないッスよ」レイヴンは言った。「だから調べるッスよ、これから」
リィナは頷いた。
「……闇市に潜入するんですか」
「そうッスね」レイヴンは笑った。
「リィナさんは、どうしますか」
「当然、一緒に行きます」
「危ないッスよ」
「知っています」リィナは真っ直ぐに言った。
「それでも行きます」
レイヴンはリィナを見た。
真面目だ。真面目で、不器用で、しかし芯が強い。
「……了解ッスよ」
レイヴンは笑った。
「明日、下見をしてから決めるッスよ。作戦が必要ッスから」
「作戦、ですか」
「闇市は普通に入れるものじゃないッスから」レイヴンは言った。「ツテが必要ッスよ」
「ツテは、あるんですか」
「セルジュさんに頼むッスよ」レイヴンは笑った。「あの人、闇市にも顔が利くッスから」
「……さっき言っていた、信用できる人間というのは、そういう意味でしたか」
「そういう意味ッスよ」
リィナは小さく息をついた。
「……一応、というのも納得しました」
「でしょう」レイヴンは笑った。
二人は夜の路地を歩いた。
荷車の方へ向かいながら、レイヴンは空を見上げた。
星が出ていた。
ゼノ、と心の中で呼んだ。
あなたは今、ここにいるんッスか。
返事はなかった。
いつもそうだ。
レイヴンは視線を前に戻した。
明日から、本格的に動く。
闇市の奥に、何があるか。
黒衣の組織の資金源の正体が、ここにある。
「さて」
呟いた。
「どうなるッスかねぇ」
グラディウスの耳が、荷車の方でぴくりと動いた。
【次話予告】
闇市への潜入準備が始まる。セルジュの手引きで闇市への入口を掴んだレイヴンとリィナ。しかし闇市の奥には、想像以上の規模の取引が行われていた。




