第十話「闇市」
翌朝、レイヴンは早めに動いた。
マルコ亭を出て、銀の杯亭へ向かった。
昼前の酒場は空いていた。セルジュは昨夜と同じテーブルに座っていた。グラスを傾けながら、レイヴンを見て、小さく笑った。
「来ると思っていた」
「読まれてるッスねぇ」レイヴンは向かいに座った。「頼みがあるッスよ、セルジュさん」
「闇市への入口か」
「さすがッスよ」
「断る理由がない」セルジュは言った。
「ただし条件がある」
「どうぞッス」
「俺の名前を出すな。関わったことも言うな」セルジュはグラスを置いた。
「俺はお前に会っていない。それだけだ」
「了解ッスよ」
セルジュはテーブルの上に、小さな紙切れを置いた。
「今夜、大通りから東に三本目の路地。突き当たりの倉庫の裏口だ。合言葉は”銀の月”」
「毎度ありッス」
レイヴンは紙切れを取った。
セルジュはもう一度グラスを傾けた。
「……気をつけろ」
低い声で言った。
「最近、あそこの連中は様子がおかしい。金の動きが急に大きくなっている。上から何か指示が来ているんだろう」
「上から、ッスか」
「ああ」セルジュは言った。
「ゼノとかいう人間から、な」
レイヴンは表情を変えなかった。
「……情報、感謝ッスよ」
「代金は次の魔道具でいい」セルジュは笑った。
「お前の作るものは、よく売れるからな」
宿に戻ると、リィナが待っていた。
「話はつきましたか」
「つきましたッス」レイヴンは言った。
「今夜、潜入ッスよ」
「分かりました」リィナは頷いた。「準備します」
「その前に」レイヴンは荷車の方へ向かった。
「こっちに来てくださいッス」
荷車の中に入った。作業台の引き出しを開けて、いくつかの道具を取り出した。
まず、サングラス風の眼鏡が二つ。細いフレームに、濃い色のレンズ。一見するとただの装飾品に見える。
次に、細長い革のケースを二つ。
「これは」リィナが眼鏡を手に取った。
「暗閾鏡ッスよ」レイヴンは言った。「自作品ッス。説明した通り、見る人によって顔の見え方が変わるッス。ワタシのには魔力制御機能もついてるッスよ」
「あなたのだけ、機能が違うんですか」
「リミットグラスの代わりッスから」レイヴンは笑った。「かけてみてくださいッス」
リィナはかけた。
「……見え方は変わらないですね」
「かける側には変化はないッスよ」レイヴンは言った。「効果は見る側に出るッス」
次にレイヴンは自分の暗閾鏡をかけた。
リィナは思わず二度見した。
「……誰ですか」
「レイヴンッスよ」
「でも……」リィナはレイヴンを見た。
「そう見えません」
「説明した通りでしょう?」レイヴンは笑った。
リィナは少し間を置いた。
「……説明と実物では、全然違います」
「まあ、そうッスね」
レイヴンは次に、革のケースをリィナに渡した。
「これは何ですか」リィナが開いた。
中に、折り畳み式の刃が入っていた。全長は手のひらほどだ。折り畳むと細長い棒になる。展開すると短刀になる。刃に、細かい魔法陣が刻まれている。
「折り畳み式の護身刃ッスよ」レイヴンは言った。「自作品ッス。展開すると短刀になるッスよ。今夜は剣は置いていくッスから、これを隠し持っててくださいッス」
「剣を置いていくんですか」
「闇市に剣を持ち込んだら目立つッスよ」レイヴンは言った。「それにここは潜入ッスから、戦闘は極力避けたいッスよ」
リィナは折り畳み式の刃を手に取った。
展開した。かちりと音がして、短刀の形になった。軽い。しかししっかりとした重さがある。
「……使いやすいですね」
「そのために作ったッスから」レイヴンは笑った。「魔力を流すと切れ味が上がるッスよ」
「あなたは本当に、なんなんですか」
「商人ッスよ」レイヴンは笑った。
「さて、着替えてくださいッス。鎧は今日は置いていくッスよ」
日が落ちた頃、二人は宿を出た。
リィナは商人風の服装だった。動きやすい上着に、落ち着いた色の外套。暗閾鏡をかけている。鎧を脱いだだけで、印象が大きく変わった。
レイヴンは暗閾鏡をかけていた。
リィナはその顔を見て、また思わず二度見した。
「……やはり、誰か分からないですね」
「効いてるッスね」レイヴンは満足そうに言った。
「慣れません」
「慣れなくていいッスよ」レイヴンは笑った。
「慣れたら意味がないッスから」
「グラディウス、留守番頼むッス」
グラディウスの耳がぴくりと動いた。不満そうだった。
「今回は連れていけないッスよ」レイヴンは言った。「目立つッスから」
グラディウスはしばらくレイヴンを見て、それから荷車の中に入っていった。
尻尾が、少ししょんぼりしていた。
大通りから東に三本目の路地を進んだ。
夜の路地は暗い。魔力灯が少ない。意図的に暗くしているのだろう。足元が見えにくい。
リィナは自然に警戒モードになった。
突き当たりに、古びた倉庫があった。裏口に、大柄な男が二人立っていた。腕を組んで、こちらを見ている。
レイヴンは臆することなく近づいた。
「銀の月」
男たちは顔を見合わせた。
一人が無言で扉を開けた。
中は、広かった。
倉庫の内部が、そのまま市場になっていた。
薄暗い照明の下、ずらりと露店が並んでいる。しかしここに並んでいるものは、表の市場とは全く違う。
魔力石が、箱ごと積まれている。正規のルートでは流通しないはずのものだ。禁術に使われる素材が、堂々と売られている。魔物の部位、古代の魔導書、出所の分からない魔道具。
リィナは歩きながら、視線を細かく動かした。
胃が重くなった。
これだけの量が、裏で動いている。表の市場の何倍もの金が、ここで動いている。
「……ひどいですね」
リィナは小声で言った。
「ここはまだましッスよ」レイヴンも小声で返した。「奥に行くほど、えぐくなるッスから」
「奥、とは」
「後でッスよ」
二人は露店を冷やかしながら、奥へ進んだ。
レイヴンは歩きながら、商品を眺めていた。目が自然に情報を拾っている。素材の質、魔力石の産地、魔導書の年代。全部、把握している。
そして、あるものが目に留まった。
魔力石だ。
普通の魔力石ではない。表面に、細かい術式が刻まれている。ただの魔力石に見せかけて、中に別の機能が組み込まれている。
「……なるほど、ッスねぇ」
レイヴンは呟いた。
「何ですか」リィナが聞いた。
「あの魔力石」レイヴンは視線だけで示した。
「普通じゃないッスよ。術式が刻まれてる。追跡か、通信か……どちらかの用途ッスね」
「追跡、というのは」
「誰かが、あの石の動きを追っているッスよ」レイヴンは言った。「売れた先を把握できる。組織が資金の流れを管理しているってことッスよ」
リィナは魔力石を見た。
一見するとただの石だ。しかしその中に、精巧な術式が仕込まれている。
「……用意周到ですね」
「ゼノさんらしいッスよ」レイヴンは静かに言った。「丁寧で、正確で、無駄がない」
さらに奥へ進んだ。
薄暗い一角に、別の取引が行われていた。
箱が積まれている。大きな木箱だ。しかしその箱から、かすかな魔力反応が出ている。
リィナは足を止めた。
嫌な予感がした。
「……レイヴンさん」
「見ないでくださいッス」レイヴンは小声で言った。「気づいてないふりをしてくださいッス」
「あの箱の中は」
「禁術の素材ッスよ」レイヴンは静かに言った。
「人由来の、ッスね」
リィナの体が、固まった。
人由来。
その言葉の意味を、頭が処理した。
目の前の箱の中に、何が入っているのか。
「……っ」
体が動こうとした。
手が護身刃に伸びた。
レイヴンがリィナの手首を掴んだ。
静かに、しかし確実に。
「リィナさん」
低い声で言った。
「離してください」リィナは小声で言った。声が震えていた。「あの箱の中に」
「分かってるッスよ」
「なら」
「今じゃないッスよ」レイヴンは言った。
「今動いたら、全部終わりッスよ」
「でも」
「ここで騒いだら、組織全体に気づかれる」レイヴンは続けた。「証拠も、資金源も、全部消される。助けられるものも、助けられなくなるッスよ」
リィナは動きを止めた。
レイヴンの言葉が、頭の中で反響した。
今じゃない。
今動いたら、全部終わる。
リィナは歯を食いしばった。
手を、下ろした。
「……分かりました」
声が、低かった。
「後で、必ず」リィナは言った。「必ず、ここを潰します」
「潰すッスよ」レイヴンは静かに言った。「ちゃんと、根本から」
一番奥まで進んだ。
そこに、小部屋があった。扉が閉まっている。中から、複数の声が聞こえる。取引の話をしている。
レイヴンは扉の前に立った。
声に耳をすませた。
断片的に、言葉が聞こえた。
「……次の荷は王都経由で」
「ギルバート様の指示で」
「ゼノ様からの資金は」
レイヴンは目を細めた。
ギルバート。
巨大商会の頭取。この町で最も力を持つ人間。
そしてゼノの名前が、また出た。
「……繋がってるッスか」
呟いた。
笑顔ではなかった。
ただ、静かに、確信した。
この町の闇市は、ギルバートが動かしている。そしてその上に、ゼノがいる。
資金源が、見えた。
闇市を出たのは、夜半近くだった。
路地に出て、二人は無言で歩いた。
しばらくして、リィナが口を開いた。
「……あの箱の中身は」
「後で、ちゃんと対処するッスよ」レイヴンは言った。「今夜分かったことを整理してから、動くッスよ」
「ギルバートという人物が、組織の資金を動かしているということですか」
「そうッスね」レイヴンは言った。「ゼノさんの上から指示が来て、ギルバートが動かしている。メイセキの術式も、この闇市の金で動いていた可能性が高いッスよ」
リィナは歩きながら、こぶしを握った。
「……許せないですね」
「そうッスね」
「レイヴンさんは、怒らないんですか」
レイヴンは少し間を置いた。
「怒ってるッスよ」
静かに言った。
「ただ、怒りで動いたら負けッスから」
リィナはレイヴンを見た。
笑顔だ。いつもの笑顔だ。
しかしその目の奥に、冷たい何かが宿っていた。
怒りだ、とリィナは思った。
ただ、それをきちんと制御している。
「……次はギルバートと会うんですか」
「そうッスね」レイヴンは笑った。「狡猾な人間ッスから、正面からいっても無駄ッスよ。少し考えるッスよ、やり方を」
「策がありますか」
「なんとなく、ッスよ」
リィナは小さく息をついた。
「……その”なんとなく”が、一番怖いです」
「褒め言葉として受け取っておくッス」
二人は夜の路地を歩いた。
荷車の方へ向かいながら、レイヴンは空を見上げた。
星が出ていた。
ゼノ、と心の中で呼んだ。
あなたの計画の輪郭が、少しずつ見えてきたッスよ。
返事はなかった。
レイヴンは視線を前に戻した。
「さて」
呟いた。
「次はギルバートッスか」
グラディウスが荷車の窓から顔を出して、こちらを見ていた。
耳が、心配そうに動いていた。
【次話予告】
ギルバート・クロウとの接触。狡猾な商会頭取との頭脳戦が始まる。レイヴンはどんな手でギルバートに近づくのか。そしてリィナは裏社会のやり方に、どこまで付き合えるのか。




