14-8
昼過ぎまで続いた大雨は、まるで嘘のように空を橙色に塗り替えた。
その橙色の上には、ゆっくりと夜色が迫っている。
ツヤハタキリコは、窓越しに映る自身の見慣れない姿をみた。
目の前に映る姿は確かに自分自身ではあるが、己の年齢よりも10歳以上は若い見慣れぬ顔に戸惑いを隠せず、誰かへ転生したかのような、不思議な感覚が付き纏っていた。
大きくなった目元にそっと手をやると、自身を呼ぶ声が聞こえた。
「間もなく出発ですよ」
今宮修平からロンドン行きの搭乗券を受け取ると、搭乗券に記載された「蜷川椿」の文字をまじまじと見た。
「ツバキさん、いえ、ここを発つまではキリコさんと呼ばせてください。間も無くお別れになりますが、キリコさんの生活環境が落ち着いて、そして研究が軌道に乗った頃、僕に連絡をください。新境地で活躍するキリコさんに会えるのを楽しみにしています」
「善太さ・・いえ、今はまだ修平さんで良いわね。これまで色々と、本当にありがとう」
艶端霧子改め蜷川椿は深々とお辞儀をした。そして、今宮修平から小暮善太に生まれ変わった人物の左腕を見た。
「せっかく生まれ変わるのに、傷痕はそのまま残すのね・・・」
「これは唯一、両親と繋がれる思い出ですので」
今宮修平は笑ってみせるが、その表情はどこか悲しげだった。
肘付近にはっきりと残る傷跡は彼が小学校時代、兄から受けた拷問の痕だ。
これ以外にも、彼の肉体には数箇所の古傷が残る。
両親と3人で同じ箇所に受けた深い切り傷の痕を、修平は治療せずあえて残したのだ。
修平は自身の左腕にそっと触れると、これまでの過去を振り返った。
ーー今宮修平を名乗る以前の名は、堀田大河だった。
堀田大河は小学校低学年の頃から、兄による両親への暴力を見てきた。
両親が骨折するほどの痛みを与えられると、これ以上痛めつけると生活が成り立たないからと、矛先は大河へと変わった。
大河の顔は赤く腫れ上がったが、両親はそれをそばで静観した。
兄による家庭内暴力の頻度は減ったが、外で隠れて暴れているのだろうと大河は推測していた。
近所で猫の死体が発見され、近隣住民が騒ぎ始めたことで、推測は確信へと変わった。
兄は機嫌が悪いと、家を出る気配が無かったため、大河は隠れた。
隠れたところで、どうせ見つかって叩かれて殴られるのは間違いないが、それでも押し入れや庭の物入れなど、暗闇に息を潜めて怯えた。
そうやって息を潜めていても、両親の苦痛や悲鳴は小さく耳に届いた。
その間、大河は苦しみに耐えるため、何も考えないように努めた。
ジクジクと疼く左腕を、右手で優しく撫でながら。
小学校高学年の年に、両親が姿を消した。
深夜になっても戻ってこないため、着の身着の儘で探し回った。
遠くでサイレンの音がしたのでそこへ向かうと、海岸沿いに人が溢れていた。
小さな身を屈めて大人達を潜り抜けると、ずぶ濡れの両親が海から運び出されているところだった。
悲しみより、置いてきぼりの悔しさと孤独で心がいっぱいになった。
両親が死んで以降、大河は施設で過ごすこととなった。
周囲は暖かく、腹いっぱい食べて怯えることなく寝床に就けた。
しかし大河の感情は次第に鈍くなり、四六時中、兄をいかにして殺めるか計画を立て始めた。
具体的な計画が定まった頃、兄に逮捕状が出た。
そしてしばらくすると、死刑判決が下された。
願ってもない出来事に、大河の心は幸せで満たされた。
兄の行動に、国が死に値すると判断したことに対し、感謝してもしきれない大河は、神とも言えるその存在を知りたくなった。
そして、自分なりに恩返しをしようと決意したーー
「キリコさん、これからは自分自身を大切にして、生きてください」
「そうね。霧子にはしばらく寝てもらって、第二の人生を上手く迎えられた頃、彼女を起こしてしてあげるわ」
キリコは小さく頷くと、自身の肩を優しくさすった。
艶端霧子最高裁判所長官は、法を犯す行為を許さない、犯す者は悪とみる人間であった。
しかし、霧子の奥に眠るキリコは、真実を知るためなら法を犯してでも、その真実に辿り着くべきという考えを持った人間であった。
キリコは霧子の手法に限界があると悟ると、霧子を心の奥深くに仕舞い込み、霧子に代わって、さまざまな手段で事件の真相に迫った。
時には犯人である確信を掴むため、扮装して犯人に近い人物への接触を試み、金を積み、確実な証拠と殺人犯である真相を掴んできた。
かなり危険な行動と駆け引きをしてきたが、その甲斐あって、法廷では迷いなく鉄槌を下すことができた。
事件の真相を知っているからこそ、毅然と審判を下すことができ、誇り高き艶端霧子でいられた。
そして、その霧子を支えたのは他ならぬキリコである。
「霧子は正義感に溢れているけど、法に抵触する行為まではできないからね。裏方の私が頑張ってきたけど、もうこの仕事に飽きてきたし、次の人生楽しませてもらうわ。ところで、あの動画配信、あそこまでしなくても良かったのに」
「何度も言いますけど、あれは僕じゃないですよ!霧子さんが誘拐されたように見せかけるため、プロへ拉致を依頼したのは事実ですが。色々考えたんですが、これは霧子さんの信者が行った可能性はありませんか?キリコさんなら、裏社会との繋がりもあるだろうし、その関係で今回の計画が漏れたんじゃないですか?きっとその方は、今回の件を汲んでキリコさんが本当にこの世からいなくなったことを、世間のクズどもに知らしめようと思ったんですよ」
修平が言い訳する子供のようにブツブ呟くと、キリコは声に出して笑った。
笑い終える直前、遠くからこちらを見る人物がキリコに向かって歩み始めた。
「艶端長官」
キリコは一瞬、大きく目を見開いたが、すぐさま元の表情に戻った。
「何しにきたの?事情聴取?」
「いいえ、私は何も証拠を持っていません。ただその・・・2人が旅立つ前に、少しお話しがしたくて・・・。ツヤハタ長官、もう1人の艶端長官に今回の件、了承を得て計画に至ったんですか?」
顔は整形し身分も生まれ変わったのに、迷いなく艶端、いやツヤハタへ問う時点で全てを悟られた、と怯むが、彼が警察側の人間には到底思えない。
ツヤハタは割り切ったように、口角を上げた。




