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14-2

「はい、いいですよー。このままゆーっくり、上体を起こしてくださーい」

インストラクターの今宮修平(いまみやしゅうへい)が、心地よい発声と共に上体を起した。

今宮に続いて、艶端と伊是、そして紺野がシーリングファンの掛かった天井に向かって上体を起こすと、その後に続いて紺野がゆっくりと態勢を整えた。


「今宮先生ー、久しぶりのピラティスだから体がついていけないわぁ。先生の支えがないと私倒れちゃうかもぉー♡」

紺野が笑顔で倒れそうな仕草を見せた。


「あら、そう?口調はいつも通り棘を含んでいて絶好調そうだし、ティラピスでもボディビルでもなんでも出来そうに見えるわよ?」伊是がすかさず茶々を入れた。

艶端は2人の掛け合いに笑いながら、鏡に映る自身を見て姿勢を正した。


バランスよく筋肉が施された今宮の肉体美と、ガラス張りの背景に映る東京のビル、そしてこの国を象徴する赤いタワーを交互に見る。


本日は晴天で、ビルの景色とその奥に映る緑地が絶妙なコントラストを作り出し、艶端の目を楽しませた。

少しハードめに盛り込まれたティラピスメニューだが、還暦を過ぎた3人にとってはこのメニューが程よい体感で、全身から噴き出す汗と共に日頃のストレスも流し出してくれる気分だ。

最上階付近に設けられた貸切のスタジオは、昭和の時代から日本を牽引してきた3人の女性を快適にさせた。


前半のトレーニングを終えると20分間の休憩に入り、艶端は持参した真っ赤なタオルで首筋の汗を拭いながら、スタジオの外にあるお手洗いに向かった。

お手洗いの個室から出ると艶端は手を洗い、ポーチを取り出した。

化粧直しがてら目元の人工まつ毛を撫でていると、お手洗いの入り口付近からカタカタ、と音がした。




「霧ちゃん、どこ行ったのかしら」

「もうタバコもずっと前にやめたし、まだお手洗いのパウダールームにいるんじゃない?先生、私霧ちゃんの様子見てくるから少し待ってね」



伊是が室内から出ると、数メートル先にSPが立っていた。

スタジオ内のウッドムスク漂う和やかな空間から一変、厳つさを秘めたスーツ姿で伊是の視界が溢れる。


「艶端先生、どこいったかしら」

伊是が眉間に深く皺が刻まれた目の前のSPに尋ねた。


「艶端長官は、奥のお手洗いにいらっしゃいます」

伊是はSPの伸ばした腕の方面に向かって歩いた。


「霧ちゃーん」

伊是の声が広々としたお手洗い室に響く。艶端からの返答はなく、室内にうっすらと流れるクラシック音楽だけが伊是の耳に入り込んだ。

全ての個室と奥側に設置されたパウダールームを隈なく見るも、艶端の姿はなかった。





ケイにいきなり背中を叩かれて、夢の中で苺ショートケーキを食べ損ねた明人は、状況を把握できないまま、ビルの最上階付近へと急かされた。

休憩時間はあと20分以上もあるが、ケイの形相を見るに、今はそれを主張する雰囲気ではなさそうだ。


エレベーターが開くと、厳ついSPらが血眼になり、何かの捜索にあたっている様子だ。

とても声をかけられる雰囲気ではない。


日本の最高裁判官とその友人が何事もなく休日を過ごせるようにサポートする、という名目ではSPと同じ目標かもしれないが、この状況下にあっては話が違う。

アウェイさ以外何も感じられず、のほほんと立ち尽くす明人の腕を、ケイがエレベーターから引っ張り出す。

「おい明人、こっちだ。ちゃんと前を向け!」


ケイに腕を捕まれるがまま小走りでたどり着いた室内は、東京を一望できる絶景と、アシッドジャズ、そして穏やかな森を彷彿させる香りが漂う空間だった。

壁一枚向こう側のピリついたムードが嘘のようだ。

ここなら苺ショートケーキの続きを見られる。


「いい眺めだな」

その声で、明人の頭の中の苺ショートケーキは消失した。

壁一枚向こう側の世界がよく似合う班長が、いつの間にか明人の真向かいに立っていた。

班長と「東京」の絶景が重なると、一枚絵を見ているようで思わず『おぉ』と感嘆しそうになったが、明人はその声をグッと堪えた。


我に帰り、班長とケイを交互に見るが、2人ともこちらを見ているだけで何も発言しない。


「??・・あの、何かあったんですか・・・?」

「お前、ケイから何も聴いてないのか?」

「あ、やべ、エレベーター内で話すつもりだったが無線機の会話聴きとるのに夢中で説明してなかった」

ケイが顔の目の前で両手をあわせて『すまん』の顔をして見せた。


「艶端長官が行方不明だ。SP含め、先ほどから警察も捜索にあたっている」

「え!」間の抜けた明人の声が、こじゃれた空間に響く。


「どのタイミングで行方が分からなくなったんですか?!」

「エクササイズの途中で休憩が入り、その休憩中に姿を消した」

明人は3人しかいない空間を念の為ぐるっと見渡し、声のトーンを下げて質問を続ける。


「SPが艶端長官を警護していたんじゃ・・・」

「トイレに行ったきり、戻って来なくて大騒ぎしているんだ」

ケイの目つきが鋭くなると、晴天の光を取り込み虹彩が鮮やかになった。


「あいにく、トイレ内まで警戒する必要はないと判断したみたいだ。長官本人も、今日は休日だし、どこまでも見張られるのは嫌だとSP側に伝えていたそうだ。今回は貸切のエクササイズ教室で、この前後の階は関係者以外立ち入り禁止にしたわけだし、決して任務を怠ったわけではない。ただ・・」

ケイの端正な表情が曇る。


「今日は艶端長官が、死刑判決を言い渡した男の死刑執行から、ちょうど3年が経つ日だ」

言葉を詰まらせたケイに代わり、班長が淡々と話した。


ケイは上に強く申し出て、灯凜と野希羽を艶端長官に同行させていれば、と『たられば』をこぼした。

その途中、明人は2人の熱い眼差しに気づいた。


「・・・え?」

「どうだ、明人。頭は、痛くないか?」

明人はその一言で、自身が最上階付近の素敵な空間に連れてこられた意味を理解した。

決して苺ショートケーキを食べる夢の続きを見せるためではない。


明人は意識して呼吸をすると、ゆっくり室内を見渡した。

室内は相変わらず、心地の良い音楽と香りに包まれていた。

緊張感がないせいか、明人の頭はクリアだった。

「・・・すいません」



班長が躊躇なく女子お手洗いに入った。

この場に灯凜がいたら、間違いなく班長を白い目で見ていただろう。

班長に続き、ケイと明人は気持ち一礼して中に入った。

スタジオ内同様、心地良さが漂っている。

言われなければ、ここがトイレと気づかないくらいだ。


「普通に考えれば、喧騒とかけ離れたこの階で、お偉いさんを拉致するのって無理な話っすよね」

ケイが思うがまま班長と明人に言葉を向けた。

ケイの言葉に対して返す言葉が見つからず、少しの間、3人は囁くように流れるクラッシックに耳を澄ませるしかなかった。


「・・・艶端長官自身が、どこか別の階へ向かったタイミングで、何かに巻き込まれたってことは考えられませんか?」

自信なさげに明人が発言する。


「エクササイズの途中でどこかへ行くって、よっぽどの事情がない限り、考えられないんじゃないか?何のためのSPだよ」

ケイが呆れた様子で明人に答えると、3人の頭上で再びクラシックが流れた。


空気を一変するかのように班長のスマホが鳴ると、2人は班長の声とその向こう側の声に耳を傾けた。

「・・・分かった」

班長が耳元からスマホを離すと、顔を2人に向けた。


「蘇野原からだ。長官がトイレを利用している最中に清掃員1名が掃除用具を持って入って来たが、数分で出てきたそうだ。警察はSPから連絡が入った当初からこの清掃員の行方を追っていて、現在山本が周囲の防犯カメラで清掃員の追跡をしている」


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