第五話 いじめ?(その2)
それから一週間後のこと。
朝、出勤してきたばかりの官僚Aが騒いでいた。
「あれ?堤防工事の決裁書、知らないか?今日の午後、グリーン様が取りにくる予定なんだ。確かに昨日作成した後、主任に最終確認してもらって、保管棚に仕舞ったんだけど?」
そこへ同期のBもやってきた。
「俺、知らないぞ?」
「どうしよう!あれの決裁、殿下がするんだ。できないと堤防工事が遅延して、住民にも被害が出るかもしれない!」
「もれなく、殿下のブリザードがお前に吹くな」
「それだけは嫌だ!」
2人でうんうん唸っていると、デボラが出勤してきた。
「あら、おはよう。どうしたの?朝から騒がしいわよ」
「おはようございます、デボラさん。堤防工事の決裁書、知りませんか?」
「えっ?知らないけど?」
デボラは少しほくそ笑んだように見えた。
その頃、王太子の執務室。
エリオットはルイーゼに声をかけた。
「ルイーゼ、あの堤防工事の決裁書って、そろそろあがる?」
「はい、本日15時に取りに伺う予定です」
「早めに決裁したいから、ちょっと前倒しで貰いに行ってもらえる?13時くらいまでにもらえると助かるんだけど?」
「かしこまりました。午前中に確認しに行って参ります」
ルイーゼが総務部に向かうと、総務部では大騒ぎになっていた。すると、官僚Aがルイーゼに気づいた。
「グリーン様っ?!」
そう言うが早いか、総務部の主任がすっ飛んで来た。Aの頭をガッと持って無理やり下げ、自分も深々と頭を下げて謝罪した。
「大変申し訳ありません!昨日確かに私が確認し、彼に渡したのですが、今朝からご依頼の決裁書が見つからず……。今、部内総動員で探しております!」
ルイーゼは思わず目を丸くして、頭を下げる総務部の2人を見た。
「えっ?決裁書がないのですか!?」
ルイーゼが周りを見渡すと、総務部のスタッフがありとあらゆる所を探し回っていた。
しかし、デボラは書類を探すふりをして、1人自分の机から動かないでいた。
(もう来たのね、ルイーゼ・グリーン。予定より早いじゃない…。)
デボラは口元を引き締め、何事もないように書類を探すふりをした。
ルイーゼは顎に手を添えて考え始めた。
「皆様、一度落ち着いてください。まずは最後に書類を確認されたのはどなたでしょう?」
ルイーゼの問いに、主任がおずおずと進み出て答えた。
「私とAです。昨日の午前中に内容を確認して問題なかったので、Aに保管棚へしまうようにいいました。彼が棚へしまっているところを私も見ています」
「なるほど、ではその保管棚は鍵などかかっていましたか?」
「はい、終業後に私が鍵をかけて帰りますから」
「では、始業中はどなたでも出し入れは可能なのですね」
「そうですね」
ルイーゼは再び考えながら、口を開いた。
「では朝、主任さんが保管棚の鍵を開けたんですね」
「はい、そうです。私は用事があり、開けてすぐ席を外しました。その後、Aが騒ぎ出して紛失が判明しました」
「ふむ、では昨日書類をしまったあとから今朝Aさんが確認するまでに、保管棚に近づいた方はどなたですか?」
ルイーゼは深緑の瞳で、ぐるっと総務部内を見渡した。
すると、デボラが憤慨して反論した。
「あなた、総務の人間を疑ってるの?!」
「疑っているのではありません。どなたかが保管棚に行き、間違って持っていった可能性を考えているのです。それとも誰かが故意に失くしたと、あなたはそう仰るんですか?」
ルイーゼの冷静な返しに、デボラはうろたえて、ジャケットのポケットに手をかけた。そのポケットからは、ハンカチが少しはみ出て見えた。
「そっ、そんなこと思ってるわけないでしょ!あなたの言い方が悪いのよ!」
「それは失礼いたしました」
ルイーゼは動揺することなく、淡々と言葉を返しながら、デボラを見ていた。
その後、おずおずと名乗り出たのは、Aの同期のBだった。
「俺、昨日Aが書類をしまったあと、棚から財務部に出す別の書類を出しました。先ほど財務部にも確認してきましたが、混ざったりはしてないようです」
次にCが名乗り出てきた。
「私はBが財務部に行った後、人事部から書類を預かって棚にしまいましたが、取り出したりはしてません」
ルイーゼは、頷きながら質問を返す。
「その際に変わったことは?」
「いや、特には。その後は主任が鍵をかけるまで誰も触ってないと思います」
ルイーゼは、チラッと時計を見た。その時点で時計の針は、すでに10時を過ぎていた。
「困りましたね。決裁を急がなければならないのですが」
デボラはその様子を見て、ほくそ笑んだ。
(ふふ、困ってるわね。そのまま報告して殿下からの信頼を落とすがいいわ。)
ルイーゼは、Aと主任に向き直った。
「申し訳ありませんが、書類の再作成をお願いできますか?本日の13時までに。決裁を急いでおりまして」
「「かしこまりました!」」
主任とAは即座に対応しようとしたが、それにデボラが待ったをかけた。
「ちょっと待ってください!いくらなんでも無茶です!他にも仕事はたくさんあるんですよ!それにA、あなた今日の13時締切の案件まだでしょう」
「デボラくん、やめないか!こちらの不手際なのに」
しかし、Aは取り乱して慌て始めた。
「そうだ!まだ終わってないんだった。どうしよう」
デボラは腕組みをして、勝ち誇ったように言った。
「ほら、どうするんです?一度執務室へ戻って指示を仰いだらどうなんです?」
ルイーゼは一瞬デボラの言葉に違和感を覚えたが、再び顎に手を添えて考え始めた。
「では私がお手伝いいたします。記憶力には自信がありますので、資料をいただければ、要約してお渡しできます。作成の時間短縮になるでしょう。決裁書類もそちらの案件も締め切りに間に合うのでは?」
「なっ何言って…」
主任は、まだ反論しようとするデボラを遮ると、目を輝かせて頭を下げて頼み込んだ。
「たいっへん申し訳ないのですが、お願いしてもよろしいでしょうか!!」
「私からもお願いいたします!」
Aも同時に頭を下げてきた。
ルイーゼは深緑の瞳を光らせ、覚悟の決まった顔で頷いた。
そこからは怒涛の勢いだった。ルイーゼはAから借りた書類を片っ端から読み込み、必要な情報を書き上げていく。その間にAが決裁書類のひな形を作成し、ルイーゼがピックアップした情報を書き入れていく。
さらに、ルイーゼは、Aの資料作成も行なっていく。同じように、資料を片っ端から読み込み、必要な情報を書き上げ、整理していく。
こうして、お昼休憩を返上で13時には書類が仕上がった。
「ありがとうございました。こちら確かにお預かりいたしましたので。」
ルイーゼはお礼を伝えて、踵を返そうとしたが、ふと思い立ってAに問いかけた。
「そういえば、皆さんがお昼休憩される時は、棚の鍵はどうされるんですか?」
「ああ、全員不在になる時は鍵をかけるんですが、昨日はデボラさんがまだ作業されてたんで、そのままでしたよ。誰かが残るときはその方に鍵をお願いしてました」
「なるほど、ありがとうございます」
お礼を言って足早に去るルイーゼを、Aは不思議に思いながら見送っていた。
執務室へ戻ったルイーゼは、セドリックに決裁書類を確認してもらった。
「はい、こちらで問題ないですね。殿下に決裁していただきますね」
「ありがとうございます。では私はもう一度総務部に行って参ります」
「えっ?ルイーゼ様??お昼まだでは?」
セドリックが困惑するなか、ルイーゼは踵を返すとそのまま総務部へと向かって行った。その深緑の瞳は、真っ直ぐ前を向いていた。
その頃、デボラは悔しげにポケットの中身をグシャっと握りつぶした。
(ちっ、また失敗したわ。しかも自分の能力を見せびらかして、嫌な女!今度こそ、あいつの評価を落としてやるわ。)
ルイーゼはスタスタと総務部まで来ると、まっすぐにデボラの元へ向かった。
デボラの元まで来たルイーゼは、デボラがポケットに慌てて隠そうとした手を掴んだ。
「なっ!何するのよ!」
「今、そのポケットにしまったもの、見せていただけます?」
「何よ?何もないわよっ!」
ぐぐっと手に力を入れるルイーゼ。
「いっ!」
ルイーゼは、その何かをデボラの手ごと抜き出した。その手からハラリと何かが落ちた。それは、彼女のハンカチに包まれた何かの書類だった。
ルイーゼが落ちたハンカチと書類を拾い上げると、ぐしゃぐしゃになった書類を広げて見せた。
昼ごはんを頬張っていたAは、それを見ると思わず立ち上がって叫んだ。
「あっ!それ!俺が最初に作ったやつ!」
「何だって?」
Aの声を聞いた Bも集まってきた。
Bは、ルイーゼからぐしゃぐしゃになった紙を受け取って確認した。
「本当だ。ぐしゃぐしゃだけど、Aの署名だなこれ。なくなった決裁書類に間違いない」
ルイーゼはデボラに向き直ると話し始めた。
「以前あなたは、私のポケットからハンカチがはみ出ているのを指摘してくださいましたよね。あれほど私の身だしなみを気にされていた方が、今日はポケットからハンカチをはみ出させている。おかしくはありませんか?」
「そんなのたまたまでしょ?」
「いえ、毎回あなたは完璧でした。でも今朝は違いました。しかも、書類の話が出るたび、あなたはポケットを気にする仕草をしていた」
「そんなのあなたの気のせいでしょっ!」
デボラは焦って反論する。
しかし、ルイーゼは焦ることなく、続けた。
「では、なぜあなたのポケットから、なくなった書類が出てきたんですか?あなたの知らない間に、誰かが書類を突っ込んだとでも?あなたの着ている制服のポケットに。しかもわざわざハンカチの中に?」
デボラは忌々し気にルイーゼをにらみ返した。
「私がジャケットを脱いで置いておいた隙に、誰かが入れたかもしれないじゃない!」
「いいえ、書類を隠したのはあなたです。なぜあなたは書類が見つからなかったとき、執務室に戻れとおっしゃったんですか?確かに私は王太子付き秘書官です。でも、なぜ殿下の決裁が必要な書類だと知っていたのですか?」
それに反応したのは、デボラではなく、Aだった。
「確かに書類がないってわかった時、殿下の決裁が必要だって言ったけど、デボラさんまだ来てなかったよな?」
その言葉に Bも頷く。
「確かに。決裁って言っても大臣がする場合もあるし、各部の部長がする場合もある。今回のは規模の大きな工事だから、殿下の管轄になったんだっけ?」
騒ぎを聞きつけてやって来た主任も、同意した。
「そうだ。だから、誰が決裁するかは途中まで不明だったはずだ。私がした最終の確認が終わるまでは」
ここまでを聞いたルイーゼは確信をもって、デボラに告げた。
「つまり、作成した方と最終確認をされた主任さん、お二人しかわからなかったわけです。あとは書類の中身を見た方、以外は」
デボラは焦りながらもなおも反論する。
(まだよ。まだ何か突破口があるはずよ)
「でも私以外の誰でもあの保管棚は開けられたのよ。なぜ私だっていうの?」
「おや、お忘れですか?昨日あの決裁書が棚に入れられたのは午前中。その後、 BさんやCさんが棚から書類の出し入れを行いましたが、他には誰も触れていないとのこと。ではいつどなたが棚の中の書類を出せたのでしょうか?」
淡々と話すルイーゼに、なぜか場が凍っていくような感じがした。
デボラの背中に冷や汗が流れた。
ルイーゼはさらに淡々と状況を整理し、説明していく。
「先ほどAさんに確認したところ、お昼休みには必ず保管棚は施錠されるそうですね」
それを受け、主任が頷いた。
「はい。いつも皆が不在になるお昼時は、施錠していました。ただ、誰かが残って仕事をする際やここでお昼を食べる時は、施錠せずに残っている者に鍵を預けていました」
「なるほど。では昨日はいかがだったのでしょうか?」
ルイーゼは、横目でデボラを見据えながら、総務部の集まった面々を見回した。
Bが思い出しながら、昨日のことを振り返った。
「昨日は確か、みんなで食堂に行ったんです。でもデボラさんだけまだやることがあるからと、残っていました」
それを受けて、主任も答える。
「そうだ。だから、デボラくんに鍵を預けて、食堂に行ったんだったな」
ルイーゼは証言を受けて頷くと、デボラの顔に近づきながら、笑顔でこう言った。
「では、お昼休みに皆さんが帰ってくるまで、あなたは1人でここにいたわけですね」
デボラの血の気がスーッと引いていった。
(なんで?なんでこんな小娘に、気圧されているの?)
「つまり、あなたしかいないんですよ。書類を棚から出して、隠すことができたのは」
ルイーゼの可愛らしい見た目とは反対に、今は深緑の瞳が鋭く光っていた。
「どういう事なんだ、デボラくん!なんで書類を隠すなんてしたんだ?!」
主任が怒りを露わにして、デボラを問いつめた。
「…………のよ」
デボラは拳を震わせながら、ボソリと呟いた。
「何だって?聞こえないぞ」
「ムカつくのよっ!アンタ!!」
その剣幕に、主任や総務部の官僚たちは驚いた。しかし、ルイーゼだけは1人冷静にデボラを見つめていた。
「新入りのくせに、殿下の秘書官になって、あげく殿下に気に入られて!私なんて、官僚の女性登用が始まった時からずっと近くにいたのに!」
デボラが一気に捲し立てると、ルイーゼは呆れてため息をつきながら、悪態をついた。
「はあ。何を言い出すかと思えば。仕事に関係あります?それ?」
「なっ!何ですって!」
「あなたが殿下をお慕いしようが、関係ありません。あなたがしたことは、立派な業務妨害です。私が気に入らなくて、嫌味を言うなら別に構いはしませんが、会議の時間を詐称したり、資料の締切を改竄したり、迷惑なんですよ」
「何よ、そんなの証拠なんてないでしょっ!」
「ええ、ありません。だから、今までは追及いたしませんでした。でも今回のは迷惑のかかる規模が違います。あの決裁書がなければ、堤防工事が遅れ、国民に被害がでるかもしれません。その時責任を取るのは、どなただと思ってるんですか?!」
ルイーゼは早口で一気に捲し立てると、憤りを露わにした。
「あなたが責任とって、辞めればいいでしょう!」
ルイーゼは自分の怒りのボルテージがぐんぐん上がっていくのがわかった。自分ではこの怒りを止められそうになかった。
「ここまで言って、まだわからないんですか!責任を取られるのは、殿下に決まっているでしょう!あなたがお慕いする殿下です!!」
ルイーゼに怒鳴られたデボラは、そこで初めて自分がしでかした事の大きさに気づいたようだった。デボラはへなへなと力なく、床に座り込んでしまった。
「ここまで言われないと気づかないなんて、あなた何年官僚やってるんですか?!」
ルイーゼの怒りが最高潮に達したその時、ルイーゼの頭にぽんと手が置かれた。
「今、私は怒っているんです!ほっといてくださっ、でっ、殿下!?」
ルイーゼが振り払った手の先にいたのは、エリオットだった。
「ルイーゼ、その辺にしておけ。お前の剣幕に皆驚いているぞ。」
「あっ、すみません。カッとなりました」
あんなに怒っていたルイーゼだったが、すんなり冷静になった。
「ぷっ、お前がそこまで怒るとはな。一体何をやらかしてくれたのかな?」
総務部の面々が初めて見た殿下の笑顔は、背筋が凍りつくほどの恐ろしいものであった。
「あっ、ああっ、殿下」
デボラは、エリオットの迫力で腰がぬけたようで、床に座り込んだまま動けなかった。
「殿下、吹雪いてます。皆さん、凍ってしまいますので」
冷静さを取り戻したルイーゼがエリオットに注意を促した。
「おっと、うっかり。とにかく君には色々話を聞くことがありそうだ。連れて行け」
いつの間にか後ろに控えていた騎士が、デボラを引きずりながらどこかへ連れて行った。
「お騒がせして申し訳ありません」
エリオットは謝罪するルイーゼの頭をぽんぽんと再び撫でた。
「いや、こちらこそ。気づいてやれなくてすまなかった。総務部の皆も騒がせてすまない。業務に戻ってくれ。主任の君はあとで報告書を上げるように。あと、さっきの彼女について、他に何かあれば一緒に報告書に記載するように。では」
エリオットはいつもの爽やかな笑顔でそう言うと、ルイーゼを伴って颯爽と総務部をあとにして行った。
ルイーゼは廊下を歩きながら猛省していた。
「すみませんでした。怒りに任せて、我を失うところでした」
「はは、ルイーゼが本気で怒ってるとこ初めて見たな」
「さすがに度が過ぎていたので、カチンと来まして」
「それに、私に迷惑がかかるから怒ってたんだろう?」
「っ!何でわかるんです?」
ルイーゼは言い当てられて、少し恥ずかしくなった。
「何でだろうねえ」
「殿下、なんかずるいです!」
「はははっ、そうだ。お昼まだだろう。サンドイッチあるぞ」
ルイーゼはその言葉に目を輝かせた。
「ぜひ、いただきます!」
その数日後、王太子の執務室。
「やはり今までもあのような程度の低いことが行われていたんだな」
エリオットは報告書を読みながら、ある人物に話しかけた。
「はい、そのようで」
「ではあの女を減給の上、降格処分としよう。」
エリオットは感情のない声で淡々と処分を下した。
「かしこまりました。しかし、あのお嬢さんはすごい方ですね。」
くくっと笑いを堪えながら、その人物はルイーゼのことを話し出す。
「どういうことだ?」
「殿下の下で働いているのですから、セドリック様を頼るなり、殿下に報告するなりできたでしょうに」
「それをせず、自ら解決しようとするのがルイーゼの良いところだろう」
エリオットは少し憤慨したように、相手に言い返した。
「ふっふっふっ。そうですか」
リスのような茶色の髪と瞳を震わせて、笑いを堪えているようだった。
エリオットは話題を変えることにした。
「…。それより、あの件はどうなりそうだ?」
「ええ。順調ですよ。おそらくそろそろ許可が降りると思われます」
「そうか。引き続き頼む」
「かしこまりました」




