3話 棄神者
判決。
「——被告人ミシェル・クリストレアに対し、教会法第十八条、法魔国治安維持法第七条及び、聖祭保護特別法第三条に基づき、以下の処分を言い渡す」
「一、『聖魂帰祭』期間中における公共秩序の著しい破壊」
「一、祭礼区域内における大規模器物損壊及び群衆騒乱の誘発——」
法廷は静まり返っていた。
息を呑む音さえ聞こえそうなほどの沈黙。
高い天井から差し込む朝日だけが、白い大理石の床を優しく照らしている。
老いた声で、形式的に読み上げられる文字達が、空間を響く。
「——よって、《《無期限の聖癒勤務停止処分》》、並びに《《王立聖癒所との雇用契約を解除、公的聖療機関への再就職資格も同じく剥奪》》とする」
「——以上」
事務的に打ちつけられた木槌の音は、虚しくも鼓膜を通り過ぎた。
「…………先生の……馬鹿」
退出する裁判官の背中を見つめながら、力無い愚痴を吐く。
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二日前
早朝の王都エンデルフィア南門は、朝日に照らされながら盛大な活気に包まれていた。
特に長距離荷馬車停留所は、朝から大混雑。
馬の嘶きと車輪の軋む音が、絶え間なく響いている。
地方各地へと向かう商人達。巡礼者。旅人。
そして、ノピートで開催される『聖魂帰祭』の関係者であろう聖職者。
「——見て見て! あの馬角生えてる! カッコいい!」
「元々軍事種用に改良された、一角魔獣レイリアと馬の混合種ですね。性格は大人しいですが、暴れ出したら止めるのは至難の技だと聞いたことがあります」
目をキラキラさせながら、行き交う荷馬車の牽引獣に興味津々のノア。
そして。
「うぇぇぇ……気持ちわりぃ……」
そんなノアと、半分まで減った酒瓶を引きずるように歩くセレナとでは、余りに対照的だった。
「――あぁ……そうそう」
するとセレナは突然、何かを思い出したようにポケットに手を入れる。
「《《コレ》》。持ってけ」
そう言って無造作に投げ渡してきた小さな物体を、ミシェルは両手で受け止める。
「……これは?」
手のひらに収まるほどの大きさの、紅い水晶石があしらわれたネックレス。
朝日に透かされるそれは、まるで内部に炎を閉じ込めたかのように、赤く輝いていた。
そして中央には、精巧な紋章が刻まれている。
両翼を大きく広げた鷲。
その足元に描かれる天秤というデザインは、どこか見覚えがあった。
「うぇ!? なにそれ!」
横から覗き込んだノアが目を輝かせる。
「綺麗な石!! 宝石!? 売ったら高い!?」
「お前の発想はいつもそこだなぁ……」
セレナは呆れたように、額を押さえた。
「お守りって言った方がいいのかねぇ」
改めて水晶石を見る。
どう見ても由緒ありげな代物だ。
少なくとも子供に持たせるような安物ではない。
「これさえ持ってりゃ面倒事を避けてくれるかもしれねぇし」
「——《《逆に面倒事を招くかもしれねぇ》》」
「どこがお守りですか」
即座に返すと、セレナはケラケラ笑った。
「いや、マジで知らねぇんだよ。持ってると助かった事もあるし、死ぬほど面倒な事になった事もある」
「——ただ。《《どっかの誰かさんが大切にしてた代物》》ってのは確かだ」
その時、いつも能天気なセレナの目が少しだけ、悲しくうつろいだ気がした。
「はぁ……ではせっかくなので」
小さくため息を吐きながら、そのネックレスを首からぶら下げる。
「ふっ。やっぱ似合うなぁ」
まるで遠い昔を見ているような。
懐かしい何かを思い出したような。
そんな顔だった。
けれど次の瞬間には、いつもの気怠げな笑みが戻る。
「頼むから失くすなよぉ〜」
「はい。でもお守りなんて信仰心の無い先生らしくないですね」
と言うのも、ガサツと気怠さを体現したようなこの女が、聖拝をしているところなんて、見たことがないからだ。
聖拝の鐘が鳴ろうがお構いなしに、酒を体内に放り込むのが彼女の流儀。
「お〜いおいおい。アタシだって信仰心がないわけじゃねぇんだぞぉ? ただ——」
ブスッと口を尖らせながら続けた。
「——信仰は答えを貰うためのもんじゃねぇ。悩み続けるためのもんだ。なのに今の連中は、考える事をやめる言い訳に神様を使ってやがる。それがアタシにはどうにもなぁぁ」
停留所を吹き抜ける朝風が、セレナの金髪を揺らした。
周囲では旅人達が荷物を運び、商人達が客を呼び込み、馬達の嘶きが絶え間なく響いている。
誰もが自分のことで忙しい。
だからこそ。
その声はあまりにも自然に聞こえた。
『——《《さすがは「セレナ・ジェネトリアス」ですね》》——』
穏やかな男の声、怒号に掻き消されるほど小さくもなく。
かといって耳を打つほど大きくもない。
ただ、不思議なほど、心に通る声だった。
「——信仰は時に、人々から思考を奪います」
普段よほどのことがない限り、心の機微を見せないミシェルだったが、この時ばかりは驚きの念を隠せなかった。
それだけに足音も、衣擦れの音も、向けられていたはずの視線すら感じなかったのだ。
まるで最初からそこに居たかのように。
振り返ると、そこに立っていたのは、一人の青年だった。
肩口まで伸びた艶やかな赤髪。
宝石のように澄んだ紅玉色の瞳。
歳はミシェルより5つほど上くらいだろうか。
腰に差された一本の立派な剣。
黒と深紅を基調とした豪奢な鞘には、精巧な金細工が施され、一目で名工の手による逸品だと分かる。
しかし無数の細かな傷からは、それがただの装飾品ではなく、幾多の戦場を潜り抜けてきた、本物の剣であることを物語っていた。
美しく整った顔で、柔らかな笑みを浮かべているというのに、その笑顔の奥にある感情は、まるで見えてこない。
どこか人間離れした不思議な青年だった。
「……ええっとぉ、どちらさん? いきなりフルネーム呼びされるのはちょっとキメェな」
酒瓶をぶら下げ、面倒臭そうに半眼を向ける。
獲物を見定める猛獣のように、青い瞳を僅かに細めるセレナ。
「お久しぶりです。——《《セレナ隊長》》」
【隊長】という言葉を耳にし、さらに怪訝さを増したセレナだったが、直後、何かを思い出したかのように警戒を緩めた。
「ん〜〜? オメェもしかして《《ルージュ》》か? あの法魔軍一の嫌われモンで有名だったガキンチョの」
だいぶ失礼な口撃を繰り出す。
「アハハ。その失礼、そのままお返ししますよ」
ルージュと呼ばれる男性は、セレナの口撃を、にこりと躱し、カウンターを繰り出した。
「——ちょちょ待ってよ!!」
その時、ノアが大きく両手を広げる。
『??』
失礼にもノアはそのまま、ルージュの顔を指差す。
「白銀のお嬢さん。ボクがなにか?」
「な、なんでこんなイケメンが先生の事知ってんの!? あ。あと隊長ってどーゆーこと?」
こういう無鉄砲さというか、空気の読まないところは相変わらずだった。
ただ、たしかにセレナが、法魔軍に在籍していた事は知っていた。 【隊長】と呼ばれるほどだったとは、つゆ知らなかったので、妹の無礼を一旦スルーした。
「あぁぁ。えっとなぁ〜〜」
「まぁ言っちまえば古い部下だ。こんな胡散臭い笑顔してるくせに、結構優秀だったんだぞ? ムカつくほどにな」
「隊長にそう言っていただけるとは、光栄です」
ルージュは軽く会釈する。
「そして、こちらのお嬢様達は?」
ルージュは、視線を姉妹達に移し替えながら質問した。
「ああぁ。こっちの緑髪で大人しそうなのが、聖癒術師で姉のミシェル。そんでこの馬鹿っぽいのが妹のノア。弟子ってやつだ」
「ノアの説明雑じゃない!?」
「初めまして、ルージュ様。ミシェル・アルトリアと申します。」
ノアはセレナの紹介に顔の皺を寄せ、ミシェルはいつも通り淡々と、挨拶をこなし頭を下げる。
「初めまして。しかし、あのセレナ・ジェネトレリアスが弟子を……ね」
「んだよ。文句あっか?」
「いえいえ。しかし——」
「『《《第三次聖典戦争》》』から、十四年ですか……。時の流れは残酷なまでに早いですね」
「違いねぇぇ。ピチピチだったアタシも、今ではグラマラスなお姉さんになっちまった」
うふんと投げキッスのようなポーズを決める四十路には、やはり苦しいものがあった。
「お腹のお肉も出てきたしね!」
「うるせぇ。レディに向かってなんてこと言うんだオメェは」
昨日に引き続き、酒瓶の底で頭を小突かれる。
「で、お前はこんなところで何してんだ? さっきの話じゃ軍は辞めたんだろ?」
「——! ええ。今は——」
ルージュは、一瞬微かに口角を緩めると、裏地に真紅を彩った上等なロングコートにそっと手を入れる。
胸ポケットから取り出されたのは、縁を金箔で彩った一枚の名刺。
「今は——《《『ヴァリアント』というギルドを経営しています》》」
煌びやかな名刺を差し出した、赤髪の美青年は、軽く咳払いを挟んだ後、優しく綺麗に微笑んだ。
「所謂——『棄神者』——です」




