4話 激突
「——!!? 棄神者……それに『ヴァリアント』って……」
昨日、ノアが誘い込んだギルドの名前がまさにそれだったのを思い出す。
言われてみれば、荒々しいギルドのイメージからは乖離した文体や、至極質素な広告文も、目の前の男のスタイリッシュさを加味すれば理解できた。
『——ルージュ様!! ここにいましたか』
人混みの雑踏を掻き分けるように、一人の少年がこちらに駆け寄ってきた。
おそらくノアと同い年程度、凛々しくもどこか幼さが残る、黒髪短髪の少年。
「やぁシアン。もう出発の時間かい?」
「はい。して、この方々は」
若い見た目にそぐわぬ堅い言い回しと、しっかりとお腹から発せられた声音は、どこか軍隊のような、規律を感じさせる。
「ああ。私の恩師であり命の恩人でもあるセレナさん。そしてそのお弟子さんの、ミシェルさんとノアさんだよ。君も挨拶なさい」
「この方が、仰っていた《《隠密機動部隊》》の……」
すると、黒髪の少年は両の足を綺麗に並べ、深々と頭を下げる。
「シアン・ヴォルシアと申します。以後お見知り置きを」
「へぇ。しっかりした子じゃねぇかぁ。それに比べて——」
そう言って、ガクッと肩を落とすセレナと、それを察知してシャーっと威嚇するノア。
そして、シアンが頭を上げた時、ミシェルは鋭い視線が己に向いたのが分かった。
いや、厳密には自分の羽織っている聖癒所職員用のローブに向いていた。
「——」
「——?」
「マリーの……しかも《《直属の聖印》》……」
一瞬、シアンの表情に怒りや、嫌悪の成分が含まれた事に、ミシェルだけ気がつく。
しかし、瞬時にそれらを飲み込んだシアンは、会釈で濁した。
「シアン? ——『クシュナ』の姿が見えないけど、君と一緒じゃないのかい?」
「っ……申し訳ございません。あの馬鹿は、突然アイスを買ってくると言い残し、どこかに消えました……」
「またあの子は勝手に……彼女の奔放さには手を焼くね」
その呆れた声音に、どうやら日常茶飯事らしいと、ミシェル達もなんとなく察する。
すると、相変わらず何事にも興味津々な様子のノアは、シアンに質問する。
「そのクシュナちゃん? って子もギルドの人なんだ?」
傾げた白銀の髪がふわりと揺れ、その無邪気な笑顔が、バカ真面目なシアンにド正面から向けられた。
「――っ」
シアンの喉が僅かに鳴った。
ほんの一瞬だけ視線が逸れる。
だが、次には何事も無かったかのように背筋を伸ばす。
「あ、ああ。まぁ」
「へぇ〜! どんな子なの?」
「その……」
言葉を探すように視線を左右に泳がせる。
先ほどミシェルに向けられた感情とは性質が全く反対な、何かがシアンの思考を更に鈍らせる。
「げ、元気な娘だ」
「へぇ! 私もよく元気いっぱいだねって言われるの! あ、シアン君ももしかしてそう思う??」
俯いた少年の顔を真正面から覗き込む。
これは決して計算や思案ではない。
純粋な好奇心と、探究心が生んだ天然の『隙』。だからこそ破壊力は凄まじい。
特に思春期真っ只中の、男子からすれば必殺とも言える。
「そ、そうか……確かに同じ系統だとは、思う……かもな」
あり過ぎるの間違いだろ。と言わんばかりの顔で、首を振るセレナだったが、ここは大人として自重し、目の前の青春の空気を尊重した。
『《《——ルーーーー兄ぃぃぃ!!! アチが今、助けっっっからぁぁ!!!》》」
どこか花の香りすら漂ってきそうな穏やかな空気を、甲高い少女のような声が乱暴に切り裂いた。
ミシェルは反射で顔を上げる。
停留所の脇に建つ石造りの七階建の建物。
その屋根の上には、小さな人影が今にも落ちそうなくらい、身を乗り出して立っていた。
逆の陽光に照らされて、はっきりとした姿は見えないが、甲高い声と百四十センチ前後の背格好から推測するに、10代最前半の少女。
風に揺れる短い髪。反射で色は判別が出来ない。
小柄な身体つきと狭い肩幅。
だが、そんなありきたりな分析よりも先に目に飛び込むのは、彼女の背丈の倍ほどはある大きな斧。
人ひとりを優に押し潰せそうな鉄塊を、まるで木の枝でも持つような気軽さで肩へ担いでいる。
「おえぇぇぇ!!? そ、そんなところに居たら危ないよぉーー!?」
「動けなくなっちゃったんなら、今ノアが助けに行くから待っててー!!」
文字の意味通り、目を丸くしたノアは、慌てて少女が聳える建物入り口へと駆けようとする。
『チッ。結局んところさァ。《《毎度、毎度》》……ルー兄が何したってんだァ……?』
更に地面に向かい乗り出した少女。
危ない。そう思った時には遅かった。
足場を失った少女の身体が、そのまま重力へ身を委ねる。
『結局んところォォ……アンタらわァァ……』
常人の男性大人でも、悲鳴を上げ泣き叫ぶほどの高さ。
だが、眼上の少女は、そんなチンケな恐怖など意にも介さず、血だらけの獲物へ飛び掛かる猛獣のように、垂直な壁を蹴り込み空へ飛び出す。
「ば、馬鹿野郎! この方々は——」
シアンの必死な制止も間に合わない。
『——《《マリシア》》の手先っしょォォォ!!?』
『本当に困った子だね』
ルージュは小さく呟くと、大きく息を吸い込む。
そのまま、静かに右手を空へと持ち上げる。
武器を抜くわけでもなく、《《ましてや神になど祈るはずもなく》》。
ただ、親指と細い中指を重ねていた。
「——境界結界 『彼岸』 」
——パチン。
街路に抜ける朝風に乗った乾き切った高い音が鳴り響くと、世界の輪郭が微かに揺れた。
だがそんな微かな揺らぎなど、今の彼女らに気が付く余地はない。
少女は、落下と踏み込みのスピード勢いそのままに、担いだ大斧を肩の可動域全開まで振り上げる。
陽光を反射した巨大な刃は空中で鈍く輝き、刃の矛先はミシェルの脳天へと一直線に向かっていた。
『《《マリシア》》の犬どもがァァァ!!」』
瞬間。
両手に抜刀した白銀の閃光が、ミシェルの視界を遮る。
『——お姉ちゃん。下がって』
瞬間。
————ギギィィィィィィィィン!!
激突の余波だけで石畳が砕けた。
火花を炸裂させた衝撃は地面へ逃げ、蜘蛛の巣のような亀裂が周囲へ走る。
雷の如く落下してきた巨大な鉄塊。
その直線上で綺麗に交差した双剣は、刃こぼれすら許されずに、大斧の勢いを殺していた。
数秒の間があき、巻き上がった砂煙ぼこりがようやく落ち着く。
雄叫びを上げながら、巨鉄塊と共に落下してきた少女。
普通に考えてみれば、まともとは到底思えない登場の仕方。
しかし、土煙の中から現れたのは、その一般的な解釈とは驚くほどに、真逆な外容の少女の姿だった。
淡い桃色のショートヘア、前髪に留められた金飾の向日葵を模ったヘアピン。
白いフリル付きのシンプルなブラウスに、黒いプリーツスカート。
そして膝上までの黒いソックスと背伸びしたローヒールの靴。
街を歩いていても違和感のない、ごく普通の少女の格好だ。
だからこそ。
ノアの頭上に振り下ろされている大斧の存在が、余りにも異様に見えた。
可憐でごく普通な可愛らしい少女と痛ましい暴力の象徴。
本来なら決して交わらない二つが、当たり前のように同居している。
そのアンバランスさが、彼女という存在を不安定に見せた。
「——お姉ちゃーん、大丈夫?」
「はい。問題ありません」
まるで、突然空から少女が降ってきたことなど、日常の些事に過ぎないと言わんばかりに落ち着いた二人の会話だった。
「ちょっと……人の大好きなお姉ちゃんにいきなり何すんのさ〜」
「——!」
ぷくっっと膨らんだ頬と、気の抜けた言葉に、落下の張本人は思わず目を見開く。
降下した落下速度、自分と大斧合わせた質量、プラスアルファで、振り下ろした際に込めた渾身の腕力。
それを衝撃を受け流したわけでもなく、真正面で受け止めた女が、平然とプンスカしている姿に目を疑った。
「へぇぇ。結局んところォ……さすっが——聖印付きだなァァァ!!」
「《《クシュナ》》!! 貴様ルージュ様の顔に泥を塗る気——」
シアンの必死な怒号も、クシュナと呼ばれる娘の耳には、一切届いておらず、目の前に現れた『獲物』に全神経が注がれている。
「そォォらァァ!!」
「——!」
受け止められた大斧をくるっと捻り、双剣を交差を解くと、そのまま巨大な刃が横薙ぎに空間を滑る。
轟音を立てながら、地面と水平に空気を薙ぎ払う。
まともに食らえば、上半身と下半身が一生おさらばしてしまう、真っ二つ不可避の横方向の一撃。
だがノアは、あろうことか、流れる刃に向かって自ら大きく踏み込んだ。
「——はァ!?」
再度目を見開いた少女は、更に空気を切断する速度を上げる。
極限まで加速した刃と、ノアの身体がぶつかる刹那。
「——にゃはっ」
踏み込んだ勢いそのままに、ノアは猫の跳躍のようにフワッと浮いた。
散りゆく木の葉のように、地面と平行に身体を捻り、大刃の上をニャンと通り過ぎる。
「うォ!? マジかよォ!!」
「へへ! それじゃノア様には当たらないよ!」
刃が空を切り、バランスを崩した少女は、そのまま刃が流れた方向によろける。
「——楽しくなってきたァァ!!」
ノアより一回りも小さい『落下少女』は、幼く尖った八重歯を見せつけるように、大きく笑い叫ぶ。
そして大斧を。振るう。振るう。振るう。
横薙ぎの一撃が、停留所脇の木箱を粉砕し、そのまま返す刃が石畳を抉り取り、勢いのまま振り上げられた鉄塊が、街灯の根元をごと吹き飛ばした。
だが、そこに居るはずの白銀の獲物にだけ当たらない。
「——先生。止めますか?」
「ん〜〜最近あいつに稽古つけられて無かったからなぁ〜。ちょっと見学するかなぁ」
「でも街の方々に迷惑が掛かるのでは?」
するとセレナはじっとりとルージュに視線を流す。
ただの傍観者Aとして、止めるわけでも、心配するわけでもない様子の赤髪の男は、ただじっと事の顛末を見送っている。
「それに関しては心配すんなぁ。言ったろ? あのガキは誉めたかねぇが優秀だったって」
「それに——」
「——ウチの馬鹿娘も中々やるってところ見せねぇと、可愛い後輩に示しがつかねぇだろ?」
そう言ってセレナは意地悪にニヤッと笑うと、持っていたワインを豪快に飲み干した。




