1章9話 野心の瞳と、不敬な誘い
「ごきげんようグレース。お迎えありがとう」
「おはようございます、アイリーン様」
久しぶりによく眠れた次の日。その日も馬車まで黒髪のグレースが迎えに来てくれていた。
この皇国で黒髪は珍しい髪色だ。親族以外でこれほど深い黒を纏う人を、アイリーンは初めて見た。
「グレースは今ヴェルストラーテン公爵家に住んでいるのよね?」
「はい。離れにお部屋をいただいております」
「じゃあ、マナー教育はパトリシア公爵夫人から?」
教室まで歩みを進めながらアルバートの母親の名前を出すと、グレースは微かに微笑んだ。
「はい。学院入学までの半年間、淑女教育をしていただいておりました」
「半年、ですか」
グレースの返答にアイリーンは驚いた。
彼女の立ち振る舞いは長い間教育を受けた貴族のようだった。
皇族であるアイリーンの隣に立っていても何も問題はないレベルだ。
とても半年の突貫工事で作った間に合わせのものとは思えない。
「それは、少し大変だったのではない?」
「そうですね……」
グレースは少し考えてから、再び笑った。
「私は実家ではきちんとした教育を受けることができませんでしたので。
この半年、大変なこともありましたが、たくさんのことを知れた喜びのほうが、今は大きいです」
教室までの道のりはとても静かで穏やかだった。
周囲に人がいないのではない。
廊下の端からは貴族の令息令嬢たちが遠巻きにアイリーンを見つめている。
昨日、皇女に謁見しようとしたものは全員護衛の二人に叩き潰された、という話は既に学院内に広まっていた。知った上でなお挑戦しようとする貴族はこの学院にはいない。
人にもまれることなく、二人は優雅に教室までの道のりを終えた。
教室に入ると昨日と同じ席でリリアナが待っていたが、彼女は一人ではなかった。
リリアナの背後に立つ茶髪で巻き髪の令嬢にアイリーンは首を傾げる。
教室にいる他の生徒たちも遠巻きに見守っていた。
訝しみつつ、まずはリリアナに声をかけた。
「ごきげんよう、リリアナ」
「皇女殿下、ごきげんよう……朝早くに申し訳ないのですが、ご紹介したい方がいらっしゃいますわ」
リリアナの表情は暗い。
昨日の帰り際、皇女殿下は堅苦しいから呼び方を改めて欲しいと申し出たお願いも、スルーされてしまっている。
「こちら、エリス・スターホルト伯爵令嬢様です」
エリスは紹介に合わせてカテーシーをしてみせる。
それを受けながら、アイリーンは記憶をたどる。たしか、王党派の貴族だったはずだ。
「ごきげんよう、エリス様。
朝からわざわざお待ちくださったのですね。お心遣い、とても嬉しく思います」
「もったいないお言葉、ありがとうございます、皇女殿下。
エリス・スターホルトでございます。ご挨拶できてとても嬉しいですわ」
エリスは微笑みを浮かべながら正面からじっとアイリーンを見つめる。
その目はぎらぎらと野心に満ちており、アイリーンは少し身構えた。
「皇女殿下、本日、お時間ありましたら共にお茶でもいかがでしょう?」
皇族に対して全く配慮のない一方的な誘いにリリアナが目を見開く。
「スターホルト様!?」
悲鳴に近いリリアナの叫びを耳に、エリスは顔をしかめた。
アイリーンはそれらを微動だにせず見守る。
「貴女方は昨日ゆっくりお話するお時間があったのでしょう?
ずるいではないですか。わたくしともお話してくださいませ。皇女殿下」
リリアナはあまりの怒りで言葉を紡げず、唇を震わせるしかできなかった。
彼女の視線が断ることを望んでいると理解した上で、アイリーンはエリスに向かって微笑む。
「是非。午後に私のサロンでよろしければ、お待ちしておりますわ」
授業を前に教室から退出するエリスを見送ると、リリアナは真っ先にアイリーンに頭を下げた。
「申し訳ありませんアイリーン様!」
「その様子では、元から仲のよい方ではないのですね」
リリアナはわかりやすくため息をついた。
「彼女、ご実家は王党派の末端貴族なのですが、ご婚約のお相手が振興派の代表貴族なのです」
なんと、既に婚約済みの相手がいる珍しい少女らしい。
「昨夜、振興派が、自分たちの派閥の者もアイリーン様の護衛に入れろと猛抗議してきたそうなのです。
もめた末に護衛は却下できたのですが、彼女を紹介せざるを得なくなりました」
アイリーンは、昨夜の自分の侍女達の姿を思い出す。
ご機嫌な王党派と武闘派の侍女に対し、振興派の侍女は不満を隠せない様子だった。
振興派の重鎮たちは婚約者レースで出遅れたことによほど耐えられなかったとみえる。
「朝一のお目通りだけでは飽き足らず、お茶の約束までこぎつけてくるなんて、不敬すぎます」
リリアナは怒りを抑えきれず、涙を浮かべて小刻みに身を震わせる。
その背中をアイリーンは優しく撫でた。
「私は気にしていないから、あまり気負わないでちょうだい」
「アイリーン様がお優しいから、わたくしが防御壁になりたかったのです! それなのに!」
空色の瞳から涙をこぼして、リリアナがわっと顔を両手で覆った。
よしよしと彼女を慰めながら、アイリーンはさりげなく話題を変える。
「私、ご婚約されている方とお話できる機会は今までなかったからいろんなことをお聞きしたいわ。
リリアナ、一緒にいてくれるかしら?」
「もちろんです!」
涙声でリリアナは叫んだ。
アイリーンが自ら招いたエリスとのお茶会。
護衛二人の反応を横目に、彼女は何を考えているのでしょうか。
次話、ついに三つの派閥が激突。
【第10話:それは恋か、あるいは美化か】明日朝9:00頃に更新予定。
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