1章7話 自信過剰な『幸せ』の約束
「アルバート様の?」
またもや考えもしていなかった名前が出てきて、アイリーンは戸惑う。
「本来なら大人の護衛がつくところを、学院生活を堅苦しいものにしたくないと、公爵様を通して陛下に直訴されたそうです」
ねえ、グレース様、とリリアナは扉番をするグレースに話しかけた。話題をふられたグレースは扉を離れて窓際にやってくる。
「なんでしょう?」
「わたくしたちを集めたのは公爵令息様だという話をしていたの」
「ああ、はい。そのように聞いております」
「同じ学年の女性で、護衛ができる者を公爵令息様は必死に探されたそうです。グレース様のことはずいぶん苦労して見つけられたようですよ。ねえ、グレース様」
リリアナに問いかけられたグレースは一つ頷きを返した。
「はい。皇都には、該当するご令嬢がリリアナ様以外いなかったそうです。うちは一線から退いて久しい辺境の没落貴族です。土にまみれる生活をしていた私のところにアルバート様が突然いらっしゃり、皇女殿下を守るため力を貸してほしいと頭を下げられました。田舎の小娘に、公爵貴族様が、です。大変驚きました」
少しだけ、グレースが眉をよせて笑みを浮かべた。楽しそうにリリアナは言葉を続ける。
「わたくし達で皇女殿下の派閥を作るんですって。素敵ですわよね」
「は、派閥? ですか?」
「ええ。公爵令息様を中心にした、皇女殿下のために動く新しい貴族の派閥です。これ、本当はアルバート様からまだ口止めされているのですけれど、わたくしあえてうっかり口を滑らせます」
初耳な情報ばかりでアイリーンは頭の整理が追いつかない。この国は、王党派、武闘派、振興派、中立派の派閥が争うようになってからの歴史が長い。
――アルバート様。貴方は国内の勢力図を書き換えるつもりですか。
スケールの大きすぎる話にアイリーンはぞくりと身震いした。護衛の話も、城の者たちからはそんな話、なにも聞いていない。
目を白黒させるアイリーンの姿に満足げに微笑むと、ふとリリアナは顔を曇らせてため息を一つついた。
「最近のあの方、秘密が多すぎなんですもの。言えないことがあるのは理解しますけれど、振り回されて不安になる乙女の気持ちを少しは考えて欲しいですわ」
含みのある言葉とその表情にアイリーンははっとして身を乗り出す。
「リリアナは、知っているのですか」
アルバート様が、なぜあのようなことを言ったのか。
続けることができなかった言葉をアイリーンは飲み込む。この数日悩みに悩んだ謎に対する答えが得られるのかと期待が膨らんだ。
アイリーンにすがるように見つめられて、リリアナは悲しそうに目を伏せた。
「今は話せない。そう言われてしまいましたわ」
「そう、ですか」
期待した分、答えを得られない落胆は大きかった。アイリーンの目が曇る。落ち込むアイリーンにリリアナは慌てて言葉を続ける。
「でも私、聞いたんですの。皇女殿下と結婚するのは、貴方ですよね、って」
アイリーンの不安の核心を抉る問いだった。
その答えを知ることができればこの数日間の不安に決着をつけられる予感がして、アイリーンはリリアナに期待を寄せる。
嘘の情報を握らされる可能性があることもわかってはいた。
それでもアイリーンはその解答を知りたかった。
無意識にアイリーンの両手が胸の前で組まれた。ごくり、と喉が鳴る。
「答え、は?」
恐る恐るの問いかけにリリアナは唇を三日月の形にして答える。
ティーカップの中で紅茶が揺れた。
「アイリーンを一番幸せにできるのは俺だ、ですって」
一瞬。
世界の音が、消えた気がした。
遅れて、現実が戻る。
リリアナは笑った。
「随分な自信ですわよね」
アイリーンの翠緑の瞳が、まるで太陽を浴びたように光を得た。
唇が小さく開き、肩が細かく震え始める。
組まれた両手は指先が色をなくすほど力が込められていた。呼吸すらままならない喜び様だった。
その様子を、リリアナはそっと見守っていた。自分の役目が終わったことを悟ったグレースは静かに扉番に戻っていく。
アイリーンが落ち着くまで数秒、リリアナは静かに紅茶を飲んで過ごす。
「……お見苦しいところをお見せしました」
「なんのことですか? わたくし、紅茶を飲んでいただけですわ」
恥じるアイリーンにリリアナはにっこり笑いかける。
その気遣いを、アイリーンは素直に受け取った。
ひとまず、とリリアナは続ける。
「あのヴェルストラーテン公爵家が直に動くレベルのことが起こっているのは間違いありません。学院でも警戒を高めて参りましょう」
険しい顔をするリリアナにアイリーンも真剣な顔で頷いた。
アルバートのあの発言は意味が深いものだった。
どんな狙いがあるのかアイリーンには見当もつかないし、信じたくはないが、あの発言も、それによってアイリーンが落ち込む姿も、必要なことだったのだろうと推察する。
それでも、とアイリーンは思う。
――あんな酷い言い方をしなくても。もう少し、やり方があったのではないですか。手紙であらかじめ作戦を伝えるとか。あなたのせいで、どれだけ私が苦しんだか。
アイリーンが胸を抑えていると、リリアナが続けた。
「皇女殿下のお立場ではままならないこともございましょう。必要な情報があれば、なんなりとお申し付けくださいまし。このリリアナ、全ての力を使って集めてまいりますわ」
片目を瞑るリリアナはとても頼もしく感じられた。
——まだ、信じ切れてはいないけれど。
それでもアイリーンは、この手を放したくないと思った。
ついにアイリーンに届いたアルバートの言葉。
けれどそれはリリアナ経由の又聞き。二人の距離はまだ、遠いままです。
次回は彼の独白と、忍び寄るあの男の気配。
【第8話:灰と紅に囚われて】
独占欲の強い描写があります。苦手な方はご注意ください。
明日からGWということで、明日以降は【朝 9:00 / 夜 21:00】のスケジュールでお送りします。
みなさまのGWの娯楽になりたい。
引き続きよろしくお願いいたします。
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