アルバート 9歳
母と宮殿に着くと、そこはまるで戦場だった。
大人たちは誰もかれも引きつった顔をしていて、みっともなく狼狽えている。
皇族が毒を受けたという話は、本当のようだった。
「貴方たち! しっかりなさい! それでもグランディヴェル皇国に仕える人間ですか!」
アルバートの母、パトリシアの喝が飛ぶと、空気が一変した。周りの大人達が少し落ち着いた顔になる。
やはり、この人は唯の母親じゃないと、元皇族の威厳をアルバートは再認識する。
「アル、お前は先にアイリーン様の所に行きなさい! 勝手にうろつかないことです。いいですね?」
「はい、母上」
パトリシアは九歳の息子にも指示をだした。
母の指示に従ってアルバートは宮殿内を早足で移動する。
アイリーンの居室に着くと、そこには誰もいなかった。
「リーニー? いないのか?」
愛称を叫ぶと、寝室に続く扉が開いた。
小さな赤毛の頭がひょっこり出てくる。世話役の女性も後から現れた。
「アルお従兄さま……?」
幼さが出る丸い頬は涙で濡れていた。まだ寝間着姿だった彼女にアルバートは激しく動揺しながら、努めて優しく声をかける。
「呼び出された母上についてきたんだ。着替えておいで。待っているから」
こくんと頷いた頭が引っ込んで、扉が閉まる。一人になった居室でアルバートはため息をついた。
皇帝が倒れられたと、宰相である父が早馬で呼び出されたのは明け方のこと。
その父は、城につくとすぐに母を呼び出した。
皇帝陛下だけでなく皇族全員が倒れている。
自分は城内をまとめるので手いっぱいなため、宮殿の指揮を任せたい、と。
それから元皇族の母は素早かった。すぐに義父母に連絡をとって幼い弟を託すと、屋敷の指揮を執事に任せて馬車を用意したのである。
その馬車にアルバートは自分から飛び乗った。
アイリーンが心配だから連れていってほしい。子供が一人でいるより、自分もいたほうがアイリーンが安心するはずだ、と。
その主張は正解だった。
寝室から普段着のドレスに着替えて出て駆け寄って来たアイリーンは緑の瞳一杯に涙を浮かべていた。
「アルお従兄さま、なにが起こっているのですか。ばあやはなにも教えてくれないのです」
そう言って、アイリーンは不満いっぱいの顔で背後に立つ女性を見た。ばあやと呼ばれた彼女は困った顔をしてアルバートに視線で助けを求める。
「僕も、まだよくわかっていないんだ。リーニーは僕と一緒にここでいい子にしてよう?」
「……お母様に、おはようのご挨拶をしたいです。それだけでも、だめですか?」
懇願してくるアイリーンに、アルバートは顔をしかめた。世話役の女性を盗み見ると、悲しそうに首を振る。
「……今は、出歩くなと母上に言われてるんだ。後で母上に聞いてみよう」
「わかりました」
おとなしく引き下がったアイリーンを、アルバートはソファーに座らせた。世話役の女性に適当に本を見繕わせ、読み聞かせを始める。
そうして二人でおとなしく過ごしていると、部屋にパトリシアがやってきた。大きなかごを持った侍女もついている。
「アイリーン、アルバート。良い子にしていましたか」
「はい母上」
「伯母様! 私、お母様にお会いしたいです!」
早速懇願するアイリーンを、パトリシアは難しい顔で首を振った。
「城が大騒ぎで、お父様もお母様も、今大変お忙しいのです。皇女として、今は我慢なさいアイリーン」
改めてだめをつきつけられたアイリーンはわかりやすく落ち込む。
「二人はここで食事をとっておきなさい。まだまだ騒動は続きそうですから」
パトリシアの後ろについていた侍女が、持っていたかごをテーブルの上に置く。中には白パンや深皿に入れられた卵料理等が入っていた。
そこでアルバートは気づく。それらが入っているかごも、中にある皿も、全て自分の家のものだと。つまりそれらは、アルバートの家で作られたことを表していた。
城でとる食事なのだから、城の厨房で作られたものを食べるのが本来のはずだ。
アルバートは疑問を口にしようとして、止めた。
机の上に並べられていく料理を、アイリーンは嫌そうに見ている。この様子では食べなさそうだな、と感じていたところで、アルバートは母に耳打ちされた。
「食べたくないと言うでしょうが、白パン一つだけでも食べさせなさい。無理矢理口に入れても構いません」
母の口から出た物騒な指令に、アルバートは目を丸くした。が、反論はしない。いつだって母の言うことは正しいし、必要なことなのだ。
「二人とも、この部屋でいい子にしているんですよ」
そう言ってパトリシアは侍女を連れて去っていった。
「さあ、リーニー、食べよう?」
「……お腹が空いていません。アルお従兄さまだけお食べになってください」
思っていた通り、アイリーンは食事を拒否した。母の命令があるアルバートは首を振る。
「だめだ。パンだけでも食べないと。ほら」
そう言ってアルバートはパンを掴むと、小さくちぎってアイリーンの口元に差し出した。
「口を開けて、リーニー」
アイリーンはすぐに口を開けなかった。アルバートは辛抱強く待つ。
良い子のアイリーンは、やがておずおずと口を開いた。そこにアルバートはパンをねじ込んだ。少し強引に。
口にパンを入れられたアイリーンは、少し顔をしかめながら咀嚼をして、ゆっくりと飲みこむ。
「良い子だね、リーニー。ほら、次だよ」
そうして、アルバートはアイリーンにパンを食べさせた。
差し出せば大人しく開くアイリーンの口元に、せっせとパンを運ぶ。
小さく開く唇にパンを食べさせるのは、とても不思議な感覚だった。
触れてしまわないように気を付けながらアルバートは夢中でパンを食べさせた。心に感じる変な感覚に首を傾げながら。
そうして、アイリーンはなんとかパンを一つ食べ終えた。




